Classical

いや、本当に、ヤラレタ! こんな美しい曲を書くなんて、と思いました。

この、ヤラレタ、と言う言葉、なんというか、悔しくて悔しくて仕方がない、ということです。こんな美しい曲を賛美歌として持てるなんて、国教会がうらやましくて仕方がない、というそういう気分です。至宝です。AppleMusicやYoutubeのリンクを載せますのでもし良ければ是非お聞きください。いまさら取上げるのか、というお叱りは甘んじて受けます。おはずかしい。

この曲、数ヶ月前にOttavaでかかったので、知っていましたが、今日「英国の音楽」というプレイリストを聴いていたところ、あらためて聴いてしまったのですね、この曲を。The Beauty of the earthという曲を。

こちらのアルバムの23曲目に収録されている音源です。

Apple Musicだとこちらです。

作曲はJohn Rutter。ラターあるいはルッターと表記されています。タヴナーと同級。1945年9月24日生れ。射手座。辻邦生と同じ誕生日……。辻邦生のちょうど20歳年下の方です。偶然とは思えないです。

John Rutter.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・ラター

いや、この曲、まあポップな感じもあるんですが、歌詞は賛美歌で、トラディショナルに歌われているという。こちらの映像をみて、さらにうらやましくて仕方がない、と思いました。

この転調、ありがちなんですが、少年合唱に歌われると涙腺破壊力極まります。よく、平静を保っていられますね、みなさん。これ、泣くでしょう。。

詩を書いたのはFolliott Sandford Pierpoint。1864年、29歳で書いた賛美歌なんだそうです。

https://en.wikipedia.org/wiki/Folliott_Sandford_Pierpoint

こちらに訳があります。

http://cockrobin.blog.jp/archives/16102140.html

世界は美しかった。The Beauty of the Earth。そのように訳したいです。

https://en.wikipedia.org/wiki/For_the_Beauty_of_the_Earth

で、日本語で聴いても美しい。。。日本語で歌うと雰囲気が壊れるケースがあるのですが、これは雰囲気壊れない例ですね。。

さきほどから、何度も何度も繰返し聴いています。やれやれ。。これも、昨日書いた「自分の好きな現実」が「大きな力で日々のぼくたちの性価値宇に影響を与え」ていると言うことなんだろうな、と思いました。息継ぎをしながら進むという感じです。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

 

※追伸 この記事のパーマリンクの末尾の番号、勝手に割振られるんですが、19924ですよ……。

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Classical

 この言葉を聞いてどんな曲を思い浮かべるでしょうか。私はこちらでした。モーリス/ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第二組曲。

 まだまだコロナもなく、震災もなかった2004年に、新国立劇場で上演された「スペインの燦」というシリーズで、この「ダフニスとクロエ」をバレエで見ました。牡牛の角を突けたダンサー達が、舞台上で雄々しく生命力の横溢する動きを見せていたのを記憶しています。17年前ですか。

 遠い地平線の向こう側が徐々に赤みを帯びて、予兆を感じた鳥たちの鳴き声も聞こえ、最初の曙光が差し込む瞬間が圧倒的な色彩で表現されています。さらには朝日に照らされた荘重な自然の風景。そしてまた鳥の鳴き声。もしかすると、動物あるいは人間が歩いて居るのかもしれず。

 アバドの若いときの演奏をとりました。アバドのフランス音楽、あまり聴いたことがなかったことに気づきました。合唱の感じが70年代雰囲気を醸し出しています。1970年の録音の模様。

 そういえば、徹夜明けの朝3時か4時。まだくらいうちから鳥の声が聞こえることがあります。暗いうちから気配を感じる鳥たちは、かすかな光を感じているのでしょうか。

実は、今日は仕事でした。明日も仕事。仕事は24時までしかやらない、と決めていて、24時になった途端にワインを開けて飲み始めました。どうも24時からが本当の時間であるように思います。これ、今ではなく高校時代からの考えです。時間の感覚は、鳥も人間もなにか本能のような感覚によるところがあるのでしょうか、などと思ったり。

ともかく、健康第一で。

みなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

+1

Philharmony

 

良い感じ?の夜明けの写真。明日は良いことがありそうです。

それにしても、この一年は不思議なことばかりでしたが、また落ち着いて本を読むことができる日が訪れるようです。ありがたいことです。

ということで、今日の一枚。

最近は、もうこの音源に助けられることばかりでした。ジョン・ウィリアムズがウィーンフィルを楽友協会大ホールで振ったアルバムです。

映画音楽が機会音楽とすれば、かつての交響曲もやはり機会音楽でした。ジョン・ウィリアムズは機会音楽たる交響曲の伝統の最先端にいたと言うことなんだな、と考えながら聞いていました。

