Tsuji Kunio


辻邦生が、嬉々として書いている文章を見つけました。先日から読んでいる辻邦生全集第18巻のなかに収められた 「幻想の鏡 現実の鏡」というエッセイです。ボルヘスが1979年に訪れた時の随筆です。冒頭、カフカ、トルストイ、シェークスピアとの架空会見を深夜に行っていることが明かされ、それは「黄金の時刻の滴り」の原型を表すものであり、その後のボルヘスとの会見のプロセスは、なにか、架空会見なのか現実の会見なのか、その協会が曖昧であるかのように語られていて、ああ、辻先生、言葉で実にのびのびと「遊んで」おられるなあ、と思ったのです。

架空会見では、カフカやシェークスピアに実際に台詞を語らせるあたりは、エッセイと言うよりは前述の通り「黄金の時刻の滴り」を彷彿とさせる実在の友人の名前(中村真一郎氏、清水徹氏、筒井康隆氏といった面々)の名前を取上げて見たりするのは、辻邦生の文章を数多く読んだ身に取っては、書くことが嬉しくて嬉しくてしょうがないという感じが伸びやかに伝わってきて、読んでいるこちらもなにかワクワクと楽しさを覚えるものでした。

この文章、当然大昔に読んだ記憶もあり、確かに「永遠の書架に立ちて」の収められていました。しかし、おそらくはこの文章を読んだのは、20年以上も昔のはずで、そのときにはこうした「遊び」の感覚はあまり感じなかったなあ、と思います。

さらには、やはり重要な記載があって、以下のようなボルヘスの言葉の引用は、実に本質的なものです。

 たとえば「文学は言葉よりも、言葉の背後に人々が感じるものにあると思うのです」「人間が誠実に夢を見、自分の信ずること、歴史的現実としてではなく、現実性のある夢として信ずることを書けば、立派に書くことができると思います」「重要なのは、言葉ではなく、読者が言葉を通じて感じること、いやしばしば、書かれている言葉にもかかわらず感じることです」

こうしたボルヘスの発言は、現代の構造主義的な言語感にわずらわされている読者に、ある健康な、自然な感受性の目ざめを誘わずにはいまい。詩人・小説家が言語の魔術師であることは当然であるけれども、それが一級の作品に達するには、ボルヘスの言うように「情熱」が必要なのだ。「情熱なしには文学作品を書くことはできない」とも「純然たる言葉の遊びに堕する」とも言っているのである。

『幻想の鏡 現実の鏡』「辻邦生全集第18巻」 新潮社、2005年、347頁

歴史的現実ではなく、現実性のある夢、ということ。歴史的現実とは、科学の対象であり、認識の対象である、時間空間の形式のなかに存在する科学的とされる現実ですが、文学が書くものは、現実そのものではなく、現実性のある=リアリティのある夢=イマージュである、ということ。経験や体験をそのまま書くものではなく、文学的必然性、それはすなわちボルヘスの言を借りるとすれば「情熱」とともにあるものを、リアリティをもって書くことで、読者がイマージュを感じること。そういうことなんだと思います。

最近「フォニイ論争」のことをよく考え、いろいろ調べていますが、歴史的現実の有無をもってその真贋がとわれ、その結果として贋物である、つまり歴史的現実でないとするものが贋物でありがゆえにフォニイ=にせもの、まがいもの、という形で、捉えられたのが「フォニイ論争」だったように思います。ただ、この「フォニイ」という言葉も、対談のなかで、放談に近い形で語られ、それが論争になってしまったと思います。

このあたりはまた別途検討なのですが、少なくとも文学的な「情熱」がなければ「言葉遊び」になってしまい、これこそが正にフォニイなのであって、などなど、考えが拡がっていきます。

このところ辻邦生の文章を読む機会が増えていて、それは小説よりもこうした随筆のほうが一層身にしみます。小説の舞台裏をなにか感じたいという気分が強くなっています。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

最近、記憶の古さに愕然とすることがあります。これもやはり歳を重ねることによる「必然的な状況」なのかなあ、と思いながら過しています。

似たような体験として、時間経過が早くなるというものがあります

が、あれは人と話しているとだいたい三十代前半で発生する事案のようです。自分のそれまでの全人生に対する一年間や一ヶ月の割合の感覚が閾値を超えるらしく、時の経過の早さに愕然とする、というものです。これは反比例グラフと同じなので、そのうちにそうした時間経過が早くなるという感覚はなくなり始めます。まあ経過の早さに慣れてしまうということもあるのでしょう。

