美しい人生の階段を昇りたい──辻邦生「美しい人生の階段」より

最近、なるべく自分の机で過ごすようにしています。

大変贅沢なことなのかもしれませんが、この先を生きるためには、一人で過ごす時間が必要です。昼間は、いくつもの耐えがたい思いをしながら過ごしていますので、せめて一人で音楽を(今日はモーツァルト)聴きながら、モニタやノートを見ながら物思いにふけると、なにかしら人生の目的へと進んでいるのではないか、と思います。

今日はなにかこの本をめくっていました。

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辻邦生の映画評論集。何冊か出ていますが、小野本は1988年から1992年にかかれたもの。私がちょうど学生だった頃の映画が出ていますので、思い出がよみがえります。表紙は、ル・コントの「仕立て屋の恋」でしょう。あの憂愁なブラームスのピアノ四重奏曲は忘れられないです。

そのなかで、実に世界のなかの日本を的確に表した言葉があって胸に刺さりました。

東欧問題、ユーゴの戦乱、中東和平会談などは、日本にいると、頭では解っても、隣国の出来事という感じはしない。だがパリでは、地理的に近いだけではなく、東欧から亡命した人も多い(中略)パリはアメリカとは別の形で世界の人種の坩堝であり、歴史的現実の風は容赦なく吹き付ける。日本ではまだ「国際人を養成しよう」「英語で喋ろう」などとのんきなことを言っていられる環境だ。前期のチェコ人は、子供の頃から十カ国語近くを喋らなければならなかったという。

辻邦生『世界の風に吹かれて』「美しい人生の階段」文藝春秋 1993年 174ページ

初出は婦人の友1991年12月号とのこと。

辻先生の言葉で「どんなことがあっても外国語をやらなければならない」というものがあります。私は、確かに高校大学とあまり外国語をせずに過ごしました。まあ、あまりそちらには向いていなかったんでしょう。とはいえ、その辻先生の言葉を忘れることはなくて、社会に出てからも英語はコツコツとやっていたつもりです。まあ人並みとまではいきませんが。

しかしながら、まあその先があって、日本のような島国においては、パリのように世界と地続きで、摩擦の中に生きてる感覚とは全く違うのだ、ということがよくわかります。グローバル化したとはいえ、ボーダーの中で成立している世界もあり、それは恵まれているようでもありあるいは「のんきなことを言っていられる環境」なのかもしれません。

なにか、頭で解っているグローバルという言葉が空疎に思えるほど厳しい言葉を見つけた気がします。だからといって何ができるのか、という思いもあります。努力しよう、という言葉もまた空疎です。

せめて、毎日の生活の中で、人生の階段として昇るべき階段をみつけて、一段一段のぼることなんだろうな、と思います。よそ見をせず、脇目をふらず。

そんなことをおもいながら、夜も更けていきます。また明日も寝不足でしょうか。なんとかしないと。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

2+

辻邦生関連新作がさらに二冊発売予定

今年は、辻邦生没後20年となります。本当に早いです。そんな辻邦生イヤーに相応しく、さらに二冊の辻邦生関連著作が発売されます。

せんだって中公文庫のTwitterでアナウンスされています。

物語の海へ─辻邦生自作を語る

内容紹介によると、自作をお通じ、歴史を物語ることへの思いを綴ったエッセイ集とのこと。どういう内容になるのか。単行本で3,240円ですので、ボリュームのある本になるのではないか、と勝手に期待しています。エッセイなどではなく、日記からの抜粋であれば、なお嬉しいです。

完全版─若き日と文学と

こちらは、すでに発売されている「若き日と文学と」に旧版に、「トーマス・マンについての対話」「長篇小説の主題と技法」「『星の王子さま』とぼくたち」「ぼくたちの原風景」「文学が誘う欧州旅行」辻佐保子のエッセイ「辻邦生と北杜夫」を追加したものとのこと。こちらも楽しみであります。

