Giacomo Puccini,Richard Strauss

先日、オペラの話をする機会があり、まあ、残らされた日々をかつて愛したオペラを聴きながら過ごすのも悪くはないな、と思い、意識してオペラばかり聞くようにしました。

振り返ると、わたしは、シュトラウスとプッチーニを愛していたなあ、と思い、この二週間は、以下のアルバムを粛々と。

  • シュトラウス カプリッチョ ベーム
  • シュトラウス ダナエの愛
  • シュトラウス ナクソス島のアリアドネ シノポリ
  • シュトラウス エレクトラ ショルティ
  • シュトラウス サロメ ショルティ
  • プッチーニ トゥーランドット カラヤン
  • プッチーニ ボエーム カラヤン
  • プッチーニ マノン・レスコー シノポリ

Apple Music前は、5千円もするCDを買わないと聴けなかった音源が、サブスクで聴ける時代なので、オペラの敷居も低くなったなあ、と思います。

わたしも、図書館でCDを借りて、ITunes に取り込みながら勉強したものでした。

ということで、今朝はダナエの愛を聞いて、演奏機会のないオペラの初演はどうだったのかな、などと思いをめぐらせていたところでした。

それでは。

Gustav Mahler

Apple Music のレコメンドに表示されたハイティンクのマーラー。

Mahler 7 Haitink
Mahler 3 Haitink

最晩年の録音ですが、素晴らしいのです。先日、7番を聞き、今また3番を聞いていますが、なんというか、ただ、深く美しい藍色であったとしても、例えば藍染のような、実物に触れないとわからない淡く輝く織り目の輝きのようなものまでが現れていると思います。

デジタルではない、その場その場のフラクタルな輝き。じっと聞き続けてそんなことを思いました。

AIに関する情報が喧しい今日この頃ですが、だからこそ動かぬものへの憧憬が高まるばかりです。

それでは。

Opera,Richard Strauss

梅雨入り直前の日曜日の朝、近所を散歩しました。柔らかい日差しにつつまれる甘美な時間で、こういう時間を大切にすることが、生きる営みの智恵だとおもいます。

Heiter entscheiden,
sorglos besitzen,
Glück des Augenblicks
Weisheit des Lebens!

 

「明るく振る舞うと決心し、よろこびを悟り、幸福の瞬間こそが人生のよろこびであり、智恵である」という一節がリヒャルト・シュトラウスのオペラ「カプリッチョ」の中にありましたが、これだな、と思います。

梅雨入り前最後の好天を楽しみましょう。

それでは。

Ludwig van Beethoven

憲法記念日。写真は、昨日のものですが。すいません。なぜか、「なつきにけらし 白妙の」という言葉を思い浮かべてしまいまいた。初夏の風情が横溢していて、幸福感しかありませんが、なぜか扁桃炎を発症してしまい、休日当番のお医者に朝一で行ってみて頂いたりしまいた。ありがたい限り。

さて、先だって書いたラトル&ウィーンフィルのベートーヴェン交響曲全集に引き続き、ベルリンフィルとの録音を聴いています。

解像度が高く、繊細で、軽やかで、手触りの良い質感。ベルヴェットのように輝く演奏。癖もなく、軽いスパークリングのような清涼感。今時分、初夏に聴くのにちょうどいい感じ。

ワインの選評みたいですが、スタイリッシュな銀細工のような演奏で、いいなあ、と思います。

しかし、ティンパニーが独特に感じるのは、ラトルのコントロールなのか、ミキシングなのか、ティンパニー奏者の方のセンスなのか。ラトルは打楽器やっていたので、なんとなくラトルのセンスなのかもしれない、と思いながら聞いていました。

一番から九番まで、一周きいて、二週目に入りましたが、いやー、メジャーな、三番、四番、五番、六番、七番、九番よりも、一番、二番、八番が心に沁みます。特に、緩徐楽章がめちゃいい。癒しでしかないです。

音楽について書くと言うのは、なにかしらの言語化以前の情感を、目を瞑りながら手探りでその形を彫り出すと言う感覚があります。イマージュを現前に呼び出すと言う感覚かもしれません。さらに、個人的なメモにではなく、どなたでもみられる場所に書くという一定の緊張と矜持も言葉を彫り出すと言う営みを助けるのだと思います。

と言うわけで、近頃珍しく、先日の投稿からあまり間を空けず書いてみました。

おやすみの方もそうでない方も、良いゴールデンウィークを。

Ludwig van Beethoven

それにしても、なんともかんともな生活が続いていますが、その傍にいるのは、なぜかベートーヴェン。こんなにベートーヴェンを聴く日が来るとは思いもよりませんでした。Twitterにも書きましたが、ベートーヴェンのアダージョを集めたコンピレーションアルバムにハマり、そこからラトルがウィーンフィルと作った懐かしのベートーヴェン全集を聞く日々という感じです。聞く時間というのは、もちろん、仕事場への往復電車でしかないわけですけれど。

https://music.apple.com/jp/album/beethoven-adagios/1675036696

アダージョ・ベートーヴェンというコンピレーションアルバムは、Apple Musicで、何かの拍子に見つけたものです。格安アルバムでよく目にしていたブリリアントレーベル。第九のアダージョはこんなに良かったのか、とか、皇帝のアダージョ、これまでは退屈に感じていた向きもあったのですが、静謐でいいな、など再発見が多かったです。

