今日は、ショルティ盤を聴きましたが、これは素晴らしかった。。ショルティというと、快速運転のようなイメージを勝手にもっていましたが、そんなことは全くなく、この演奏は実に腰の低い充実した演奏でした。

今日は、たまたま四ツ谷を通りがかったのですが、クリスマスツリーが綺麗でした。さすがミッション校。
では。
人間には何といろいろな啓示が用意されているのだろう。地上では雲も語り、樹々も語る。大地は、人間に語りかける大きな書物なのだ。…… 辻邦生

今日は、ショルティ盤を聴きましたが、これは素晴らしかった。。ショルティというと、快速運転のようなイメージを勝手にもっていましたが、そんなことは全くなく、この演奏は実に腰の低い充実した演奏でした。

今日は、たまたま四ツ谷を通りがかったのですが、クリスマスツリーが綺麗でした。さすがミッション校。
では。

サロメな日。三日目。
この曲は、本当にドラマティックで、聞きどころ満載です。昨日も少し触れましたが、サロメがヨカナーンへの愛を叫ぶところ。リズム、フレーズ、オーケストレーションの緊張感が半端ないです。
明日も聞くかもね。。
では。

今日から「サロメ」へ。
昔、何回か、実演で聞きまして、その度に予習として、幾つもの「サロメ」録音を聴いたなあ、と懐かしいです。
今回たまたま聴いているのは、シノポリ盤で、これは、まさに素晴らしい。シノボリの指揮は、解像度が高く、結晶化した音作りと思います。ストューダのソプラノも良いです。
「グントラム」、「火の欠乏」と聴いて、「サロメ」に進むと、やはり、そこには明らかな質的な変化があります。ドラマがあり、抑揚があり、さらには、音楽的にも印象深いところが随所に登場します。
特に、ユダヤの法学者たちの論争の場面は圧巻ですし、ヨカナーンの首を所望する場面の迫真は、付点音符の印象的な力強い意志を感じるフレーズと相まって、忘れられないものです。
いやー、シュトラウスは天才です。。
明日は、別の録音を聞こうかな。
それでは。

それにしても、このオペラ、シュトラウスの生産工場的な曲だと思います。後年のオペラの面影に満ち溢れている気がします。今日聞こえたのは、オクタヴィアンや薔薇の騎士の一幕の騒擾のシーン。オックスのワルツも聴こえますし。「英雄の生涯」と「家庭交響曲」に挟まれたオペラでもあり、再評価されてもいいんだろうなあ、と思います。これは、ぜひ実演をいつかは見てみたいな、と思います。
次はサロメにでも行ってみますかね。
それでは。

リヒャルト・シュトラウスのオペラを聴いていこうという取り組み。今日は「火の欠乏」。まだ理解は進めませんが、「ばらの騎士」のオックスのワルツが聞こえたり、「ナクソス島のアリアドネ」が聞こえたり、とても新鮮です。しっかりした曲に聞こえます。
指揮はウルフ・シルマー。指揮も良いのかも。この方の指揮は、新国立劇場で聴いてますし、「カプリッツィオ」の映像版でも振っていたはずです。
今日の東京地方は、天気も良く素晴らしい一日だったと思います。早く冬至を回って夏が来ないかな、も待ち遠しいです。。
それでは。
昔、サバリッシュが、バイエルン州立歌劇場で、シュトラウスオペラ全曲演奏をやったのですが、わたしも、最初から浚っていこうかな、と思いまして、早速実践開始。
まずは、グントラム。タンホイザー的で、ミンネザンクとか出てきます。初演はワイマール。

https://music.youtube.com/watch?v=4Dzj5WnLfbw&si=8lInTVtDSSwg-R8l
何度か聞くと、見えてくるものがありますので、しばらく繰り返し聞いて見ます。
では。

少しずつ秋も深まり始めた感じの1日でした。
やはり、11/3は晴れの特異日という感じ。お昼頃に少し曇りましたが、ご覧の通りの青空。夕方にかけても夕陽が眩しい感じ。太陽の高度は、だいたい一月下旬から二月ごろと同じぐらいでしょうか。あと1ヶ月ほどで、日の入りが最も早い季節になります。太陽が好きな私には辛い季節になりました。せめて、部屋は明るく整えたいものだと思います。