この「時間経過が早くなる」に続いて訪れた歳を重ねることによる「必然的な状況」が、この記憶の問題であるように思います。どうも、最近は記憶と現実のリアリティが等価になり始めていて、昔の町の様子と、現在の町の様子が相違していたとしても、どちらもリアリティがあるように思ってしまうわけです。

例えば、20年前に駐車場だった土地に今は立派なビルが建っているのですが、今の私にしてみると、20年前に駐車場だった風景のほうがリアリティがあり、いまこの瞬間に、どちらがリアルか、というと、私にとっては駐車場のほうがリアルなのです。

これは、先に触れた「時間経過が早くなる」という感覚もひとつの要素なのでしょう。20年前も1年前も、時間経過が早いため、その長さにあまり差違を感じないのです。このため、リアリティのひとつの要素と思われるどの程度古い記憶なのか、という感覚が若い頃と変わってきたように思うわけです。

と言うことで、現在の私にとっては、記憶も認識もさほど変らなくなってしまいました。そうすると、記憶のなかを縦横無尽に行き来することで、どこにでも行けてしまうわけです。さらには過去の記憶も未来の予想もリアリティもさほど変らなくなり、過去の記憶から未来の予想のなかまで、縦横無尽に生きることができてしまう気がします。

そんなことを思っているときに、辻邦生全集第18巻のなかに、そうした状況を説明した文章を見つけ驚きました。1974年に書かれた「時間のなかの歴史と小説」という文章にあるものです。

『パリの手記』のなかで、私はある想念を追求めていて、突然、ある日、<私の世界>というイデーにぶつかり、身体が透明に軽くなるような実感を味わう箇所があるが、これは世界の変転のすべてが<私>のなかに包まれ、<私>の内部にあるという感覚の直観だった。おそらく、私はそのとき世界史の興亡を、永遠の場における演戯者の仕草のごときものとして感じていたにちがいない。歴史的意識は、永遠のなかで解消し、そのような形で私は時間の圧迫を超えることができたとも言えよう。

辻邦生「時間のなかの歴史と小説」『辻邦生全集第18巻』、2005、新潮社、398ページ

あの、パリのポン・デ・ザールでの出来事ですね。このポン・デ・ザールの出来事はさまざまな場所で述べられていますが、このブログでかつて取りあげていた箇所からもう一度紹介します。

(本来「パリの手記」から引用するべきですが、今回はこちらで)

ポン・デ・ザールのうえで私が感じたのは、(中略)全てのものが私という人間のうちに包まれている、ということでした。並木も家も走りすぎる自動車も、見も知らぬ群衆も、すべて、私と無関係ではなく、それは私の並木であり、私の家であり、私の群衆でした。

辻邦生「小説家への道」『詩と永遠』岩波書店、1988、249ページ

この経験は、空間的に全てのものが私のなかに包込まれているという感覚ですが、実のところ、空間だけでなく時間をも私が包込んでいる、と言うことなんだと思います。

この時間においても全てを包込んでいるという感覚は、何か、私が感じている記憶と現実のリアリティが等価になりつつあるという感覚と似ていると考えています。つまり、過去の記憶も未来の想像も縦横無尽にどこでも行けるという感覚は、時間を超えてしまったことと同じである、と考えたからです。

ただ、辻邦生の場合は、その境地は、あくまでポジティブなものでした。この「私だけの世界」を書くことで遺さなければならない、という感覚があったようです。私にしてみると、どうもそれは、なにか虚しさを感じるものだと思うのです。

辻邦生の言う「生きる喜び」こそが、この時間を超えた虚しさを、時間を超えた充実と豊饒さへとひっくり返すために必要な鍵なんだろうですが……。ともかく、辻邦生の「ポン・デ・ザールの出来事」を理解するひとつのとっかかりをつかんだような気もしています。もう少し考えないと。

今日はこのあたりで。みなさまもどうかよい週末の夜を。おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio


