Tsuji Kunio

21年は長く短い

今日は、辻邦生先生のご命日。園生忌です。21年前になります。

今年の思いは、「21年は長く短い」です。

歳を重ねるにつれ、10年前の記憶が産まれ、15年前の記憶が産まれ、20年前の記憶が産まれます。そうしたあらたな記憶が産まれることに、当初は驚くのですが、そうした驚きもいつしかなくなり、21年前の記憶が鮮明であることにも驚かなくなります。21年前の記憶と1年前の記憶に質的差異は全くないのですから。そういう意味では、辻先生の記憶もなにかまざまざと迫ってくるものがあります。

21年前辻先生と文学についてお話しするのが夢でしたが、その夢は潰えた、という思いを抱いた、という記憶もありますが、もしかするとそれも、後解釈で付け加えられた別の記憶であるかもしれず、もはやなにが正しく真実であるのかはわかりません。

今日、この新聞記事にある「美」と「言葉の力」というテーゼが、ストンと腹落ちするのを感じました。それは、少し前から少しずつ腹落ちに向けて考えていたことなのですが、本当に偶然に、この辻先生のご命日に腹落ちしたのでした。腹落ちした瞬間は、今日が7月29日であることと関連付けていなかったのですが、夕方になって、今日という日付のことを改めて思い出し、文字通り声を上げて驚いたのでした。

「美」と「言葉の力」

それにしても、いままでこの「美」と「言葉の力」を理解していた気がしていたのに、全く理解していなかったのでした。そのことも驚きますが、今日というこのタイミングで腹落ちしたのも運命的です。

きっと「美」にも、なにかしらの実践的な意味があるのだろうなあ、ということで、それは「食べ物もなにもない焼け跡で、文学が何の役に立つのか」ということの答えになるものではないか、とも思うわけです。しかし、「腹落ち」という非論理的な営為を言語化することは難しい仕事なので、これ以上語ることはできず、おそらくはこの先何年もかけて言語化していかないと、と考えています。

おわりに

ところで、一昨日から巻頭言をホフマンスタール「ばらの騎士」から「春の戴冠」に変えました。世の中は腹が立つこともあるのでしょうけれど、それ以前に充足していることのほうが大切です。

今日はこのあたりにしておきます。コロナ以降、私も少しずつエンジンがかかってきました。これまでより頻度をあげて書こうと思っていますので、お時間のあるときに是非おこしください。

おやすみなさい。

Tsuji Kunio

「くる日もくる日もノートを書いていても、それは、あくまで〈生きること〉を一層徹底させ、没入的にするための作業、といった趣を持っていた」──辻邦生『空そして永遠』より。

辻邦生のパリ留学時代の手記をまとめた『パリの手記』。その最終巻の『空そして永遠』を鞄に入れて過ごしました。帰宅の電車のなかでなんとなく開いた最後の「あとがき」にこの言葉がありました。

辻邦生は、まるでピアニストがピアノを弾くように、たえず書く、と言っていました。書くことは、文章を作り出すということ以上の意味を持ちます。世界を作り出していたのでしょう。その世界とは、書き手だけの作りうる完結・統一した世界なのだと思います。

それにしても、こんな風に、生きることに打ち込み、やることが生きることと直結していたら、そんな感想を持ちます。

やることと生きることが繋がっていなければならず、そうでない時間は浪費になりかねません。生きることに繋がることをやるのが人生への責務なのだと思い、責務を果たすために努力をすること。これに尽きるのだな、と思います。

Tsuji Kunio

1992年2月だったか。受験に上京し品川プリンスに泊まった。とにかく寒い頃だった。泊まったのは一番古い棟で、となりの部屋のビジネスマンが見るテレビの音が聞こえるような壁の薄い部屋だったが、ひとりで泊まるホテルに、なにか大人になったような気分を感じたものだ。

もちろん、当時はとにかく辻邦生を読んでいた。受験勉強そっちのけで。むさぶるように呼んだのは、古い新潮文庫『見知らぬ町にて』だったはずだ。『風越峠』や『空の王座』の哀しみに心を打たれていたはずで、『見知らぬ人にて』はまだよくわからなかった。

