Tsuji Kunio

昨日来考えていることとほとんど関係なく、今朝たまたま開いた(Kindleですが)のが、辻邦生の問題作「黄金の時刻の滴り」で、トーマス・マンに語らせる以下の言葉が、私にはまさに正鵠を得た一番だったのです。

美を生み出す人は、死にながら生きたふりをしなければならないのです

辻邦生「黄金の時刻の滴り」より「聖なる放蕩者の家で」

これです。

時空を超えた大きな球体のなかにひとりでいるということは、生と死までも包んでしまうわけです。全体を掴むということは終末から始原を掴むということなのです。

これを、まさに体感してしまったということであり、そこにある茫漠とした虚無と、それに抗うための美と陶酔。しかし、それはデカダンスの類ではなく、諦観に溢れたものであるはず。

ちょうど、ワーグナーのトリスタンを聴いていたところ。なにか解決のない和声の不安定さのなかで、ワーグナー自体も茫漠とした球体のひとつのアレゴリーではないかとも思います。

そんなことを思いながら、この巨大な茫漠たる球体と対峙するためにできることは何か、と思うわけです。

Tsuji Kunio

辻邦生はこの「言葉の箱」の中で、自分の想像力が産んだイマージュが、言葉の箱の中に入れられていけば、必ず力強いものが産まれる、ということを言っています。

確かに、辻文学の持つ物語の力はとてつもないものですし、辻文学に限らず、例えば、私にとっては、ハインラインやアーサー・C・クラークの作品群の持つ物語の力は、大きなものに感じます。しかし、それを初めて感じたのはいつだろう、と記憶を呼び起こすと、それはおそらく何かの折に見た、「カナの婚礼」の絵だったと思います。

Paolo Veronese, The Wedding at Cana.JPG
パオロ・ヴェロネーゼ, パブリック・ドメイン, リンクによる

これもどこかで書いたことがあったのかもしれませんが、この絵を見るまでは、絵に描かれていることは作りものに過ぎない、と考えていたわけです。ところが、この作品を見た途端に、おそらくはこの風景は現実にあったのだ、という直観をえたのでした。その現実とは、言葉としては当時別の言葉を当てはめていて、真実在とか、そういう言葉を使っていたようにおもいますし、今でも現実と言う言葉よりも真実在と言う言葉のほうがしっくりきます。

この生き生きとしたリアルな筆致は、そこにそれとして屹立しているものであり、作りものとか、創作物とか、そういった言葉が当てはまらないように思えたものでした。

これもやはり、文字ではなく絵画によってなされたイマージュの力ではないか、と今になって思うわけです。それはいわゆる素朴な現実世界と等価以上のものであって、現実世界との差異はあくまで量的差異でしかないのではないか、とも思うわけです。この絵画をじっと眺めていると、その世界の中に引き込まれていき、素朴な現実世界よりも、ありありとリアルな質感をもって迫ってくる感もあるわけです。

これは、もう、言葉をいくら重ねても伝わる者ではないわけですが、辻邦生はこれを伝えるということにおいて文学にその意義を見いだしたのではないか、ということを今更のように感じています。

「僕が死んでしまうと、だれもそのなかに入って知ることはできない」「僕が死んでしまったら、もうこの地上から消えてしまう。そういう者を書き残すのも文学の一つの大事なしごとではないか」と辻邦生が述べているわけで、それが、イマージュと同じ質感を物語という形式で遺すことの意義になる、と言うことに感じています。それが、茫漠としたたったひとりで巨大な球体の中央に存在する自分という虚無と孤独を克服することに繋がると言うことなのでしょうか、と言ったことも考えつつ…。

しかし、この発想、そういえば四半世紀ほど前に、飲み屋で知人に語ったような記憶もあり進歩してないなあ、という気もしますが、そのときは方法論としての物語のことだけであって、伝えるべき巨大な球体としての世界をイマージュとして物語形式に落とし込むという文学の意義までは分からんかったなあ、と思う次第です。

