2013/2014シーズン,Giuseppe Verdi,NNTT:新国立劇場,Opera,ヴェルディがイタリア統一で果たした役割の謎

新国立劇場のナブッコ、本日がプルミエですね。私はは6月1日に出動予定です。

で、昨日の続き。期せずしてシリーズになってます。そして、期せずして新国立劇場「ナブッコ」に関連してきましたので表題も変えてみました。多分、このあたりの話は、パンフレットに記載されているでしょうけれど、独自の調査ということで。

ナブッコ「行け、我が想いよ」はどのように迎えられたのか?

私は、ナブッコの「行け、我が想いよ」が愛国的に使われたという話を、中公新書の「物語イタリアの歴史」で読みました。この中ではこの合唱が如何に熱狂的に迎えられたのか、が記されています。

「行け、わが思いよ、黄金の翼に乗って」と合唱を始めると、客席の興奮は最高潮に達した。……
聴衆は熱狂してヴェルディを讃えた。「行け、わが思いよ、黄金の翼に乗って」のメロディは、街中いたるところで歌われるようになった。……ミラノの床屋はアコーデオンでこのメロディを鳴らして客を集め、しばしば警官が出動して群衆を追い散らす騒ぎとなった。

藤沢道郎「物語 イタリアの歴史」第11版 中公新書、1998年、308ページ
確かに、アンコールとは一言も書いていないですが、この曲が熱狂をもって迎えられたと理解していました。
ところが、加藤浩子氏「ヴェルディ」においてはそのような熱狂はなかったのではないか、とされています。

だが、1987年に出版された《ナブッコ》の批判校訂版を編纂したロジャー・パーカーは、資料研究の結果、初演でアンコールされたのは<行け、わが想いよ>ではなく、最後の讃歌<偉大なるエホバ>だったことをつきとめた。また、ミラノに続いて行われたイタリア各都市での上演で、<行け、わが想いよ>が熱狂的に迎えられた記録はないという。

加藤浩子「ヴェルディ」平凡社新書、2013年、62ページ

<行け、わが想いよ>が愛されるようになったのも、統一後のことのようだ。というのも、1948年に起こった「ミラノの5日間」の放棄の後、スカラ座はしばらく閉鎖され、オペラは上演されなくなるが、その間にリコルディが数多く出版した『愛国賛歌』の類の中に、<行け、わが想いよ>は見当たらないのである。<行け、わが想いよ>が、「合唱の父」と称されることもあるヴェルディによる「第二の国家」なら、この時に何度も出版されて当然だろう。だが、その時人気を集めていたのは、ピエトロ・コルナーリなる作曲家に因る《イタリア人の歌》という作品だった。

加藤浩子「ヴェルディ」平凡社新書、2013年、64ページ
「行け、わが想いよ」が、アンコールされた事実も熱狂的に迎えられた記録もないかもしれない、ということになるわけですが、真実はどうなのか。
ビルギット・パウルスの説は、おそらくこちらの本になるはずです。あたってみたいところですが、ドイツ語ですか。少しハードル高いですね。。東京芸大の図書館にあるようですが、そこに入る術を知りません。町の図書館で取り寄せられないか、聴いて見ることにしましょう。

今後の予定

明日は、ヴェルディに政治的意図は本当になかったのか、を書いてみようと思います。これも記述がわかれていますので。
私の手元にある文献3冊が喧嘩をしていて、何が本当なのかわからないですね。「世界が非論理であり、真実というものは途端に消滅するもので、あるのは作為的な事実や歴史のみである」という、最近の私の考えと一致する状況でしょう。
面白いっすね。こういう謎解き。

2013/2014シーズン,Giuseppe Verdi,NNTT:新国立劇場,Opera,ヴェルディがイタリア統一で果たした役割の謎

引き続きヴェルディが楽しい毎日。
今日はレクイエム。バレンボイムがシカゴ饗を振ったバージョン。

昨日のお話の続きを。
ヴェルディがイタリア統一運動において果たした役割は、「ナブッコ」の「ゆけ、我が想いよ」が、当時オーストリアに支配されていたミラノにおいて、イタリア民族意識に火をつけたということ。もう一つは、「ヴェルディ万歳!」という言葉が、「イタリア王、ヴィットリオ・エマヌエーレ二世」というイタリア統一を象徴するといったことになります。
これは、イタリアの教科書に書かれていることでもあるとのことですし、随分といろいろな所で取り上げられている「常識」的なものでした。
ところが、どうやらそれは「幻」のようなのです。
件の「ヴェルディ」においては、ビルギット・パウルスというドイツの研究者による情報として以下の様な説が紹介されています。
(「ひ孫引用」で恐縮ですが)「ヴェルディ万歳!=イタリア王、ヴィットリオ・エマヌエーレ二世」の挿話の初出は、オーストリアの音楽批評家であるエドゥアルト・ハンスリックによって書かれた「現代のオペラ」という作品のなかなのだそうです。
ハンスリックは、高名な音楽評論家ですね。ワーグナーと対立し、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」で敵方ベックメッサーのモデルになったと言われている方です。
その部分を、ハンスリックの原書から発見しました。加藤浩子氏「ヴェルディ」においては1875年とされていますが、googleにスキャナされた版は1880年とあります。
“http://archive.org/details/diemoderneoperk02hansgoog":http://archive.org/details/diemoderneoperk02hansgoog
255ページの以下の部分です。

超意訳ですが、

つまり、ボンバルディア、ヴェネト、ローマ、トスカーナ、ナポリにおいては、「イタリア万歳!」と叫ぶことはタブーだったので、人々は「ヴェルディ万歳!」と叫んだのだ。このヴェルディの名前を示す個々の文字は以下の意味を指し示す。すなわち、イタリア王、ヴィットリオ・エマヌエーレ、である

と書かれているはずです。
この部分が、世界ではじめてヴェルディの言い換えを行った場所、ということになるのでしょうか。
つづく。
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先程まで、教育テレビで放送されていた吉田秀和さんのドキュメンタリーに釘付けになってしまい、遅くなりました。続きは明日。

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ヴェルディが楽しい毎日。今日はオテロ。ナブッコの予習もしないといけないのですが、音源の入手が遅れていることに気づき焦り気味です。

先日「ビバ・リベルタ」という本を取り上げました。その中でイタリア統一にまつわるエピソードを取り上げました。

この本では、ヴェルディが政治的闘志を燃やしているかのような記述があるのですが、どこかでそれを覆す論述を読んだ記憶がありました。

どこで読んだのか覚えておらず、取り急ぎエントリーしたのですが、その辺りの不確定さを少し匂わしておくだけにとどめていました。つまり、あまり政治に熱心ではなかった、と言った表記をしたのはこういうわけだったのです。

昨日、大学の友人と会う機会があり(その訳を書くのは少し難しいのですが)、その際に一冊の本を紹介してもらいました。加藤浩子氏による「ヴェルディ」という本です。

その中に私の漠然な疑問に答える記載がありました。

ヴェルディがイタリア統一に果たした「偉業」は、幻だった、というのです。

続く

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今夜も夜勤のメンバーがいる中ですが、離脱中。明日は何もなければOFF。