昨日書いたウェル・メイドに引きずられて、辻邦生が書いた「物語」が読みたくなりました。昨年でしたか、再版され、Kindleにもなっている「時の扉」を読もうと思い立ちました。Kindleで読もうかしら、と思いましたが、高校あるいは浪人の頃に読んだ文庫を引っ張り出してきました。この本をどこで買ったのかも覚えていて、少し恐ろしさを感じます。

 

最近読んだ辻邦生の文章で、新聞小説は、短いスパンで山場を創る必要がある、ということを読みましたが、確かに普通の小説とは違い、のっけからいくつもの山のようなものがあり、構成として普通の小説とは違うなあ、と思い、これは「NHK朝の連続テレビ小説」的な山の作り方だ、と思い、なるほど「NHK朝の連続テレビ小説」は新聞小説のメタファであると思われ、であれば似ているのは当り前か、と思った次第です。

これからどうなっていくのかしら、なんてことを思いつつ、この週末に、時間を見つけて読進めようと思います。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Richard Strauss,Tsuji Kunio

現代が暗い絶望的な予感に満された時代であるだけ、私は事柄のもう一つの反面──楽観的な側面を強調したい、と思ったのも、『祝典喜劇ポセイドン仮面祭』に軽やかな気分を加えた理由である。
<よくできた(ウェル・メイド)>ものへの好みが、それなりの危険を持ちながらも、事実性のレヴェルをこえて、感動の秩序をつくろうとする形式意志の一種であることを、とくに戯曲を書きながら、私はよりよく理解していったようにも思う。

辻邦生全集第18巻 401ページ

「ウェル・メイドへの偏愛」というエッセイを読みました。辻邦生全集第18巻に収められた文章です。「ウェルメイド=よくできた」というのは、「ストーリーの見事な作品」であり、「作品に起承転結があざやか」である作品です。「黄金の時刻の滴り」に収められた短篇の一つに、モームをモチーフに書かれた「丘の上の家」という作品がありますが、あのような推理小説張りのストーリーの見事な作品にあたるでしょう。
引用した最初の文章で、「現代が暗い絶望的な予感に満された時代である」に対してあえて、「楽観的な側面を強調」と述べていて、そこにおいて、「ウェル・メイド」なストーリーである「ポセイドン仮面祭」を書いたと見て取れるとおもいます。文学には様々な権能がありますが、こうしたあえて楽観的な側面を強調することで、何かを変えることに繋げるというやり方もあると思うのです。これも戦闘的オプテイミズムの一つであり、文学が現実を超えて現実を動かすために必要不可欠なあり方です。(フォニイ論争とも関連しますが)一般的には「通俗的」と言われ格下に見られることになり、がゆえに、「それなりの危険性を持ちながらも(同401ページ)」と書かれているわけです。

ここで思い出したのが、リヒャルト・シュトラウスのことでした。「エレクトラ」までは先鋭的なオペラを書いていたのが、「ばらの騎士」で、先鋭から離れ、洒脱な人間ドラマを描き始めたわけですが、私はその次のオペラである「ナクソス島のアリアドネ」の第一版に含まれていた「町人貴族Le Bourgeois Gentilhomme」という組曲を思い出します。なにか、こうした18世紀的な小編成オーケストラによる演奏が、なにか時代を逆行しているように見えながらも、あえてそうした洒脱さ、軽妙さを強調することで、逆に時代と戦っていたのではないか、と想像してしまうのです。

私が聴いているのは、ラトルが振ったこちら。なんというか、本当に落込んだ時に聴いてはいけませんが、少し元気になり始めたときにこの音楽を聴くと、心が晴れるかもしれません。明るい日差しの差込む広間でひとりで佇んでいる感じで、おそらく床のニスの甘い匂いがたちこめているはずです。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio


昨日、家の整理をしていたら、古い新聞切り抜きコピーが出てきました。平成10年(1998年)9月3日の毎日新聞のコラム「余録」の切り抜きでした。そこには、サッカー部員だった辻邦生が、西欧のサッカーチームと日本の作家チームのゴール布陣の相違を「小さな散歩道から」という文章で述べていたと言うものでした。

辻邦生がサッカー部員だったという記憶が残念ながら私はなく、本当にこういった文章があったのか、これは原典に当たるという観点から、この「小さな散歩道から」というエッセイを実際に読みたいと思い、全集目録をあたりましたが、残念ながら全集には収録されていませんでした。
この「小さな散歩道から」とうエッセイは、「群像」の1998年10月号に掲載されたという情報があり、これはどこかの専門の図書館に行かなければならないか、と思っておりました。