今日は、あまり聞いたことのなかったリヒャルト・シュトラウスの交響曲第二番をネーメ・ヤルヴィの指揮で。クラシック音楽作品名事典によれば、1883年の作曲ということなので、20歳ごろの作品ということになります。初演はニューヨークとのこと。ロマン派的な楽曲なのは当たり前ですけれど。
連休終わり、明日も早朝会議です。みなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。
先日、オペラの話をする機会があり、まあ、残らされた日々をかつて愛したオペラを聴きながら過ごすのも悪くはないな、と思い、意識してオペラばかり聞くようにしました。
振り返ると、わたしは、シュトラウスとプッチーニを愛していたなあ、と思い、この二週間は、以下のアルバムを粛々と。
Apple Music前は、5千円もするCDを買わないと聴けなかった音源が、サブスクで聴ける時代なので、オペラの敷居も低くなったなあ、と思います。
わたしも、図書館でCDを借りて、ITunes に取り込みながら勉強したものでした。
ということで、今朝はダナエの愛を聞いて、演奏機会のないオペラの初演はどうだったのかな、などと思いをめぐらせていたところでした。
それでは。
梅雨入り直前の日曜日の朝、近所を散歩しました。柔らかい日差しにつつまれる甘美な時間で、こういう時間を大切にすることが、生きる営みの智恵だとおもいます。
Heiter entscheiden,
sorglos besitzen,
Glück des Augenblicks
Weisheit des Lebens!
「明るく振る舞うと決心し、よろこびを悟り、幸福の瞬間こそが人生のよろこびであり、智恵である」という一節がリヒャルト・シュトラウスのオペラ「カプリッチョ」の中にありましたが、これだな、と思います。
梅雨入り前最後の好天を楽しみましょう。
それでは。
NHKBSのプレミアムシアターでドレスデンのカプリッツィオが放映されていました。先週の土曜日に、スマホで自宅のHDDレコーダにつないで、地下鉄に乗りながら観ながら、facebookに記事を書いていたら、乗り換え駅で降り損ねてしまうという。。まあ、それぐらい熱中してしてしまいました。やれやれ。
で、facebookに書いた記事を再構成して記録としてこちらに載せることにします。
この映像、ティーレマンがドレスデンを振った音源で、伯爵夫人は、カミラ・ニールント。ああ、カミラ・ニールントは2007年の新国立劇場「ばら騎士」が圧倒的で、2011年春再演時にも来日する予定でしたが、震災でキャンセルになったんですね。。本来18世紀フランスが舞台ですが、第二次大戦中に時代を映した演出で、これはよくある読み替えだと思います。後述の二期会も、あるいはおそらくは同じく後述のシルマー版もやはり時代的には第二次大戦中と思われます。
とにかく、このオペラ、10年以上前にドレスデンまで行って見に行った思い出深いオペラで、指揮はペーター・シュナイダーだったはずです。当時の記録は文章には残っておらず、証拠物件もみつからず。。
ただ、このオペラの真価を理解するにはまだ時間が必要だったし、まだその真価を理解できているとも思えません。本当にオペラ美学を語るオペラ。メタ・オペラなのです。
これまで、5種類ほど違う演奏・演出で見ましたが、そのうち3種類はメタ視点の導入による味わい深さがあったと思います。自分で自分の演奏を見る、と言った感覚。
1)こちらが初めて見たカプリッチョの映像。NHKで放映されました。メタがかかった味わい深さ。
2)こちらは、メトロポリタン歌劇場。やはりフレミング。METライブビューイングでみたなあ。
3)さらには、二期会。これも素晴らしかった。
4)前述のとおりドレスデンで見ていますが、記録が見つからず。ただ、とにかく、最後の月光の音楽が美しくて、という記憶のみ。群青色のライトに満たされたゼンパーオーパーは大変素晴らしかったのです。
5)そして、今回のNHKで放映された、ティーレマンの演奏。
https://www.nhk.jp/p/premium/ts/MRQZZMYKMW/episode/te/MJQ54KXG47/
とにかく、最後のロマン派オペラであり、オペラに関する蘊蓄と考察が加えられた、オペラを語るオペラ、メタ・オペラとも言えるリヒャルト・シュトラウス最大最高のオペラ。
戦時中に作られ、失われ戻らないかつての美的成熟を描いた作品で、正直、無人島に持っていくならこの音源とリブレットです。
おそらくは、西欧音楽はここに終わったとも言えるのではないか。そんな気にもなってしまいますが、もしかすると「四つの最後の歌」がそれに当たるかもしれん、と思ったり。
オペラを、歌詞、音楽、演出に分け、それぞれを擬人化し、さらには、オペラの華であるテノールとソプラノに甘い歌を歌わせ、さらには激しく難易度の高いフーガの六重唱入れたりするのだ。やる方はたまったもんではないはず。
さらにはオペラにおけるバレエの問題も、語られます。
で、最後に、オペラを象徴する主人公伯爵夫人マドレーヌが、詩人と音楽家のどちらを選ぶか逡巡するという。甘美な音楽とともに。オペラをめぐる永遠のテーマなんだろう。それが、文才にも恵まれたシュトラウス手により書かれるという僥倖です。
でもこの三角関係の勝者は音楽家です。伯爵夫人の台詞は音楽に傾いているし、今回見た演出でもやはり、音楽家に傾いていたなあ。
それにしても、これが戦時中に書かれたという皮肉。いや、戦時中だからこそ書かれたというべきか。ミュンヘンが爆撃され、ドレスデンの歌劇場もドレスデンの歌劇場も焼け落ちたのだ。悲しみはあまりあります。
失われるものは数多ありこうして、懐古し、失われたものを、時と場所に措定するということは、グリーフ・マネジメントなのかもしれません。
戦争とコロナは似て非なるものだが、時代とともに喪われるという観点では、やはり似ていますね。世界がすべて変わり、次にドレスデンに行くことなんてできるんでしょうか。
最後に、このカプリッチョからいい言葉を。
Heiter entscheiden – sorglos besitzen. Glück des Augenbliks – Weisheit des Lebens!
「明るく決心し、心配なく保つ。幸福の瞬間こそ人生の知恵」。以下リンク先で10年前にキャッチーな意訳をしていました。
「幸福な瞬間こそ人生の知恵」ですか。。
つうか、幸福の瞬間で息継ぎして生きる、という感覚を持ってましたが、これは、まさに戦時中にシュトラウスやクレメンス・クラウスが感じていたことなのかもしれん、と思いました。
なんだかこのエントリー自体が回顧的になってしまいました。
それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。