Classical

大変ご無沙汰してしまっていますが、無事に過ごしています。時間取れないなか、フォーカスが向かなかった感もありますが、今日は、ふと思ったことをクイックに。

表題の通り、Apple Music Classical はいいかも、です。

アプリの狙いは、クラシック音楽のフィルタリングが多次元であるため、というのは、リリース前から分かっていました。

一つの曲を、作曲家、演奏家、オーケストラ、ホール、録音など、いくつもの要素で聞き分けなければならないからです。

実際に使い始めると、作曲家がFamily nameではなく、First nameでソートされていることに気づき、やる気をなくしてしまったのですが、最近は、全ての作曲家を並べる意味がないことに気づき「多すぎるので)、レコメンドされる作曲家だけで十二分かな、と思うようになりました。

以来、これまで聞いたことのないベートーヴェンの録音など聴くにつれて、これはいいかも、と。

いやー、来れなければ聞かないようなベートーヴェンのピアノソナタとか、めちゃ秀逸だ、という驚きがあったり。

これから、これまで手薄だったピアノ曲をせめて見るかな、なんてことを思ったりしています。

クラシックも聴き尽くした感もありましたが、あと数十年は持つかも。

今日は久々なので、クイックに。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

あけましておめでとうございます

すでに一週間も前になりますが、元旦に丹沢の向こうに顔をのぞかせる富士山を撮影しました。

2024年になりました。以前も書いたかもしれませんが、「思えば遠くへきたもんだ」という一節が心に浮かびました。

人生はジャーニーだな、ということをちょうど4年ほど前に感じたのですが、そうすると本当にジャーニーになるのが面白いところです。

今年のジャーニーはなにかな?? おそらくは、公私において「書くこと」をはじめとした発信をテーマにしたいところですし、書くためには、調査・研究・読書・経験などなど、インプットもさらに必要だな、などと思ったりします。

元旦から様々なことがあった2024年ですが、皆様にとって良い年になりますように。

それでは。

Miscellaneous

昨日、1月27日は満月の夜でした。東京ではいい感じに雲が出ていて、幻想的な満月が出ていました。

今年も残すところあと3日。今年もありがとうございました。来年はどんな運気かな?

Miscellaneous

今週は数日間年次休暇で、金曜日に出社して仕事納めという感じです。なんだか仕事納めという言葉自体古めかしさを感じます。なんだか昔の職場の感覚がなくなってきていますので、平成の多くを会社で過ごした人間には違和感もあり、まあ年を重ねて、記憶の価値や時間の感覚が変わっていくなかにあっては不可避な気分なんだろうなと思いますし、こうした感覚の変化を自覚したうえで違う世代の人々と強調していかなければいけないな、という思いが日に日に強くなります。

休暇は、ただただ日頃できていない家の仕事を必死にこなしている感じはします。その中には、もちろん体力回復も含まれていて、このところの疲労で、インフルエンザ、ついで気管支炎に近い風邪が続いていましたが、ようやく体調も戻ってきたようです。

で、今日聞いているのは、基礎からいろいろ聞いてみようと、「若いうちに聴きたいクラシック100曲」を。音楽学者の広瀬大介さんの手によるもの。ありがたく拝聴中。

https://togetter.com/li/1480224

https://music.apple.com/jp/playlist/%E8%8B%A5%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%A1%E3%81%AB%E8%81%B4%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%84%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF100%E6%9B%B2-by-dhirose/pl.u-ygAlSygjZA

若い時にがいつなのか、というのはありますが、大学生向けのプレイリストなので、20歳前後までなんでしょうけれど、自分はどれぐらい聞けていたかなあ、なんてことは思います。器楽曲はほとんど聞かず、オーケストラ曲ばかり聞いていたなあ、と。その後オペラに開眼して、オペラをずいぶん聞きこんで勉強した思い出があります。このブログにもその記録が延々と。。

このブログも2006年ぐらいに始まっちゃっているんで、もう20年近く維持していて、Crazyにも思えてきますが、まあこういうのも悪くはないでしょう。

ということで、今は、ギューンター・ヴァントの未完成交響曲を聞いています。意外とドラマチックで驚きました。いつまでたっても未完成なのは、文章も人生も同じかもしれないです。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

はじめに

なかなか小説に向き合う時間が取れない中ではありますが、先だってお会いした方が、毎日5分は続くようの小説を読んでおられると言うお話を聞いて、私も毎日5分は小説を読もうと決心しました。

電車の中で、5分タイマーをかけて、あえて文庫本を読むことにしたのですが、ストレスの解消にもつながり、なかなか良い習慣だと思います。

若き日と文学と

最近、読んでいるのが、辻邦生と北模様の対談、「若き日と文学」。

二人が中年になってから若き日を思い出して、語り合うもの。

二人の目を通して、我々の既に通り過ぎた時間を思い出すかのようでもあり、大変興味深いものです。歳をとることは、若い時とは違う時間間隔に立ち向かうということと思います。

それがもしかすると、中年の危機とユングが呼ぶもの原因の一つではないかとも思います。

個人的には、最近人生の先が見えてしまったような感覚、その虚しさのような感覚を感じていましたが、辻もやはり同じ思いを持っていたようで、それはやはり人間にとって普遍的な感覚だと思います。

補足

なお、この文章、音声入力で書いてみました。なんだかなれない感覚。

時代はどんどん進み、めまいがするようですが、そんな時代だからこそ自分なりにできることがあるのでは、というのがその理由。

ただ、音声入力は、キーボードで書くよりも、何か軽薄な感じがしますが、それはおそらく過去の小説家や作家がワープロで書くと軽薄な気がすると言うふうに思ったのと同じでしょうか。

