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先週に行った川越の喜多院には五百羅漢がありました。

羅漢というのは仏教における聖者の方々、修行者の方々ということだそうです。いろんな修行者の方がいらっしゃいます。まあ、人生というものは娑婆にいても修行のようなもんですので、ここにいらっしゃる方は私たちなんでしょう、とも思います。

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そんななかで、オーボエ吹き(?)を発見。いや、ソプラノサックスかもしれません。

 

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微妙にポーズが違いますが、考える人です。

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こんなふうに修行をする人もいるんですね。

 

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私も、どうやら熱中症になったらしく、微熱と疲労でふうふう言ってます。まったく。。

 

ではグーテナハトです。

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休日でしたが、充実した一日でした。
午後は、新宿でオーボエ・レッスン。今後触れることがあるかもしれませんが、音楽レッスンというのはどんなCDを聴くことよりも音楽を理解することができるよいきっかけです。
夕方からは大学の先輩と一席。
先輩とは、1999年に一緒にドイツ旅行をしたのですが、その時の思い出話に花が咲きました。(まあ、それ以外の話もかなり盛り上がりましたが)
その一つが、ドイツのICEに付けられた名前のことです。
ICEというのは、言うまでもありませんが、ドイツ版新幹線です。以下の写真は当時のものです。おそらくは現在はデザインが変わっているはずです。
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ドイツの特急列車には、日本と同じように愛称がついています。日本で言うと、のぞみ、とか、ひかり、などになるわけですがドイツの場合は人名が付く場合がありました。以下のリンクにはそうした愛称が一覧化されていますが、2002年12月14日まで、と記載がありますので、現在はどうでしょうか
http://www.bahnseite.de/purespace/zugnamen02.html
たとえば、当時、デュッセルドルフからベルリンまで乗ったICEには、ヒルデガルド・フォン・ビンゲンという名前がついていました(写真ボケてすいません)。これは、ICEのデッキにあった液晶画面の写真です。上から二行目にうっすらと名前が見えます。
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また、ベルリンからフランクフルトまで乗ったICEには、オットー・フォン・ビスマルクという名前がついていました。(写真ぶれていてすいません)
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このヒルデガルド・フォン・ビンゲンに、当時先輩は衝撃を受けていました。ヒルデガルド・フォン・ビンゲンは、12世紀のドイツの女性思想家で、修道院などを創設するなどして活躍した方です。また、作曲家としても知られています。このような思想家の名前を特急電車の愛称につけてしまう、ということに驚いていたわけです。そして多分喜んでおられたとも思います。
こちらが、ヒルデガルドの写真です。

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Hildegard von Bingen" by このファイルには作者に関する情報がありません。 – Miniatur aus dem Rupertsberger Codex des Liber Scivias.. Licensed under Public domain via ウィキメディア・コモンズ.

オットー・フォン・ビスマルクは言うまでもないですね。ドイツ帝国の宰相で、鉄血政策を推進しドイツ統一の立役者の一人です。私は世界史の授業を受けている中で、このビスマルクのリアリズムに基づいた政治手腕に感動した記憶があります。
というわけで、本日はこれまで。グーテナハトです。

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小江戸として知られる川越に、今日の午後少しばかり出かけてきました。
お昼前に家を出て13時頃に到着。
鰻をたべようと、有名店に行きましたが、とてもとても込んでいました。しかし待つ甲斐あって、出てきた鰻を大変美味しくいただきました。絶妙な香ばしさ、甘みのあるタレ、そして柔らかい鰻です。13時過ぎに見せに行きましたが、長蛇の列でした。我々の前に20組ぐらい並んでいましたが、30分ぐらいでなんとか席へ。席へ着いてもやはりなかなか時間がかかりまして、最後に食べ終わったのは15時前ぐらいでした。でも時間をかけて食べられたので、ゆったりとくつろげました。
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その後、喜多院へ。徳川家康の信任が厚かった天海が住職を務めた喜多院は、その後も江戸幕府の庇護を受けました。喜多院が火災で焼けたのをうけて、徳川家光は、江戸城の建物を喜多院に移築しました。その建物が残っており、家光誕生の間であるとか、春日局化粧の間などが残っています。
久々に旧い建物からみる日本庭園に癒やされました。子供の頃に、両親によく京都の寺院に連れて行かれましたので、そうした記憶が積み重なっているんでしょう。鄙びた木造建築の香りや、かすかに感じるお香の香りなどを感じると、ホッとします。しばらくボーっとして英気を養いました。また行かなければ。
ちなみに、左側の枝垂れ桜は徳川家光のお手植え二代目の枝垂れ桜だそうです。
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そして、喜多院で見かけた猫。泰然としていました。
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それではまた明日。グーテナハト。