ホテルには小さな書店があった。新刊の文庫が何冊か書棚に並べられていた。ステンレス製の回転する本棚だったようなかすかな記憶もある。そこに、辻邦生の文庫が置いてあった。肌色の背表紙には『霧の聖マリ』と書かれていた。「聖マリ」という語感に身震いした。殺伐とした受験の中に、なにか、柔らかく、温かみのある、美しい存在が掌のなかに入っているような感覚だった。

辻邦生の書くあとがきには「一九九一年師走 高輪にて」と記されていた。ちょうど品川プリンスの裏手が高輪にあたっていたことを当時の私も知っていた。

なにか運命的な邂逅を果たしたような予感だった。

あれから28年。

バルセロナ、アトランタ、シドニー、アテネ、ロンドン、ペキン、リオ。7つのオリンピックを超えた。そして東京。

その文庫は私の書棚の一番上のよく見えるところに置いてある。

四半世紀を超えた文庫はさすがに変色している。『霧の生命マリ』にはじまる『ある生涯の七つの場所』に属する七冊の文庫のうち何冊かは、糊が剥がれ、ページが外れはじめた。本にも寿命はあるようだ。それでも記憶は残り続けていて、私のなかでは、四半世紀前の、新しいままの『霧の聖マリ』が今でも本棚にあることになっている。

もっとも、殺伐としているのは受験ではなく、この世界だった。この背理の世界で、僅かに在る真実にときおり触れるたびに、まるで薔薇の棘に手をかけたような甘い痛みを感じるのだ。イバラの冠をかぶるとはこういうことなのだろうか。

いつか、おそらくはいくつかの四半世紀を超えたさきの、永遠の眠りにつくときには、願わくばこの本とともに眠りたい。そういえば思うほど愛おしい本だ。それぐらいは許してくれよう。

Tsuji Kunio

私には旅の絵はがき以上に一冊の時間表が汽車の旅をまざまざと呼びおこす。ああ、今この瞬間でさえ、私の心は汽車旅へと、なんと強くひきつけられていることであろう。

辻邦生の『地中海幻想の旅から」を読んでいる。昨年末に中公文庫から出版されたもの。もとは1990年にレグルス文庫から出版されていた。私はこのレグルス文庫版を1993年1月に神戸の書店で入手したはずだ。

受験を控え知恵熱か風邪熱か分からない高熱に苛まれながら、おそらくは人生でもっとも充実した勉学の時期を過ごしていて、有名講師の現代文の講義があるからと言うことで、当時住んでいた北大阪の街から電車を乗り継ぎ神戸に向かったはずで、当時習慣のように、新刊書店古書店があれば店内に入、タ行の作家が並ぶ場所に辻邦生の著作が並んでいないか確認し、持っていない著作を見つけては購入するという生活を送っていたはずだ。

それにしても、辻邦生の筆致はあまりに美しい。ギリシア彫刻の描写は絶品だし、そこに描かれた欧州の空気は、半世紀の時を超えていまここに現前しているかのようで、その場の空気の匂いまで感じ取れるようだ。

この本には、辻邦生が鉄道の旅を描写するエッセイが納められている。「ヨーロッパの汽車旅」と題されたそのエッセイは、辻邦生が初めての留学で、マルセイユからパリへ向かう汽車旅で感じる横溢する幸福感に圧倒されたり、寝台列車や食堂車の高揚が描かれている。

私も、かつてひとりドイツを旅したときに、ドイツ版新幹線であるICEに乗り込んだ。

それは若い時期の冒険だったのだろう。フランクフルトからひとりライプツィヒ、ワイマールを経てドレスデンへと向かったあの旅は二度と戻ってこない。あまりの緊張に微熱を出しながらも、ジャーマン・レイル・パスをバリデートし、フランクフルトの広壮な中央駅から白い車体に赤いラインのICEのプラットホームを探しだした。

あの、車窓に広がる雪をかぶった丘陵地帯、飴色の夕陽に輝く河の滔々たる流れ、鄙びた農村の無人駅。

ああした風景は二度と還らないのではないか。

もはや、欧州を鉄道で旅することなど出来ないのではないか。

その寂寥感はあまりあるものだ。

辻邦生が描く鉄道への郷愁は、私にそうした残酷な諦観を強いるものだった。冒頭に引用した一文、「ああ今この瞬間でさえ、私の心は汽車旅へと、なんと強くひきつけられていることであろう」を読んだ途端に、こみ上げる寂寥の思いとともに、嗚咽と涙が止まらなくなったのは、この果てしない喪失感のためだったのだ。