Tsuji Kunio

ぼく自信が世界を包み込んでいる、ぼくが世界を所有している、いままでぼくは世界に包まれていた存在だったわけですけれども、今度はぼくが大きな絵にでもなって、大きな球体にでもなって、地球をスッポリ包んでしまったような逆転した関係が生まれてしまった。

辻邦生「言葉の箱」新潮文庫、25ページ

先だっても書いたこの部分。

今日もやはりこの球体のことを考えていました。というより、自分の最近の世界認識を「球体」と喩えて考えていて、あらためて一ヶ月前に書いた文章を見直したら、やはり辻邦生も球体と言っていることに驚き、潜在的にこの「大きな球体」と言う言葉が自分の中にしみこんでいたと言うことに気づいたところです。

どうも、この世界、というのは空間的な世界にとどまらず、時間的な世界をも指しているのではないか、と思うわけです。辻邦生的に言うと、「僕のパリ」には、ローマ時代のパリから、ブルボン朝のパリ、革命のパリ、そして20世紀のパリ、全てが含まれていて、あるいは、未来のパリをも含んでいるわけです。そして「地球」を包み込んでいるということは、パリだけでなく、東京もニューヨークもヨハネスブルグも(航空会社の宣伝のようですが)含むものであり、あるいは、地球から離れ、太陽系であったり、銀河、あるいは宇宙全体をも含む物になり得るわけです。パリも東京も銀河も、そこに量的な差異があるだけで、質的な差異はありません。

そういう意味で言うと、辻邦生の言うイマージュというもの、これは私の認識では、小説世界において我々の素朴な現実と同じぐらい確固とした質感のあるありありとした世界名分けですが、このイマージュすらも、現実の世界と等価となり、この私の「大きな球体」の中に含まれるわけです。記憶も想像もイマージュという観点では全て等価であり、ただ、いま個々にある認識主体において瞬間瞬間においてリニアに生じる「場」としての世界だけが唯一のよりどころであり、その「場」が中心にあるあまりに巨大な球体が、私というものではないか、と感じるわけです。

なんだか、今、この文章を書いていると、これは、誤解を恐れずに言うと、学生時代に囓り読んだ西田幾多郎の純粋経験ではないか、とも感じてしまいます。もちろん学生時代の記憶があったからこその発想ではあるのですが。

巨大な私という球体に、私は茫漠という表現を当てはめたくなるのです。つかみ所がないが、しかしそれでもそれは私であり宇宙であるというもの。そこに区切り意味を作ることで初めて茫漠を乗り越えられるという感覚。西田的に言うと主客分離というものでしょうか。

この考えは、辻邦生が「詩と永遠」で語る境地<開かれた自己>にも似た感覚なのですが、私はそこにポジティブな感覚をどうしても得られず、しかし、これがいつかひっくり返り、ポジティブな感覚へと転化するのではないか、という感覚も持っています。

 

Tsuji Kunio

今日は辻邦生誕生日。924だからくにおです。

今日も在宅勤務で、8時半から23時までみっちり。まあ、仕事は面白いですが、やり過ぎはよくありません。

すでに食事はとったので、ワインを飲みながら気分を緩める瞬間です。

それにしてもこのところ、いろいろなものがつながり始めています。辻邦生が、ポン・デ・ザールで感じた世界を包み込む感覚は、おそらくは西田幾多郎の純粋経験に他ならないもので、辻邦生はそれを実に鮮やかにポジティブにとらえ、生もなく死もない永遠の相をそこに見たのではないか、と思います。

私も実のところ、そうした純粋経験のあり方のようなものを1994年2月か3月に感じたのでした。新潟へ向かう新幹線の中のことでした。あの瞬間が、それまでの経験的認識論がひっくり返った瞬間でした。

辻邦生のポン・デ・ザール体験もやはり「ひっくり返った瞬間」だったのだと思います。

ぼく自信が世界を包み込んでいる、ぼくが世界を所有している、いままでぼくは世界に包まれていた存在だったわけですけれども、今度はぼくが大きな絵にでもなって、大きな球体にでもなって、地球をスッポリ包んでしまったような逆転した関係が生まれてしまった。