で、本当に偶然ですが、昨日所要で母校の図書館に手続きに行くことになっておりまして、手続終了後OPACで「群像」がないか調べてみようか、と思ったところ、あったんですね、「群像」が。それも、戦前の刊行分から書庫にある、というわけです。

OPACに表示された地図を頼りに、書庫に向かうと、「群像」が製本されてずらりと並べられており、くだんの1998年10月号もいとも簡単に探し出して原典に当たることができたというわけです。図書館は本当にありがたいです。

確かに「私が高校生のころサッカー部員としてグラウンドに立ったとき」という記載があり、これは旧制松本高校においてサッカー部に辻邦生が属していたということにあたるのかな、と考えた次第です

この「小さな散歩道から」というエッセイでは、明治期に日本を訪れたケーベルが、東京には散歩道がないことを嘆いた、と言う話から、日本においてはハイデルベルクの哲学の道のような、形而上学的な思索を深める散歩道がそもそもできるのが難しいのではないか、という指摘とともに、散歩といっても単に気楽に日常生活の外に出るという話ではなく、「有名なカントの散歩のように、規則正しさが日常生活の活性化に通じ、そこから比較にならない自由が生まれていることを思うと、自由なり遊びなりの置かれた土台が、そもそも試行や判断の構造とは異なる」と、日本人の自由気ままな散歩では思考は意志的、構成的にはならないだろう、と述べていて、その文脈の中で西欧と日本のサッカーにおける陣立ての違いを例に出していると言うものでした。

私も、最近毎日15分走ることを日課にしていますが、こうした日課を、走る距離やコースだけではなく、決められた時刻に走るという規則性をしっかり守ることで、なにか産まれることがあるのでは、と思っています。

写真は、松本行きのあずさ33号ですが、LEDの周波数とカメラが合わず「松本」という文字はよくわかりません。すいません。新宿駅で東京方面へ向かう中央線を待つ間に撮影しました。おそらくは80年ほど前と同じ鉄路を通って辻邦生と同じく松本に向かうのではと思いつつ、そうか、辻邦生が松本高校に向かったのは、おそらくは新宿駅からだったのでは、と思い、なんだか、シンクロニシティな一日でした。
というわけで、みなさまおやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

「黄金の時刻の滴り」を開きました。中条省平さんが、辻邦生の文学表現の白眉として取りあげていた文章を読みたくなったからでした。それにしても単行本は美しい装丁で、タイトルの文字は光が反射して虹色に光ります。

それは、「花々の流れる河」というヴァージニア・ウルフをモティーフにした小説の一節で、花屋の温室に花がその匂いとともに咲き乱れている感覚が絢爛に描かれている部分でした。たしかにその部分は凄いのですが、読み進むに連れて、それ以上に衝撃を受ける部分に行き当たり、どうにも涙が止まらず、以来なにか悲しみに打ちひしがれている気がします。

まず以下の部分。

「本当ね。この夏、私は、あなたと一緒に何度か至福を味わったわ。それは、無意味な人生のなかに懸る虹なのね。すぐ消えるとしても、とにかく美しいことは事実だわ」

「奥さま、私は、虹は消えないと思います」

「消えない?」

「ええ、消えません。それは美しい至福の時として心に生きつづけます」

「無意味のなかに沈み込まないで?」

「沈み込むことはないと思います。この夏奥様と味わったあの歓喜は、いまも胸のなかに生きつづけると思います。どんなに無意味な人生がつづいても、この嬉しさは壊せません。たぶん嬉しさのほうが地球より大きい球になって、地球を包み込むのだと思います。地球が滅びても、喜びの大きな球は滅びないんです」

歓喜が、無意味とされる人生の中にあっても、消えずに残る。それは地球を包み込むものだ、という感覚。これは、実によく分かる感覚で、かつてからどうやら幸福感というものを息継ぎのようにして生きていた感覚もあり、その瞬間瞬間の幸福感があることが重要である、と考えたこともあり、そうだとすると、この「消えない虹」があること自体を頼りに生きている感覚はリアリティのあるものです。

