Oboe

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今日はオーボエレッスンでした。

レッスン前に、練習場近くの喫茶店に入りました。美味しいコーヒーでした。雰囲気は昭和時代です。最近のカフェは禁煙ばかりですが、ここは昭和からのトラディショナルな喫茶店ですので、皆さん煙草を吸うことができます。私はすいませんので少し居心地が悪かったですが、昭和の風情を満喫しました。

さて、オーボエですが、最近も引き続き勤しんでいます。

ですが、やはりジャズ的かつサックス的な吹き方になってしまっていて、どうにもこうにも。

たとえば、スケールの上行フレーズの裏にアクセントが入ってしまったり。高い音程になると、伊東たけしのような吹き方に鳴ってしまったり。あるいは、サックスのようにキーをガチャガチャ動かしてしまったり。

昔、大学のドイツ語の授業で先生がこうおっしゃっていました。曰く「ドイツ語の授業で間違って英語を喋ってしまう人がいるんですが、そういう人は英語ができない人なんですよね」だそうです。それと同じような状態なのでしょうか。

つまり、楽器を意識してコントロールしていないということなんでしょう。出来る人は、裏拍だろうが表拍だろうが使いこなせるんでしょうから。まあ、そういう方はもしかするとプロなのかもしれないですけれど。

最近、またサックスを吹き始めたので、そのせいなのかもしれません。

とにかく、なかなか難しい今日このごろです。ちょっと無理あるのかなあ、なんて。楽器の掛け持ちだけならともかくジャンルも掛け持ちしているということは、相当高い壁なんじゃないだろうか、などと。

だいたい、ものごとに取り掛かるとこういう壁のようなものに突き当たるものなので、驚きはしませんが。

それから、やはり、音楽を習うという経験は本当に貴重ですし。何百年脈々と受け継がれてきた音楽教育の一端に触れているということ自体が勉強だと思います。

いつか、《ばらの騎士》第二幕のばらの献呈の場面を吹けるようになりたいものですが、いつのことやら。。

ではみなさまおやすみなさい。

2013/2014シーズン,NNTT:新国立劇場,Oboe,Richard Strauss

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アラベッラ、行ってきました。ベルトラン・ド・ビリーの爽快で洒脱な音作りを堪能しました、アンナ・ガブラー、アニヤ=ニーナ・バーマン、ヴォルフガング・コッホ、マルティン・ニーヴァル、安井陽子さん、みなさん本当に素晴らしかったです。
なんだか、フィアッカミリの安井陽子さんが素晴らしかったですね。なんだかどんどんパワーアップしている気がします。
あとは、東フィルのオーボエの音が素晴らしかったです。張りはあるけれど優しくかつ繊細。かなり感動。多分、荒川文吉さん。昨年の第82回日本音楽コンクールオーボエ部門で二位になった方。
終幕後、バックステージツアーで4年ぶりに舞台に上がり、その後新宿で所用をこなしたため、遅くなってしまいました。明日以降引き続き書きます。宿題ばかり。
ではグーテナハト。
※ こちらの写真は今年の冬のものです。

Oboe

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はじめに

異次元な多忙で、楽器を吹くのも儘なりませんでしたが、GWあけのとあるプロジェクトの〆切も終わりましたので、本格的にオーボエ再開しました。
それにしても本当に難しい楽器です。何回も繰り返しますが。サクソフォーンがいかに合理的なのか、ということを事あるごとに思い出しています。

最大の課題

最大の課題はフィンガリングです。
未だにキーを押さえられない、という状況す。キーには穴があいており、これを塞がなければなりませんが、サクソフォーンにはそんな面倒なことはありません。指で少しキーを抑えてやればいいんです。が、オーボエは、キーを抑えるだけではなく、キーに会いている穴も押さえなければなりません。
こんなことは、これまでやっておられた方には、常識なんでしょう。
指の形を覚えこませるまで練習すれば良いということはわかっていますので、あとは演るだけなんですよね。
で、数カ月前に、ebayで、セルマーのABS樹脂製のオーボエを落としました。木製オーボエは、屋外で吹くと割れて壊れますが、ABS樹脂は屋外で吹いてもOKなんですね。しかも左Fキーがついてるモデルを選びましたので、フィンガリングの練習にはなるのです。5万円ぐらいでした。
国内で売っているABS樹脂オーボエは左Fキーがありませんし、値段も10万円を超えますので、いい買い物をしたとおもいます。ただ、国内で調整してくれる楽器屋さんはないでしょうね、きっと。。