果たして、この寂寥が、現実なのか仮象なのか、私にはまだ分からない。

続くエッセイ「恋のかたみ」にはこんな一節がある。

一瞬のうちに愛の真実を生きた人にとって、その結果がどうあろうと、ともかく生きるに値した生があったのである。私たちの多くは、会社員となり、人妻となり、財産や地位に依存しながらも、一生かかって、結局、生に値するものを見いだせないのが普通なのだ。

ここで述べられている「愛の真実」は、S**さんという女性が過去の愛人にむけるひたむきな愛情のことを指している。だが、「愛の真実」とは「生の真実」でもある。

「生の真実」を生きれば、はたしてまた外国の鉄道に乗りゆく未来があるのだろうか。車窓に広がる異国の風景と、人々の息づく姿を眼前に観る機会を恢復できるのだろうか。生きるに値する生となるだろうか。

Tsuji Kunio

今日は辻邦生が生まれて94年目です。

また、今年は没後20年の節目でもあります。

生きておられたらまだまだたくさんの豊穣な作品群を産んでおられただろうに、と思います。

私が初めて辻邦生作品を読んだのが、1989年の夏ですから、あれから30年、という年でもあります。もちろん、私の先輩の読み手の方もたくさんいらっしゃいます。また、私より若く鋭い読み手の方とも知り合う機会も得ました。本当に、まだまだ辻文学は生きている、と思います。

しかし、このところ、辻文学に親しむことができずにいる、というのが悩みでもあります。さすがにこの生活状況にあって、文学に身を浸すことはままなりません。目まぐるしく動く身の回りの環境の中で、どうやって過ごすべきか、頭を働かせなければならない状況にあって、真実の世界ははるか彼方のように思います。

真実の世界を垣間見ることのできる窓や扉が、文学であり、あるいは芸術である、という直感を得たのはこの数年のことで、そうした窓の隙間から雫のようにしたたる美しさを見逃すことなく見つめ、あるいは時にその真実の雫に触れてみることが、生きる喜びをということなんだと思います。

先日、国立西洋美術館に参りまして、印象派の作品をいくつか見ましたが、やはり、それは、真実の世界への窓のように思え、いつかはあちら側を眺めたいという欲求に駆られました。

辻邦生の文学もやはりそうしたもので、たしかに、暗鬱な結末を迎える「春の戴冠」でさえも、その半ば達する昂揚は筆舌に尽くしがた甘美なものです。そうした甘美な雫にいくばくかでも触れること自体が、何か生きることの意味を感じさせるものです。

そうした甘美さの雫は、文学や芸術の窓からだけではなく、実のところいたるところにある真実の窓から滴り落ちているようにも思います。そうした真実の雫を見逃してはなりません。私も最近は、仕事場との往復に明け暮れ、実用にしか目が向いていなかったように思います。思考が硬直化し、何かさまざまな行き詰まりを感じていたように思います。昨日、自然にふれ、今日の辻邦生生誕祭(?)にあたって、何かさまざまなことが明澄な光の中に戻りつつあるのを感じます。

こうした気分になるのもやはり真実の雫に触れているということなんでしょう。辻先生なら至高体験とおっしゃるかもしれません。

また、これからも辻文学をも読みながらも、一年一年新しいことをやっていくことになる、と思います。

長くなりました。おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

はじめに

今日は7/29、辻邦生先生のご命日です。

軽井沢で倒れられてしまった辻先生。それでもなお、20年経った今でも新刊本が出るというのは、辻先生の作品が今でも生きているということなのだと思います。

「廻廊にて」朗読会

昨日は、学習院大学史料館主催の朗読会「廻廊にて」に行って参りました。午前の部でしたが、キャパは30名で、満員でした。写真は会場となった学習院の東別館です。おそらくはこの通路を辻先生も歩いたことでしょう。

「廻廊にて」は、辻先生最初の長編です。私も3回ほど読みましたが、ずいぶん前でのことになりました。おそらくは15年以上は読んでいません。それでも、朗読を聴いていると、いろいろなことを思い出しました。