もちろん、そこにはなにかアメリカのヘゲモニーを世界へ拡大するという意図があったとも捉えられるのですが、そうであったとしても、音楽的な素晴らしさは筆舌に尽くしがたいものがあります。

それは映像やストーリーに裏打ちされたものであるかもしれませんが、それはオペラにおける、演出や脚本と音楽の関係のそれと同じでしょう。

それにしても、ウィーンフィルの素晴らしさは想像以上で、贅沢が過ぎるというのはこのことなんだろうなあ、と思います。指揮への追随も半端ないです。

ウィーン楽友協会大ホールの響きの良さは格別です。「未知との遭遇」のフォルテの残響があまりに美しく、何度も何度も聞いています。

 

ちなみに、Apple Musicでは、映像も見られます。

CDからはカットされている歓声が収められていて、臨場感という観点では、映像のほうがおすすめです。

こちら。。

https://music.apple.com/jp/music-video/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%81-from-star-wars-the-empire-strikes-back-live/1513603867
それではまた。おやすみなさい。グーテナハトです。

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Peter Ilyich Tchaikovsk,Symphony

たまには音楽のことを。

ペトレンコがベルリンフィルを振ったチャイコフスキーの悲愴。

最近、音楽と向き合う機会があまりなく、どちらかというと、心を癒やすために音楽を聴いていた感もあり、アグレッシブに目的意識をもって聴けていなかったなあ、という思いがありました。

といいながら、週末あたりから、何か体系的に音楽を聴きたいという思いもあり、音楽学者の広瀬大介さんが作ったプレイリスト「若いうちに聴きたいクラシック100曲」を聴いていたのです。これがずいぶんと面白くて、選曲もさることながら、演奏家のチョイスも今風で、実に心地よかったのです。

その中の一曲がペトレンコの悲愴で、ああ、なんだかこういう新鮮で清々しい悲愴を聴くことのできる幸せをかみしめたのでした。

今日はこのあたりで短く。おやすみなさい。グーテナハトです。

+2

BelinerPhilharmoniker

MuseeOrsay 20070324.jpg
By Benh投稿者自身による作品, CC 表示 2.5, Link

今日もくたくたになって帰宅しました。

つい先だって、我が家で16年間にわたって活躍してくれたテレビが、とうとう引退しまして、新しいテレビが到着しました。かつてのテレビはHDMIが登場する前のもの。D端子と呼ばれる映像端子でした。そうしますと、新しいHDDレコーダーをつなぐためには、かなり怪しげな変換装置をかます必要があり、せっかくのハイビジョンなのに、映像はかなり悪かったのです。

新しいテレビは当然HDMIで、早速さきごろの録画を観てみると、本当に映像がきれいに感じて驚きました。

それで観たのが、5月27日にNHKBSで放送された、ベルリンフィルがオルセー美術館でワーグナー、ベルリオーズなどを演奏したヨーロッパコンサート。指揮はダニエル・ハーディング。ブリン・ターフェルも登場します。ヴォータンを歌っていました。かっこいいっすね、ターフェル。

http://www.classicalsource.com/db_control/db_concert_review.php?id=16413

オルセー美術館の彫刻群のなかにステージとピットを設えるというアイディア、並大抵ではないです。なにかこういう並外れたセンスはいいですね。オルセー美術館のサイトを観ると、パリオペラ座管弦楽団なんかも演奏しているようです。PAのノウハウもちゃんとあるんだとおもいます。

それにしても、感じたのは、テンポはかなりゆったりとしていて、おそらくは、残響を考慮してのことではないか、と思います。テレビの音声を聞く限りにおいては、かなり堅い感じではありますが、かなり長めのディレイがかかった音のように思います。休符では、残響音がまるで妖精の羽ばたきのように天井へと舞っていくように思います。

個別の奏者でいいますと、アルブレヒト・マイヤーのオーボエ、久々に聴いて、とても懐かしいです。細く強い絹糸のような音は本当に素晴らしく、少し我を忘れました。

演奏の前に、オルセー美術館に関するミニドキュメントが放映されたのですが、なんだか素晴らしかったです。新しいテレビで映像がきめ細やかだったと言うこともありますが、絵を見る人々の顔が輝いていたり、スタッフが満ち足りた顔でゲストを手助けしたりしているすがたを観て、心が和みました。わたしも何年も前に言ったことがありますが、そのときの記憶が蘇り、懐かしいような、ですが、なにかすこし心の中に小さなとげが刺さる気分も感じました。このとげはなんだろうか?というのが、中期的な課題です。

明日も、仕事ですね。このあと眠りについて、反芻してみようと思います。

おやすみなさい。グーテナハトです。

 