Hiroshima2010

幼きころ、つまり2歳から4歳ごろに、広島市に住んでいたことがありました。広島を訪れたのはそれ以来ですのでもう四半世紀以上ぶりということになりましょうか。

記憶違いというものはいくつかあるもので、当時から走っているはずのバスの塗装の色が幼き日々の記憶よりもくすんでみえたり。一番ショックだったのは厳島神社に行ったときのこと。小さいころはもっと広大な社殿だったと思ったのですが、いざ訪れてみると以外にこじんまりとしていて拍子抜けをしてしまったりもしました。
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それから、原爆ドームもすごく小さく思えました。あのころは聳え立っているぐらいのイメージだったのでけれど。
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とはいえ、ほんの1年半ほど通った幼稚園を車窓から見つけたり、路面電車のデザインが変わっていなかったりと、幼いころの記憶の強靭さも再確認しました。

Hiroshima2010

もう2ヶ月たってしまいましたが、広島のこと。
尾道は実に素敵な町でした。坂道と海があれば、それだけで詩になりそう。やはり文学者にも人気ですし、映画やドラマの舞台にもなっています。
なにはともあれ、一番嬉しかったのが安藤忠雄が増築を設計した尾道市立美術館でした。
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私は建築学には疎いのですが、お世話になったYご夫妻の奥様からうかがったところによると、安藤忠雄の建築は水の処理が巧いのだそうです。雨水の処理を間違えると、壁が水で汚れたりするものなのだそうですが、安藤忠雄の建築はそれがない。言われてみれば、水垢などで汚れたところは少しもないのですね。奥深いものです。安藤忠雄が増築した部分は、コンクリートが打たれた幾何学的なもので、色調はコンクリートにあわせてグレーにまとめられている。増築部分はほんの少ししかありませんが、それだけで、建物全体の印象が引き締まり、見ているだけで幸福な気分です。
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美術館の展示室には万国共通の匂いがあると思います。床に塗られたニスの匂いなのか、油絵が発する絵剤の芳香なのか。あるいは、絵画のもたらすアウラの香りなのか。
尾道市立美術館でもやはり同じ匂いを感じて、それだけで幸せな気分になりました。二回には画集がたくさんおいてあって、安藤忠雄の建築に囲まれて、窓からはしまなみ街道の吊橋などの瀬戸内の絶景が見られるという極めて贅沢な環境です。
ここで働ける方は幸せだろうなあ、と展示室で感想を話していたら、係りの方がそれをきいて、とても嬉しそうにほほえんでいらっしゃいました。

Hiroshima2010

広島旅行のこと、時系列に書こうとおもいましたが、このエピソード、いつ書けるか分からないので、そうそうに書くことにします。

広島空港の滑走路端

広島旅行最終日、広島駅から山陽本線で西条へ。呉に住む我が友人が薦めてくれたので、酒蔵を回ることにしたのです。西条では、試飲したり、吟醸酒をかけたシフォンケーキを食べたり、楽しい時間を過ごしました。
西条から広島空港へは、山陽本線を白市まで行って、そこからバスで向かうのですが、そのバスからすごい風景を見てしまいました。広島空港の滑走路10、つまり東向きの滑走路ですが、滑走路誘導灯がものすごいことになっていました。えらい構造物。霧の多い広島空港は、高度な着陸誘導施設がありますが、滑走路への誘導灯も規定により手厚くなっています。まるで宇宙基地みたいでした。

 