辻先生の素晴らしさは、描写の素晴らしさ、というのがひとつあると思います。朗読を聴きながら、太陽の光に満ちた回廊を、「光の島」、と表現しているところなど、本当に圧巻だと思います。

それから、匂いの描写。亡くなった親友のアンドレの葬儀で感じる死臭の描写など、身震いを禁じ得ません。

この絶えざる長きに渡る鍛錬と、この一瞬にかける肝のすわった瞬発力は、筆舌に尽くしがたいものがある、と思いました。

「廻廊にて」の暗さ

そして、何より、文学とは喜びであると同時に苦しみも表現すべきこと、を感じました。「廻廊にて」は本当に苦しいことが多いです。

学習院の中条省平先生が、昨日の朗読会の最後に解説として話されていたことのひとつが、「廻廊にて」にある陰鬱な空気というものは、戦争体験によるもので、戦争なしには、生を愛おしく思う、ということは考えられない、ということでした。中条先生は、暗さをバネに生きることを肯定する、とおっしゃっていましたが、まさにその通りだと思います。

辻文学には、さまざまな死の影が散りばめられる物語が多く、高校時代に読んだ時に、辻文学には必ず死がつきまとう、と考えていました。死があるからこその生、なんだと思います。

(その後、「西行花伝」で、生と死が融合したのには驚きました)

おわりに

そのほかにも、中条先生の刺激的なお話もありましたし、なにより朗読された4人の大学生も素晴らしかったです。

「廻廊にて」は、小学館から復刊していますが、どうやらそろそろ品切れのようです。500円と安く、活字も大きいのでつい買ってしまいました。みなさまもお急ぎください。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

今週末、7/19(金)19:30〜20:59に放映されるNHK BS プレミアム「美の壷」で、辻先生の山荘が登場するようです。教えていだきましたので、こちらでもご紹介いたします。ありがとうございました。

https://www4.nhk.or.jp/tsubo/x/2019-07-19/10/14817/2043752/

軽井沢高原文庫のブログでも紹介されていました。

https://ameblo.jp/kogenbunko/entry-12492807532.html

辻先生倒れる直前まで過ごしておられた山荘登場するようです。取り上げられかたは変則的なもののようですが、どのようなものなのか楽しみです。

今日は短く。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

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毎日5分辻邦生を読む、という習慣付けを3日間続けました。朝の5分がなにか楽しみになってきた感があります。読んでいるのは通勤電車のなかです。幸い私は始発電車に乗ることが出来ますので、まずは座って5分本を読みます。その後は、すいませんが、睡眠をとります。毎日の睡眠時間が4時間強なので、通勤電車の睡眠も実に重要です。

『空そして永遠』は、スペイン旅行から始まったと言うことは先日書いたとおりです。やはり、フランコ時代のスペインは今とは違う風情だったのかもしれません。辻邦生はスペインの人々の印象を、かなり厳しい口調で書いていました。それは独裁制によるものという印象を感じたようで「独裁制によって骨ぬきにされ、不機嫌で疑いぶかく……」とここに書くのがはばかられるほどの内容でした。「ようやくスペインを脱出した」という表現は、やはり酷暑と疲れによるものでしょうか。

このあたりをよんでいたときに思い出したのが、ギュスターヴ・ドレが書いた「シェスタ スペインの思い出」という絵です。

Gustave Dore - La Siesta, Memory of Spain - Google Art Project.jpg
By ギュスターヴ・ドレGwHIUBydu4m7Ig at Google Cultural Institute maximum zoom level, パブリック・ドメイン, Link

酷暑の街の日陰で休む人々の姿。この19世紀に描かれた情景はもしかすると50年前のスペインにまだ息づいていたのではないか。そんな想像をしていました。

と言うわけで、明日もまた読めますように。

それではおやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

先日の講演会のあと、私は最近、あまりにも時間が取れず、辻邦生をあまり読めない、ということをある方に話したところ、その方は「毎日五分読めばいいんですよ」と言われました。

