Book

辻邦生「背教者ユリアヌス」中公文庫、新旧2バージョンを並び替えていたときに、なるほどねえ、と感じることがありました。

クリーム色の旧バージョン(1990年)は、しめて1,630円。一方緑色の新バージョン(2017年)は、4,100円。27年で物価がこれだけあがったということなんですかね。

以下のグラフ、消費者物価指数のうち、書籍の物価情報を表したもの。参考までにカップ麺も同じグラフで表現してみました。これをみると、書籍だけが取り立てて高くなっているというわけでもないのかな、と思いました。

書籍の1990年の指数は59.2、2017年は100.9となり、比率は1.7倍です。

一方、写真の「背教者ユリアヌス」の新旧価格差は2.5倍。

うーむ。本来なら、2,800円ぐらいで収まってほしいところ、4,100円になっていますので、物価上昇よりも1,300円高いということですね。

この差は、書籍と言ってもさまざまあって、とくに文学は需要がなく採算とれず逆に高くなってしまうという現象なのでしょうか、などと考えておりました。文化を支えるためには力が必要ですね。

ということで、おやすみなさい。グーテナハトです。

<消費者物価指数のうち、書籍とカップ麺の1970年からの推移>


出所:統計で見る日本
https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00200573&tstat=000001084976&cycle=0&tclass1=000001085995&tclass2=000001085936&tclass3=000001085996&tclass4=000001085997&tclass5val=0

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Book

さすがに週も半ばを過ぎると、、という感じです。今日はあまり読めない一日。

で、こちら。辻邦生が進めるミステリーである「笑う警官」。スウェーデン謹製のミステリー小説で。このマルティン・ベックシリーズのなかでもこの「笑う警官」がベストだ、と辻邦生は語っています(辻邦生全集第18巻193頁)。というわけで私も少しずつ。ウェル・メイドな物語を作る肥やしにしていたんでしょうけれど、それにしても、どこまで読んでいる方なのか。。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

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Tsuji Kunio

以前こちらにも書きましたが辻邦生の「時の扉」を読み終わりました。

 

おそらくは20年近くブランクがあいていたはずで、細かい筋立ては覚えておらず、新しい気分で物語空間に引き込まれていき、途中から頁をめくるスピードがどんどん速くなっていきました。新聞小説ということで、面白さやわかりやすさはありながら、テーマとしては辻邦生作品群に通底するテーマを扱っているということもあり、いろいろと考えさせられました。

最後の章、題名が「太虚」とあり、あの「嵯峨野明月記」の最終章で語られる「太虚」に繋がる境地が、新聞小説である「時の扉」にまで波及しているということに驚きを覚えました。おそらくは、鬼塚しのぶが語る

深い悲しみの故に、私たちは本当の<生>の深さを知ることができる

辻邦生「時の扉」中公文庫、1986、547頁

という部分に当てはまるのでしょう。

「嵯峨野明月記」で本阿弥光悦が語る太虚を抜粋すると以下のような部分にあたるのでしょうか。

まさしくこの生は太虚にはじまり太虚に終る。しかしその故に太陽や青空や花々の美しさが生命を取り戻すのだ。太虚の豊かな死滅と蘇生のなかにあって、その宿命を完成させる以外にどんな仕事がのこされていようか。

辻邦生「嵯峨野明月記」 中公文庫、1990、431頁
それはなにか逆説的な物であるかのように思います。光悦は死の空しさである太虚を知ってそこに、生の意味を感じました。「時の扉」の主人公矢口は、罪の償いがかなわないことを知って、そこに生の意味を感じたと言うことでしょうか。

罪は、ぼくに恩寵となって現れることを知りました。罪は償いうるというものではありません。しかし償いえない罪のおかげで、ぼくは生が何であるかを知ったのです。もし罪の償いがあるとしたら、この真実の生の姿を深く知り、生きるほか、方法がないようにおもうのです

辻邦生「時の扉」中公文庫、1986、491頁
死であったり、罪であったり、あるいは恐怖や不安であったり、そうした生におけるネガティブな要素がありつつもそれを包み込みながらも、激しく生きると言うこと。昨日触れた「戦闘的オプチミスム」をモットーにして、砂漠のなかの発掘であったり(時の扉)、あるいは砂漠のレースであったり(おなじ新聞小説の「光の大地」のように)、なにはともあれ激しく生きると言うことなんでしょう。激しくというのは、なにか、太陽の照りつける夏に、オレンジを搾ったその果汁をのみほすような、生への渇きを癒やすものであるように思います。