あるいは、この嬉しさが地球を包み込むという感覚も、なにか地球を象徴とする世界全体を、嬉しさという感覚に満たされたと言うものであり、それもあながち間違っていないと信じたいイメージなのだろう、と思います。

さらにこちら。

「ええ、死の淵に引きずりこまれるとき、仕方なく諦めて、中途半端な気持でいるのはいやね。私は、死を前に置き、生きることを完成させて、きっぱり決心して、満足して、そこに飛び込んでゆきたいわ」

「だが、死は不意にくるぜ」

「だから、いつも用意していたいのよ。そのときそのときで死に不意を衝かれないように」

そうでした。あの方は現実という変転する時間の流れのなかで確かなもの、不動のものを求めていました。それが時の変転を超えて現われることは、私たちは、ともにコーンウォールの海岸の朝に深く経験していたのです。あの方はこの不変の美の喜びのなかに生き、それを作品に描こうと努めていたのでした。そしてそれが作品のなかでしか確実にできないことはあの方の悲劇といってよかったかもしれません。生きることは、変転する流れに身を委せることであり、なかなかそれを超えて不変の実在に達することができなかったのです。もし流動する現実の時を、不変堅固な実在とするには、人は、一瞬一瞬死ぬほかないのです。つまり一瞬一瞬、現実を不変の実在へ──喜びに満されたそれ自体で完成した時へ、変容する以外に方法はありません。

 

思い出すのはル・コントの「髪結いの亭主」で、幸福とされる状況で命を絶つ主人公が画かれていて、あの感覚を大学時代にありながらよく分かっていた記憶があり、「先にアイディアをとられた」と、悔しかったのを憶えています。

結局、いかに死ぬかということが重大で、一瞬一瞬を死に、一瞬一瞬において生きるということを求められて折り、生きることは厳然とした義務と権利であり、我々が全うする必要があり、また世界から負ったものであることは間違いのないことで、その中で「嬉しさの虹」を見いだし、息継ぎをするように生きるということに他ならないわけですね。業のように辛いことではありますが。

なんてことを思いながら今日一日過ごしました。

今日の東京地方は曇り。さえない一日でしたが、来週は晴れるようですね。佳き日々になることを願いつつ。

おやすみなさい。グーテナハトです。

 

Book

Duke Humfrey's Library Interior 6, Bodleian Library, Oxford, UK - Diliff.jpg
By <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/User:Diliff" title="User:Diliff">Diliff</a> – <span class="int-own-work" lang="en">Own work</span>, CC BY-SA 3.0, Link

今日は、とある用事のため母校の図書館へ行きました。十年前に卒業生の集い的なイベントにふらりと行って、中を見せてもらった以来で、実質卒業後四半世紀近くほとんど足を踏み入れていなかったのですが、本当に記憶というものは恐ろしくて、全くもって図書館に踏み入れたときに違和感がなく、むしろ帰ってきたのだ、という感覚しかないことに驚きました。

カーペットの踏み心地や空気感、掛けられた絵、エレベータホールのゴミ箱、椅子の装丁、その全てがまるで昨日の記憶であるかのように思えたのです。

特に独特の匂い、それは紙の発するかすかな糊や薬剤やインクの匂いであったり、あるいはカビのような匂いで、古本屋のそれとはまた違う独特の匂いで、この匂いだけで、あっという間に当時の記憶が呼び覚まされた感じがします。

思い起こすと、入学式当日に学科の先輩が学内見学に連れて行ってくれたのですが、図書館に入ったときに、おそらくはそこに納められた「無限」に近いと思われる書籍群にこれから4年という長い間(当時はまだ4年という時間は永遠に思えたのです)触れる権利を得たのである、という昂揚と期待があって、その感覚がまざまざと思い出されたと言うわけでした。

確認すると、どうやら卒業生であれば年間いくらか納めることで、図書館を利用できるらしいということで、手続をすることにしました。維持すればこれから何年にもわたってこの「無限」に近い書籍にアクセスできるのか、と言う昂揚と期待をもう一度感じたように思います。確かにウェブ上の情報もやはり無限ですが、書籍の情報の全てがウェブ上に上がっているというわけではないな、ということも、静まりかえった薄暗い書庫のを歩きまわりながら感じました。無限の知識を全て得ることはできませんが、その膨大さに実感として触れたときに、なにか諦念と謙虚さを覚えつつも、そのなかで有限の生きるという時間のなかでなにをすべきか、と言うことを考えるんだろうなあ、と言ったことを思いました。

