ベルリン・フィルヨーロッパコンサートをオルセー美術館で聴く。といってもNHKBSプレミアムシアターで。

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By Benh投稿者自身による作品, CC 表示 2.5, Link

今日もくたくたになって帰宅しました。

つい先だって、我が家で16年間にわたって活躍してくれたテレビが、とうとう引退しまして、新しいテレビが到着しました。かつてのテレビはHDMIが登場する前のもの。D端子と呼ばれる映像端子でした。そうしますと、新しいHDDレコーダーをつなぐためには、かなり怪しげな変換装置をかます必要があり、せっかくのハイビジョンなのに、映像はかなり悪かったのです。

新しいテレビは当然HDMIで、早速さきごろの録画を観てみると、本当に映像がきれいに感じて驚きました。

それで観たのが、5月27日にNHKBSで放送された、ベルリンフィルがオルセー美術館でワーグナー、ベルリオーズなどを演奏したヨーロッパコンサート。指揮はダニエル・ハーディング。ブリン・ターフェルも登場します。ヴォータンを歌っていました。かっこいいっすね、ターフェル。

http://www.classicalsource.com/db_control/db_concert_review.php?id=16413

オルセー美術館の彫刻群のなかにステージとピットを設えるというアイディア、並大抵ではないです。なにかこういう並外れたセンスはいいですね。オルセー美術館のサイトを観ると、パリオペラ座管弦楽団なんかも演奏しているようです。PAのノウハウもちゃんとあるんだとおもいます。

それにしても、感じたのは、テンポはかなりゆったりとしていて、おそらくは、残響を考慮してのことではないか、と思います。テレビの音声を聞く限りにおいては、かなり堅い感じではありますが、かなり長めのディレイがかかった音のように思います。休符では、残響音がまるで妖精の羽ばたきのように天井へと舞っていくように思います。

個別の奏者でいいますと、アルブレヒト・マイヤーのオーボエ、久々に聴いて、とても懐かしいです。細く強い絹糸のような音は本当に素晴らしく、少し我を忘れました。

演奏の前に、オルセー美術館に関するミニドキュメントが放映されたのですが、なんだか素晴らしかったです。新しいテレビで映像がきめ細やかだったと言うこともありますが、絵を見る人々の顔が輝いていたり、スタッフが満ち足りた顔でゲストを手助けしたりしているすがたを観て、心が和みました。わたしも何年も前に言ったことがありますが、そのときの記憶が蘇り、懐かしいような、ですが、なにかすこし心の中に小さなとげが刺さる気分も感じました。このとげはなんだろうか?というのが、中期的な課題です。

明日も、仕事ですね。このあと眠りについて、反芻してみようと思います。

おやすみなさい。グーテナハトです。

 

4+

ヴェーゼンドンク歌曲集を聴く

リオバ・ブラウンが歌うヴェーゼンドンク歌曲集を聴いているが、特に、《Schmerzen 心痛》に心が奪われる日々。これだけで辻邦生なら短編を書くだろう。

歌詞はワーグナーの不倫相手のヴェーゼンドンク夫人マチルダで、《トリスタンとイゾルデ》との関連が深い相手でもある。その背徳感を感じる。恋愛とはある種の背徳的な要素を持つものだが、その痛みを感じさせるものだ。まさに、本人たちはそれを感じて、この曲を作ったのだろうし、だから、その後、《トリスタンとイゾルデ》が生まれたのだと思う。

リオバ・ブラウンは、ドイツのメゾ・ソプラノ。だが、イゾルデやマルシャリンなどのソプラノもカバーしているようだ。やはり、イゾルデ歌いが歌うヴェーゼンドンク歌曲集は説得力があるということか。ここから二曲ほど《トリスタンとイゾルデ》に転用されてもいることもあるし。

指揮は、私が敬愛し、何度も(良い意味で)泣かされたペーター・シュナイダー。オーケストレーションはワーグナーではなく、フェリクス・モットル。ブルックナーにも師事したらしい。この深みのある憂愁は本当にたまらない。

