Giacomo Puccini,Richard Strauss

先日、オペラの話をする機会があり、まあ、残らされた日々をかつて愛したオペラを聴きながら過ごすのも悪くはないな、と思い、意識してオペラばかり聞くようにしました。

振り返ると、わたしは、シュトラウスとプッチーニを愛していたなあ、と思い、この二週間は、以下のアルバムを粛々と。

  • シュトラウス カプリッチョ ベーム
  • シュトラウス ダナエの愛
  • シュトラウス ナクソス島のアリアドネ シノポリ
  • シュトラウス エレクトラ ショルティ
  • シュトラウス サロメ ショルティ
  • プッチーニ トゥーランドット カラヤン
  • プッチーニ ボエーム カラヤン
  • プッチーニ マノン・レスコー シノポリ

Apple Music前は、5千円もするCDを買わないと聴けなかった音源が、サブスクで聴ける時代なので、オペラの敷居も低くなったなあ、と思います。

わたしも、図書館でCDを借りて、ITunes に取り込みながら勉強したものでした。

ということで、今朝はダナエの愛を聞いて、演奏機会のないオペラの初演はどうだったのかな、などと思いをめぐらせていたところでした。

それでは。

Opera,Richard Strauss

梅雨入り直前の日曜日の朝、近所を散歩しました。柔らかい日差しにつつまれる甘美な時間で、こういう時間を大切にすることが、生きる営みの智恵だとおもいます。

Heiter entscheiden,
sorglos besitzen,
Glück des Augenblicks
Weisheit des Lebens!

 

「明るく振る舞うと決心し、よろこびを悟り、幸福の瞬間こそが人生のよろこびであり、智恵である」という一節がリヒャルト・シュトラウスのオペラ「カプリッチョ」の中にありましたが、これだな、と思います。

梅雨入り前最後の好天を楽しみましょう。

それでは。

Richard Strauss

はじめに

NHKBSのプレミアムシアターでドレスデンのカプリッツィオが放映されていました。先週の土曜日に、スマホで自宅のHDDレコーダにつないで、地下鉄に乗りながら観ながら、facebookに記事を書いていたら、乗り換え駅で降り損ねてしまうという。。まあ、それぐらい熱中してしてしまいました。やれやれ。

で、facebookに書いた記事を再構成して記録としてこちらに載せることにします。

この映像、ティーレマンがドレスデンを振った音源で、伯爵夫人は、カミラ・ニールント。ああ、カミラ・ニールントは2007年の新国立劇場「ばら騎士」が圧倒的で、2011年春再演時にも来日する予定でしたが、震災でキャンセルになったんですね。。本来18世紀フランスが舞台ですが、第二次大戦中に時代を映した演出で、これはよくある読み替えだと思います。後述の二期会も、あるいはおそらくは同じく後述のシルマー版もやはり時代的には第二次大戦中と思われます。

とにかく、このオペラ、10年以上前にドレスデンまで行って見に行った思い出深いオペラで、指揮はペーター・シュナイダーだったはずです。当時の記録は文章には残っておらず、証拠物件もみつからず。。

ただ、このオペラの真価を理解するにはまだ時間が必要だったし、まだその真価を理解できているとも思えません。本当にオペラ美学を語るオペラ。メタ・オペラなのです。

これまで、5種類ほど違う演奏・演出で見ましたが、そのうち3種類はメタ視点の導入による味わい深さがあったと思います。自分で自分の演奏を見る、と言った感覚。

これまで見た記憶

1)こちらが初めて見たカプリッチョの映像。NHKで放映されました。メタがかかった味わい深さ。

シルマー&フレミングの「カプリッチョ」のメタな構造

2)こちらは、メトロポリタン歌劇場。やはりフレミング。METライブビューイングでみたなあ。

MET ライブビューイング「カプリッチョ」短信

3)さらには、二期会。これも素晴らしかった。

やられた、泣いた、驚いた。二期会「カプリッチョ」

4)前述のとおりドレスデンで見ていますが、記録が見つからず。ただ、とにかく、最後の月光の音楽が美しくて、という記憶のみ。群青色のライトに満たされたゼンパーオーパーは大変素晴らしかったのです。

5)そして、今回のNHKで放映された、ティーレマンの演奏。

https://www.nhk.jp/p/premium/ts/MRQZZMYKMW/episode/te/MJQ54KXG47/

 

最後のロマンはオペラ?