だとして、何ができるのか。おそらくはなにもできず、ただ通勤者として労働に勤しむことになるわけですが、そうだとしても、大都会の出勤時の駅を詩情で捉え、

人間って、悪に染まり易いそんな弱い存在だけれど、もともとそれほど立派なものじゃないんだ。そんなことで悩むより生きていることを大切にしなければいけない。一日一日与えられている時間──太陽──雲の行き来──木々の緑──頭を揺らす花々──そういうものを心ゆくまで愉しまなければいけない

辻邦生「時の扉」中公文庫、1986、179頁

ということなんでしょう。

なんだか、仕事で悪人とやり合った記憶がよみがえり、自己規定のなくルール無視で動くことのできる悪こそが強いのでは、と同僚と話しをしたことを思い出し、ひとときは悪が勝つことがしばしばだったように思いますが、それでも生きるというトータルでは、なにかそれすらも包含し、そこには悪も正義もなく、全てが溶けきったような感覚を得たな、と思いました。

ところで、この本、ウィスキーを飲む場面、あるいは羊肉などのごちそうを食べるシーンが多く、ついつい酒量が多くなり、肉を貪り食べたくなる欲求に駆られました。確かに、仕事後の机上で本をめくりながら蒸留酒を飲むという愉楽は何ものにも代えがたい幸せだったなあ、と思いました。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

+2

Tsuji Kunio


このブログで何度も何度も「戦闘的オプティミズム」という言葉を使っていますが、出所について明らかにしていないのではないか、と思うようになりました。
この言葉は、1991年に新潮社より出版されたエッセー集「時刻のなかの肖像」の収められた「迷信について」という文章によるものです。

辻邦生は1957年に渡仏しパリで留学生活を送りました。そのころ、パリの大衆紙や女性雑誌に星占いの記事を愛読しており、日本でもいつの間にか星占いが人気の的になったのだといいます。こうした星占いのような迷信出会ったとしても、超合理主義で割り切るよりも、適度の迷信と神話が潤いを与える物として必要で、神社仏閣にお詣りにいったり、神輿を担いだり、おみくじを引いたりするのは人間の情緒生活を豊かにするものではあるが、とはいえ、病気や不幸によって、本物の迷信や新興宗教に走るというのはまた問題であるが、生きている以上、不安や恐怖から免れることはまず不可能であるから、こうした災難的事態には、合理的、方法適性はより他に道はないということも分かっておいた方が良いのでは、といいます。

とはいえ、この合理主義的な思考では落ち着くことできません。この文章は以下のように締めくくられます。

そんなとき、私は、自分にも他人にも戦闘的オプチミスムをすすめることにしている。単なる楽天主義ではなく、それに「戦闘的」という形容詞がつくのである。
いつだったか福永武彦氏の財布には「大吉」と書いたおみくじが入っているのをみたことがある。(中略)これなどは戦闘的オプチミズムの恒例だろう。何かのことで、おみくじを引いてみて「凶」と出たら、「吉」が出るまで引いてみるという気持ち。(中略)運というものがあるならば、自分には「好運」しかないんだ、と信じこむ力。あまりこちらが楽天的なので貧乏神も旗を巻いて逃げ出すといった態度──私は気質的にそういう生き方に共感するようである。

辻邦生「迷信について」『時刻のなかの肖像』 新潮社、1991年、162頁

これを読んだのは、おそらくは学生の頃だったと記憶していて、茶色く変色しつつある古い付箋が今でもここに貼ってあります。この「戦闘的オプチミスム(オプティミズム)という言葉は、なにか能動的に運さえも勝ち取ろうとする、運に関わることでありながらも「合理的」な生き方だなあ、と大いに感じ入り、共感したのを覚えています。以来、「戦闘的オプチミズム」をモットーに生きたいと思い、大吉のおみくじを財布に入れて持ち運んだりしました。まあ、巧くいかないこともしばしばでしたが、どうもそうした迷いのようなものも徐々に括弧に入りつつあるような気もしています。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

+1

Japanese Literature,Suga Atsuko

今日は夏至。毎年この日を目指して生きている気がします。幸いにも梅雨なかにありながら、太陽が出ていた一日でした。合間を見計らって印象的な空の写真を。ちょうど、太陽が薄い雲の後ろ側にあって、肉眼で太陽を見ることができまして、これはなんだか、太陽が自分の姿を現してくれて、励ましてもらった感覚があります。