一方で、有名なラトルのベートーヴェン全集。20年ほど前に発売されたと記憶しています。当時は、一つの教養として聞いていた気がしますが、今はなぜか心に染み入る感じ。10年以上前に、経験を重ねるとベートヴェンを聴くようになるのかもしれない、と思いながら、ワーグナーに狂っていた頃があったのですが、そうした日々がとうとうきてしまったのかもしれません。

さて、今日で4月もおしまい。通勤時間はあっと言うまですし、家ではゆっくり音楽を聴くというよりも、インターネットラジオで、ジャズやクラシックを流して新たな音楽に合うのを楽しみにしている、と言う感じになっています。とはいえ、音楽ライフとしては幸福であることには変わりないのかも、と思います。

あとは、楽器を少し吹けるといいんだがな、などと思ったり。

と言うことで、皆様も良いゴールデンウィークを。

おやすみなさい。グーテナハトです。

J.S.Bach,Piano

最近はバッハのピアノ曲をよく聴きます。といっても、おそらくはバッハはチェンバロのために描いたんだと思いますが。

それで、感心したのがこちらでした。

AppleMusicのリンクも載せておきます。どうもamazonの音源とAppleMusicの音源が同じか自信がなく。。

この静謐な感覚、柔らかくリバーブの聴いた音質に吸い込まれ手しまった感じがして、この二週間ほどは、数日おきに聴いていた気がします。

なにか、深みのある青い水面をもった池に、いくつもの波紋がうかんでいるような、そんな感じがします。

チェンバロのために描かれた音楽であったとしても、それがピアノで演奏されたとして、モダンな感じとトラディショナルな感じが同居している不思議さなバランスを感じます。チェンバロで聴くよりもピアノで聴いた方がしっくりくる感じ。

リヒテルのことは、昨年末に日経新聞「私の履歴書」に登場したリッカルド・ムーティーの逸話が印象的でした。ムーティーの結婚式で、ニーノ・ロータとリヒテルが音楽当てクイズを永遠とやり続けたという逸話。…

リッカルド・ムーティ(13) 結婚式 披露会場で曲当て勝負 ロータとリヒテル、譲らず

どういう経緯かわからないが、リヒテルとロータが曲当てクイズを始めた。最初はヴェルディやワーグナーなどのオペラのアリアや序曲を数小節弾いていたが、だんだんエスカレートし、1時間たっても勝負が決しない。音楽のことならなんでも知っているロータだが、リヒテルも負けていなかった。オデッサの劇場で練習ピアニストとしていろいろな作品の伴奏をしていた経験が生きていた。2人の競争心は高まるばかりで、息をのむ光景だった。

映画の一場面にしたい光景です。

 

さてと、世の中は激変中で、シリコンバレー銀行の破綻は、何かの予兆?この3月はターニングポイントかもしれません。世界も個々人も、そして私も。

平穏な世界が訪れますように。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

J.S.Bach

 

最近、ものを書くことにこだわるように努めていて、日本語やら英語やらで、暇を見つけてはせっせと読み書きをしています。といっても暇はあまりないので、通勤電車の中とか、休日のいくばくかの時間に限られますが、歳を重ねたとしても始めるに遅いことはありませんので、せっせと読み、書くことにしています。

そんな時に相応しい音楽は何かしら、と考えた時に、バッハだなあ、と思い、AppleMusicで出てきたのがキース・ジャレットが弾く平均律クラヴィア曲集でした。グレン・グールドに比べて幾分か優しさのある音色は、キース・ジャレットのコンサートシリーズのそれに近しくもあり、静謐と懐古の色を帯びたものに感じます。

バロック音楽にはリズムの揺れがありませんので、ジャズとの親和性があるわけで、ジャック・ルーシエなどを大昔に聞いた記憶もありますが、集中が求められる時においては、ビートのある音楽がいいと思います。ビート=拍動は、おそらくは太古においてはシャーマンをトランスへ導くものだったわけで、ビートがもつ何かしらの作用は確かにあると思われ、そうした観点で暗黙に、バッハだなあ、となったんだと思います。

という感じで、今日もやはり、バッハを聴きつつ過ごしていますが、音楽が、読み書きへと至る集中を助けたり、あるいは幸福を想起させるといった作用と持つというのは本当にありがたいことです。昔はコンサートで、次にレコード、CDと徐々にポータビリティが上がってきたわけですが、今は、クラウド上の音源をいつでもどこでも聴けるわけで、何か精神の支えに寄り添ってもらっている感覚があります。ありがたい時代です。