辻邦生「言葉の箱」新潮文庫、25ページ

それを辻邦生はポジティブにとらえ、この「ぼくの世界」を書き残すことが文学の一つ大事な仕事である、と言うわけです。

私も確かに、1994年から27年が経ち、どうやら、この「私の世界」というものの直感が深化しているようなのですが、どうにも辻邦生のようにポジティブに捉えることができない感覚を得ており、ずいぶんと苦しい日々が続いているようにも思います。

 

ナラティブ=物語ることの名手中の名手だった辻邦生は、辻邦生の世界を語りきることで、何を得たのだろう。

ナラティブの力、ナラティブが支える世界の強固さのようなものはつとに感じます。6月に「時の扉」を読みましたが、あそこにある厳然としたソリッドな実体感はまさにナラティブの力です。

もしかすると、辻邦生もやはり「ぼくの世界」の虚無をナラティブとポエジーの力で書き残し、昇華していたのではないか、そんな淡く恣意的な予感を得ています。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

7月29日は辻邦生の御命日です。もはや、私にとっては過去も未来も平坦で、1999年にご逝去の報を聴いたときのショックを今でもどこでも追体験できる気がします。

辻先生がその作品をものにしていった年齢に近づくと、若い頃に読んだ辻文学認識が少しずつ変容していくのに気付かされます。願わくば、その変容を「読み方に深みが増した」と捉えたいところですが、どうでしょうか。

辻文学においては、生きることの喜び、大切さが謳われます。しかし、それは、逆説的な死への畏れがあったからではないか、と思うのです。辻文学が「美と滅びの文学」と評されているという、おそらくは誤った記憶を持っていますが、それは実は誤ってはおらず、直観的に私が感じた辻文学の本質なのではないか、と考えるようになっています。

辻文学を読み始めた高校のころ、友人に辻文学のことを話したときに「死を捉えた文学である」という趣旨のことを話したのでした。当時は、辻邦生全短篇を読んでいた頃で、たしかに「空の王座」も「夜」は死にまつわる運命的な話であり、そうした捉え方をしたことに不思議はありません。あるいは、後年読んだ「西行花伝」において、母の死に直面した若き西行が、死も生も同じである、と認識するに至る境地が描かれていて、そこにもなにかリアリティのある凄みを感じたのでした。フォニイどころか、あまりにも熾烈な認識です。

残り何度夏を迎えることができるのか。そろそろ数えられる年齢に差し掛かると、どうやら、生の喜びを語ることと言うことこそが「戦闘的オプティミスムス」であるといえないでしょうか。そう思うと、また違う姿が立ち現れてきます。

しかし、それでもなお生きなければならないのであれば、世界は美しくあるわけです。それは、ザイン存在ではなくゾレン当為であり、ゾレン当為こそが認識の対象であり、が故にザイン存在となることを求められるわけです。

この深淵を見据えながらも美を見ると言うことは、なにか苦難を乗り越え理想を希うユリアヌスやサンドロの姿に重なりつつも、西行のように現世から一歩引いて、世界が島のように見える境地にも似ています。あらゆる正数と負数を同時に見やる視座は、虚数のようでもあり、世界から離れ、醒めたところにあります。

人生の次の戦場は、ここなのかもしれません。「春の戴冠」と「西行花伝」をもう一度読まねば、というようなことを思いながら、家路を急いでおります。

それでは皆さま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

以前こちらにも書きましたが辻邦生の「時の扉」を読み終わりました。

 

おそらくは20年近くブランクがあいていたはずで、細かい筋立ては覚えておらず、新しい気分で物語空間に引き込まれていき、途中から頁をめくるスピードがどんどん速くなっていきました。新聞小説ということで、面白さやわかりやすさはありながら、テーマとしては辻邦生作品群に通底するテーマを扱っているということもあり、いろいろと考えさせられました。