確かに。

ということで、早速、「パリの手記」を読み始めました。今回は、趣向を凝らして、最後の巻「空そして永遠」から読み始めました。

この巻ら、私の大好きな「サラマンカの手帖から」のもととなるスペイン旅行記から始まります。もちろんサラマンカを訪れたときのことも。

サラマンカで泊まったホテルは、やはり、エル・アルコ。老婆、美人の奥さん、美男のポーイは、「パリの手記」にも登場しています。両替に「グラン・ホテル」に行くのも同じ。コロンブスへの言及もありました。そして、イカとエビのフライを食べたのもおそらくは実話のようです。

ここから、あのジプシーの少女がどのように登場するするのか…。興味は尽きません。

辻邦生はあとがきにこう書いており、詮索はあるいは無意味なのでしょう。

この『パリの手記』の出版はそうした作品の世界を説明したり補足したりするために行われたのではない。ある意味ではそれらと『パリの手記』とは別個の独立した世界と考えることもできる。むしろそこに一個の閉ざされた空間があると感じられた故に、私は、それを明確な形で所有したいと考えたのだ。

さて、スペイン。

私は行ったことはありませんが、この辻邦生の描く半世紀前のスペインが、私のスペインになっています。全てを放擲して、スペインへ向かうことを夢想しますが、おそらくは、辻邦生のスペインはありません。私のスペインがあるだけでしょう。

同じく、私のドイツもあれば、私のイタリアもあります。この考えが、あのポン・デ・ザールで辻邦生が得た直観なのか、と思います。それは、いわば、各々の閉ざされた空間です。そして、こうした閉ざされた空間の交わりもやはり文学の機能であり、意味なのだろう、と考えます。哲学的な間主観性とはまた違う原理です。

また長く書いてしまいました。他の仕事もあるのですが、ついつい。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

はじめに

昨日の続きです。

学習院大学史料館講演会「没後20年辻邦生を語る」の後半は、作家・詩人・批評家の松浦寿輝先生による講演「辻邦生──天性の小説家」でした。こちらも本当に勉強になり、さまざま考えを巡らす機会となりました。

松浦先生のお話は、辻邦生を天性の作家として捉え、作家デビュー前のパリの手記における1つのクライマックスであるパルテノン体験記述の文体と内容の解釈を通して、辻邦生がデビュー前にいかに作家として完成していたのか、説明していくものでした。

天性の作家

辻邦生の作家デビューは37歳。早いとはいえない作家デビューではありましたが、実のところ、その時点で辻邦生は作家として完成していて、つづく40台において奇跡的ともいえる創作エネルギーを爆発させて、「背教者ユリアヌス」をはじめとした大作群をものにしていくのです。

これは、作家デビュー前に、技術的訓練をただひたすらに積んでいたわけで、「たえず書く人」という言葉が相応しいものだったわけです。

松浦先生は、作家でありたいという意志・決意・努力の持続にこそ天分が現れるのであり、「天性の作家」とは、作家たらんとする情熱と決意を持続し、電圧を高めて、一挙に書き出し、花開くもの、とおっしゃっていました。今風にいうとレジリエンスの発露という所だと思います。

実際に、パリの手記のなかから第3巻「岬そして啓示」の中から、ギリシアを訪れた辻邦生がパルテノン神殿を訪れたときに書き記されたとされる実際の文章を分析して、均整のとれた躍動感のあるリズミカルな文章を解きほぐしていき、デビュー前からいかに完成されていたのか、松浦先生は熱く語っておられたと思います。

文章の長さと時間が呼応していたり、風の描写など身体感覚を大切にした描写、過去時制と現在時制を織り交ぜた文章、など、あらためて味わいました。長いセンテンスと短いセンテンスの組み合わせが、音楽的でリズミカルなアクションに満ちた文章となっている、という話で、おっしゃるとおりと思いました。

(ただ、私は辻邦生以外の作家の小説をあまりよむことが出来ずにいまして、こうした文章の特徴を言われたとしても何かそれが自明のことであるようにも感じました。それしか知らないとその価値が分からない、というようなそういう感覚でした)

辻邦生と西欧文明

辻邦生は西欧文明に影響をうけたとされますが、そもそも、西欧というのはヘレニズムとヘブライイズムという二つのH(世界史の教科書で2Hと言う言葉で表されますが)によるものですが、辻邦生はヘレニズムには興味があったがヘブライイズムには興味がなかったのでは、という見解があったりしまして、たしかに「ユリアヌス」も「異教」が一つの要素ですし、「春の戴冠」においても、ギリシア的イデア論の復興がテーマでした。