ということで、春が少しずつ見えつつありますが、皆さも今しばらくの冬をご自愛ください。

Anton Bruckner,Richard Wagner

デジタルな日々が続いています。やれやれ、という感じ。

私は元来本に囲まれ、日々読書にいそしみ、ものを書き続ける生活に憧れております。

晴耕雨読ではなく、晴読雨読。それも、実学の本ではなく、実世界に役に立たない本が良いです。

小説、哲学、宗教など。も

ちろん役に立たないわけはなく、逆説的に言ってみているだけですけれど。

 

そんななかで、今日聴いたのがこちら。アンドリス・ネルソンスが振ったブルックナーの6番と9番。

そして、このアルバム、絶妙にワーグナーがカップリングされているという。ジークフリート牧歌とパルジファルの前奏曲。
ワーグナーとブルックナーを同じ土俵で聴くと言うこと、それも、9番となると実によく溶け合いまして、同じ作曲家によるものではないか、あるいは、もっと言うと同じ組曲か交響曲ではないか、と思うほどだったりします。

特に、緩徐楽章が際立つアルバムで、ジークフリート牧歌の静謐さ、6番第二楽章の荘厳さ、、パルジファルの恍惚とした感じ、9番第一楽章の峻厳さ、9番第三楽章の深遠な感じは、そこになにか通底するもの、なにか、人と人とをつなぐ共通意識のようなものを感じさせます。

 

それにしても、本に囲まれ、読書にいそしみ、ものを書く生活はいつくることやら。定年になってから来ても遅いわけで、なんとかせんといかんな、せめてまねごとからスピード感をもってはじめてみないと、と思いはじめています。

ということで、遅い時間ですが、まねごとから、ということで、おやすみなさい。グーテナハトです。

 

J.S.Bach

世界が変わりゆく昨今、書くこともままならない日々が続いている感じがします。仕事柄、頭も心もデジタル。

そんな中で、先の週末にとある知り合いの音楽発表会に出かけました。そこで効いたのが、小学生が弾くバッハのシャコンヌ。パルティータ№2のあれ、です。

いやー、もちろん、演奏はそういうもんなんですが、その中に、深遠なバッハの世界が顕現していまして、その先にあるイデアールなものを見た気がしました。どんな演奏であっても、バッハはバッハであり、音楽は音楽だなあ、と思いました。

シャコンヌは、短いコード進行の変奏で、パッサカリアと同類なのですが、しらべてみると、新大陸とも関係する舞曲形式なんですね。わたしは、演奏を聴きながら、ブラームスの交響曲第4番を思い出していました。

しかし、あれですね、この曲全く知らない方は、結構つらかったんだろうなあ、とおもったり。このシャコンヌの構築美、それは、なにか、カタルーニャ美術館のような,何か少し異形で先鋭的な美しさ、グレコの絵画のような感覚を得るのですが、それを、何も知らず、かつ小学生の演奏で聴くというのは、なかなか大変だろうなあ、なんてことを思いながら、15分間、自らのバッハ経験をなぞりながら、演奏を聴き続けたのでした。

復習はヒラリー・ハーン。
バッハの無伴奏パルティータといえば、20年前に千住真理子さんの全曲演奏を青葉台に聴きに行ったなあ、ということを思い出しました。演奏会が終わったあと、近くのお店で千住さんを目撃したのを思い出したり。。

私は、世界の真実は、やはり芸術において現れると思ってます(菅総理大臣風)。政治や経済、戦争も確かに、生死に関わる問題として,世界の本質を占めているようにおもいますが、実のところ、それは流れゆく皮相なものでしかなく、普遍であり、かつ不変であるものが、芸術でなんでしょう。もちろん、その不変と普遍をかたるものが、宗教であり哲学なのかもしれませんが、それを、直接的に魂にアクセスするのが芸術なんだろう、と思います。これは、宗教の言説や、哲学論文においてなせるものではないのでしょう。この、直接魂にアクセスする、というのが、デュオニソス的ということなんだとも思います。

憂うことなく、ただただ、飴色の太陽の光を浴びて、バッハを聴き狂う日がきっと来る、と思いながら、そろそろ休もうと思います。

それではみなさま、おやすみなさい、グーテナハトです。

Edward William Elgar

https://music.apple.com/jp/album/elgar-sea-pictures-the-music-makers/1508002132

いやー、エルガー、素晴らしいです。

The music makerというオラトリオ。自作の引用など交えながら、音楽家を語る楽曲。

今般、初めて聞きましたが、優美で豊かな楽曲で、決して手に届くことのないアルカディアの風景という感覚。手に届かない、というところがポイントです。

途中、あの甘美なニムロッドのテーマが登場し、それも楽詩を伴うもので、通勤中に、お、と思いました。神的な邂逅を感じます。第五曲に登場。

これ、大切な時に流して欲しい曲です。安息と静謐しかありませんので。

それでは取り急ぎ。