まとめのようなもの

まだカバーの画像が分かりませんが、美しい本になるといいな、と思います。

それにしても、20年ですか。なんだか遠くまで来てしまった、と言う感です。もうすでになんだか地に足のついたことをやれていないです。とにかく時間をつくって、落ち着いて辻作品を読める生活を望んでいるのですが、普通の仕事人にはそういう贅沢は許されません。やはりなにかしらのリスクをとらないと、このまま「秋の朝光の中で」と語られた競走を走り続けるだけなのかも、と思います。

幸い、目先のやるべきことが分かりつつあるので、地道に進めていきます。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

3+

「辻邦生 永遠のアルカディアへ」発売へ!

辻邦生関連本が新たに発売されます。

中央公論新社から2019年6月6日発売予定だそうです。

表紙から以下の情報をまとめました。カッコ内は私の推定する出典です。

●日記

辻邦生 旧制高校時代の日記「園生」より(初出?)

●書き下ろしエッセイ

松岡寿輝、佐藤賢一、澤田瞳子、中条省平

●エッセイ

水村美苗、堀江敏幸、二宮正之、宇野千代、加賀乙彦、粟津則雄、髙橋秀夫 他

●書評

ジョン・アップダイク「安土往還記」

●講演

保苅瑞穂 (2017年日仏会館での講演)

小佐野重利 (2016年学習院大学史料館講座)

金沢百枝 (2018年学習院大学史料館講座)

●対談

塩野七生と辻邦生 (世紀末の 美と夢 第5巻?? )

(敬称略)

こうして、また辻邦生ワールドの未踏地に足を踏み入れることができる喜びはこの上のないものです。個人的には保苅瑞穂さんの講演は聞きのがしておりまして、本当に楽しみです。

今日は短めに。

3+

辻邦生「春の戴冠」を読んで考えた美と現実の相克

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Kindleで「春の戴冠」をつまみ読むしていたところ、一つの白眉ともいえる場面にたまたまぶつかりました。プラトンアカデミアの場面です。

 

「私たちはこの世のすべてを<神的なもの>の表れとみなければならない。<神的なもの>のごく希薄な存在から濃厚な存在まで、その分有度は異なっても、<神的なもの>の改訂によって、この世の一切が観られなければならないのです。

(中略)

フィオレンツァに包まれた一切が<神的なもの>と見なし得れば、私たちはすべて各自の仕事を通して<神的なもの>に触れうるわけです。私たちは帳簿の山を整理しながらも、それが<神的なもの>を表していると観ることができるのです。だからそれに触れれば、帳簿づけが日々のむなしい繰り返しであるとか<暗い窖>へずり落ちてゆくとかいうことは考えられなくなります。なぜなら<神的なもの>に触れるとは、私たちが強い喜びを感じることだからです

(中略)

<神的なもの>とは、歓喜の念を味わうことによって、その存在が知られるのです。

(中略)

私たちが<神的なもの>を人間存在のすべてに見いだし、<神的なもの>を深めることを哲学の中心課題とすれば、その哲学は、ロレンツォ殿の言われたごときイモラ買収工作をも含む哲学となり得るでしょう。(中略)哲学の仕事は人々の目を<神的なもの>に向けさせることです。朝露を含んだ風が花々の香りを運んでくるように、人々の心のに<神的なもの>を運びこみ、人々に<永遠の浄福>を深く味わわせることにあるのです」

(フィチーノの発言)

「『現在を楽しむことが永遠性を手に入れる正当な方法であることについて』の根拠は、今の発言の中で、過不足なく言い表されている。<現在を楽しむ>とはほかならぬ<神的なもの>に触れることだからです」(バンディーニの発言)

「それは神への道です」(アグリ大司教の発言)