今日は、なぜか合間にこの本を手に取ってしまっています。須賀敦子「トリエステの坂道」。かなり前に須賀敦子さんの本は当然手に取っているのですが、なぜかそこに晦渋な構築感を感じ、手放した記憶があります。あれから数十年が経ち、先日丸谷才一氏の辻邦生追悼文「『夏の砦』のことなど」を読んで、須賀敦子さんが辻邦生の影響を受けたのではないか、ということを読み、もう一度手に取ってみようと図書館から取寄せたわけです。

丸谷才一氏は、須賀敦子さんの文章を「その激しく過去に執着する書きかたによつて印象的だけれど」(辻邦生全集第20巻480頁)と評しますが、確かに私が「晦渋」という言葉を感じたのは、この過去への執着と言うことなのかもしれません。そこに描かれるミラノでの暮しの風情は、厳しい生活の風景のなかにあって、そこに映し出される本質の幻灯のようなものに見えました。丸谷才一氏はまた「土台のやうなものは日本私小説の方法があったとみるほうが蓋然性が高い」(同480頁)とも表しており、ミラノの生活や、亡き夫にまつわる記憶=それは、夫のみならず、鉄道員で早世した義父や、戦中戦後苦労し子を早くに喪った義母、あるいは親族達という夫一族にまつわる記憶でもあるのですが、そうした一族の記憶を綴りながら本質へと迫ろうとする方向を感じるものであるなあ、と思いました。
とにかく、久々に、次が気になる本で、ついつい読み進めてしまうという感覚は、この忙しい毎日にあって、数年ぶり(村上春樹を呼んだとき以来?)でした。なにがこの本をこんなにも魅力的な物にしているのか。それは我々が知らないミラノの暮らしであり(グラッパに野草を漬け込む、という話など、興味深いことこのうえないものです)、あるいは第二次世界大戦と地続きの歴史であるということでもあり、本質的には我々と変わらない人間がそこにある、という普遍性であり、など、後解釈でさまざま考えることができますが、そこに現前するミラノの街の実体感を感じながら、く読むことの「幸福」がそこにある、ということにまとめられるのだと思います。

ということでみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

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Tsuji Kunio

今日は少し早めに上がりました。あえて少し物事を緩めた一日でした。

で、こちら。「國文學」昭和49年1月号の辻邦生特集。おそらくは1999年頃に買った記憶があり。

冒頭に辻邦生と菅野昭正さんの対談がありまして、この対談が実に生々しい緊張感に満たされています。お二人は友人同士と言うこともあり、菅野さんのおそらくは友情からくる暖かい批評がずいぶんと手厳しく、あるいはなにか辻文学が日本文学においておかれていた立場が垣間見えるのです。実際に対談がなされたのは1973年9月29日。「フォニイ論争」の口火が切られる1973年12月18日、19日に東京新聞・中日新聞に掲載された座談会「文学・73年を顧みる」よりも前ですが、なにかヒントがあるのではと思いながらこの対談を読んでいたわけです。

今日は多くを書きませんが、いくつか。

まずは、辻邦生が『廻廊にて』の執筆について、「旧来の自然主義リアリズムの方法に偏向しそうになって、それをさっき言った方法意識でささえささえ、やっと書上げた」(19頁)とあり、また『夏の砦』についても「日本の家庭内部が出てくるものだから、これも自然主義的な見方では捉えられないいわば純粋物質だけでつくるように苦労した(19頁)などとあります。この旧来の自然主義リアリズムというのが、現実をそのまま書こうとしてしまうということを指しているのではないか、と感じました。やはり、イマージュと呼ばれる、現実ではないリアリティを書くと言うことに苦労していたのだなあ、ということが分ります。

あくまでぼくの意識のなかでは、対象化の拒否、のり超えが意図されている。対照的な把握──ある事物を認識とか実践とかのレベルでつかむ、そういうかたちでのつかみ方ではなくて、それは自然主義文学に通じるわけだからそういうものでなくて、それを超えてたえずそれこそイマージュとして、つまりイデーを表現する具体的存在として使うという見方を自分の肉体に定着することが意図されていた。

「國文學」昭和49年1月号 學燈社、1974年、29頁

辻邦生が口を酸っぱくして言う、

実際にぼくたちが小説を書く場合、自分の経験、自分の知っていることについて書いたりしますが、初心者が書くと、それがつまらなくなってしまう理由のひとつは、見たもの、聞いたものが日常性にとらわれていて、普通のものでしかないからです。イマージュになっていないということが、非常に大きな要素としてあるんですね。