それからWordpressのが提供するAIアシスタントも使っていますが、傍らに編集者がいてくれるようで、こういう機能を使うのがスタンダードなんだと思います。

それではおやすみなさい。グーテナハトです。

Opera

今日の月は、満月に向けて実に美しい月でした。朧月というのでしょうか。

日経を読んでいると以下のような記事が。

伝統の音楽祭、革新に挑む:日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO75563250V21C23A0EAC000/

バイロイト音楽祭も3Dメガネをかけて感激するようになったようで、また、チケットの売れ残りも出るようになったとか。デジタル配信も手がけるとか。

バイロイトが苦痛だ、といった作家がいたと記憶していますが、そういう時代なんでしょう。

新たな演出は古くからのファンの離反に繋がり、さりとて、演出が旧態依然だと新たなファンは作れない。

解のない苦悩に思えます。

オペラは一回性の芸術ですが、そうした一回債性のアウラの危機なのかもしれません。多様化した価値観や経験は、一つのものを共有することを妨げるのだとすると、オペラのように2000人を同時に満たすという機構自体に難しさがあるのかも。

しかし、それでもなお、一回性、その場限りの、閃光のような美の価値はあり続けて欲しいものです。

ピラミッドや万里の長城を作るほどに人間を酷使することはなくなりましたが、逆にいうと、バラバラにほどけていく人間というものもあるのかもしれないです。

わたしも、どちらかというと、自由、独立、独自、みたいな価値観に憧れますが、それでも根底には何か誰かとつながるものを感じることがあります。

オペラという機構は、あまりに複雑で大規模であるが故に、多様化した個々人を繋ぐ機構としての機能を失いつつあるのかも、と思います。

でも、やはり、オペラは楽しい。

先月からオペラ中心に聞いていますが、音楽生活としてはとても楽しいと思います。

なんてことを思いながら帰宅中です。

それでは、おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

今年の中秋の名月、雲の合間からその姿を見せてくれました。いいことありますように。つうか、あるのか。

では。

(遅延更新です…)

9/29

9/30

Giacomo Puccini,Richard Strauss

先日、オペラの話をする機会があり、まあ、残らされた日々をかつて愛したオペラを聴きながら過ごすのも悪くはないな、と思い、意識してオペラばかり聞くようにしました。

振り返ると、わたしは、シュトラウスとプッチーニを愛していたなあ、と思い、この二週間は、以下のアルバムを粛々と。

  • シュトラウス カプリッチョ ベーム
  • シュトラウス ダナエの愛
  • シュトラウス ナクソス島のアリアドネ シノポリ
  • シュトラウス エレクトラ ショルティ
  • シュトラウス サロメ ショルティ
  • プッチーニ トゥーランドット カラヤン
  • プッチーニ ボエーム カラヤン
  • プッチーニ マノン・レスコー シノポリ

Apple Music前は、5千円もするCDを買わないと聴けなかった音源が、サブスクで聴ける時代なので、オペラの敷居も低くなったなあ、と思います。

わたしも、図書館でCDを借りて、ITunes に取り込みながら勉強したものでした。

ということで、今朝はダナエの愛を聞いて、演奏機会のないオペラの初演はどうだったのかな、などと思いをめぐらせていたところでした。

それでは。

Tsuji Kunio

今日は辻邦生の誕生日で、98年目に当たります。生誕100年も間近に迫っています。今思うこととしては、辻邦生が1950年代にヨーロッパに出かけ、フランスだけではなく、ドイツ、イタリア、ギリシアを回ってから70年が経ち、当然時代が変わるということもあるのですが、辻邦生のヨーロッパと今のヨーロッパがパラレルなのではないか、と思うようになったと言うことです。

時間は、直列ではなく、並列なのではないか、という思いです。

5年ほど前に、辻邦生の文章にボーイング727を読んだときに、時代の断絶を感じましたが、それ以降、断絶ではなく並列化だったのかな、と思います。時間は自分を中心に球形を描いているのかも知れず、単に、遠い時間と近い時間があるだけではないか、と。

それは、時間の関連だけではなく、文学的記述も同じだと思います。イマージュという言葉を辻邦生は使いますが、イマージュにも近さと遠さがあって、それも、時間の近さと遠さと同じなのではないか、と思います。

書く者の責務は、世界の真善美に寄与することだとすれば、芸術の一端である文学が、美を語ることは、やはり球形の世界の中に、美を措定することになります。

その美は、必ずしも現実のように、認識主体の近傍にはなかったとしても、現実の美と、近さと遠さという量的差違があるだけであれば、文学の美も、球形の世界を高める力になり得る、と思います。

そのひとつひとつは、ちいさくても、それが集まれば、いつしか、それはパルテノン神殿のような力を持つのかも知れない、そんなことを思います。

世界は、複雑で多様で紆余曲折を辿りながらも、美へと向かっていると思いたいものです。

それでは。

Moon

今月2回目の満月ということで。
Facebookに月の写真を載せていたら、仕事場の人に「月の写真ばかりで大丈夫ですか?」と心配されているのですが、いや、それにしても巨大な衛星が29日おきに公転しているわけで、その面白さと言ったら、という感じなので、しばらくは月の写真を続けてみようと思います。

月だけの写真だとあまり面白みがないのでは、と思うのですが、たとえbな、薄い雲がかかっていたりすると、その雲の厚味や模様で、月もまた様々な表情を見せますので、毎月写真を撮ってみるのも面白いと思います。

ということで、また。

おやすみなさい。グーテナハトです。