辻邦生「春の戴冠」上 新潮社 1977年 298ページ

プラトンアカデミアでの議論の結論めいたところだけかいつまんで書いてみました。

日々の政務で疲れているロレンツォ、あるいは語り手フェデリゴの父親もやはり、商売に精を出しながらも、手応えをつかめずにいる。それを「暗い窖」へずり落ちてゆくような、という表現で表しています。

それに対して、フィチーノは、結論として、

  • この世のすべてを<神的なもの>の表れとみなければならない。
  • フィオレンツァに包まれた一切が<神的なもの>と見なし得れば、私たちはすべて各自の仕事を通して<神的なもの>に触れうる。
  • <神的なもの>に触れるとは、私たちが強い喜びを感じること。
  • <神的なもの>とは、歓喜の念を味わうことによって、その存在が知られるのです。

と語り、さらに、バンディーニと、アグリ大司教が以下のように語るのです。

  • <現在を楽しむ>とはほかならぬ<神的なもの>に触れること
  • それは神への道です

と。なにか議論がうわ滑って行くような印象なのです。その後、ロレンツォは、じっと自分前を見つめるだけで、その他の参加車は彫像のように身動き一つしない、という描写で締められます。

私は、この議論の結論に、そのまま飛びつくことの出来ない苦悩を感じるのです。それは、その後のフィレンツェの行く末を知っているから、ということもありますが、この最後の参加者の描写にも、なにか底知れぬ憂いのようなものを感じるのです。議論の上滑り、とかきましたが、果たして、この世のすべてが「現在を楽しむ」に帰結するのか、と。この「楽しむ」という言葉に含まれるさまざまな含蓄や解釈もある訳で、いかようにも解釈は出来るのですけれど。とにかく、<暗い窖>へとずり落ちてゆくことをなんとか説明しようとしてル訳ですが、最後に大司教をして「神への道」と語らせるという議論の結末。大司教という立場が、そう語らせたという設定でもあるでしょうし、それはなにかサヴォナローラの登場を暗示させるものでもあります。

こういう、議論の交錯が手に取るように分かると言う点で、辻邦生の手腕は冴え渡っているな、と改めて舌を巻きました。

私は、この「春の戴冠」をこの数ヶ月の間において通読しているわけではなく、過去に読んだ記憶を頼りにしていますので、もしかすると曲解が混ざっているかもしれません。

ただ、記憶をたどったとき、この「春の戴冠」に感じる「美と滅びの感覚」は、筆舌に尽くしがたいものがあります。これがまさに、現実社会において、性急な結論に飛びつくことなく、塹壕戦のように、身を低くして粘り強く戦うということだ、と今は想っています。

神的な美は、現実社会において力を持ち得ないのか? 当然と言えば当然なこの美と現実の相克という命題を巡って、私たちはおそらくは永遠に同じ所を回り続けることになります。ただ、回りながらも、少しでも中心へあるいは上へと近づいていれば良いのに、と思います。

今日は長くなってしまいました。このあたりで。おやすみなさい。

※写真は、桜草っぽいので載せてみました。良い天気でした。

3+

辻邦生「北の岬」を読み、いろいろと考える……。

久々に「北の岬」を読みました。Kindleでも読めますので、仕事場へ向かう電車の中で読みながら、なにかいろいろと考えてしまいました。

この短篇、大まかに言うと、主人公である留学帰りの男と修道女マリー・テレーズの恋愛小説、となってしまうのですが、それだけではありません。

その修道活動のあまりの厳しさに、生まれ故郷を懐かしがってしまう修道女が、自らを罰するためにフォークを自らの身体に突き立てる自傷のシーンが出てくると言う激しさが描かれていたり、修道という理想に関する独白が描かれています。