最後の章、題名が「太虚」とあり、あの「嵯峨野明月記」の最終章で語られる「太虚」に繋がる境地が、新聞小説である「時の扉」にまで波及しているということに驚きを覚えました。おそらくは、鬼塚しのぶが語る

深い悲しみの故に、私たちは本当の<生>の深さを知ることができる

辻邦生「時の扉」中公文庫、1986、547頁

という部分に当てはまるのでしょう。

「嵯峨野明月記」で本阿弥光悦が語る太虚を抜粋すると以下のような部分にあたるのでしょうか。

まさしくこの生は太虚にはじまり太虚に終る。しかしその故に太陽や青空や花々の美しさが生命を取り戻すのだ。太虚の豊かな死滅と蘇生のなかにあって、その宿命を完成させる以外にどんな仕事がのこされていようか。

辻邦生「嵯峨野明月記」 中公文庫、1990、431頁
それはなにか逆説的な物であるかのように思います。光悦は死の空しさである太虚を知ってそこに、生の意味を感じました。「時の扉」の主人公矢口は、罪の償いがかなわないことを知って、そこに生の意味を感じたと言うことでしょうか。

罪は、ぼくに恩寵となって現れることを知りました。罪は償いうるというものではありません。しかし償いえない罪のおかげで、ぼくは生が何であるかを知ったのです。もし罪の償いがあるとしたら、この真実の生の姿を深く知り、生きるほか、方法がないようにおもうのです

辻邦生「時の扉」中公文庫、1986、491頁
死であったり、罪であったり、あるいは恐怖や不安であったり、そうした生におけるネガティブな要素がありつつもそれを包み込みながらも、激しく生きると言うこと。昨日触れた「戦闘的オプチミスム」をモットーにして、砂漠のなかの発掘であったり(時の扉)、あるいは砂漠のレースであったり(おなじ新聞小説の「光の大地」のように)、なにはともあれ激しく生きると言うことなんでしょう。激しくというのは、なにか、太陽の照りつける夏に、オレンジを搾ったその果汁をのみほすような、生への渇きを癒やすものであるように思います。

だとして、何ができるのか。おそらくはなにもできず、ただ通勤者として労働に勤しむことになるわけですが、そうだとしても、大都会の出勤時の駅を詩情で捉え、

人間って、悪に染まり易いそんな弱い存在だけれど、もともとそれほど立派なものじゃないんだ。そんなことで悩むより生きていることを大切にしなければいけない。一日一日与えられている時間──太陽──雲の行き来──木々の緑──頭を揺らす花々──そういうものを心ゆくまで愉しまなければいけない

辻邦生「時の扉」中公文庫、1986、179頁

ということなんでしょう。

なんだか、仕事で悪人とやり合った記憶がよみがえり、自己規定のなくルール無視で動くことのできる悪こそが強いのでは、と同僚と話しをしたことを思い出し、ひとときは悪が勝つことがしばしばだったように思いますが、それでも生きるというトータルでは、なにかそれすらも包含し、そこには悪も正義もなく、全てが溶けきったような感覚を得たな、と思いました。

ところで、この本、ウィスキーを飲む場面、あるいは羊肉などのごちそうを食べるシーンが多く、ついつい酒量が多くなり、肉を貪り食べたくなる欲求に駆られました。確かに、仕事後の机上で本をめくりながら蒸留酒を飲むという愉楽は何ものにも代えがたい幸せだったなあ、と思いました。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio


このブログで何度も何度も「戦闘的オプティミズム」という言葉を使っていますが、出所について明らかにしていないのではないか、と思うようになりました。
この言葉は、1991年に新潮社より出版されたエッセー集「時刻のなかの肖像」の収められた「迷信について」という文章によるものです。