ハイジャック? 驚くべき航跡

僕らの便は、30分遅れで離陸。ボーイング777は、いったん西に向かって離陸した後に、大きく左へ旋回して東京へ向かいます。GPS受信機を持っていたので、刻々とかわる機体の位置を楽しんでいました。機体は津山上空から姫路の北部を通過し、右手に神戸、大阪の夜景を見やりながら近畿地方を通過して、中部国際空港上空近辺を通過しました。
ここで、機体は右に旋回し知多半島の上空を南進始めました。航路的には、まっすぐ東京へ向かうはずなのですが、南側の太平洋上を走る航路に転移するのかなあ、と思っていたら、右旋回を続け、GPS受信機の進行方向を示す磁方位は180度(南)を超えて、270度(西)を示してしまったのです。つまり、東京に背を向けてしまったということ。これ、ありえない。何らかの緊急事態が発生したのでは、と色めきました。機体の不具合か、あるいはハイジャックとか。
機体は、知多半島から西進して伊勢湾を横断し三重県へとさしかかりました。対地速度は260ノットほど。時速388キロ。三重県上空で、再び右旋回を開始。徐々に機体は北から東へと向いて、もう一度知多半島上空で進路を東へ定めました。大きく旋回して、わざわざ時間をかけたような形です。

ここからがすごかったんです。ボーイング777の二つの強力なエンジンが轟音を上げはじめたんです。機体の速度はぐんぐんあがり、対地速度でいうと610ノットに達してしまいました。610ノットって、時速1130キロほど。これは驚異的なスピードです。音速はだいたい時速1190キロぐらいと言われていますから、これはもうすごい速度。
実際には、音速は、温度と空気密度により変化します。高度が上がれば、気温は下がるため、音速は遅くなり、空気密度も低くなるため、さらに遅くなるはず。当時の飛行環境は、高度38000フィートで、気温はマイナス53度です。空気密度を考慮しない場合の音速は時速1077キロですので、もう少しマッハは下がっているはず。いずれにしても、マッハ1に肉薄する速度だったはず。
ボーイング777のエンジンは推力40910kg×2基の、ハイパワーエンジンで、エンジンの直径は3メートルちかくあり、DC-9やMD-90といった、旧ダグラス社の細身の旅客機の胴体断面と同じぐらいの大きさです。それがうなりを上げているんですから。
CAの方に聞いてみたら、彼女も大回りしたことは承知していて、なおかつ着陸滑走路が22であることも教えてくれました。遅れている理由は羽田空港の混雑のため。この日、つまり11月12日は、横浜のAPEC開催前日で、VIPたちが、ゾクゾクと羽田に降り立っていたのですね。ですので、フライトが遅れたり、時間調整のため大回りさせられたりしていたと言うことでした。私の予備知識では、着陸待ちは、空港近くのホールディングポイントで行うもの、だったのですが、まさか羽田から遠く離れた伊勢湾上空でぐるりと一回りするとは、いやはや。

そして翼は見た。

機体は、房総半島沖で左旋回し、房総半島を北上しました。船橋あたりまで飛んだところで、左に旋回して、羽田のB滑走路、ランウェイ22に着陸。
着陸後、新しい国際線ターミナルを横目に、タキシングを続けたんですが、第二ターミナルの南側で飛行機は停止してしまいました。よほど混んでるんだなあ、と思っていたら、機長からのアナウンスが。。
「えー、現在、セキュリティの都合上、停止を命ぜられております。前方右側から、エアフォースワン、おそらくはオバマ大統領が乗っていると思われる機体を待っております」
まじですか! エアフォース・ワンだなんて、映画の世界だと思っていたんですが、半径200メートル以内で遭遇するとは! ちょうど右舷窓側に座っていたので、カメラを構えていると、来ましたよ、エアフォースワン。残念ながら尾翼しか見えなかったけれど、証拠写真を撮りました。たぶんD滑走路を降りてきたんだろうなあ。