「言葉の箱」 中公文庫、2004年、29頁

ということだと思います。

この、現実をイマージュimageとして捉えるということ。これが実に大きなポイントであると感じており、理解の突破口になるのではないか、と想定しています。

今日はこのあたりで。おやすみなさい。グーテナハトです。

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Tsuji Kunio

辻邦生全集第20巻を見ていたのですが、非常に興味深い論説を読みました。

丸谷才一氏による「『夏の砦』のことなど」のなかで、須賀敦子さん村上春樹氏と辻文学の関連を指摘し、辻文学が後世の文学にもたらす影響について述べられていたのでした。

辻邦生の訃報に接した丸谷氏は、『夏の砦』を読直し、そこにプルーストの色濃い影響を見いだし、「古風な趣味の同業者たち」は辻邦生の小説に反発を感じていたのでしょうが、支持する読者は多く「ちようど夏目漱石や森鴎外と同じやうにと言ひ添へても、過褒の言と咎められることはないはずである」と述べます。

その後、「先輩筋の私小説作家」から、辻邦生や辻邦生の小説に対する否定的意見を聞いたとき、丸谷才一氏 は、旧制高校の寮で特攻作戦の非人道的正確に疑問を表するスピーチをしたことを語ると、その「先輩筋の私小説作家」は、「「それはすごい」とつぶやいて、もう沈黙してしまつた」のだそうです(このエピソードは、私小説作家からの攻撃、それは「フォニイ論争」に近しいものが背景にあったことを匂わせるもので、それに対して「うちにある燃えさかる火」があることがわかり、その私小説作家は黙してしまったと捉えられますが、本筋とは離れますのでこのあたりで)。

それから、須賀敦子さんが『夏の砦』に影響をうけていて、これは実証できるものではないが、海外で生きる女の研究者という設定は須賀さんの心を捉えたのではないか、あるいは村上春樹氏の『国境の南、太陽の西』や『スプートニクの恋人』においては失踪する女が扱われるが、これは『夏の砦』の女主人公が失踪するということの影響ではないか、ということを指摘し、もちろんこれも実証された物ではなく「事柄は意識化の暗い領域に属する」(481頁)と言うわけです。

確かに、村上春樹氏の小説は女性が失踪することが多く、『騎士団長殺し』も『ねじまき鳥クロニクル』も失踪しているわけで、これが『夏の砦』の影響ではないか、という丸谷氏の推測は、スリリングです。

このあと、文芸評論の話になり、「日本の文芸評論は、作者個人の体験をむやみに重んじる傾向があつて、この春樹さんの場合でも、若年のころ、誰か恋人かそれとも女友達が行方不明になつたことがあるに決つていると漠然と思つてゐるふしがある。誰も言葉にだしては言はないが、なんとなくさう思ひ込んでゐるらしい」(481頁)などと、文芸評論に関する見解が示されていました(これも、先に触れた私小説的云々と関連するように思い、フォニイ論争の対象に丸谷氏がいたこともありつつ、こちらも本筋と離れるのでこのあたりで)

ともかく、須賀敦子さんや村上春樹氏が若い頃『夏の砦』を読んだことが、村上文学に影響しているなどと空想することを楽しみつつつつ、「辻の分業が文学の伝統の一部となり、未来の作家たちを刺戟することは十分にありえるやうな気がする。彼はさういふ作家であつた」と締めくくられるのでした。

実は、最近『スプートニクの恋人』的な、失踪する人間のことを考えていたときに、この丸谷氏の論説を読んで、なるほど、そういえば『夏の砦』は確かに失踪していて、『夏の砦』と同じモティーフであるとも捉えられるな、と思ったわけです。さまざまな文章を渉猟していると、こういう偶然的必然に出会うことは良くあります。

ということで今日はこのあたりで。やはり全集は読めば読むほど宝の山です。
おやすみなさい。グーテナハトです。

+2

Tsuji Kunio


辻邦生が、嬉々として書いている文章を見つけました。先日から読んでいる辻邦生全集第18巻のなかに収められた 「幻想の鏡 現実の鏡」というエッセイです。ボルヘスが1979年に訪れた時の随筆です。冒頭、カフカ、トルストイ、シェークスピアとの架空会見を深夜に行っていることが明かされ、それは「黄金の時刻の滴り」の原型を表すものであり、その後のボルヘスとの会見のプロセスは、なにか、架空会見なのか現実の会見なのか、その協会が曖昧であるかのように語られていて、ああ、辻先生、言葉で実にのびのびと「遊んで」おられるなあ、と思ったのです。