辻邦生は1957年に渡仏しパリで留学生活を送りました。そのころ、パリの大衆紙や女性雑誌に星占いの記事を愛読しており、日本でもいつの間にか星占いが人気の的になったのだといいます。こうした星占いのような迷信出会ったとしても、超合理主義で割り切るよりも、適度の迷信と神話が潤いを与える物として必要で、神社仏閣にお詣りにいったり、神輿を担いだり、おみくじを引いたりするのは人間の情緒生活を豊かにするものではあるが、とはいえ、病気や不幸によって、本物の迷信や新興宗教に走るというのはまた問題であるが、生きている以上、不安や恐怖から免れることはまず不可能であるから、こうした災難的事態には、合理的、方法適性はより他に道はないということも分かっておいた方が良いのでは、といいます。

とはいえ、この合理主義的な思考では落ち着くことできません。この文章は以下のように締めくくられます。

そんなとき、私は、自分にも他人にも戦闘的オプチミスムをすすめることにしている。単なる楽天主義ではなく、それに「戦闘的」という形容詞がつくのである。
いつだったか福永武彦氏の財布には「大吉」と書いたおみくじが入っているのをみたことがある。(中略)これなどは戦闘的オプチミズムの恒例だろう。何かのことで、おみくじを引いてみて「凶」と出たら、「吉」が出るまで引いてみるという気持ち。(中略)運というものがあるならば、自分には「好運」しかないんだ、と信じこむ力。あまりこちらが楽天的なので貧乏神も旗を巻いて逃げ出すといった態度──私は気質的にそういう生き方に共感するようである。

辻邦生「迷信について」『時刻のなかの肖像』 新潮社、1991年、162頁

これを読んだのは、おそらくは学生の頃だったと記憶していて、茶色く変色しつつある古い付箋が今でもここに貼ってあります。この「戦闘的オプチミスム(オプティミズム)という言葉は、なにか能動的に運さえも勝ち取ろうとする、運に関わることでありながらも「合理的」な生き方だなあ、と大いに感じ入り、共感したのを覚えています。以来、「戦闘的オプチミズム」をモットーに生きたいと思い、大吉のおみくじを財布に入れて持ち運んだりしました。まあ、巧くいかないこともしばしばでしたが、どうもそうした迷いのようなものも徐々に括弧に入りつつあるような気もしています。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

今日は少し早めに上がりました。あえて少し物事を緩めた一日でした。

で、こちら。「國文學」昭和49年1月号の辻邦生特集。おそらくは1999年頃に買った記憶があり。

冒頭に辻邦生と菅野昭正さんの対談がありまして、この対談が実に生々しい緊張感に満たされています。お二人は友人同士と言うこともあり、菅野さんのおそらくは友情からくる暖かい批評がずいぶんと手厳しく、あるいはなにか辻文学が日本文学においておかれていた立場が垣間見えるのです。実際に対談がなされたのは1973年9月29日。「フォニイ論争」の口火が切られる1973年12月18日、19日に東京新聞・中日新聞に掲載された座談会「文学・73年を顧みる」よりも前ですが、なにかヒントがあるのではと思いながらこの対談を読んでいたわけです。

今日は多くを書きませんが、いくつか。

まずは、辻邦生が『廻廊にて』の執筆について、「旧来の自然主義リアリズムの方法に偏向しそうになって、それをさっき言った方法意識でささえささえ、やっと書上げた」(19頁)とあり、また『夏の砦』についても「日本の家庭内部が出てくるものだから、これも自然主義的な見方では捉えられないいわば純粋物質だけでつくるように苦労した(19頁)などとあります。この旧来の自然主義リアリズムというのが、現実をそのまま書こうとしてしまうということを指しているのではないか、と感じました。やはり、イマージュと呼ばれる、現実ではないリアリティを書くと言うことに苦労していたのだなあ、ということが分ります。

あくまでぼくの意識のなかでは、対象化の拒否、のり超えが意図されている。対照的な把握──ある事物を認識とか実践とかのレベルでつかむ、そういうかたちでのつかみ方ではなくて、それは自然主義文学に通じるわけだからそういうものでなくて、それを超えてたえずそれこそイマージュとして、つまりイデーを表現する具体的存在として使うという見方を自分の肉体に定着することが意図されていた。