シュナイダーの指揮は、柔らかくしなやかで、まるで和音が溶け込むような自然な響きを醸し出す。何度この響きに落涙したことか……。まさに、西欧の響きなんだと思う。欧州のオペラハウス、確かミュンヘンのシュターツ・オーパー、あるいはベルリン・コンツェルトハウスで感じた、ホールにオケの音が柔らかく吸い込まれる感覚を思い出す。新国立劇場で聴いたシュナイダーもやはりそういう響きだった。なんというか、非理性的な意見になるが、この響きが、西欧の響き、というものではないか。まめやかで、そつがなく、洗練され、雑味のない、すっきりとした、それでいて味わい深い響き。西欧を無条件に礼賛するわけではないが、貴重な芸術的所産だ。

こういう日々の一つ一つの感動を、先日も書いたように、まるで飛び石を伝うようにして生きている感覚がある。あるいは、油に覆われた海を必死に泳ぐような時に、一回一回の息継ぎに感謝するような感覚。

書き継げないのは、仕事の帰りが遅く、睡眠が足らなくなっているから。たしかに、これは、油にまみれて泳いでいるような感覚だ。そして、今日はなんとか息継ぎできたということのようだ。

1+

マックス・リヒター The Blue Notebooks

今週、ふとしたきっかけでマックス・リヒターを聴いています。

クラシックというか、ミニマルというか、アンビエントと言うか。

かなり気に入ってしまい、これからも継続的に聴こうと考えています。

今日聴いていたのはこちら。The Blue Notebooks。2004年の作品。

イラク戦争を含めた暴力への批判をこめたアルバムのようです。こういう表現の方法もあるのか、ととても感銘を受けています。

なんだか映画音楽のようで、聴いているだけで、いろいろな情景が浮かんできてしまいます。

ただただ、だれも読まない手紙をタイプライターで打ち続ける女性。曇り空、白い大理石の壁、プラタナス、湿った風……。

それにしても、終わりのない戦い。どこもかしこも。

みなさまも秋の夜長をお楽しみください。

おやすみなさい。グーテナハトです。

1+

スカルラッティのソナタ集をワイセンベルクの演奏で。

短くても良いので、少しずつなにかをブログを書こう、とあらためて決心しました。書きたいことはあるけれど、言葉に出すと逃げて行ってしまう感覚に捕らわれています。ですが、書くこと自体が大切なのでは、と。

ピアニストが毎日ピアノを弾くように、小説家は文章を毎日書きます。

私は小説家ではありませんが、それでもなお、文章を書くことが大好きで、人生において大切なことだと思っています。

小説家であろうとなかろうと、文章を読んで書くことは、生きていく上で必要なことだ、と改めて想っています。

さて、先日、とある方からCDをいただきました。スカルラッティのソナタ集。ワイセンベルクのピアノ。スカルラッティといえば、ソナチネ?というぐらい、あまり聴いてこなかった作曲家。CDをいただかなければ、聴く機会はなかったのでは、と。静謐で典雅、そして均整美にあふれる音楽。後期ロマン派ばかり聴いていた耳には新鮮です。なにか、冷たい水に手を浸したときの心地良さ、驚きのようなものを感じました。

ワイセンベルク、すばらしいです。ですが、残念ながら、私はまだピアニストの演奏を身体的感覚で掴むことは出来ておりません。それに応じた文章表現もなかなか難しい。これは本当に残念。いろいろ聞き比べてみないと

スカルラッティのソナタ集。初めて聞いたけれど、典雅な均整美にため息が出ます。ワイセンベルク、素晴らしい。

今日はいろいろ書いてばかりで本を読むことは出来ない一日。明日は何が読めるかな。

それではみなさま、お休みなさい。グーテナハトです。

1+

ルトスワフスキ交響曲第三番をサントリーホールにて

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今年は、災害が多い一年です。日本は災害が多い地域ですので、おそらくは自然信仰がなされていたのだと思います。こればかりは、備えをして、あとは祈るしかありません。どうかみなさまお気をつけください。