個人的には、そうした割り切りができたとしても、キリスト教的モチーフを用いた作品も思いあたたりしまして(「風の琴 二十四の絵の物語」の第八の旅「地の装い」)、あるいは、「背教者ユリアヌス」の最新文庫版の解説で加賀乙彦さんがドキッとすることを書いておられたり、これもなにか一つの大きな辻邦生研究のテーマなのではないか、と思いました。

あるいは、西欧は車の両輪の一つであり、日本文化への興味と眼力があったということもわすれてはならない、と話しておられました。

また、宗教的な観点では、「美と永遠」ひとつの根本概念として辻文学の中に屹立している、という趣旨のお話をされていたことも付記いたします。

辻邦生の小説とは何か?

辻邦生の小説は、一体何か?という問い。池澤夏樹さんが、辻邦生をモダニズム小説として捉えている点について松浦さんは否定的にとらえておられました。モダニズムと言うよりもむしろ、十九世紀的小説を完成させたのが辻邦生だ、という見解でした。辻邦生が留学した1957年から1961年のパリはヌーヴォー・ロマン、アンチ・ロマンの時代だったのです。その時代にあっても辻邦生は、十九世紀的小説を守り続けた訳です。まさに、辻邦生のなかには小説の完成形があって、それを守り続けたのだ、ということでしょうか。

辻先生との思い出

松浦先生の講演の最後は、辻先生との個人的な思い出でした。松浦先生も学習院大学の仏文科の非常勤講師をされていたとのこと。そのころ辻先生との交流があったとのことです。松浦先生が辻先生に詩集を贈られた後に、学習院大学で辻先生とすれ違ったときの思い出、秋の日の光の中で、辻先生と挨拶されたことを懐かしそうにそしれ嬉しそうに話しておられて、辻先生は、アポロン的知性の持ち主で、明晰、明澄、にこやかだったというお話で締め括られました。

おわりに その1──十九世紀ロマンの時代

辻邦生の小説が十九世紀小説の完成形というのは、ひとつ直球的な結論で、実に明快に感じました。しかし、この十九世紀的(辻先生の時代にあっては「前世紀的」となるのでしょうけれど)という言葉は否定的に捉えられるのではという思いもあり、すこしショッキングに感じたのも事実です。

ただ、その後考えたのは、おそらくは十九世紀というロマン派の時代を再構成しているという肯定的な意味合いでも捉えられるのではないかと考えたのです。クラシック音楽において、十九世紀ロマン派はまだアクチュアルで、多くのコンサートでは十九世紀に作られた音楽が演奏されているわけですし、現在の人権意識などは十九世紀において完成形へと形作られたわけです。

もちろん、その後、十九世紀は良くも悪くも瓦解していくわけですが、そうした十九世紀的なロマンの時代=つまりローマ風=異教風=ヘレニズム風の時代を現代に再興しようとしているルネサンス的なありかたとして辻邦生の小説があるのだ、と考えました。

十九世紀は古いのではなく、何度となく人類の歴史に訪れる人間性恢復の波の一つが辻文学なのだ、と思い、おそらくは次の波が来るときに、あらためて辻文学の重要性が高まるのだろうなあ、と思いました。

おわりに その2──小説家の三要素

また、作家とは、文章表現、思想、物語構成、の三つがあるのではと思います。それは辻邦生が「言葉の箱」で語っている、詩、根本概念、言葉という小説の三要素に対応為ているのではないか、と思います。こうした三要素を天分の小説家である辻邦生がどのように鍛えていったのだろう、そういう思いを感じながら、昨日今日と時間を過ごしていました。「言葉の箱」をもう一度読むとか、「パリの手記」をもう一度読もうか、などと思いながら、そろそろ日付の回る時計を眺めながら、キーボードをたたいております。

なかなか時間が取れずに今日も夜更かし為て書いています。

そろそろ休んで、明日からの現実に向き合おうと思います。また雨が心配な季節になりました。どうかみなさまお気をつけください。

おやすみなさい。グーテナハトです。