「國文學」昭和49年1月号 學燈社、1974年、29頁

辻邦生が口を酸っぱくして言う、

実際にぼくたちが小説を書く場合、自分の経験、自分の知っていることについて書いたりしますが、初心者が書くと、それがつまらなくなってしまう理由のひとつは、見たもの、聞いたものが日常性にとらわれていて、普通のものでしかないからです。イマージュになっていないということが、非常に大きな要素としてあるんですね。

「言葉の箱」 中公文庫、2004年、29頁

ということだと思います。

この、現実をイマージュimageとして捉えるということ。これが実に大きなポイントであると感じており、理解の突破口になるのではないか、と想定しています。

今日はこのあたりで。おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

辻邦生全集第20巻を見ていたのですが、非常に興味深い論説を読みました。

丸谷才一氏による「『夏の砦』のことなど」のなかで、須賀敦子さん村上春樹氏と辻文学の関連を指摘し、辻文学が後世の文学にもたらす影響について述べられていたのでした。

辻邦生の訃報に接した丸谷氏は、『夏の砦』を読直し、そこにプルーストの色濃い影響を見いだし、「古風な趣味の同業者たち」は辻邦生の小説に反発を感じていたのでしょうが、支持する読者は多く「ちようど夏目漱石や森鴎外と同じやうにと言ひ添へても、過褒の言と咎められることはないはずである」と述べます。

その後、「先輩筋の私小説作家」から、辻邦生や辻邦生の小説に対する否定的意見を聞いたとき、丸谷才一氏 は、旧制高校の寮で特攻作戦の非人道的正確に疑問を表するスピーチをしたことを語ると、その「先輩筋の私小説作家」は、「「それはすごい」とつぶやいて、もう沈黙してしまつた」のだそうです(このエピソードは、私小説作家からの攻撃、それは「フォニイ論争」に近しいものが背景にあったことを匂わせるもので、それに対して「うちにある燃えさかる火」があることがわかり、その私小説作家は黙してしまったと捉えられますが、本筋とは離れますのでこのあたりで)。

それから、須賀敦子さんが『夏の砦』に影響をうけていて、これは実証できるものではないが、海外で生きる女の研究者という設定は須賀さんの心を捉えたのではないか、あるいは村上春樹氏の『国境の南、太陽の西』や『スプートニクの恋人』においては失踪する女が扱われるが、これは『夏の砦』の女主人公が失踪するということの影響ではないか、ということを指摘し、もちろんこれも実証された物ではなく「事柄は意識化の暗い領域に属する」(481頁)と言うわけです。

確かに、村上春樹氏の小説は女性が失踪することが多く、『騎士団長殺し』も『ねじまき鳥クロニクル』も失踪しているわけで、これが『夏の砦』の影響ではないか、という丸谷氏の推測は、スリリングです。

このあと、文芸評論の話になり、「日本の文芸評論は、作者個人の体験をむやみに重んじる傾向があつて、この春樹さんの場合でも、若年のころ、誰か恋人かそれとも女友達が行方不明になつたことがあるに決つていると漠然と思つてゐるふしがある。誰も言葉にだしては言はないが、なんとなくさう思ひ込んでゐるらしい」(481頁)などと、文芸評論に関する見解が示されていました(これも、先に触れた私小説的云々と関連するように思い、フォニイ論争の対象に丸谷氏がいたこともありつつ、こちらも本筋と離れるのでこのあたりで)

ともかく、須賀敦子さんや村上春樹氏が若い頃『夏の砦』を読んだことが、村上文学に影響しているなどと空想することを楽しみつつつつ、「辻の分業が文学の伝統の一部となり、未来の作家たちを刺戟することは十分にありえるやうな気がする。彼はさういふ作家であつた」と締めくくられるのでした。

実は、最近『スプートニクの恋人』的な、失踪する人間のことを考えていたときに、この丸谷氏の論説を読んで、なるほど、そういえば『夏の砦』は確かに失踪していて、『夏の砦』と同じモティーフであるとも捉えられるな、と思ったわけです。さまざまな文章を渉猟していると、こういう偶然的必然に出会うことは良くあります。