そんなことを思いながら30分ほど図書館の中をさまよい続け、疲れ切って閲覧席に座り込むとなにか甘い微熱のようなものに包まれている気がしました。興奮と疲労でおそらく身体が熱を帯びたのではないか、と思います。

この記事のタイトルを考えていたら、「ユリシーズの帰還」というオペラのことを思い出しました。ユリシーズは10年かかって帰ってきたそうですが、私は四半世紀かかって帰ってきたということになるのかもしれないですし、これからきちんと使えれば、「図書館への帰還」と言うことに名実ともになるわけで、そうなるといいな、と思います。

ということで、明日も引き続きさまざま頑張ろうかと思います。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tohmas Mann,Tsuji Kunio

 辻邦生が小説を書くにあたって参考にしていた本はなにか、という問いに対して、奥様の辻佐保子さんはトーマス・マンの「ファウストゥス博士の成立」を挙げておられました。これは、1994年の辻佐保子さんの講演会で直接肉声をもって私が聴いたことでした。早速この「ファウストゥス博士の成立」を購入したのを記憶しています。確か池袋の今はなきリブロにて。定価で買いましたので今確認すると4,500円もしていたようです。

 その後、ずっと書棚に収まっていてなかなか読む機会もなく、という状態でしたが、今週から少しずつ読み解きを始めました。

 マンが「ファウストゥス博士」を書き始めたのはアメリカ亡命中の1943年ですが、その当時の日記を引用しながら、「ファウストゥス博士」執筆にいたる状況をドキュメンタリーのように淡々と振り返るルポルタージュと感じます。ヨーロッパ戦線やアフリカ戦線の状況が、ロンメル、モンゴメリ将軍といった聞き知った人物名や、ソロモン海戦という地名とともに書き記されつつ、アメリカ国内のパーティの様子や、孫との団らんといった、戦時下とは思えない状況も書かれていて、その現実世界における戦争と平時のアンバランスを感じつつ、さらに、「ファウストゥス博士」のなかにおいても、現実と虚構がいり混ざる感じが、臨場感とともに書かれていて、これはこれで一つの文学である、と感じました。

この作品に付きまわっている独特な現実性の特色を示すことなのである。その独特な現実性というのは、一面からみれば技巧なのであって、レーヴァーキューンなる人物の作曲や伝記という虚構を、厳密に、煩瑣にわたるほどに、現実化するための遊戯的な努力のことであるが……

小説の人物と現存の人間とが現実性においても非現実性においてももはや区別がつかないようにしてしまう

それが現実のものらしく思われて、耳に聞え、本当のものと信じられる

引用したこれらの文章は、虚構を現実として見せることがこの作品の特性である、と見ています。

 これは、本当に辻邦生が小説を書く姿勢そのものだな、と思います。辻文学は理想すぎる、ということが言われますが、理想という虚構を厳密に、煩瑣にわたるほどに、現実化していて、逆に、現実を理想のために、虚構のなかで現実化することもあるはずです。昨日書いたフィレンツェのホテルも、看板の出方が異なっていたり、駅から少し離れていたりと、現実のレオナルド・ダ・ビンチホテルとは異なっているのですが、もしかすると、辻邦生の文学的「現実」においては、それが「現実」であったということなのだ、と思います。

 出典は差し控えますが、辻邦生は、小説で描かれた名勝に小説の読者が実際に行ってみる、という行為を否定的に捉えていたことを思い出しました。小説に描かれた名勝は、小説の中における名勝であって、現実の名勝とは全く断絶しているわけです。

 おそらく、一般的には現実と小説の中の「現実」(文学的「現実」)は同じであるべきで、そうでなければ、批判される向きがあるのかもしれませんが、それは区別して考えるべきでしょう。

 それにしても、この「ファウストゥス博士の成立」に登場する人物達は、有名人ばかりです。アドルノ、ブルノ・ワルター、アルトゥール・ルビンシュタイン、ストラヴィンスキー、ホルクハイマー、フランツ・ヴェルフェル・リトヴィノフ、パウル・ベッカー……。

 華麗な社交ととるか、亡命者たちのグループとみるか……。いずれにせよ、多くの才能がアメリカに集まっていたと言うことなんでしょうね。ちなみに、リトヴィノフは、ソ連大使ですので少し違いますが。

