Opera

はじめに

新国立劇場の情報誌である「ジ・アトレ」の2010年6月号が届きました。そのなかで、ウィーン国立歌劇場総支配人のイオアン・ホレンダー氏のインタビュー記事が載っていました。
新国立劇場の置かれている非常に難しい状況はすでにこのブログでも何度も取り上げています。予算の圧倒的縮減を求められていたり、年々国からの委託費が減らされて行くであろうという問題です。
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まあ、ホレンダー氏へのインタビュー記事はこうした情勢を意識ししたもので、少々我田引水な側面もあるのですが、重要なことが多数書かれていましたので、少しご紹介します。
ホレンダー氏の発言を引用しながら考えていきましょう。

芸術作品を国が助成することの意義について

我々は国民の税金を託されて芸術作品を想像するのです。国のためにではなく、税金を払った人のためにです。(中略)国がオペラハウスを造り、人々にオペラを提供することは重要な義務なのです。

劇場が国民のためにオペラを企画し制作すると言うことを国民が希望しているのです。(中略)芸術という心の糧が必要だから自分たちで作り育てている、それが基本です。

日本とオーストリアの文化全般に対する考え方の違いや、日本とオーストリアにおける「オペラ」という西欧由来の芸術の位置づけがは、全く違いますので、ホレンダー氏の意見がそのまま日本にも当てはまるとは思えませんが、少なくとも「芸術が心の糧である」という考え方は万国共通でしょう。

オペラが人間にとって果たしている役割

(オペラというものは公的資金なしには運営が成り立たないものでしょうか? という問いに対して)
全く、明確にそうです。(中略)オペラは全然もうけのない商売です。(中略)心を豊かと言うにするという面でも、遙かに大きな利益、目に見えない利益が入ってきているのです。オペラが、バレエがなせ必要か。それはnotwendig、必要だからとしか言いようがありません。 *それこそが人間と動物の違いなのです。動物たちが必要としないものを人間は必要とするのです.*

今の社会は、明日、どうやって食べていこうか、という生存の危機にさらされている社会とも言えましょう。ですが、それでは人間も動物も同じになってしまいます。人間が動物と違うことの一つ、それこそが芸術を生みだし、芸術を享受することになる、ということなのです。これはどの芸術分野でも一緒です。音楽であっても、文学であっても。

新国立劇場の助成金と自己収入について

(新国立劇場の国からの財源が59%であるという事実に関して)自己収入が41%というのは非常によい数字です。(中略)ドイツでの歌劇場でも自己収入が20%以下というのがほとんどです。(中略)要するに、人に与える精神の価値というものは数字ではないのです。

私は、新国はMETのように、もっと国の助成なしに成り立っていくようになっていて欲しいと思います。ドイツの歌劇場では確かに許される助成金が、日本でもそのまま通用するとは思えないからです。
今、岡田暁生さんの「オペラの運命」という本を読んでいるのですが、ドイツにおけるオペラの位置づけは、国民のアイデンティティを確立するための装置であるという側面があります。日本において、オペラにそこまでの機能が求められているのか、というと少し違うはずです。
だからといって、ホレンダー氏の意見を全否定するものではありません。
岡田暁生氏の「オペラの運命」については、読了次第ご報告しようと思っていますが、オペラの歴史をたどると、現代におけるオペラの位置づけというものについて非常に大きな示唆を得ることができますので。これは別の機会に。

まとめ

今回の記事は、このタイミングで掲載されると言うことには若干の意図はあるでしょう。事業仕分けの問題などを意識しているはずだからです。ホレンダー氏の意見を100%無批判に受け止めることはできないでしょう。
とはいえ、人類に普遍的な部分はあると思いますそれこそが、 *「それこそが人間と動物の違いなのです。動物たちが必要としないものを人間は必要とするのです。」* という言葉に顕れています。これこそが、最も重要な言葉です。
オペラは日本においてはニッチな分野であることは間違いありませんが、オペラに限らず、歌舞伎、文楽、能楽、音楽、文学なども、ジャンルが細分化され、ジャンルのなかもさらに細分化していくという状態。
国民的な共感を得ているのはプロ野球やJリーグのような娯楽や、テレビドラマやバラエティ、映画などといえましょう。
だからといって、人数が少ないから、ニッチだから、といって切り捨てるのは本来の民主主義ではありません。民主主義は多数決主義ではないのですから。
私の書いていることは、きれい事かもしれません。食うや食わずで苦労しておられる方がいらっしゃることは十分に承知していますし、私だって明日はどうなるかわからないのですから。
ただ、音楽が生きる上での一つの支えになっていることは事実で、そうした思いを持っておられる方がほかにもいらっしゃると確信しています。
この「支えになっている」という考え方も、実はくせ者なのですが、これは岡田暁生氏の「オペラの運命」のご紹介の中で考えていきたいと思います。