ということで今日はこのあたりで。やはり全集は読めば読むほど宝の山です。
おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio


辻邦生が、嬉々として書いている文章を見つけました。先日から読んでいる辻邦生全集第18巻のなかに収められた 「幻想の鏡 現実の鏡」というエッセイです。ボルヘスが1979年に訪れた時の随筆です。冒頭、カフカ、トルストイ、シェークスピアとの架空会見を深夜に行っていることが明かされ、それは「黄金の時刻の滴り」の原型を表すものであり、その後のボルヘスとの会見のプロセスは、なにか、架空会見なのか現実の会見なのか、その協会が曖昧であるかのように語られていて、ああ、辻先生、言葉で実にのびのびと「遊んで」おられるなあ、と思ったのです。

架空会見では、カフカやシェークスピアに実際に台詞を語らせるあたりは、エッセイと言うよりは前述の通り「黄金の時刻の滴り」を彷彿とさせる実在の友人の名前(中村真一郎氏、清水徹氏、筒井康隆氏といった面々)の名前を取上げて見たりするのは、辻邦生の文章を数多く読んだ身に取っては、書くことが嬉しくて嬉しくてしょうがないという感じが伸びやかに伝わってきて、読んでいるこちらもなにかワクワクと楽しさを覚えるものでした。

この文章、当然大昔に読んだ記憶もあり、確かに「永遠の書架に立ちて」の収められていました。しかし、おそらくはこの文章を読んだのは、20年以上も昔のはずで、そのときにはこうした「遊び」の感覚はあまり感じなかったなあ、と思います。

さらには、やはり重要な記載があって、以下のようなボルヘスの言葉の引用は、実に本質的なものです。

 たとえば「文学は言葉よりも、言葉の背後に人々が感じるものにあると思うのです」「人間が誠実に夢を見、自分の信ずること、歴史的現実としてではなく、現実性のある夢として信ずることを書けば、立派に書くことができると思います」「重要なのは、言葉ではなく、読者が言葉を通じて感じること、いやしばしば、書かれている言葉にもかかわらず感じることです」

こうしたボルヘスの発言は、現代の構造主義的な言語感にわずらわされている読者に、ある健康な、自然な感受性の目ざめを誘わずにはいまい。詩人・小説家が言語の魔術師であることは当然であるけれども、それが一級の作品に達するには、ボルヘスの言うように「情熱」が必要なのだ。「情熱なしには文学作品を書くことはできない」とも「純然たる言葉の遊びに堕する」とも言っているのである。

『幻想の鏡 現実の鏡』「辻邦生全集第18巻」 新潮社、2005年、347頁

歴史的現実ではなく、現実性のある夢、ということ。歴史的現実とは、科学の対象であり、認識の対象である、時間空間の形式のなかに存在する科学的とされる現実ですが、文学が書くものは、現実そのものではなく、現実性のある=リアリティのある夢=イマージュである、ということ。経験や体験をそのまま書くものではなく、文学的必然性、それはすなわちボルヘスの言を借りるとすれば「情熱」とともにあるものを、リアリティをもって書くことで、読者がイマージュを感じること。そういうことなんだと思います。

最近「フォニイ論争」のことをよく考え、いろいろ調べていますが、歴史的現実の有無をもってその真贋がとわれ、その結果として贋物である、つまり歴史的現実でないとするものが贋物でありがゆえにフォニイ=にせもの、まがいもの、という形で、捉えられたのが「フォニイ論争」だったように思います。ただ、この「フォニイ」という言葉も、対談のなかで、放談に近い形で語られ、それが論争になってしまったと思います。

このあたりはまた別途検討なのですが、少なくとも文学的な「情熱」がなければ「言葉遊び」になってしまい、これこそが正にフォニイなのであって、などなど、考えが拡がっていきます。

このところ辻邦生の文章を読む機会が増えていて、それは小説よりもこうした随筆のほうが一層身にしみます。小説の舞台裏をなにか感じたいという気分が強くなっています。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。