とにかく、最後のロマン派オペラであり、オペラに関する蘊蓄と考察が加えられた、オペラを語るオペラ、メタ・オペラとも言えるリヒャルト・シュトラウス最大最高のオペラ。

戦時中に作られ、失われ戻らないかつての美的成熟を描いた作品で、正直、無人島に持っていくならこの音源とリブレットです。

おそらくは、西欧音楽はここに終わったとも言えるのではないか。そんな気にもなってしまいますが、もしかすると「四つの最後の歌」がそれに当たるかもしれん、と思ったり。

オペラを、歌詞、音楽、演出に分け、それぞれを擬人化し、さらには、オペラの華であるテノールとソプラノに甘い歌を歌わせ、さらには激しく難易度の高いフーガの六重唱入れたりするのだ。やる方はたまったもんではないはず。
さらにはオペラにおけるバレエの問題も、語られます。

で、最後に、オペラを象徴する主人公伯爵夫人マドレーヌが、詩人と音楽家のどちらを選ぶか逡巡するという。甘美な音楽とともに。オペラをめぐる永遠のテーマなんだろう。それが、文才にも恵まれたシュトラウス手により書かれるという僥倖です。

でもこの三角関係の勝者は音楽家です。伯爵夫人の台詞は音楽に傾いているし、今回見た演出でもやはり、音楽家に傾いていたなあ。

オペラにおいては詩が先か、音楽が先か? そしてありがとう、オペラ

喪われたものを顧みる知恵

それにしても、これが戦時中に書かれたという皮肉。いや、戦時中だからこそ書かれたというべきか。ミュンヘンが爆撃され、ドレスデンの歌劇場もドレスデンの歌劇場も焼け落ちたのだ。悲しみはあまりあります。

失われるものは数多ありこうして、懐古し、失われたものを、時と場所に措定するということは、グリーフ・マネジメントなのかもしれません。

戦争とコロナは似て非なるものだが、時代とともに喪われるという観点では、やはり似ていますね。世界がすべて変わり、次にドレスデンに行くことなんてできるんでしょうか。

 

最後に、このカプリッチョからいい言葉を。

Heiter entscheiden – sorglos besitzen. Glück des Augenbliks – Weisheit des Lebens!

「明るく決心し、心配なく保つ。幸福の瞬間こそ人生の知恵」。以下リンク先で10年前にキャッチーな意訳をしていました。

 

なにごとも陽気に明るく、心配事なんて忘れて、生きていこう!

「幸福な瞬間こそ人生の知恵」ですか。。

つうか、幸福の瞬間で息継ぎして生きる、という感覚を持ってましたが、これは、まさに戦時中にシュトラウスやクレメンス・クラウスが感じていたことなのかもしれん、と思いました。

虚無を超えて──マーラー交響曲第10番を聞いて

なんだかこのエントリー自体が回顧的になってしまいました。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Richard Strauss

実に冒険のような一日でした。某図書館に出かけ文献を探し、あるいは請求し。

そんななかで聞いた一枚。リヒャルト・シュトラウスの家庭交響曲。
この曲、NHK交響楽団が2009年に演奏していまして、確かプレヴィンが指揮をされていたと記憶しています。前半は、フェリシティ・ロットが歌うカプリッチョだったはずで、私は泣きまくりました。
https://museum.projectmnh.com/2009/10/19214851_8627.php
https://museum.projectmnh.com/2009/10/21050407_8628.php

この家庭交響曲、家庭の様子を描いた曲として有名で、さまざま参考文献などで解説が出ていますが、2009年のN響の演奏では、勝手な解釈をして納得した記憶があります。その後NHKの「らららクラシック」でも取上げられたようで、そのときの解釈を聞いて、あれ、私の思った解釈とは違うな、などと思った記憶があります。しかしながら、まあこのあたりは世に出た作品は、それぞれの解釈において意味が付加されていくものですので、どの解釈が正しいということは、あまり意味がないのです。芸術、ましてや交響曲は論文ではありませんので。ただ、そうした解釈を強要することがだけは避けたいなあ、と思います。作曲は1902年から1903年にかけて。まだ、「サロメ」も「エレクトラ」もできていない頃。39歳で、まだまだこれから進んでいこう、という時代。
音源として聴いているのはこちら。スマートでクリアなのは録音が良いからと言うこともあるでしょうし、もちろん演奏の質が高いからです。指揮はフランスのフランソワ=グザヴィエ・ロト。フランス人が振るシュトラウスはより一層洒脱になると言うことなのでしょうか。