 読んでいるうちに、辻邦生が書いた文章ではないか、と思ってきたりしてしまいますが、この「ファウストゥス博士の成立」を読んで、辻文学の秘密をもう少し読み解いてみようと思います。

それではおやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

ぐずついた天気が続きます。一ヶ月前、あんなに晴天に恵まれていたというのに、なんだか別の星に来てしまったようです。
休憩中にTwitterをのぞいてみると、辻邦生のホテル評をまとめたページに行き当たりました。

https://yangsen65-highstreet.com/%e4%bd%9c%e5%ae%b6%e3%81%a8%e3%83%9b%e3%83%86%e3%83%ab/?fbclid=IwAR1N4_0XsN2zN0wj-_QiPPr1YEq17fFHaVDW3fofM2RI39tzEF0Kb22eR2E#%E8%BE%BB%20%E9%82%A6%E7%94%9F

辻邦生とホテルというとこんな思い出があります。

 

辻先生がイタリアを旅する旅行記である「美しい夏の行方」で、フィレンツェのホテルの話が出てきます。「レオナルド・ダ・ヴィンチホテル」に泊まろうとした辻先生は、その風情に大変失望したようでした。

細長い切り抜き文字の看板が縦に「LEONARDO DA VINCI HOTEL」と出ていた。しかし隣の建物の正面がそれよりもすこし前に迫り出しているため、車がそばに近づくまでは見えなかった。(中略)ぼくはこの正面の印象だけで、いやな予感がした。金属パイプの手すりのついたコンクリートの階段にしても、なんだかあまり実用一点張りで、場末の水族館の入口とか、さいはての空港建物の屋上への登り口とかを連想させる。(中略)夜食事まで部屋に休んでいると、時々スピーカーでアナウンスの声がする。そして汽車が通ってゆくらしく、建物がぐらぐら揺れる。僕は思わず椅子から飛び上がって、二重窓を開けて覗いてみると、そこは駅なのであった。

私は、かなり前にフィレンツェに行ったことがあります。夕方、遅い時間にフィレンツェ空港に到着し、中央駅へとバスで向かいました。駅に着こうとするときに、窓からHOTEL LEONARDO DA VINCIが見えたのでした。私は、この「美しい夏の行方」の挿話を覚えていましたので、とっさにバスから写真を撮ったのです。

Google Mapで確認すると、確かに、このホテルは駅のそばです。

https://g.page/hotel-leonardo-da-vinci-firenze?share

 

私の記憶通りでした。

辻先生の記述と、看板では、HOTELの位置が違いますが、ここが辻先生が泊まったHOTEL LEONARDO DA VINCI なのでしょうか。おそらくは立て替えられたりして印象は違うのかもしれませんが、確かに、駅から遠くはなく、レオナルド・ダ・ビンチの名前を関したホテルということですので、関連がある可能性がたかいのだろうな、と思いました。

ただ地図をみると、線路からは少しだけ離れていて、「二重窓を開けてのぞいてみるとそこは駅なのであった」という表現はあてはまるのかどうかはわかりません。

まあ、ここは、もしかすると、イマージュのなかで、辻先生が作り上げた「現実」なのかもしれない、などと思いました。必ずしも、文学作品は、我々が普通に見聞きする現実に忠実である必要はなく、文学作品の中に立ち現れる「現実」においてリアリティがあればよいわけです。「美しい夏の行方」と、私が実際に見て写真をとったHOTEL LEONARDO DA VINCIは一致する必要せいもなく、あるいは辻先生が実際に泊まったLEONARDO DA VINCI HOTELと、「美しい夏の行方」に描かれるLEONARDO DA VINCI HOTELは同じものである必要もないわけです。

文学における「現実」というのは我々が思う現実とは違うものなのだ、ということを考えさせられる、私のフィレンツェの思い出、でした。

というわけで、久々に辻先生のことを書くことができてほっとした感があります。

どうも「現実」ということを考えないといけない時期に来たようです。

ということで、みなさまどうかよい夜を。時季外れというべきか、梅雨前線による大雨が心配されています。どうかお気をつけください。

おやすみなさい。グーテナハトです。

 