っつうか、あまりにレアな体験ばかりのフライトに、一人で盛り上がっていたので、カミさんの白い目が怖かった。。。

Dresden2006

ドレスデンには2001年の1月頃に行ったことがありました。まだ、世界が同時多発テロも金融危機も知らず、ITバブルがはじけたとはいえ、まだまだ冷戦後の安眠を貪っていた時代。一度目のドレスデンで、私はラファエロとカナレットに開眼したのですが、それはまたの機会に。
2001年当時のゼンパーオーパーがこちら。

そして、2006年当時のゼンパーオーパー

なんだか本当に雰囲気が変わってしまって、別の街のように思えるほどでした。
ドイツをご旅行された方はよくご存じだと思いますが、南と北とじゃ、ドイツ人の気性は全く違います。特に酷いのが、フランクフルトからケルンにやらルール地方にいたる一体とかベルリンじゃないかな(例外的にマインツでは何度も凄く親切にしてもらった。これもまたいずれ書きましょう)。ハンブルクやらリューベック、キールあたりには行ったことがないので分からないですが。
でもですね、ドレスデンではそういうイヤな思いを全くしなかったんです。それはミュンヘンでも感じたし、フライブルクでも感じました。
そのときはまだオペラを全然知らなかったのです。ブラームスの室内楽とブルックナーを狂い聴きしていて、オペラに行く欲求がなかった。けれど、ドレスデン絵画館の窓から、マチネに向かう人々がオーバーコートに身を包み、ゼンパーオーパーの入口へと消えていく姿を眺めていました。暗く寒いドイツの冬の出来事。
ドレスデンを去る前日、エルベ川の対岸からゼンパーオーパーの偉容を眺めていました。夕闇迫り、空は真っ赤に燃え上がっていました。実を切る冷たい風に震えながら、この街にはもう一度来なければならない、と強く思いました。「エルベの誓い」というのがありますよね。第二次大戦終戦時に米ソの兵士がエルベ川の橋で握手をして、恒久平和を誓ったというあの話。だが、あの時の私にとっての「エルベの誓い」は、必ずここに戻ってくるというものでした。

その後、ドレスデンはエルベ川の大氾濫で大きな被害に遭いました。ゼンパーオーパーも壊滅的な打撃を受けたし、絵画館の貴重な絵画は疎開しました。それはまるで、ソ連軍の侵攻に備えてナチスドイツが美術品を疎開させたのにも似ている。ピルニッツ宮殿に当時の洪水の水位が分かるようになっていました。

一番上のラインが2002年の洪水の時の水位。ちょっと変な写真ですがこの写真も見てみてください。

その後、ドレスデンは復興したけれど、復興しすぎたんですよ。一度目のドレスデンの頃は、まだ東ドイツ社会主義政権下の名残が至る所に見られたんです。フラウエン教会だって影の形もなかった。ただ看板があっただけだったんです。
ドレスデン城も下の写真のように工事中。つまりBaustelle.


でも、2006年の二度目のドレスデンは、すっかり変容していました。西側資本が大量に入り込み、ドレスデン城の復興がなり、「緑の丸天井」と呼ばれるザクセン王家の宝物館の公開直後と言うこともあって、整理券を取らないとドレスデン城に入れない有様。

銀行や商店の看板が乱立し、日本で言えば、ヨドバシカメラやヤマダ電機のような大型電気店「サターン」が街のど真ん中に店舗を構えていたり、消費者ローンのキャンペーンで、1000ユーロだかがあたるくじ引きに行列が出来ていて、あの薄暗い中央駅は、天井が張り替えられすっかり綺麗になっていました。
フラウエン教会は白亜の石造建築として再興していましたが、余りに新しすぎて違和感を覚えてしまうぐらい。なんだかドレスデンの暗く静かで内省的な雰囲気は露と消えていました。特にエルベ河畔の代わり方が凄くて、もう満員のカフェテラスやレストランが軒を連ねていて、どの店も満員御礼状態でした。


僕がお世話になったGaraxというお店は消えてなくなっていました。下の二枚は2001年当時のGaraxでの写真。若い女の子二人で切り盛りしていました。客は僕ひとり。ソーセージとジャガイモのペーストを食べてビールを飲んだんですが、あれも幸福な時間だったなあ。