というわけで、今日はこのあたりで。明日も頑張らないと。
おやすみなさい。グーテナハトです。

Richard Strauss,Tsuji Kunio

現代が暗い絶望的な予感に満された時代であるだけ、私は事柄のもう一つの反面──楽観的な側面を強調したい、と思ったのも、『祝典喜劇ポセイドン仮面祭』に軽やかな気分を加えた理由である。
<よくできた(ウェル・メイド)>ものへの好みが、それなりの危険を持ちながらも、事実性のレヴェルをこえて、感動の秩序をつくろうとする形式意志の一種であることを、とくに戯曲を書きながら、私はよりよく理解していったようにも思う。

辻邦生全集第18巻 401ページ

「ウェル・メイドへの偏愛」というエッセイを読みました。辻邦生全集第18巻に収められた文章です。「ウェルメイド=よくできた」というのは、「ストーリーの見事な作品」であり、「作品に起承転結があざやか」である作品です。「黄金の時刻の滴り」に収められた短篇の一つに、モームをモチーフに書かれた「丘の上の家」という作品がありますが、あのような推理小説張りのストーリーの見事な作品にあたるでしょう。
引用した最初の文章で、「現代が暗い絶望的な予感に満された時代である」に対してあえて、「楽観的な側面を強調」と述べていて、そこにおいて、「ウェル・メイド」なストーリーである「ポセイドン仮面祭」を書いたと見て取れるとおもいます。文学には様々な権能がありますが、こうしたあえて楽観的な側面を強調することで、何かを変えることに繋げるというやり方もあると思うのです。これも戦闘的オプテイミズムの一つであり、文学が現実を超えて現実を動かすために必要不可欠なあり方です。(フォニイ論争とも関連しますが)一般的には「通俗的」と言われ格下に見られることになり、がゆえに、「それなりの危険性を持ちながらも(同401ページ)」と書かれているわけです。

ここで思い出したのが、リヒャルト・シュトラウスのことでした。「エレクトラ」までは先鋭的なオペラを書いていたのが、「ばらの騎士」で、先鋭から離れ、洒脱な人間ドラマを描き始めたわけですが、私はその次のオペラである「ナクソス島のアリアドネ」の第一版に含まれていた「町人貴族Le Bourgeois Gentilhomme」という組曲を思い出します。なにか、こうした18世紀的な小編成オーケストラによる演奏が、なにか時代を逆行しているように見えながらも、あえてそうした洒脱さ、軽妙さを強調することで、逆に時代と戦っていたのではないか、と想像してしまうのです。

私が聴いているのは、ラトルが振ったこちら。なんというか、本当に落込んだ時に聴いてはいけませんが、少し元気になり始めたときにこの音楽を聴くと、心が晴れるかもしれません。明るい日差しの差込む広間でひとりで佇んでいる感じで、おそらく床のニスの甘い匂いがたちこめているはずです。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Richard Strauss

引き続き、緩くトーマス・マン「ファウストゥス博士の成立」を読んでいるのですが、本当にたまたま聴いたCDにリヒャルト・シュトラウスの《メタモルフォーゼン》が入っていて、流れた途端に、これはシンクロニシティだなあ、と思いました。

このアルバムは、ヤノヴィッツが歌う「最後の四つの歌」が聴きたくて購入したものですが、メタモルフォーゼンもなかなかの演奏だと思います。

「ファウストゥス博士の成立」は、戦争末期に米国に亡命していたトーマス・マンが、戦況に触れながら「ファウストゥス博士」をどのように執筆したかの回顧録であり、この《メタモルフォーゼン》は、ドイツ敗戦の直前にシュトラウスがミュンヘンやドレスデンが戦火に崩れたのを悲しみながら書かれたとされています。

いや、それはもう、いままで半世紀を超えて親しんできた街が破壊されるのを見るのは耐えがたいですよね、きっと。これが若者ならまだしも、70歳を超えてこれをやられると相当に厳しいはずです。よく気が狂わなかったな、と思います。まあ、トーマス・マンも同じだとは思います。