+4

Richard Wagner,Vocal

リオバ・ブラウンが歌うヴェーゼンドンク歌曲集を聴いているが、特に、《Schmerzen 心痛》に心が奪われる日々。これだけで辻邦生なら短編を書くだろう。

歌詞はワーグナーの不倫相手のヴェーゼンドンク夫人マチルダで、《トリスタンとイゾルデ》との関連が深い相手でもある。その背徳感を感じる。恋愛とはある種の背徳的な要素を持つものだが、その痛みを感じさせるものだ。まさに、本人たちはそれを感じて、この曲を作ったのだろうし、だから、その後、《トリスタンとイゾルデ》が生まれたのだと思う。

リオバ・ブラウンは、ドイツのメゾ・ソプラノ。だが、イゾルデやマルシャリンなどのソプラノもカバーしているようだ。やはり、イゾルデ歌いが歌うヴェーゼンドンク歌曲集は説得力があるということか。ここから二曲ほど《トリスタンとイゾルデ》に転用されてもいることもあるし。

指揮は、私が敬愛し、何度も(良い意味で)泣かされたペーター・シュナイダー。オーケストレーションはワーグナーではなく、フェリクス・モットル。ブルックナーにも師事したらしい。この深みのある憂愁は本当にたまらない。

シュナイダーの指揮は、柔らかくしなやかで、まるで和音が溶け込むような自然な響きを醸し出す。何度この響きに落涙したことか……。まさに、西欧の響きなんだと思う。欧州のオペラハウス、確かミュンヘンのシュターツ・オーパー、あるいはベルリン・コンツェルトハウスで感じた、ホールにオケの音が柔らかく吸い込まれる感覚を思い出す。新国立劇場で聴いたシュナイダーもやはりそういう響きだった。なんというか、非理性的な意見になるが、この響きが、西欧の響き、というものではないか。まめやかで、そつがなく、洗練され、雑味のない、すっきりとした、それでいて味わい深い響き。西欧を無条件に礼賛するわけではないが、貴重な芸術的所産だ。

こういう日々の一つ一つの感動を、先日も書いたように、まるで飛び石を伝うようにして生きている感覚がある。あるいは、油に覆われた海を必死に泳ぐような時に、一回一回の息継ぎに感謝するような感覚。

書き継げないのは、仕事の帰りが遅く、睡眠が足らなくなっているから。たしかに、これは、油にまみれて泳いでいるような感覚だ。そして、今日はなんとか息継ぎできたということのようだ。

+1

Classical

今週、ふとしたきっかけでマックス・リヒターを聴いています。

クラシックというか、ミニマルというか、アンビエントと言うか。

かなり気に入ってしまい、これからも継続的に聴こうと考えています。

今日聴いていたのはこちら。The Blue Notebooks。2004年の作品。

イラク戦争を含めた暴力への批判をこめたアルバムのようです。こういう表現の方法もあるのか、ととても感銘を受けています。

なんだか映画音楽のようで、聴いているだけで、いろいろな情景が浮かんできてしまいます。

ただただ、だれも読まない手紙をタイプライターで打ち続ける女性。曇り空、白い大理石の壁、プラタナス、湿った風……。

それにしても、終わりのない戦い。どこもかしこも。

みなさまも秋の夜長をお楽しみください。

おやすみなさい。グーテナハトです。

+1

Piano

短くても良いので、少しずつなにかをブログを書こう、とあらためて決心しました。書きたいことはあるけれど、言葉に出すと逃げて行ってしまう感覚に捕らわれています。ですが、書くこと自体が大切なのでは、と。

ピアニストが毎日ピアノを弾くように、小説家は文章を毎日書きます。

私は小説家ではありませんが、それでもなお、文章を書くことが大好きで、人生において大切なことだと思っています。

小説家であろうとなかろうと、文章を読んで書くことは、生きていく上で必要なことだ、と改めて想っています。

さて、先日、とある方からCDをいただきました。スカルラッティのソナタ集。ワイセンベルクのピアノ。スカルラッティといえば、ソナチネ?というぐらい、あまり聴いてこなかった作曲家。CDをいただかなければ、聴く機会はなかったのでは、と。静謐で典雅、そして均整美にあふれる音楽。後期ロマン派ばかり聴いていた耳には新鮮です。なにか、冷たい水に手を浸したときの心地良さ、驚きのようなものを感じました。

ワイセンベルク、すばらしいです。ですが、残念ながら、私はまだピアニストの演奏を身体的感覚で掴むことは出来ておりません。それに応じた文章表現もなかなか難しい。これは本当に残念。いろいろ聞き比べてみないと

