Opera,Richard Strauss

オペラトークで紹介されたライトモティーフを、こちらでもご紹介します。

ライトモティーフとは

日本語訳では、示導動機と訳されます。ワーグナーが本格的に使用を始めましたが、それ以前にウェーバーなども似たような試みをしていますのでワーグナーの発明というわけではありませんが、ワーグナーの積極的な使用によりその後の作曲家にも大きな影響を及ぼしました。リヒャルト・シュトラウスのオペラにおけるライトモティーフの重要性はもちろんのこと、私はプッチーニオペラにおいてもその影響が見て取れると思います。
ようは、旋律に、各種の意味を持たせたものです。それは登場人物を喋々するものであったり、概念を象徴するものであったりといろいろです。オペラという劇空間の中では、ライトモティーフは台詞を伴う場合もありますが、伴わない場合もあります。台詞を伴わない時の効果は絶大で、この場面で何が起きているのか、このフレーズに隠された真の意味は何なのか、といった重要な要素を示唆するものとなります。
ライトモティーフを覚えてからオペラを見に行くと、聞き覚えのあるライトモティーフがでてきたときに、ちょっと嬉しくなります。

カイコバートの動機

カイコバートは作品には登場人物として登場することはありませんが、このフレーズによって何度も何度もその存在を我々に明らかにします。きわめて重要なフレーズ。第一幕冒頭、最初のフレーズがこのカイコバートの動機であると言うことことからも、その重要性は明白です。

“!https://museum.projectmnh.com/images/SoundIcon.png!":https://museum.projectmnh.com/midi/strauss/%EF%BC%91%EF%BC%89%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E5%8B%95%E6%A9%9F.mid

皇后の動機

この動機も実に美しいもの。少し愁いに満ちながらも、気位の高さや品位何度を感じさせるフレーズです。

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!https://museum.projectmnh.com/images/SoundIcon.png!":https://museum.projectmnh.com/midi/strauss/%EF%BC%92%EF%BC%89%E7%9A%87%E5%90%8E%E3%81%AE%E5%8B%95%E6%A9%9F.mid

石化の動機

皇帝は、皇后が三日以内に影を手に入れないと石になってしまいます。伝令が、乳母に、「皇帝は石になるぞ!」と告げるときに相当低い音まで下がってこの不気味なフレーズを歌います。

“!https://museum.projectmnh.com/images/SoundIcon.png!":https://museum.projectmnh.com/midi/strauss/3-Stein.mid
今日で今週の仕事はおしまいですが、週末は週末でいろいろやることがありますので、気が抜けません。

Classical

昨日に引き続き、新日本フィルの記者会見発表についてです。

まずは、錦糸町界隈の美しさ。並木の若葉がエメラルド色に光り輝いていてまぶしい感じ。

東京スカイツリーも見えました。凄いですねえ。もっと高くなるのかあ。

フランス・ブリュッヘンの希代なるベートーヴェン交響曲全曲演奏

フランス・ブリュッヘンの実に意欲的なベートーヴェン交響曲全曲演奏会「ベートーヴェンプロジェクト」が紹介されました。これはブリュッヘンのアイディアなのですが、以下のようなものです。
まずは、リハーサルを降順に行っていく。
つまり
9 > 8 > 7 > 6 > 5 > 4 > 3 > 2 > 1
という順番で、各日2,3日でリハーサルを行う。
次に、演奏会のために
1 > 2 > 3 > 4 > 5 > 6 > 7 > 8 > 9
の順番でリハーサルしつつ演奏回を行う。
というもの。これは、トリフォニーホールとの共同制作となるとのことです。当然、最初の降順リハーサルの間は、演奏会を行いませんので、経済的にも難しいプロジェクトですし、リハ会場となるであろうトリフォニーホールの方も相当の負担となるはず。一ヶ月近くどっぷりとベートーヴェンにはまり込むという、素晴らしくもあり過酷でもある試みです。
しかし、演奏する側にとっては、第九から降順にリハーサルをすることで、これから何が待ち受けているのかを知りながら演奏会に臨むことができるといことになり、非常に面白いことになりそうです、
続いて質疑応答があったのですが、ちょっと熱い感じでした。ポイントは以下の通りです。

質疑応答=技術面の充実についてはどう考えるのか?