手元の資料によれば《メタモルフォーゼン》は、ドイツ敗戦直前の1945年3月に着手され、4月12日に完成。ドイツ敗戦は5月ですが、そのときラジオ放送でベートーヴェン《英雄》第二楽章「葬送行進曲」がながれたそうですが、この《メタモルフォーゼン》の最後もコントラバスが「葬送行進曲」のフレーズを弾いて終わりますので、シュトラウスは未来を予言するかのような曲を書いたと言うことになります。第二次世界大戦のことは、もうしばらくすると記憶が喪われると思われ、名実ともに「歴史」になっていくわけですが、そういう辛さや悲しさは、過去の記録だけではなく、こういった音楽の中にも遺されていくのだろうなあ、と思います。

シュトラウスはゲーテを読んでこの曲の着想に至ったということも手元の資料においては触れられており、これも、なにかトーマス・マンとの親近感を覚えます。「ファウストゥス博士の成立」においては、「ワイマールのロッテ」からの引用がゲーテその人の文章としてニュルンベルク裁判で使われたという逸話がマンによって面白おかしく取り上げられていましたし(「新潮世界文学35 トーマス・マンⅢ『ファウストゥス博士の成立』639ページ)。

「手元の資料」は「作曲家別名曲解説ライブラリー⑨R.シュトラウス」で、四半世紀前に渋谷のタワーレコードで買ったものです。当時、音楽評論家になりたい!と思っていた記憶がよみがえりました。楽理科をうけてみようか、とネットを調べたりしたなあ、と。

それにしても、リヒャルト・シュトラウス、あらためて大好き、と思いました。このウェブログのカテゴリ別の記事数をみると、2021/06/02時点で、ワーグナーが170本、リヒャルト・シュトラウスが161本になっていました。まあ、ワーグナーはさておき、シュトラウスへの愛情はこのあたりの記事数にも表れているのではと思います。魅力は語り尽くせないですが、一言で表せ、と言われれば「洒脱」ですかね……。

それではみなさま、おやすみなさい。

Richard Strauss

最近、初心?にかえって、意識的にオペラを聴くことにしています。今日は、シュトラウスの「カプリッチョ(カプリッツィオ)」を聴きたくなりました。

この曲を初めて聴いたのは、おそらくは2005年か2006年のことなので、15年ほどは親しんでいるのですが、ここまで来ると、曲を聴くと、人生のあれやこれやを思い出すようになるものです。「失われた時をもとめて」のマドレーヌではありませんが。これもまた人生の楽しみですし、よいものはできるだけ早く知っておいた方がよい、ということでもあるなあ、と思います。

もちろん、できるだけ早く、というのは、今、このとき、なのですけれど。

「カプリッチョ」といえば、10年ほど前の以下の記事を思い出しました。素晴らしい公演でした。

https://museum.projectmnh.com/2009/11/23211020.php

というわけで、東京地方は暑い日々が続きます。豪雨災害の地域もあるので、本当に心が痛み、無事を祈るばかりです。こういうときは祈ることしかできません。

それではみなさま、どうかお身体にお気をつけて。おやすみなさい。

Gustav Mahler,Richard Strauss

はじめに

急にマーラーが聴きたくなった。それも交響曲第5番。第1楽章の緊張感を感じたかった。AppleMusicで選んだのがラトルがベルリンフィルの音楽監督に就任した際の記念コンサートのライブ録音。


たしか、この演奏をBS放送で観てラトルを好きになったはずだ。

まるで、大海のうねりのような音楽。巨大なタンカーでさえ翻弄されるようなうねりで、なにか情感をかき乱し、世界のことわりの厳しさに退治しているような畏怖を感じる演奏。

初めて聴いた5番はマゼールがニューヨークフィルを振ったものだった記憶しているが、そのときはあまり好きになれなかったはずだ。おそらくは30年ほど前のことで、まだ小学生か中学生だった。

あるいは、第4楽章だけを目当てに聴いていたようなふしもあり、第1楽章、第2楽章、第3楽章は当時の私の理解を超えていたのかも知れない。当時はマーラーと言えば交響曲第2番と交響曲第8番ばかり聴いていたのだ。

マーラーとシュトラウス

そもそもマーラーよりもリヒャルト・シュトラウスを好んでいた。かつて知人に言われたのことがある。昔はマーラーが好きだったが、最近はリヒャルト・シュトラウスが好きなんです、と言うと、なにか道理を知らない子どもに言うように「普通、逆ですよね?」と。

シュトラウスが「ツァラトゥストラはかく語りき」のような一見親しみやすそうな音楽を書いていることもあり、最初はリヒャルト・シュトラウスから入るにせよ、その後、マーラーのなにか深刻な色彩に彩られた音楽に進むのが王道ではないか、という見解がその知人の言葉の背景にあるようだ。