そんな中ですが、本当に久方ぶりにサントリーホールに参って、東京都交響楽団演奏会でルトスワフスキの交響曲第三番を聴いてきました。

プログラムは以下の通りで、オール・ポーランドでした。

  • ワーグナー 序曲《ポローニア》
  • ショパン ピアノ協奏曲第二番ヘ短調
  • ルトスワフスキ 交響曲第三番

指揮はアントニ・ヴィト。ピアノはシャルル・リシャール=アムランでした。

予習を幾分かしていたと言うこともあり、ほんとうにスリリングな体験でした。おそらく、実演で聴くことのできるチャンスはそうはないはず。貴重な機会をいただき感謝しかありません。

正直、前半の初期ワーグナーとショパンはあまりうまく聴くことができませんでした。予習不足でもあり、あるいは、今の音楽的嗜好が初期ワーグナーやショパンには向いていないと言うことだけでして、演奏は素晴らしかったと思います。

で、後半のルトスワフスキは前のめりになって聴いてまして、打楽器の連打や、金管の咆吼には、自然に笑みがこぼれてくる感じでした。予習で聴いていたとおり、まるでベルクのような響きにホールが満たされまして、ワクワクしながら次の展開を待ち続けるという感じでした。

さて、明日は金曜日。一週間はあっという間です。

ともかく、季節の変わり目です。どうかお身体にお気をつけください。

おやすみなさい。グーテナハトです。

2+

ルトスワフスキ、つまり現代音楽を聴いて思うこと。

ルトスワフスキを聴く

故あって、ルトスワフスキの交響曲第三番を聴くことにしました。

今聴いているのは、ベルリンフィルを作曲家自身が振っている音源です。

この曲はシカゴ交響楽団の委嘱で作曲され、初演は、ショルティがシカゴ交響楽団を振ったとのことです。何枚かCDも出ているようです。作曲家自身の演奏もいくつかあるようですし、サロネンなども録音しているようです。

何度か通して聴いていますが、かなり気に入ってきました。最初に聴いたときは、まずい、理解できるか?と不安に感じましたけれど。和声の感じが、ベルクの《ヴォツェック》を思わせる美しさで、かつてベルクばかり聴いていた頃のことを思い出しました。

管理された偶然性、と言うことで、指揮者が奏者のアドリブ演奏をコントロールする、ということのようです。まるでジャズのようなスタンスですね、と浅はかにも思ってしまいました。

楽譜の映像も見ましたが、なかなか手強い感じです。

現代音楽を聴くと言うこと

そういえば、現代音楽をアグレッシブに聴くのは何年ぶりだろう、と言う感じです。

20年ほど前、ずいぶん現代音楽に挑戦した頃がありました。コンロウ・ナンカロウとか、ヴォルフガング・リームなどを、アンサンブル・モデルンの演奏で聴いたのがとても懐かしいです。

また、ベルクも現代音楽だとすれば、前述のように、ベルクばかり聴いていた時期もありました。

現代音楽というくくり自体、難しい定義で、現代に作られているからといって現代音楽でもないわけで、そのあたりの勉強をしていたこともあったなあ、などと思い出したりしました。20年前はずいぶん音楽にアグレッシブで、そういえば、楽理科に入学できないか、などと思いついて調べたりした記憶もあったなあ、などと。

もっとも、音楽的な才能は、あるようなないような、と言う感じで、ということは、才能はあまりない、と言うことなので、それを理解してからは、あまり変なことを思うこともなくなったなあ、と思います。

ただ、そうはいっても、現代音楽、あるいはオペラでもよいのですが、音楽に対してアグレッシブに挑んでいた時期からみると、すこしその勢いもなくなってしまったように思え、これではいけない、とあらためて考えたのでした。