「至高の頂きに行けば、この至純な永遠の光に触れることが出来ると言うこと」

「それは人間であることの唯一の意味」

「誰かが貧窮や悲惨のなかにいって、人間の魂の豊かさが、眼に見えるものや、物質だけで支えられているのではないことを証しなければならない」

「誰かが最後の一人になるまで、そうしたものが人間の証しのために必要であり、ただ一人の人間がそれを証しすることで、すべての人間が救われるのだ」

といった境地に達しようとする、マリー・テレーズの意志を読むと、一人の人間をこえて、人間全体を高みへと引き上げる意志を感じるのです。恋愛感情を超えて、人類全体の目的へと進もうとしていくマリー・テレーズの姿は、普通に暮らす私たちの周りではあまりみられないのですので、いっそう感銘を感じます。

こうした宗教的な境地とも言える意志は、それに触れたとき、粛然とした思いにとらわれます。そうした意志を感じたとして、人間はそこからどう変わるべきなのか。文学に、人間を変える機能があるということはどういうことか。そのようなことを考えました。

実は、この先もいろいろ考えて書いたのですが、まとまらないので今日はこのあたりで。

初夏のような陽気が続く東京でしたが、このあとまた寒くなってくるようです。やれやれ、と言う感じ。まだもう少し夏は先でしょうか。

それでは皆様、おやすみなさい。グーテナハトです。

2+

平成の終わりに際して

最近のはやり言葉は「平成最後の」です。昨日も書いたように、今週で平成は終わります。そうした「平成最後」という枕詞も今週が最後で、来週になると、今度は「令和最初の」という言葉が枕詞になるのでしょう。

ところで、日曜日にラジオを聴いていたら、松尾貴史氏が「平成元年に今の事務所に入った。だから平成の年数がそのまま事務所に入った年数になる」という話をされていました。

そうすると、私にとっては、平成元年にあったことはなんだろう、ということを思い起こすと、やはり辻文学になってしまうわけです。

何度も書いているように、1989年の夏に、音楽芸術に連載中の「楽興の時」を読んだのが、辻文学に出会ったきっかけでした。そうすると、ちょうど31年弱になると言うことです。ずいぶん長い間読み続けていますが、どこまで理解出来ているのか、私にはよく分かりません。

すくなくとも、さまざまなレイヤーで、辻文学を捉えています。世界認識のレイヤー、人生のレイヤー。その多義性のようなものが辻文学を読み続ける理由、というのがまずはここで言えることです。

もっと攻めて辻文学を読みたい。今はそう思っています。のこり少ない平成を、そして次の令和を、もっともっと激しく生きなければ。そう強く感じます。

3+

辻邦生のことば──「大切なのは、全体を、閉じた円環のように、まず持つことだ」

わけあって早めに仕事を終えて、都内某所で待ち合わせ中です。少し時間が出来ましたので、久々に書き物ができるという幸せ。

それにしても今年の冬は体調を崩し続けました。

  • 10月の頭に風邪をひいて、声がかれるぐらいになりました。
  • 11月の後半に急性扁桃炎で入院寸前になり、引き続き薬疹が発生してしばらく寝たきりになりました。
  • 12月の終わりにまた扁桃炎になりました。
  • 1月の終わりに胃腸炎で発熱に
  • 2月のはじめからずっと風邪が治らず、咳が治まらず、とうとう血痰が現れ、本日医者に言ったところ、気管支炎でした。

いや、本当に何だかなあ、と言う感じです。急性扁桃炎にかかってからは、毎日うがいを欠かさず、寝室には加湿器を増設し、喉の痛みが出たら、早めにイソジンで対処し葛根湯を飲む、と対策を取っているのですが、2月の風邪にはまったくききませんでした。ま、いろいろ限界なんだろうな、と思う今日この頃です。まだ人生は続きますので、少し自分をいたわらないと。

さて、辻先生の言葉から。

君はぼくの性癖に気がついたことだろう、都会へ着くとすぐ、高い塔に上るという……。(中略)ぼくは何かを認識する場合、まずその全体を直覚する必要をかんじるのだ。つまり塔に上って、頂上から、都会の全体と周辺の風景を一望のうちに入れる。