Roma2008

ミュンヘンに到着した僕らは、とりあえずポストオフィスを探して絵葉書を投函しました。GAさんに聴いてみたらKeine Ahnung(そんなの知らないわ)といいながらも地図を出して探してくれる。やっぱり南ドイツ人は優しいです。

ランチはもちろんドイツ料理。これが最後の海外旅行かもしれないという、すこし感傷的な気分になっていたので、昼間からWeis Bierを注文しました。これは「白ビール」と訳されますが、日本の一般的なビールとはもちろん違います。ご存知のとおり白ビールには酵母が入っていて味がまろやかなのです。ドイツ人的几帳面さで、きっちり0.5リットル。すばらしい。

ソーセージに、パン。

このパン、塩がついていてめちゃ旨い。日本だと塩加減緩くしてるんですけれどね。

飛行機のウェルカムドリンクはカンパリにしました。スナックがしゃれてます。

ミュンヘンから成田への機材は、行きと同じくエアバス340でした。エコノミーだったのですが、すごく待遇よかったですよ。スパークリングワインを3つも出してきてくださって、私ら二人ともべろべろに酔っ払ってしまいました。

その後、待ちかねたように始まった免税品販売の時点では完全に理性を失い、財布やら何やらを二人して大人買い。財布なんて、「ちょっと中見せてよ」といったら、キャビンアテンダーの男性が包装をビリビリ破ってくれるもんだから、買わないわけにはいかないじゃないですか。。

で、あとはシベリア上空を意識を失い眠り続けました。少し残念な気分。

着陸直前に、機内サービスのアンケートを頼まれました。あそこまで待遇よくしてくれて、悪い評価なんてつけられるわけないじゃないですか。まんまと、CA達の手のひらで踊ったかんじ。でもとても楽しいフライトでした。ルフトハンザ、今はどうなっているかわかりませんが、2008年当時はよかったですよ。

というわけで、成田に帰着。これで2年間もかかったローマ紀行もおしまい。次に海外旅行に行けるのはいつになるやら。。

Roma2008

これで、もう最後でしょうか。桜の写真。来年も良い桜が見られると良いですね。

昨夜は、会社でお世話になった方が5月に異動になるということで送別会に行って参りました。生まれて二回目のふぐ料理でした。

さて、今日で声と役についての記事は一段落する予定。とはいえ、もう少し突っ込みたいところがあるので、後日また研究テーマとして取り上げると思います。

バス・バリトンは、ワーグナーオペラでは大変重要な役柄です。ヴォータン、グルネマンツなどなど。というわけで、また堀内修さんの本からの引用でまとめます。

リリック・バリトン

テノールに比較的近く広域も伸びる。

  • <コジ・ファン・トゥッテ>グリエルモ
  • <ファウスト>バランタン
  • <タンホイザー>ヴォルフラフム・フォン・エッシェンバッハ
  • <ローエングリン>軍令使

カヴァリエ・バリトン

その名のごとく騎士のバリトンの意味。声に輝きがあり主役的なバリトン。

  • <ドン・ジョヴァンニ>ドン・ジョバンニ
  • <エフゲニー・オネーギン>オネーギン
  • <タンホイザー>ヴォルフラフム・フォン・エッシェンバッハ

キャラクター・バリトン

個性的表現ができるバリトン。

  • <トスカ>スカルピア
  • <シモン・ボッカネグラ>パオロ
  • <リエンツィ>オルシーニ
  • <トリスタンとイゾルデ>メロート
  • <ニュルンベルクのマイスタージンガー>フリッツ・コートナー
  • <ラインの黄金>アルベリヒ
  • <ラインの黄金>ドンナー
  • <ジークフリート>アルベリヒ
  • <神々の黄昏>アルベリヒ
  • <神々の黄昏>グンター
  • <パルジファル>クリングゾル

ヘルデン・バリトン

低域が充実し起伏を表現するバリトン。

  • <メディア>クレオン
  • <アラベラ>マンドリカ
  • <さまよえるオランダ人>オランダ人
  • <ローエングリン>フリードリヒ・フォン・テルラムント
  • <トリスタンとイゾルデ>クルヴェナル
  • <ニュルンベルクのマイスタージンガー>ハンス・ザックス
  • <ラインの黄金>ヴォータン
  • <ワルキューレ>ヴォータン
  • <ジークフリート>さすらい人
  • <パルジファル>アムフォルタス

