Richard Strauss

少しずつ秋も深まり始めた感じの1日でした。

やはり、11/3は晴れの特異日という感じ。お昼頃に少し曇りましたが、ご覧の通りの青空。夕方にかけても夕陽が眩しい感じ。太陽の高度は、だいたい一月下旬から二月ごろと同じぐらいでしょうか。あと1ヶ月ほどで、日の入りが最も早い季節になります。太陽が好きな私には辛い季節になりました。せめて、部屋は明るく整えたいものだと思います。

今日は、あまり聞いたことのなかったリヒャルト・シュトラウスの交響曲第二番をネーメ・ヤルヴィの指揮で。クラシック音楽作品名事典によれば、1883年の作曲ということなので、20歳ごろの作品ということになります。初演はニューヨークとのこと。ロマン派的な楽曲なのは当たり前ですけれど。

連休終わり、明日も早朝会議です。みなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Gustav Mahler,Sports

いつもは、野球を見る時間もありませんが、今日は流石に見ることになりました。ドジャーズの勝利を同時間に味わいました。応援している方は見ているだけですので、楽なものですが、それでもどちらが勝つのかわからない、という緊張感だけでも同時体験することは、心を鍛えることにもなることだと思います。これまで、あまりスポーツ中継に時間を取ることもありませんでしたので、良い思い出になりました。

さて、昨日、カラヤンのマーラー交響曲第5番を聞いたので、今日は別のアルバムを聴いてみようと思いまして、ベランダのがサイモン・ラトルが振った。交響曲第5番。ベルリン・フィルの就任記念演奏会だったと思います。

あの時は第3楽章でホルン奏者がステージの前面に出て、まるでホルン協奏曲のような演奏を見せてくれたのを覚えています。もう30年ほど前のことでしょうか。時が経つのは早いものです。さすがにこの第3楽章の演奏は、スリリングで、当時、NHKのBS放送でオンエアされたのを見て、こんな演奏があるのかと驚いた記憶があります。もう懐かしすぎてなんだかなと言う感じ。

最近のオーケストラ界で言うと、どんな演奏があるのかしら。新しいオーケストラを味わうことも、野球をはじめとしたスポーツ番組を見て、関心を満たし、心を鍛えるためには、人生の構造を変えていく必要があるのかもしれません。

ということで、今日はこの辺で。おやすみなさい。グーテナハトです。

Gustav Mahler

なんだか、マーラーのアダージェットを聞きたくなり、Apple Musicで検索をしてみました。そういえば、カラヤンが振るアダージェットはあまり聞いたことがないなと思い聞いたのですが、いやーほんとに素晴らしいなぁと思いました。ここまで耽美的な美学。

ちょうど午後も深まった頃、東京の空から雲は消え、琥珀色の太陽の光が満ち満ちていました。このような美しさの中に本質的なものがあるのではないかと思うでした。

それでは。少し早いですが、おやすみなさい。グーテナハトです。

Richard Wagner


今週に入り、初心に戻るか、と思い、ヴァーグナー。「トリスタンとイゾルデ」を2枚聴いた。ペーター・シュナイダー、ウェルザー=メスト、そして今は3枚目のバーンスタイン。いずれも好みの演奏で嬉しい限り。

バーンスタインは、もっと遅い演奏と思ったけれど、確かに、冒頭のテンポは緩いが、曲が進むと割とメリハリが効いている。巧いんだなあ、と。

前後するが、ペーター・シュナイダーは、バイロイトのライブで、当時ネットラジオで聴いたものだ。数年後、この演奏を聴いて、なんだか150年間経っても戦争が終わらないことが嘆かわしくなったのを思い出した。確か大阪出張の新幹線の中のことだ。

賛否はともかく芸術はそれ自体真善美と信じることにしているが、まあ、音楽聴いてそんなことを思うのも趣のあることなんだろうし、いくばくかは世界がよくなることに寄与しているのだろう。

もちろん、第二次大戦中の政治利用はカッコに入れて継続考察なのだが。

さらに、夕方からは、Richard Wagner のTristan und Isoldeを、カルロス・クライバーの録音で聴く。

ドレスデン国立歌劇場の名盤。東ドイツ時代なので、国立でよい。州立ではないのだ。録音はルカ教会だったはず。素晴らしいリバーブ。録音は最高。そういえば、荻窪にあったベリオ(だったかな?)というスタジオのリバーブ感は素晴らしかった。


トリスタンはルネ・コロなはず。数多のヘルデンテノールの代表格の方。


指揮の方は、やばいぐらいグルーブしている。芸術は死と隣り合わせ、という感じ。彼岸と繋がらないとこういうのは出てこない気がする。


さて、最近、また、書かないとな、と思うようになりまして、ブログ、Facebookなど、いろいろと。先日は、辻邦生展を見に軽井沢に行きましたので、その辺りも、レポートしてみようかな、と思います。

それでは、おやすみなさい。グーテナハトです。

Ludwig van Beethoven

今日の午後、小さい子が「エリーゼのために」を弾いているのを聞きました。グランドピアノで弾くそれは、ふくよかな音と、静謐な和声に彩られていて、いいしれぬ幸福を感じたのでした。またさらうには至らないので、たどたど引く弾くその演奏は、楽曲に至りませんが、そこには確かに、ベートーヴェンの和声が現れていて、それだけで、18世紀末の市民革命を待つ時代の空気を感じさるものでした。

というわけで、ベートーヴェンのピアノ曲を聞きたいということで、ポリーニのベートーヴェンソナタ全集を。ポリーニの弾くドイツ音楽は、ドイツの中にあるロマン主義を抽出するように思います。ルター的、あるいは、ホフブロイハウス的な民衆性とは違う静かなドイツ。ヘッセ的なもの。そんな感じです。