(中略)

大切なのは、全体を、閉じた円環のように、まず持つことだ。

「黄金の時刻の滴り」のなかで、辻先生がゲーテに語らせている言葉です。

記憶では、「小説への序章」の中で、世界認識はまずは全体で把捉する、という考え方が提示されていました。小説を書く場合、なにか小説の世界全体をとらえて、そこから小説を書き続けていく、というようなテーゼでした。

帰納法的に、世界の個々のものすべてを捉えて、世界認識を構築するという方法は、人間には不可能です。「嵯峨野明月記」のなかで、狩野光徳という画家が登場します。彼は世界のすべてを描ききろうとして失敗します。

この「黄金の時刻の滴り」でもやはり、ゲーテに語らせるかたちで「具体的知識を加算しただけではもう追いつけるしろものではなくなっていた」という考えが出てきます。

このあたりの考え、辻先生の三つの原体験のうち「一輪の薔薇はすべての薔薇」という話に通じるのではないか、と思います。「言葉の箱」から引用すると、

一輪の薔薇のなかにはすべての薔薇が顔を出している。あるいは、薔薇の全歴史、全存在がたった一輪の薔薇のなかにもある。それはあたかも芸術作品の運命を象徴しているようだと、ぼく自身感じたのです。

という部分です。

小説世界の認識も、世界への認識も、なにか個々の認識から、全体の認識へと飛躍するという構造が語られています。以前も書いたかも知れませんが、これがどうにも哲学的な考えで、質料の差違が突如形式の差違へと変化する、という話を彷彿とさせるわけです。この考えは、私が若い頃読んだ西田幾多郎の「善の研究」で読んだものです。あるいは「善の研究」のなかで語られるベルグソンのエラン・ビタールの類いです(ただしいあるべきベルクソン解釈かどうかはわかりません)。

なにか、通常の認識行為が突然質的な変貌をとげるような瞬間。なにか悟りのような瞬間。キリスト教的に言うと神の啓示が来るような瞬間。そういう世界認識の瞬間を語っているように思います。それは、日常のなかに埋没して、単純無色の生活を送っているだけではダメで、そこになにか驚きのようなものであるとか、ゲーテの言葉でいうと「塔の上にのぼる」というパースペクティブを変える行為が必要なのだ、と言うことです。

とにかく、平板な無感動な生活は、きっと恩寵に満ちた人生にとっては、問題のあることなんだと思います。つねに感動を持ちながら生きられると良いのですが、と思いますし、そのための努力もしないと、と考えました。体調が悪ければ、抜本的な対策を考えないと、というのもその文脈でとらえると、まあ私もさまざま考えないといけないな、と思います。

今日の東京地方は雨です。久々の冷たい雨に思います。今日で2月も終わり。明日から3月。変化の季節が訪れます。

それではみなさま、おやすみなさい。

3+

大水青の思い出

連休一日目。今日の東京地方は初雪を観測したようです。私もお昼前に、雪が舞い落ちるのを眺めました。はらりはらいと紙片のような雪が舞っていましたが、積もるべくもなく、アスファルトの上で蒸発していきました。

幸い、この連休は家で過ごすことができます。少し部屋を片付けていたら、古い中央公論1999年10月号が出てきました。整理しようかな、と思って、しかし、中央公論を買うとは、なにか理由があるはず、と思って目次をもう一度見ると、辻佐保子さんが、辻先生が亡くなられたあとに書かれたエッセイ「大水青と銀霊草と栗鼠と…」が掲載されたものでした。もちろん、このエッセイは「辻邦生のために」に納められていますので、整理してもよいのでしょうけれど、なにか、運命のようなものも感じますので、もう一度書棚に戻しました。