キャラクター・バス

比較的高音もあり幅広い表現が可能なバス(バス・バリトン)

  • <トロヴァトーレ>フェランド
  • <フィデリオ>ロッコ
  • <リエンツィ>コロンナ
  • <さまよえるオランダ人>ダーラント
  • <タンホイザー>ビテロルフ
  • <タンホイザー>ライマル
  • <ラインの黄金>ファーゾルト
  • <ワルキューレ>フンディング

セリエーサー・バス

最低音域の深い声と存在感のあるバス

  • <魔笛>ザラストロ
  • <ドン・カルロ>フィリッポ
  • <タンホイザー>領主
  • <ローエングリン>ハインリヒ王
  • <トリスタンとイゾルデ>マルケ王
  • <ニュルンベルクのマイスタージンガー>ポーグナー
  • <ラインの黄金>ファーゾルト
  • <ラインの黄金>ファフナー
  • <ワルキューレ>フンディング
  • <ジークフリート>ファフナー
  • <神々の黄昏>ハーゲン
  • <パルジファル>グルネマンツ
  • <パルジファル>ティトレル

Roma2008

お土産の買い物なんかして、特別ラウンジで、無料でエスプレッソを飲んで、いざボーディングブリッジへ。機種はイギリスのBAE製のアヴロRJ。この航空機、乗員が110名前後という小ささで、短距離機であるにも関わらず、エンジンは4発もある。しかしながら、このエンジン、実に静粛性が強くて、騒音規制に引っかからない。もちろんエンジンが4つということは整備も大変なのだが、部品がモジュラー化されているらしく、意外と大変ではないらしい。

で、エア・ドロミティのアヴロにはしゃれた名前が付いています。まあ、日本の航空会社でも一部やっているけれど、個々の機体に名前を付けたりします。ルフトハンザだと、たしかB747にはたとえば「ザクセン」というように州の名前がついているし、エアバスには街の名前が付けられたりしている。日本でも昔は機体にそれぞれ名前が付いていることが多かった。「よど号ハイジャック事件」だと、機体には「よど」という名前が付いていたと言うこと。あとは、MD-11には鳥の名前がついていたし、ボーイング777には星の名前がついていました。

話題がずいぶんそれましたが、エア・ドロミティのアヴロには、ヴェルディのオペラの名前が付けられているという洒脱さ。僕たちが乗ったのは「ナブッコ」号でしたし、ミュンヘンでは「アイーダ」号を目撃しましました。

ともかく、話題がそれましたが、アヴロに乗り込んで驚いたのはシートピッチが広い。私はこれまでの人生で3回アヴロに乗っていますが、そのうち2回はルフトハンザシティーライナーでして、非常に窮屈という印象でしたが、ドロミティアのアヴロはゆったりしています。シートピッチが大分広いのです。

さらに驚いたのは機内サービス。ルフトハンザだと、サンドイッチをだしてくれるか、くれないか、なのですが、ドロミティアのこの便ではスパークリングワインを出してくれたり、しゃれた箱に入っているサンドイッチやミネラルウォータをだしてくれたりと実に親切。

エア・ドロミティはルフトハンザの子会社なんですが、こういう風にサービスで良い風に差別化を図っていくのは良いことですね。大変良い思い出。

Wikiには記載がないですが、 公式ウェブ の最新の情報では、エア・ドロミティのアヴロは退役したようで、エンブラエル195に置換されているみたいですね。あと、ターボプロップでいうと日本ではマイナーですが、フランスとイタリアの共同開発のATR72を引き続き運用している模様。

しかし、CAさんって本当に凄い。この飛行機の機内放送は、ドイツ語、イタリア語、英語。それを一人のCAが喋っちゃう。もちろん、彼らのようなインド・ヨーロッパ語族の方々にとってみれば方言の違いぐらいなのかも知れないけれど。悔しすぎる!

さて、と言うわけで、ミュンヘンにはお昼頃には到着。