はじめに
先日のんだボジョレー。船便だそうです。一ヶ月ぐらいしてから届きました。なかなか美味しくいただきました。ボジョレーなのにラベルが英語って、いったい。。
Decca (1990-10-25)
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今日のNHK-FMの「名演奏家ライブラリー」はミレッラ・フレーニでした。私も、フレーニの音源は沢山持っています。特にオペラを聴き始めた頃に聴いたカラヤン盤《ラ・ボエーム》は思い出深いですね。その他、シノポリ盤《マノン・レスコー》も素晴らしいです。
《ラ・ボエーム》は、番組の一番最後にオンエアされました。フレーニとパヴァロッティ。まさに教科書というかカノンというか、そういう規範的なボエームです。
第一幕の後半部、ミミが、ロドルフォの部屋に来て蝋燭の火を借りに来るんですが、これは逆ナンパではないか説が有力ですね。そういう解釈に従った演出もあるそうです。メルビッシュ湖上音楽祭でやったボエームがその解釈をとっていた気がします。蝋燭の火を借りて「おやすみなさい」といったあとに、とつぜん鍵落とすんですから。わざとらしいと行ったら、という感じです。
ロドルフォは詩人ですが、ミミも造花を作っているといいながら、それは詩なのだ、といったりして、まったく。。
たしか、プッチーニは原作にあったミミの強気な性格をかなり弱めたんですが、それでもなお残っているという感じなのでしょう。
一九世紀におけるボヘミアン
ボヘームというのは、ボヘミアンという意味。まあ、ボヘミアからきたロマの方々を自由人としてみて、そこから、自由奔放な考え方をする若者たちをボヘミアンと称したということで、《ラ・ボエーム》。描かれた若者たちはボヘミアン。
ロドルフォは詩人、マルチェロは画家、ショナールは音楽家、コッリーネは哲学者。一九世紀パリ。
この頃、もっとも先進的な職業がこれらだったんでしょうね。
私の大学の先生が入っていた言葉が思い出されます。哲学に優秀な人材が集まっていたのは二〇世紀初頭までである、と。
逆に言うと、それ以前は哲学に優秀な人材が集まっていたはず。もちろんそれは哲学に代表される文化一般であるはずで、文学、絵画、音楽、哲学という人文系職業にも優秀な人材が集まっていたはず。
というのが私の勝手な想像で、それはつまり、第一次世界大戦までパリにあったサロンにおいて、文学、絵画、音楽、哲学などが力を持っていた、というのはプルーストを読むと何となく分かるなあ、というわけです。
現代におけるボヘミアンは?
現代でいうと、彼らはだれなんだろう、と思うことがあります。ビジネスマン、起業家?
私は、NYやシリコンバレーでITベンチャーを立ち上げている人々がそれに当たるのではないか、と思うのです。ビル・ゲイツとかスティーブ・ジョブスとか、そういう偉大な起業家たちがそれではないかと。
一九世紀にあって、文化が先鞭をつけた自由主義が世界を変えると思われていたわけですが、今、世界を変えうるのはITであるはずです。
パリを手に入れるぜ、というのは、今で言うと、NYやシリコンバレーで一旗あげるぜ、とうことになるんでしょうね。私はそう思ってます。
わたし、一つウソを書いています。つまり、世界を変えうるのはITだった、ということだったのかもしれません。つまり過去形。
あの1990年代後半のインターネット時代の開幕の熱狂はどこへ行ってしまったのか。ITバブル真っ盛りの時「世の中が変わったのであるから、市場は絶対に落ちない」という幻想がまことしやかに語られていたのも思い出します。
その次に訪れたのは、ITバブルの崩壊、リーマンショック。それから、ネットを舞台にしたサイバー戦争です。ネットは自由をもたらすものと思われましたが、とある大国では規制がかけられ、いまや監視装置になっています。
私は戦前に若い時代を過ごされた年配の方がネットに恐怖心を抱くのは、こうしたことを察しているからではないか、と思っています。
では、次にボヘミアンたちはどこに行くんだろう? 何を作るんだろう。最近、そんなことを考えてます。
ではグーテナハトです。