生活環境がかわり、なかなか時間がとれなくなったから、というのが一義的な理由なのですが、それはそれで、人間として寂しい限りだな、とも思います。

やはり芸術に触れることは、人間を人間たらしめること、と思います。緩んだ桶を箍で締め直すように、芸術は人間を締め直すのだと思います。

そういう意味では、今回ルトスワフスキを聞けたのは、よい機会でしたし、本当に嬉しい限りです。

おわりに

今日は西日本は台風とのこと。幸い関東には大きな影響はありませんが、それでも雨で電車が止まったりしているようです。どうか皆様、お気をつけください。

おやすみなさい。グーテナハトです。

2+

細川俊夫 ハープ協奏曲「回帰」─辻邦生の追憶に─

まずは、2001年、おそらくは東京都交響楽団の演奏会に行った際のパンフレット。もらったときにはすぐには気がつかなかったのですが、後から見返してみるとここに細川俊夫が辻邦生に捧げた「ハープ協奏曲「回帰」─辻邦生の追憶に─」についての記載がありました。もう17年前の資料です。折れたり汚れたりしているのはご容赦ください。

このハープ協奏曲、CDも発売されています。私の記憶では、2003年だったか、学習院大学で行われた辻佐保子さんの講演会の開始前にハープ協奏曲が会場に流れていたと思います。

先日このCDの話をとある場所でしたのですが、それ以来このCDを繰り返し聴いています。曲調としては現代音楽のトーンです。ハープがまるで和琴のように聞こえます。ライナーノートを読むと、嵯峨野明月記の最終部が引用されており、嵯峨野明月記や西行花伝といった日本を舞台にした作品にインスパイアされたものと考えました。決して明朗快活な音楽ではありません。しかし深みがあり、どこか悲しげで、それでいて達観を感じさせるものです。アルバムタイトルも《回帰》とあり、なにか永遠永劫の境地を感じさせます。ですが、私はまだそうした境地を知り得ていないはずもあります。

さて、今年の夏も名残惜しく過ぎていくような気がしてなりません。めまぐるしい現実の狂騒に疲れる毎日ですが、夏の午後に、太陽に灼かれる窓の風景を眺めながら、スピーカーから聞こえるハープとオーケストラの協奏を聴いていると、なにか現実こそが夢であるかのように思います。真の世界はあちら側にある。いや、「あちら」というべきではなく、「こちら」側か、などと感じています。

炎暑が続きますが、みなさまも、どうかお身体にきをつけてお過ごしください。

1+

アバドの交響曲第5番を聞きながら思うロマン派音楽のことなど。

短いエントリー(と思った長くなりそう)。

マーラー:交響曲第5番

マーラー:交響曲第5番

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帰宅時に聞いたアバドのマーラー交響曲第5番が素晴らしくて。
アバド、艶が合って、ダイナミックな演奏で、なんだか本当に懐かしい気分になりました。
まだまだ美しさが信じられた20世紀の所産、という感じ。
マーラーの時代は、まだまだ美的なものへと迫っていくことができた気がします。そしてなお、平和の喜びに溢れていた1990年代、バーンスタインが、ベートーヴェンの歓喜の歌の「フロイデ=喜び」を「フライハイト=自由」を読み替えて歌わせることが許されてしまうような時代。夢のような時代。

いや、これはもう、何か、自分が齢を重ねて、世の中がわかってしまったように思ったが故に、かつてのようなまだ歴史があった頃を思い出した時に感じる懐かしさのようなものなんだと思います。

私は、クラシック音楽の中でも18世紀古典派以降のクラシックというものは、そこに政治的啓蒙主義から市民革命へと向かうイデオロギーがあった、と思っています。そう感じたのは、ヨハン・シュトラウス《こうもり》を新国立劇場で見て思ったのでした。あの、ウィナーワルツのヨハン・シュトラウスの傑作オペラに、多様な政治的意図が満ち溢れているということを、気づいてしまったわけです。ここにはそれを書くことはあえてしません。それは、おそらくは、現在の日本においては当たり前すぎてわからないのだけれど、当時の状況に思いを寄せた時に、そこに溢れている政治的意図のようなものを見て取ってしまい、そこで様々なものに糸が通るような思いを感じたのでした。

リヒャルト・シュトラウスの死、いや、そうではなく、リヒャルト・シュトラウスのメタモルフォーゼンの最後、ベートーヴェンの葬送行進曲のフレーズをを書いたところで、ロマン派は終焉を迎え、以降世界は変わったのではないか。何か、そうした思いを感じるわけです。