これを持って、昼休みに近所の運河で練習することにします。
アンブシェア・ビブラート
最近のレッスンで改めて思ったのは、アンブシェアの圧力を緩めるということ。緩めつつ、喉を開き腹筋で支えるということ。これも最近やっと分かるようになりました。喉を開く、というのはサクソフォーンと同じですので、この辺の感覚はずいぶんわかりやすいです。
あとは、サックス以上に高音域と低音域でアンブシェアや喉の開きを変えなければならないということです。これは頭ではわかっていますがついつい忘れがちです。まあ、フィンガリングで穴が塞がらない問題が先で、そこまでケアできていないだけなんですが。
サックスでは顎でかけるビブラートも、オーボエは腹筋でかけます。これも課題です。ビブラートをかけると途端におとがみずみずしくなりますので、はやくまっとうにかけられるようなりたいものです。
というわけで、引き続きがんばります。
では、グーテナハト?です。

2013/2014シーズン,Music,Oboe

せっかくの禁酒を超克して、現在燃料補給中。
今日はこちらで燃料補給。
引き続き《死の都》。本当に考えることが沢山です。
このオペラは、第一次大戦後に初演されました。失われたものへの惜別と、あらたなものへの希望、というテーマは、まさに戦間期ヨーロッパにおいては求められていたものに違いありません。これは、先日のオペラトークで音楽学者の広瀬大介さんがおっしゃっていたことです。
では、次の希望とはなんだったのか。残念ながらそれはナチズムでもあった、という可能性において気付くべきでしょう。ですが、ナチズムは第一次大戦前の模倣に過ぎないという見方も出来ます。
マリエッタが、失われたマリーの記憶であるとしたら、19世紀の失われたドイツ帝国のそっくりさんは、ナチズムに当たります。
マリエッタこそが、奇怪なナチズムだったのか、と思うと、驚きを禁じえませんが、古きよき価値を纏いながらもそこになにかしらの胡散臭さや危険性を感じるという意味では、マリエッタがナチズムの予感だとしても驚くことはありません。
マリエッタの所業は夢でした。夢でよかったのです。ですが、現実は夢ではありませんでした。マリエッタの激しく妖しいダンスの禍々しさがそのまま欧州大陸を覆ってしまったのでしょう。
コルンゴルト父子は、惜別を過去への追想を超えた、全く別の次元のものとして考えていました。ですから、パウルは、ブリュージユを去ったのです。
失われたものを取り戻すということは、そういうことなのかもしれせん。
我々は今喪われたものを取り戻そうとしているのでしょうか。実はそれは危険なことではないか。マリエッタと懇ろになり、身を滅ぼすものではないのか。そうしたことに思いを巡らせた一日でした。
グーテナハトです

2013/2014シーズン,NNTT:新国立劇場,Oboe

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落日。日はまた昇るのでしょうか。
先日から読んでいるこちらの本。

城・ある告別―辻邦生初期短篇集 (講談社文芸文庫)
辻 邦生
講談社
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辻邦生作品の中でも特に大好きな作品の一つである「ある告別」が収められています。ここで、辻邦生が初めてアテネに行った時にパルテノン神殿を観た感動が記されています。ですが、ここにおいてはまだ明示的にそのパルテノン体験が語られているわけではありません。