このエッセイのなかに、大水青や銀霊草についての思い出が書かれています。この大水青、私の記憶では1999年、辻先生が亡くなった年に、夜の風呂場で目撃したのです。たしか亡くなる前のことだったように思います。黒々とした闇に面した窓ガラスに、青白く輝く大水青が光るようにとまっていました。かなり大きいですし、蛾ですのですこし気味悪く思ってもおかしくないのですが、なにか神々しさのようなものも感じた記憶があります。この「神々しさを感じた」という記憶は辻佐保子さんのエッセイに触発された作られた記憶かもしれませんが、確かに大水青を目撃したのは確かなことです。

今日、ふとした表紙にこの中央公論を開いたのも何かの導きでしょうか。今年は没後20年という節目のとしてでもあります。本当に早いものです。

5年前にも同じことを書いていました。2014年の没後15年の折りでした。

辻邦生没後15年によせて その4 大水青

今年もまた、辻文学を読みながらたくさんのことを考えていこう、とあらためて決心しました。

今日は南岸低気圧が通過するようです。どうかみなさま、お風邪など召されぬようお気をつけください。

おやすみなさい。グーテナハトです。

1+

戦闘的オプチミズムを感じる──辻邦生「時刻のなかの肖像」より『迷信について』の一節

去年に続き今年も大吉。

昨日は、少し遅くなりましたが初詣に出かけました。

いつものように運試しをしたところ、今年も大吉です。このところ大吉をひく確率がかなり高いのです。そうか、今は恵まれているのか? まあそういうふうに思うようにしますが、悩みはつきません。

大吉といえば思い出すのがこちら。

いつだったか、福永武彦氏の財布に「大吉」と書いたおみくじが入っているのを観たことがある。ずいぶん昔に引いたものらしく。色が変わっていた。しかしこれなどは戦闘的オプチミズムの好例だろう。何かのことで、おみくじを引いてみて「凶」とでたら、「吉」が出るまで引いてみるという気持。何も運だめしは一回きりと決まったものではない。運というものがあるならば、自分には「好運」しかないんだ、と信じこむ力。あまりこちらが楽天的なので貧乏神も旗を巻いて逃げ出すといった態度──私は気質的にそういう生き方に共感するようである。

辻邦生『迷信について』 時刻のなかの肖像 162ページ

この文章を高校時代に読んだときからこの「戦闘的オプチミズム」という言葉がずっと頭から離れませんでした。しかし、実際にはオプチミズムというよりもペシミスティックに生きることのほうが多かったのが、この20年ほどだったように思います。それでもこの5年ほどはずいぶんオプティミスティックに物事を考えられるようになりましたが(きっと毎日泳いでいる効果だと信じています)。

それで、私も、縁起物の大吉のおみくじを財布に入れるようにしました。大吉が激しく出始めたこの数年、6枚ほどたまりました。最近はおみくじに占める大吉の占める率が高くなっているのかもしれないです。しかし、だから「自分には『好運』しかないんだ、と信じ込む力」を感じるようにしているのかも、と想いました。まあ、うまくいかないことの方が多いですが、おそらくは、戦闘的オプチミズムで乗りこえるんだと思います。

ということで徐々に日常に戻りつつありますが、そんななかでも、年始を忘れず進みたいものです。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

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過ぎゆく時のはかなさを感じながら──辻邦生も観たカルロス・クライバー《ばらの騎士》

どうも、大晦日というと、ヨハン・シュトラウス《こうもり》を思いだしてしまいます。話の設定が大晦日から元旦射かけてのエピソードだからということで、ドイツ語圏の歌劇場で上演されることが多いとのこと。

確かめてみると、確かに。2018年12月31日、ウィーン、ブダペスト、ベルリン、ブラチスラバ、ローザンヌ、ケムニッツ、ダルムシュタット、デュイスブルク、フライブルク、ノルトハウゼン、シュトラールズントで《こうもり》が上演されます。