架空会見では、カフカやシェークスピアに実際に台詞を語らせるあたりは、エッセイと言うよりは前述の通り「黄金の時刻の滴り」を彷彿とさせる実在の友人の名前(中村真一郎氏、清水徹氏、筒井康隆氏といった面々)の名前を取上げて見たりするのは、辻邦生の文章を数多く読んだ身に取っては、書くことが嬉しくて嬉しくてしょうがないという感じが伸びやかに伝わってきて、読んでいるこちらもなにかワクワクと楽しさを覚えるものでした。

この文章、当然大昔に読んだ記憶もあり、確かに「永遠の書架に立ちて」の収められていました。しかし、おそらくはこの文章を読んだのは、20年以上も昔のはずで、そのときにはこうした「遊び」の感覚はあまり感じなかったなあ、と思います。

さらには、やはり重要な記載があって、以下のようなボルヘスの言葉の引用は、実に本質的なものです。

 たとえば「文学は言葉よりも、言葉の背後に人々が感じるものにあると思うのです」「人間が誠実に夢を見、自分の信ずること、歴史的現実としてではなく、現実性のある夢として信ずることを書けば、立派に書くことができると思います」「重要なのは、言葉ではなく、読者が言葉を通じて感じること、いやしばしば、書かれている言葉にもかかわらず感じることです」

こうしたボルヘスの発言は、現代の構造主義的な言語感にわずらわされている読者に、ある健康な、自然な感受性の目ざめを誘わずにはいまい。詩人・小説家が言語の魔術師であることは当然であるけれども、それが一級の作品に達するには、ボルヘスの言うように「情熱」が必要なのだ。「情熱なしには文学作品を書くことはできない」とも「純然たる言葉の遊びに堕する」とも言っているのである。

『幻想の鏡 現実の鏡』「辻邦生全集第18巻」 新潮社、2005年、347頁

歴史的現実ではなく、現実性のある夢、ということ。歴史的現実とは、科学の対象であり、認識の対象である、時間空間の形式のなかに存在する科学的とされる現実ですが、文学が書くものは、現実そのものではなく、現実性のある=リアリティのある夢=イマージュである、ということ。経験や体験をそのまま書くものではなく、文学的必然性、それはすなわちボルヘスの言を借りるとすれば「情熱」とともにあるものを、リアリティをもって書くことで、読者がイマージュを感じること。そういうことなんだと思います。

最近「フォニイ論争」のことをよく考え、いろいろ調べていますが、歴史的現実の有無をもってその真贋がとわれ、その結果として贋物である、つまり歴史的現実でないとするものが贋物でありがゆえにフォニイ=にせもの、まがいもの、という形で、捉えられたのが「フォニイ論争」だったように思います。ただ、この「フォニイ」という言葉も、対談のなかで、放談に近い形で語られ、それが論争になってしまったと思います。

このあたりはまた別途検討なのですが、少なくとも文学的な「情熱」がなければ「言葉遊び」になってしまい、これこそが正にフォニイなのであって、などなど、考えが拡がっていきます。

このところ辻邦生の文章を読む機会が増えていて、それは小説よりもこうした随筆のほうが一層身にしみます。小説の舞台裏をなにか感じたいという気分が強くなっています。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

+2

Tsuji Kunio

最近、記憶の古さに愕然とすることがあります。これもやはり歳を重ねることによる「必然的な状況」なのかなあ、と思いながら過しています。

似たような体験として、時間経過が早くなるというものがあります

が、あれは人と話しているとだいたい三十代前半で発生する事案のようです。自分のそれまでの全人生に対する一年間や一ヶ月の割合の感覚が閾値を超えるらしく、時の経過の早さに愕然とする、というものです。これは反比例グラフと同じなので、そのうちにそうした時間経過が早くなるという感覚はなくなり始めます。まあ経過の早さに慣れてしまうということもあるのでしょう。

この「時間経過が早くなる」に続いて訪れた歳を重ねることによる「必然的な状況」が、この記憶の問題であるように思います。どうも、最近は記憶と現実のリアリティが等価になり始めていて、昔の町の様子と、現在の町の様子が相違していたとしても、どちらもリアリティがあるように思ってしまうわけです。

例えば、20年前に駐車場だった土地に今は立派なビルが建っているのですが、今の私にしてみると、20年前に駐車場だった風景のほうがリアリティがあり、いまこの瞬間に、どちらがリアルか、というと、私にとっては駐車場のほうがリアルなのです。