言葉の箱 小説を書くということ (中公文庫)
中央公論新社 (2012-12-19)
売り上げランキング: 20,928

「言葉の箱」とよばれる講演集の中で、そのパルテノン神殿を観た感動を文学的にどのように解釈したのかが平易に語られています。つまり、芸術によって秩序をもたらすという視点が取り上げられます。美が世界を支えるというものです。
これほどの芸術至上主義が一言で受けいられるわけはないかもしれません。私も腹の底から理解するのに何年もかかってしまいました。
ですが、今回の《死の都》の舞台を観た途端、ああ、これが人間の底力で、世界を支えているのはこういう舞台なのだ、と直感したのです。
舞台両側面の棚には所狭しにマリーの思い出の品が並べられ、床にも沢山の箱が置いてあり、一つ一つに写真がはられているという豪華さです。
その舞台の様子は昨日もだした以下の写真で垣間見ることができると思います。
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この舞台を見て、あっけに取られない人ははずですし、みながみな美しく絢爛だ、と思うのではないかと想像します。幕が開いた途端、輝く舞台におののいてしまったのです。
ですが、先に進もうとする私を後ろから引っ張る力があって、引き止められてしまったのでした。
常にさいなまれる聴衆とはなにか、という問題と、西欧芸術の至極を日本文化がどう咀嚼できるのか、という問題。
両方の観点において私はアウトサイダーです。正規の音楽教育を受けておらず、日本人として日本文化の中で育ったということ。そうした人間が、この舞台を本当に理解できるのか。それは量的な不足ではなく、乗り越えられない質的な差異ではないのか。
この問題は非常に有名な問題でこれまでも語られ続けていますから、個人的にどのように考えるのかは、これから整理する必要がありそうです。そんなことを考えていると、その他のこともあいまって、やること考えることが多すぎて頭がおかしくなりそうです。すこし冷却しないと。
なんてことを考えましたが、涙なしには視られない舞台であり、感動し続けたことは間違いないのですが。
まだ続きそうです。グーテナハトです。

2013/2014シーズン,NNTT:新国立劇場,Oboe

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《死の都》第二回。妄想が膨らみ続けています。
私の大学時代の先輩も見にいらしていて、FBで少しだけやりとりをしました。
そんな中で思ったのは、マリーの挙措自体が男性が作り上げた幻想なんだろうということ。いわゆる永遠の愛を信じる男の身勝手さというものです。
これまでも、オペラにおいて、男によって作られたヒロインたちの姿を見続けました。新国立劇場の今年の演目である《カルメン》も《蝶々夫人}もそうでした。
奔放なカルメンも、貞節な蝶々さんも、永遠に生きるマリーも、華やかで自由なマリエッタも、みんな男が作ったものです。
そこにいくばくかの真実はあるのでしょう。芸術に昇華されたものとも言えるのかもしれません。ですが、どこかにねじれを感じるのです。
そのねじれは、今回のマリー においてまさに現れたのでしょう。
演出意図としては最高で、パウルの描くマリーをよく表現していました。本当に素晴らしい物でした。
ですが、それは男が勝手に作ったものでした。パウルがマリエッタと懇意になると、マリーは顔を覆います。これは、もう、パウル=男の身勝手でしょう。本当にそうなんですかね。パウルの思い上がりではないですか、などと思ったりします。
原作とは異なり、マリエッタですら、パウルの夢の中で勝手に作られたものになっています。まるでサロメのダンスを彷彿とさせるマリエッタのセクシャルな踊りもパウルが作り出したものにすぎません。パウルの妄想です。
それを作り出したのが、パウル・ショットことユリウス・コルンゴルトなのです。ウィーンの法律家にして音楽評論家。体制側にくみした保守的な男が作り上げる女性は、男の欲望や幻想を投影したものに過ぎないと捉えられても仕方がない面もあるような気がするのです。
マリエッタが「これは女の闘い」といいますが、それもパウル=男=ユリウスの幻想ですので、よく考えると滑稽にも思えるのです。
ですが、これには続きがあるはず。ここから先は私の妄想ですが。
今日の仕事はいつもとは違うお仕事でした。刺激的。
ではグーテナハト。

Oboe

大雪の影響でレッスンが飛んだので、一ヶ月ぶりのレッスンになってしまいました。
場所も変わり新宿にて。
どうもアーティキュレーションへの意識というものが向いておらず、楽譜を見てアーティキュレーションをコントロールするという行為が苦手なようです。そういったものはなんとなくできていたんでしょうけれど、改めて意識するとなかなか興味深いものです。
吹奏楽から上がったわけではない独学サクソフォーンにとってみれば、実に新鮮なことが沢山。みなさんこういうことを習っておられたというわけなのですね。
やはり、音楽は独学では限界があるということだと思いました。
口蓋の容積のコントロールの重要性も改めて再認識しました。少しの操作で音はずいぶん変わっていきます。面白いぐらいに良くなっていきますので。先生の的確なご指導に感謝しています。
今やっているのはHINKEですが、これだけでもずいぶん面白いものです。