Miscellaneous,Tsuji Kunio

数日前から、咲き乱れるコブシが目につくようになりました。散り始めてはいますが、美しさはこの上ないものがあります。

月日が経つのは早く、そろそろ春分にさしかかろうとしています。個人的には、夏が待ち遠しく、春分過ぎると、あと3ヶ月で夏です。本当に待ち遠しいです。季節の巡りは無限のようでいて実は有限であることにも気づかされます。

さて、それにしても、書くことの難しさを感じるこのごろ。

日記やら何やらは書いていますが、在宅勤務になり通勤の時間がなくなった分、ものを考えたり、何か書いたりする時間が少なくなってしまった、ということなんだと思います。

ピアニストがピアノを弾くように書く、というのが辻邦生の言葉ですが、守るのはなかなかに難しいですね。

また、ウェブログというメディア自体がもはや時代遅れという感覚もあります。ウェブログが始まったのはもう20年も昔のことです。ウェブログがブログに変わり、誰もがニュース発信者になれるという強烈なメッセージを感じたのは遠い昔のことです。

今では、TwitterやfacebookあるいはnoteやYoutubeが情報発信のプラットフォームになり、最近ではClubhouseなども登場してはいますが、なにか、どれも囲い込まれたメディアと思えて違和感を感じていまして、おそらくウェブログはずっとキープしていきたいと思っています。私も考えが20世紀的なのではないか、と自己反省をしなくもありません。最近の表現は文章ではなく映像なのでしょうし。文章を書くと言うことへの懐疑を持っているのも事実です。書く、と言う行為にどういう意味があるのか。今や、写真や動画と言ったビジュアルに表現のメインストリームを名実ともに奪われ、書くという行為はレガシーとなっているのではないか。表現の手法として適切なのか。ボブ・ディランがノーベル文学賞を取ったということを捉えたときに、文章の意義が何か、と言うことを本当に考えてしまします。おそらくは大きな転換点の時代にあり、あるいはそのスピードが想像を超えて加速している時代にあって、古びた形式に固執しているのではないか、という疑いをも持つ訳です。

料理研究家の辻静雄と辻邦生・佐保子夫妻が行った対談に、以下のような一節があることを思い出しました。

辻佐保子
あなたはいつも、食べ物産業とお話産業はどんなに不景気になってもなくならない、ってよく言ってましたでしょう。両辻先生に通じますね。

辻静雄
あ、それはいい話だ。

辻邦生
人間を喜ばす仕事は、人間が存在する以上は絶対に滅びない。

辻静雄著作集 『「プルーストと同じ食卓で」辻静雄からの招待状』

「人を喜ばす仕事」のうち、食べ物産業がコロナ大きな打撃をうけて業態の変化を求められているように、お話産業も業態の変化を迫られているのでしょうか。

あるいは、そのヒントは引用した一節の少し前に辻邦生が語る言葉に表れているのでしょうか。

本当に生きる歓びというものが、精神の隅々、肉体の隅々に滲みわたり、そして書く一行一行がそういうものに溢れていたら。人間はそれを手離すはずがない、というのが僕の信念なんですけれどね。

辻静雄著作集 『「プルーストと同じ食卓で」辻静雄からの招待状』

書くと言うことが、生きる歓びに満たされていて、人間を喜ばすということ。それは書く人にとっても、読む人にとっても。そうでありさえすれば、メディアの相違は本質的な問題ではないのでしょうか。

この辻静雄著作集ですが、亡くなった大学の後輩にいただいたものであることも、今日こうしてこの文章を書いたことにも関係あるのでしょうか。

媒体にかかわらず、溢れる生きる歓びを表現するということのほうが重要なのかもしれず、写真であろうが動画であろうが文章であろうが、伝えるべきものを伝えると言うことなのでしょう。そこにはアクセス数といった定量化される指標は似合わない気がします。マーケティングは重要ですが、本質があったのちのマーケティングであり、どうも世界をおかしくしているのは、見栄え見てくれ見せ方でいかようにもなってしまい、本質や真実が二の次になっていることではないか、と思います。見栄え見てくれ見せ方で工夫したとして、その先続くかどうか。

高野山のふすま絵を描いた千住博さんがこんなことを言っていました。

「他人はだませても、自分はだませない。当然お大師さまをだますことは出来ない」

https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/L3N589QPLL/

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。