しかも、ウィーンは、国立歌劇場とフォルクス・オーパ両方で。

国立歌劇場のアイゼンシュタインは、新国立劇場で活躍していたアドリアン・エレートです。なんだかウィーンに上り詰めて良かったなあ、と。ロザリンデは、アンネッタ・ダッシュですか。この方は、バイロイトでも歌っている方ですが、2003年の新国立劇場《ホフマン物語》に出ていたなあ、とか。

しかし、取り上げるのは、《こうもり》ではないのです。私の中では、《こうもり》の倒錯した感覚、つまり、女中が女王を演じるとか、変装した妻を誘惑するとか、そういう倒錯の感覚や、ウィーン的な絢爛な演出という観点で、リヒャルト・シュトラウス《ばらの騎士》を思い出すのです。

シュトラウスつながり、というわけではなく、どうも、ウィーンの爛熟した貴族社会を描いているという観点で、あるいは、その貴族社会の没落の兆しが仄めかされているという観点で。

あるいは、カルロス・クライバーの《こうもり》と《ばらの騎士》双方が映像化されているので、なにか関連を感じているのかも。

(前振りが長くてすみません)

私が、《ばらの騎士》を初めて見たのは、2000年頃だったか、NHKBSでカルロス・クライバーがウィーン国立歌劇場で振った映像を見たからです。VTRで録画しましたが、今ではもう見られなくなってしまいました。元帥夫人がフェリシティ・ロット。オクタヴィアンがアンネ・ゾフィー・フォン・オッター。ゾフィーがバーバラ・ボニー。頭を殴られたかのような衝撃を受けたのを覚えています。この映像を見て人生が変わった人がいたということも聴いたことがあります。私は、VTRが観られなくなったのを機に、DVDを買いました。

カルロス・クライバーがウィーン国立歌劇場を率いて来日したときも、やはりこの《ばらの騎士》を演奏したそうです。1994年のこと。私はそのころ、まだオペラのことは全く知らず、下手なジャズ・サックスを吹く毎日でしたので、そうした公演があったことすら知りませんでした。ですが、その後、日本でもクライバーの《ばらの騎士》が聴けたという事実を知って、本当に驚き、あと10年早く生まれていたらいけたのかも、と思ったものです。

今日、大掃除のあいまに、辻邦生が信濃毎日新聞に連載していた記事をまとめた「辻邦生がみた20世紀末」をつまみよみしていたのですが、その中に、辻先生がクライバーが日本で振った《ばらの騎士》を見に行かれたという記述を見つけて驚きました。

ちょうど昨日、twitterを見ていたところ、件の公演のチラシを見ていたこともあり、なにか引き寄せてしまった感覚がありました。

それは1994年10月28日に掲載された「オペラの至福に酔って」という題が付された文章で、クライバーの「ばらの騎士」のチケットをとるのが絶望的で、つてを頼んだがダメだったのだが、キャンセル待ちをしていたら、チケットが入手出来て、見に行かれた、というものでした。アバドも一緒に来ていたのですが、アバドは「フィガロの結婚」と「ボリス・ゴドノフ」を振っていて、それらも見に行かれたようです。

クライバーの《ばらの騎士》に関しては、以下のような感想を書いておられます。

甘美なウィーンの頽廃美すれすれの円熟芳醇や舞台。時の経過を嘆く公爵夫人(フェリシティ・ロット)のアリアは西欧文化の至高の瞬間。クライバーはレース織りのような繊細な音楽を心ゆくまで歌わせた。つくづく芸術は、人間が生きるために欠かさないと思いつつ過ごした秋の幾夜かであった。

レース織りのような繊細な音楽、というのが、まさにそうなんだろうなあ、と思います。何か、伝聞と歴史がつながった感覚があります。

私も、今晩は《ばらの騎士》を観て、少しは明るい気分になって、過ぎゆく時のはかなさを感じながら、新年を迎えたいと思います。

それではみなさま、よいお年をお迎えください。本年、ほんとうにありがとうございました。また来年もよろしくお願いいたします。

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