スカルラッティのソナタ集。初めて聞いたけれど、典雅な均整美にため息が出ます。ワイセンベルク、素晴らしい。

今日はいろいろ書いてばかりで本を読むことは出来ない一日。明日は何が読めるかな。

それではみなさま、お休みなさい。グーテナハトです。

+1

Classical,Concert

Photo

今年は、災害が多い一年です。日本は災害が多い地域ですので、おそらくは自然信仰がなされていたのだと思います。こればかりは、備えをして、あとは祈るしかありません。どうかみなさまお気をつけください。

そんな中ですが、本当に久方ぶりにサントリーホールに参って、東京都交響楽団演奏会でルトスワフスキの交響曲第三番を聴いてきました。

プログラムは以下の通りで、オール・ポーランドでした。

  • ワーグナー 序曲《ポローニア》
  • ショパン ピアノ協奏曲第二番ヘ短調
  • ルトスワフスキ 交響曲第三番

指揮はアントニ・ヴィト。ピアノはシャルル・リシャール=アムランでした。

予習を幾分かしていたと言うこともあり、ほんとうにスリリングな体験でした。おそらく、実演で聴くことのできるチャンスはそうはないはず。貴重な機会をいただき感謝しかありません。

正直、前半の初期ワーグナーとショパンはあまりうまく聴くことができませんでした。予習不足でもあり、あるいは、今の音楽的嗜好が初期ワーグナーやショパンには向いていないと言うことだけでして、演奏は素晴らしかったと思います。

で、後半のルトスワフスキは前のめりになって聴いてまして、打楽器の連打や、金管の咆吼には、自然に笑みがこぼれてくる感じでした。予習で聴いていたとおり、まるでベルクのような響きにホールが満たされまして、ワクワクしながら次の展開を待ち続けるという感じでした。

さて、明日は金曜日。一週間はあっという間です。

ともかく、季節の変わり目です。どうかお身体にお気をつけください。

おやすみなさい。グーテナハトです。

+2

BelinerPhilharmoniker,Classical

ルトスワフスキを聴く

故あって、ルトスワフスキの交響曲第三番を聴くことにしました。

今聴いているのは、ベルリンフィルを作曲家自身が振っている音源です。

この曲はシカゴ交響楽団の委嘱で作曲され、初演は、ショルティがシカゴ交響楽団を振ったとのことです。何枚かCDも出ているようです。作曲家自身の演奏もいくつかあるようですし、サロネンなども録音しているようです。

何度か通して聴いていますが、かなり気に入ってきました。最初に聴いたときは、まずい、理解できるか?と不安に感じましたけれど。和声の感じが、ベルクの《ヴォツェック》を思わせる美しさで、かつてベルクばかり聴いていた頃のことを思い出しました。

管理された偶然性、と言うことで、指揮者が奏者のアドリブ演奏をコントロールする、ということのようです。まるでジャズのようなスタンスですね、と浅はかにも思ってしまいました。

楽譜の映像も見ましたが、なかなか手強い感じです。

現代音楽を聴くと言うこと

そういえば、現代音楽をアグレッシブに聴くのは何年ぶりだろう、と言う感じです。

20年ほど前、ずいぶん現代音楽に挑戦した頃がありました。コンロウ・ナンカロウとか、ヴォルフガング・リームなどを、アンサンブル・モデルンの演奏で聴いたのがとても懐かしいです。

また、ベルクも現代音楽だとすれば、前述のように、ベルクばかり聴いていた時期もありました。

現代音楽というくくり自体、難しい定義で、現代に作られているからといって現代音楽でもないわけで、そのあたりの勉強をしていたこともあったなあ、などと思い出したりしました。20年前はずいぶん音楽にアグレッシブで、そういえば、楽理科に入学できないか、などと思いついて調べたりした記憶もあったなあ、などと。

もっとも、音楽的な才能は、あるようなないような、と言う感じで、ということは、才能はあまりない、と言うことなので、それを理解してからは、あまり変なことを思うこともなくなったなあ、と思います。

ただ、そうはいっても、現代音楽、あるいはオペラでもよいのですが、音楽に対してアグレッシブに挑んでいた時期からみると、すこしその勢いもなくなってしまったように思え、これではいけない、とあらためて考えたのでした。

生活環境がかわり、なかなか時間がとれなくなったから、というのが一義的な理由なのですが、それはそれで、人間として寂しい限りだな、とも思います。

やはり芸術に触れることは、人間を人間たらしめること、と思います。緩んだ桶を箍で締め直すように、芸術は人間を締め直すのだと思います。

そういう意味では、今回ルトスワフスキを聞けたのは、よい機会でしたし、本当に嬉しい限りです。

おわりに

今日は西日本は台風とのこと。幸い関東には大きな影響はありませんが、それでも雨で電車が止まったりしているようです。どうか皆様、お気をつけください。

おやすみなさい。グーテナハトです。

+2