シュトラウスの洒脱さとは

シュトラウスの洒脱さや明るさは、おそらくは世界の深淵をのぞき込んだのちに、その深淵を咀嚼するための洒脱さであり明るさなのではないか、と。そうでないと、元帥夫人は「どうして腹が立つの? これが世の中なのに」と言わないはずなのだ(もちろんテキストはホフマンスタールによるもの。そしてこのブログの現在の巻頭言でもある)。

シュトラウスの洒脱さ──こういうとき、私は「町人喜劇」を思い出すのだが──も、やはりそこには、なにか世界との折り合いをつけなければならないにっちもさっちもいかない状況を、芸術美が支えている、という感覚だ。現世の馬鹿馬鹿しさを一段上から俯瞰するような感覚、メタ視点に移行することで、現世の暴圧をいなすような感覚。

深淵を見据えるマーラー

マーラーは、反面、世界の深淵を常に見据えている。咀嚼するというよりも、ストレートにその暗い深みを表現している。それも、なにかシニカルな色彩とともに、その深淵を表出している。時に深刻に、時に自虐的な皮肉とともに、その音楽が眼前で繰り広げられる。それは何か、悲劇映画を観ることができるかどうか、と言う観点とも重なる。マーラーを聴くと言うことは、シュトラウスを聴くときとは違う心の強さを要求される。深淵は覗きこむには暗い。だが、そこには人を魅了する闇と真実が眠っている。それは芸術のデモーニッシュな要素でもある。

おわりに

フランクリンだったか、ワインを飲めると言うことは健康な証拠だ、という言葉を聞いたことがある。

同じように、健康でなければマーラーには耐えられない。そんなことを感じる。

そうだとすると、私は以前よりも健康になっているのか、とも思う。たしかに、毎日泳ぎ、酒量を減らしたおかげで、体重はずいぶん減った。ただし睡眠不足が昂じているけれど(とはいえ、私は悲劇映画は今でも見られない。まだ健康度は低いのだろうか)。

今日も結局夜更かしだ。いつになったらよく眠れる日々が来るのだろうか。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Richard Strauss,Tsuji Kunio

どうも、大晦日というと、ヨハン・シュトラウス《こうもり》を思いだしてしまいます。話の設定が大晦日から元旦射かけてのエピソードだからということで、ドイツ語圏の歌劇場で上演されることが多いとのこと。

確かめてみると、確かに。2018年12月31日、ウィーン、ブダペスト、ベルリン、ブラチスラバ、ローザンヌ、ケムニッツ、ダルムシュタット、デュイスブルク、フライブルク、ノルトハウゼン、シュトラールズントで《こうもり》が上演されます。

しかも、ウィーンは、国立歌劇場とフォルクス・オーパ両方で。

国立歌劇場のアイゼンシュタインは、新国立劇場で活躍していたアドリアン・エレートです。なんだかウィーンに上り詰めて良かったなあ、と。ロザリンデは、アンネッタ・ダッシュですか。この方は、バイロイトでも歌っている方ですが、2003年の新国立劇場《ホフマン物語》に出ていたなあ、とか。

しかし、取り上げるのは、《こうもり》ではないのです。私の中では、《こうもり》の倒錯した感覚、つまり、女中が女王を演じるとか、変装した妻を誘惑するとか、そういう倒錯の感覚や、ウィーン的な絢爛な演出という観点で、リヒャルト・シュトラウス《ばらの騎士》を思い出すのです。

シュトラウスつながり、というわけではなく、どうも、ウィーンの爛熟した貴族社会を描いているという観点で、あるいは、その貴族社会の没落の兆しが仄めかされているという観点で。

あるいは、カルロス・クライバーの《こうもり》と《ばらの騎士》双方が映像化されているので、なにか関連を感じているのかも。

(前振りが長くてすみません)

私が、《ばらの騎士》を初めて見たのは、2000年頃だったか、NHKBSでカルロス・クライバーがウィーン国立歌劇場で振った映像を見たからです。VTRで録画しましたが、今ではもう見られなくなってしまいました。元帥夫人がフェリシティ・ロット。オクタヴィアンがアンネ・ゾフィー・フォン・オッター。ゾフィーがバーバラ・ボニー。頭を殴られたかのような衝撃を受けたのを覚えています。この映像を見て人生が変わった人がいたということも聴いたことがあります。私は、VTRが観られなくなったのを機に、DVDを買いました。