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言葉が言葉通りとならず、美的なものが美ではなく、あるいは、真善美というイデアがない時代にあって、何が規範となるのか。その答えが懐中にあったとしてもここには書くことはできないでしょう。ただ言えることは、大きなことではなく、小さなことから美しさを作ることしかできない、ということです。世界は変わりません。ですが、自分は変われます。そういうことなんだと思います。

ますます冬が近づく今日この頃。皆様もどうかお身体にお気をつけて。

おやすみなさい。グーテナハトです。

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ムーティが振るスクリャービン

うーむ、スクリャービンをあまり聞いたことがない事に気づきました。

いや、聞いたことはあるのですが、理解するまでには聞いていないなあ、と。かつて、交響曲全集を買ったものの、CDラックに収まったまま。
で、Apple Muicでムーティが振るスクリャービンを聴いています。

Sym 1-3

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これは実に難関。難関というのは、理解し難いとか、好きじゃないとか、そういう意味ではありません。素晴らしく、美しい音で満たされているのですが、この奥行きのある世界を理解するのはしばらく時間がかかりそう、というのが本音です。
スクリャービンは独自に神秘和音を作り出し、調性を崩したことで、現代音楽の一つの源流となっているようです。

確かに、そうだなあ。マーラーやベルクの耽美的な部分を取り出した感じですが、本当に危険を感じるほどの美しさで、近寄ることを躊躇する感覚があります。ブルックナーやブラームスに親しんでいた向きには、何か近寄ると大火傷をするような美人に感じる危険を感じたり。トーマス・マンの「小フリーデマン氏」を思い出します。

それにしても、19世紀の音楽はオプティミズムに彩られているよなあ、と改めて思います。例外はあるのかもしれませんが、啓蒙主義からフランス革命に至り、市民革命が各地に広がる、というヘーゲル的な進歩史観がまだ有効だった時代だなあ、と思います。この辺り、以前にも書いたことがありますが、また改めて書いてみたいテーマです。

さて、今日の東京、夕方になって実に涼しいです。秋が来てしまいました。寂しい限りです。今年の残暑はどうなるでしょうか。

みなさまも、残り1日の8月の夜をお楽しみください。
おやすみなさい。グーテナハトです。

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今年もフィンジ

この日曜日、NHKFMの「きらクラ」を聞きました。ふかわりょうさんがお気に入りとしてオンエアしたのが、ジェラルド・フィンジの《エクローグ》でした。昨年もオンエアしていて、どうやら毎年夏の終わりに取り上げてくださっているようです。

本当に夏の終わりには本当にぴったりな曲。

で、このアルバムをApple Musicで探し当てました。エクローグ以外の曲も実に素晴らしいです。

Finzi: Introit

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何よりサクソフォーンがふんだんに使われているのが嬉しいです。私もサクソフォーン奏者の端くれとして、とても惹かれるアルバムです。例えば、Five Bagatellesなどは、クラリネットとピアノのための室内楽をオケとサクソフォーンのために編曲しているようです。クラシックにあったアルトサクソフォーンの音色が、夏の夜の気だるい感じに実によく合います。まるで、名探偵ポワロのテーマ音楽のようなアンニュイな感じ。

昨年、フィンジの映画が作れそう、という話を書いた気がします。どうやら、曲から勝手に物語を作り出そうとしているようです。レベルは違うかもしれませんが、どうもこういう感興が楽興と呼ばれるものであり、それこそが辻邦生の書いた「楽興の時」なんじゃないかなあ、と思いました。
昨年の記事はこちら。

園芸家ジェラルド・フィンジを聴く

もう少しで8月も終わり。季節は巡る。あと何度この季節の巡りに立ち会えるのだろう。そう思うことが生きる歓びとである、と辻邦生なら描きそうです。

とにかく、みなさま、暑熱の中どうぞお身体にお気をつけて。

おやすみなさい。グーテナハトです。

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