さて、夏真っ盛りで、夏が好きな私は幸せですが、夏の終わりを予感し、寂しさを覚えました。暑さのもたらす難しさも多々ありますが、これも地上にいるが故の幸せの一つと思い、夏の日差しや蝉の鳴き声を楽しもうと思います。

それではおやすみなさい。グーテナハトです。

Dmitrii Dmitrievich Shostakovich

https://embed.music.apple.com/us/album/shostakovich-symphony-no-8/1452221185?itscg=30200&itsct=music_box_player&ls=1&app=music&mttnsubad=1452221185&theme=dark

2025年も春分に差し掛かりました。

本当に、今年の冬は長かったなという感じです。まだ終わったわけではありませんが。春分というのに、昨日は東京でも雪が降りましたし、今日も夜になると冷え込みが厳しいです。

そういえば、昔、夜中にショスタコーヴィチを聴くといい、というような話を聞いたことがあり、そういえば、最近聴いていないな、ショスタコ、ということで、ハイティンクのショスタコ全集をつまみ食いしている感じです。

いやー、ハイティンクのショスタコ、めちゃいいです。ハイティンクらしいクールな演奏。何か、極度にドロドロした感じもなく、疲れた身体にはこれぐらいがちょうどいいな、と思います。

今日も短く。

Giacomo Puccini,Richard Strauss

先日、オペラの話をする機会があり、まあ、残らされた日々をかつて愛したオペラを聴きながら過ごすのも悪くはないな、と思い、意識してオペラばかり聞くようにしました。

振り返ると、わたしは、シュトラウスとプッチーニを愛していたなあ、と思い、この二週間は、以下のアルバムを粛々と。

  • シュトラウス カプリッチョ ベーム
  • シュトラウス ダナエの愛
  • シュトラウス ナクソス島のアリアドネ シノポリ
  • シュトラウス エレクトラ ショルティ
  • シュトラウス サロメ ショルティ
  • プッチーニ トゥーランドット カラヤン
  • プッチーニ ボエーム カラヤン
  • プッチーニ マノン・レスコー シノポリ

Apple Music前は、5千円もするCDを買わないと聴けなかった音源が、サブスクで聴ける時代なので、オペラの敷居も低くなったなあ、と思います。

わたしも、図書館でCDを借りて、ITunes に取り込みながら勉強したものでした。

ということで、今朝はダナエの愛を聞いて、演奏機会のないオペラの初演はどうだったのかな、などと思いをめぐらせていたところでした。

それでは。

Gustav Mahler

Apple Music のレコメンドに表示されたハイティンクのマーラー。

Mahler 7 Haitink
Mahler 3 Haitink

最晩年の録音ですが、素晴らしいのです。先日、7番を聞き、今また3番を聞いていますが、なんというか、ただ、深く美しい藍色であったとしても、例えば藍染のような、実物に触れないとわからない淡く輝く織り目の輝きのようなものまでが現れていると思います。

デジタルではない、その場その場のフラクタルな輝き。じっと聞き続けてそんなことを思いました。

AIに関する情報が喧しい今日この頃ですが、だからこそ動かぬものへの憧憬が高まるばかりです。

それでは。

Opera,Richard Strauss

梅雨入り直前の日曜日の朝、近所を散歩しました。柔らかい日差しにつつまれる甘美な時間で、こういう時間を大切にすることが、生きる営みの智恵だとおもいます。

Heiter entscheiden,
sorglos besitzen,
Glück des Augenblicks
Weisheit des Lebens!

 

「明るく振る舞うと決心し、よろこびを悟り、幸福の瞬間こそが人生のよろこびであり、智恵である」という一節がリヒャルト・シュトラウスのオペラ「カプリッチョ」の中にありましたが、これだな、と思います。

梅雨入り前最後の好天を楽しみましょう。

それでは。

Ludwig van Beethoven

憲法記念日。写真は、昨日のものですが。すいません。なぜか、「なつきにけらし 白妙の」という言葉を思い浮かべてしまいまいた。初夏の風情が横溢していて、幸福感しかありませんが、なぜか扁桃炎を発症してしまい、休日当番のお医者に朝一で行ってみて頂いたりしまいた。ありがたい限り。

さて、先だって書いたラトル&ウィーンフィルのベートーヴェン交響曲全集に引き続き、ベルリンフィルとの録音を聴いています。

解像度が高く、繊細で、軽やかで、手触りの良い質感。ベルヴェットのように輝く演奏。癖もなく、軽いスパークリングのような清涼感。今時分、初夏に聴くのにちょうどいい感じ。

ワインの選評みたいですが、スタイリッシュな銀細工のような演奏で、いいなあ、と思います。

しかし、ティンパニーが独特に感じるのは、ラトルのコントロールなのか、ミキシングなのか、ティンパニー奏者の方のセンスなのか。ラトルは打楽器やっていたので、なんとなくラトルのセンスなのかもしれない、と思いながら聞いていました。

一番から九番まで、一周きいて、二週目に入りましたが、いやー、メジャーな、三番、四番、五番、六番、七番、九番よりも、一番、二番、八番が心に沁みます。特に、緩徐楽章がめちゃいい。癒しでしかないです。

音楽について書くと言うのは、なにかしらの言語化以前の情感を、目を瞑りながら手探りでその形を彫り出すと言う感覚があります。イマージュを現前に呼び出すと言う感覚かもしれません。さらに、個人的なメモにではなく、どなたでもみられる場所に書くという一定の緊張と矜持も言葉を彫り出すと言う営みを助けるのだと思います。

と言うわけで、近頃珍しく、先日の投稿からあまり間を空けず書いてみました。

おやすみの方もそうでない方も、良いゴールデンウィークを。