これは、先に触れた「時間経過が早くなる」という感覚もひとつの要素なのでしょう。20年前も1年前も、時間経過が早いため、その長さにあまり差違を感じないのです。このため、リアリティのひとつの要素と思われるどの程度古い記憶なのか、という感覚が若い頃と変わってきたように思うわけです。

と言うことで、現在の私にとっては、記憶も認識もさほど変らなくなってしまいました。そうすると、記憶のなかを縦横無尽に行き来することで、どこにでも行けてしまうわけです。さらには過去の記憶も未来の予想もリアリティもさほど変らなくなり、過去の記憶から未来の予想のなかまで、縦横無尽に生きることができてしまう気がします。

そんなことを思っているときに、辻邦生全集第18巻のなかに、そうした状況を説明した文章を見つけ驚きました。1974年に書かれた「時間のなかの歴史と小説」という文章にあるものです。

『パリの手記』のなかで、私はある想念を追求めていて、突然、ある日、<私の世界>というイデーにぶつかり、身体が透明に軽くなるような実感を味わう箇所があるが、これは世界の変転のすべてが<私>のなかに包まれ、<私>の内部にあるという感覚の直観だった。おそらく、私はそのとき世界史の興亡を、永遠の場における演戯者の仕草のごときものとして感じていたにちがいない。歴史的意識は、永遠のなかで解消し、そのような形で私は時間の圧迫を超えることができたとも言えよう。

辻邦生「時間のなかの歴史と小説」『辻邦生全集第18巻』、2005、新潮社、398ページ

あの、パリのポン・デ・ザールでの出来事ですね。このポン・デ・ザールの出来事はさまざまな場所で述べられていますが、このブログでかつて取りあげていた箇所からもう一度紹介します。

(本来「パリの手記」から引用するべきですが、今回はこちらで)

ポン・デ・ザールのうえで私が感じたのは、(中略)全てのものが私という人間のうちに包まれている、ということでした。並木も家も走りすぎる自動車も、見も知らぬ群衆も、すべて、私と無関係ではなく、それは私の並木であり、私の家であり、私の群衆でした。

辻邦生「小説家への道」『詩と永遠』岩波書店、1988、249ページ

この経験は、空間的に全てのものが私のなかに包込まれているという感覚ですが、実のところ、空間だけでなく時間をも私が包込んでいる、と言うことなんだと思います。

この時間においても全てを包込んでいるという感覚は、何か、私が感じている記憶と現実のリアリティが等価になりつつあるという感覚と似ていると考えています。つまり、過去の記憶も未来の想像も縦横無尽にどこでも行けるという感覚は、時間を超えてしまったことと同じである、と考えたからです。

ただ、辻邦生の場合は、その境地は、あくまでポジティブなものでした。この「私だけの世界」を書くことで遺さなければならない、という感覚があったようです。私にしてみると、どうもそれは、なにか虚しさを感じるものだと思うのです。

辻邦生の言う「生きる喜び」こそが、この時間を超えた虚しさを、時間を超えた充実と豊饒さへとひっくり返すために必要な鍵なんだろうですが……。ともかく、辻邦生の「ポン・デ・ザールの出来事」を理解するひとつのとっかかりをつかんだような気もしています。もう少し考えないと。

今日はこのあたりで。みなさまもどうかよい週末の夜を。おやすみなさい。グーテナハトです。

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Tsuji Kunio


昨日書いたウェル・メイドに引きずられて、辻邦生が書いた「物語」が読みたくなりました。昨年でしたか、再版され、Kindleにもなっている「時の扉」を読もうと思い立ちました。Kindleで読もうかしら、と思いましたが、高校あるいは浪人の頃に読んだ文庫を引っ張り出してきました。この本をどこで買ったのかも覚えていて、少し恐ろしさを感じます。

 

最近読んだ辻邦生の文章で、新聞小説は、短いスパンで山場を創る必要がある、ということを読みましたが、確かに普通の小説とは違い、のっけからいくつもの山のようなものがあり、構成として普通の小説とは違うなあ、と思い、これは「NHK朝の連続テレビ小説」的な山の作り方だ、と思い、なるほど「NHK朝の連続テレビ小説」は新聞小説のメタファであると思われ、であれば似ているのは当り前か、と思った次第です。

これからどうなっていくのかしら、なんてことを思いつつ、この週末に、時間を見つけて読進めようと思います。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

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