カルロス・クライバーがウィーン国立歌劇場を率いて来日したときも、やはりこの《ばらの騎士》を演奏したそうです。1994年のこと。私はそのころ、まだオペラのことは全く知らず、下手なジャズ・サックスを吹く毎日でしたので、そうした公演があったことすら知りませんでした。ですが、その後、日本でもクライバーの《ばらの騎士》が聴けたという事実を知って、本当に驚き、あと10年早く生まれていたらいけたのかも、と思ったものです。

今日、大掃除のあいまに、辻邦生が信濃毎日新聞に連載していた記事をまとめた「辻邦生がみた20世紀末」をつまみよみしていたのですが、その中に、辻先生がクライバーが日本で振った《ばらの騎士》を見に行かれたという記述を見つけて驚きました。

ちょうど昨日、twitterを見ていたところ、件の公演のチラシを見ていたこともあり、なにか引き寄せてしまった感覚がありました。

それは1994年10月28日に掲載された「オペラの至福に酔って」という題が付された文章で、クライバーの「ばらの騎士」のチケットをとるのが絶望的で、つてを頼んだがダメだったのだが、キャンセル待ちをしていたら、チケットが入手出来て、見に行かれた、というものでした。アバドも一緒に来ていたのですが、アバドは「フィガロの結婚」と「ボリス・ゴドノフ」を振っていて、それらも見に行かれたようです。

クライバーの《ばらの騎士》に関しては、以下のような感想を書いておられます。

甘美なウィーンの頽廃美すれすれの円熟芳醇や舞台。時の経過を嘆く公爵夫人(フェリシティ・ロット)のアリアは西欧文化の至高の瞬間。クライバーはレース織りのような繊細な音楽を心ゆくまで歌わせた。つくづく芸術は、人間が生きるために欠かさないと思いつつ過ごした秋の幾夜かであった。

レース織りのような繊細な音楽、というのが、まさにそうなんだろうなあ、と思います。何か、伝聞と歴史がつながった感覚があります。

私も、今晩は《ばらの騎士》を観て、少しは明るい気分になって、過ぎゆく時のはかなさを感じながら、新年を迎えたいと思います。

それではみなさま、よいお年をお迎えください。本年、ほんとうにありがとうございました。また来年もよろしくお願いいたします。

Richard Strauss

Photo

東京は、快晴。寒い一日でしたが、日光を浴びるだけでも元気になります。

10月から、風邪を断続的に引いています。なおったとおもったらまた風邪を引く、という感じ。今週も、やはり微熱と喉の痛みが続き、食事を取るのがつらい感じ。やれやれ。

今日も午前中に出かけましたが、午後はさすがにダウンし、午睡をとり、あれ、しかし仕事をしないとと思い、起き上がったときに聴いたのがこちら。ジュゼッペ・シノポリが降る《ツァラトゥストラはかく語りき》。

 


シノポリの指揮になにか雄大さを感じるのですが、それは、あれ、こんなところで? というところで、テンポを緩めたりするからです。私、実は、今日CDを聴いたときに、これマゼール?と思ったりもしました。マゼールもやはり意表をつくテンポどりをみせてくれることがあります。もちろん、全体として、テンポが緩めで、それが雄大さを感じさせる、ということもあるでしょう。

いつも思うのですが、私はイタリア人が振るドイツ音楽が好きだなあ、ということ。アバド、ジュリーニ、シノポリが振る、ブラームス、シュトラウス、ブルックナーを好んで聴いてます。チェリビダッケもルーマニア系ということで、ラテン系と言えるのかも(これもかつてブログに書いた記憶あり)。

それにしても、シュトラウスは本当に素敵です。複雑に絡み合った旋律が空に舞い上がっていくさまは、ゴシック教会のようでもあり、あるいは近代高層ビル群のようでもあります。その美しさは、美しさそのものというよりも、洒脱さや皮肉も含まれていて、実に興味深いのです。この《ツァラトゥストラはかく語りき》もどういう意図で作曲されたのか……。

ちなみに、この曲は私が小さい頃(3歳頃)、一番お気に入りの曲だったそうです。この曲を流しながら、図鑑を二冊重ねた上に乗って、鉛筆を振り回していたとか。指揮者のマネごとをしていたようです。いまでははみだしサラリーマンですが、三つ子の魂百まで、ということでしょうか。

今日は、日本は冬型の気圧配置だったそうですが、みなさまもどうかお風邪など召しませぬよう。おやすみなさい。