Praktische Elementarschule fuer Oboe / Elementary Method for Oboe
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Peters, C. F. Musikverlag
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今後やりたい曲をどうしようか、という話になりましたので、バッハのイタリア協奏曲でーすと申告しましたが、言っておきながら不遜だ、と思いました。しかし、この曲はピアノで弾いたこともあるので、思い入れあります。
こんなかんじで弦楽四重奏とやる編曲版があります。

アルブレヒト・マイヤーも演奏しています。

バッハ・アルバム
バッハ・アルバム

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マイヤー(アルブレヒト)
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というわけで、今回も妄想シリーズでした。グーテナハトです。

Oboe

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線路が雪で埋まってしまった出先の駅。まったく、どうかしてます。水曜日、木曜日とまた雪が降るそうです。山梨も大変な被害だそうです。
雪が多いからといって温暖化とかどうだかとか言うのは拙速らしいですが、ともかく黒潮の蛇行が原因だとか、ブロッキング高気圧とか言う強力な高気圧がシベリアからベーリング海峡あたりにいてジェット気流が蛇行しているから、とか、いろいろ原因はあるそうですね。
さて、オーボエのこと。先週、練習中にFキーのタンポが外れました。まあ、日が経つとそういうこともあるようで、修理をしていただき、今日も少しだけ練習。いい音が出るようになってきました。
が、音の出し方はわかっても、アンブシェアの力が無かったり、ブレスの方法が今ひとつということで、なかなかうまく行きません。やはり毎日練習してアンブシェアを作ることが必要です。
それから、先日ゆえあって、少し固めのリードを入手しました。これ、ほんといい音が出ます。でも、すぐに疲れてしまうんですが。。はやくリードを自分で作れるようにならないと行けないですね。
というわけで、新兵器を導入しましたが、これはまた後日。
さて、こちらもゆえあって、バンドをやるかもしれなくなりました。少し楽しみですが、どうなることやら。。
ではグーテナハト。

Oboe

再起動します。先週はいろいろありました。

夢のあとに~ベスト・アルバム
宮本文昭
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高校時代の友人が来訪し、いろいろ話をしました。その中で興味深い話題。
宮本文昭の音ですが、とある方が、「あれはソプラノサックスの音だね」とおっしゃったそうです。
そこには幾らかの批判精神があるようなのですが、それを聴いてますます確固たるものを感じました。私はやはりソプラノサックスのような音としてのオーボエの音が好きなのであり、それは宮本文昭でありオグリンチュクである、ということなのでしょう。
逆に言うと、私がT-SQUAREの本田雅人のソプラノサックスを聴いた時に、あ、これはオーボエだ、と感じたという記憶もよみがえりました。
そういう前提でリードなり楽器なりを考えていくことにします。
来週末は、《カルメン》です。クライバーで予習中です。

Oboe

夢のあとに~ベスト・アルバム
宮本文昭
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オーボエのお勉強シリーズ。
潜在的にオーボエを吹きたいという気持ちは、10年以上前からあったんですが、どうやらその理由を改めて確認しました。
去年の10月に以下の様なことを書きました。

オーボエは、宮本文昭なんかで知っていて、高校生のときにコピーなんかしてましたね。宮本文昭がタモリがやっていた「クイズ音楽は世界だ」にでた時に、カッコいいな、と思いましたが、あ、オレにはソプラノサックスがあるから、と思ってました。

たしか、ブルーヴォイスというアルバムの中に入っている《イパネマの娘》をコピーしたはず。それを大学のジャズ研で吹いたところ、キーが1音違っていて、あれれ、と思った記憶が蘇りました。
やはり、私の中のオーボエの音は、宮本文昭のようです。ソプラノ・サックスのように太く豊かな音がが好きだ、ということなのでしょう。昨日少し触れたオグリンチュクと同じ。
宮本文昭が使っているのシュプリンガー。リードは少し広めのものを使っているようです。ヘルトナーゲル25番というシェイパーのようです。
(シェイパーはリードのフォルムのことです)
とにかく、音に厚みがあり、低音から高音まで伸びがあり豊かです。聴いているだけで癒されつつ鼓舞される感覚。
とにかく、頭使って少しでも近づきましょう。
ただ、ジャズのトラックは、PAが入っているのですこしわかりにくいです。あとは、まあ、ちょっとジャズっぽくないかも。。あとは、オムニバスなので、ガッツリ聴きたい向きには物足りないかもしれません。私も別の宮本文昭のCDを入手しようと画策中です。
明日も戦場。グーテナハト。