アルミンク氏は、すべての音楽家は、Gipfel、つまり頂点に向かって登っている途上なのであるから、見守っていて欲しいというようなニュアンスでした。
コンマスのチェ・ムンス氏も、ある種の危機感は持っているけれども、劇的に瞬時にオケが変わることはできない、という趣旨の発言がありました。特に強調しておられたのは、技術の向上という面や、オケが良くなるためには、オケ側の努力も当然必要だが、それを伝えるマスメディアの方や、聴衆側の強力も不可欠なのである、ということをおっしゃっていました。
クラシック界全体の問題として、若い聞き手が減ってきているという危機感もあるとのこと。若い方々にもっと来ていただけるようにならないと、いわゆるクラシック界の未来も厳しいものがあるのではないかというご発言でした。
確かにその通りかも。私がよく行く新国の平均年齢はだいぶんと高い気がする。若い方もいらっしゃるけれど、そうそう多くはないからなあ。まあ、ずいぶんとチケットも値が張りますし、働き盛りの若い方々が、平日の夜に気軽に演奏会に行けるような社会でもありませんので。
昨日、たまたま岡田暁生さんの「西洋音楽史」を再読していたのですが、やっぱりクラシック音楽自体がニッチなものとなりつつあって、力を失いかけているのではないか、という機がしました。

質疑応答=オケのアイデンティティ

先日も、アカデミックな音楽が力を失っていることを書きました。
“https://museum.projectmnh.com/2010/05/07233302.php":https://museum.projectmnh.com/2010/05/07233302.php
質疑応答の中であったのは、日本のオケであるにもかかわらず、日本人作曲家の新作が1本しかないということや、日本で活躍する日本人ソリストの起用がないのではないか、という指摘でした。
アルミンク氏は意図的に日本人を起用しなかったのではなく、たまたまそうなったのである、と強調はしておられました。
ただ、楽曲の選択についても少々厳しい指摘があって、たとえば新日本フィルが海外公演を行ったときに、日本のオケとしてのアイデンティティをどのように保持するのか、日本のオケとして、日本人作曲家の作品をきちんと発信していかなければならないのではないか、というような意見。新日本フィルは毎年日本人作曲家に新作を委嘱しているそうで、蓄積はあるはずなのに、再演がなされていないなど、やっぱり日本人作品の取り上げ方には少々物足りなさがあるのでは、という意見でした。
これは本当に難しい。
私の個人的な意見ですが、果たしてクラシックのいわゆる新作を書くという行為自体、現代の日本においてきわめて難しいのではないか、という点はあるはずです。
需要もそうそうないでしょうし、西洋音楽のクリエイトという行為自体が問われているという側面もあります。海外ではヘンツェやリームなどの作曲家が活躍していますけれど、日本においてはあまりにニッチな領域としか言いようがないです。
これは、日本人が西洋音楽(クラシックだけじゃなくて、ポップスやジャズもそうですけれど)をやる意味とはなにか、というところまで話がいっちゃいますので。これは、今後も考えていかないと行けない課題だと思いました。

最後に

 滅多に立ち入ることのできないクラシック業界の舞台裏を見ることができて本当に興味深かったです。こういった一般人をプレス発表に呼ぶ、というチャレンジングな試みはすばらしいと思いました。新日本フィルはかつて数度ほどしか聴いたことがありませんが、ちょっと通ってみようかな、と思いました。自宅からトリフォニーは少々遠いかな、と思って躊躇していたということもあるのですが、意外に近いこともわかりましたので。
 
 お土産もいただきましたよ。フランツ・シュミットの「七つの封印を有する書」の二枚組全曲CDをいただいてしまいました。ありがとうございました。