Tsuji Kunio

厳しい不毛の岩山にすぎないアクロポリスの丘の上に立つかくも典雅な人間精神の均整をしめすパルテノンの神殿は、ギリシャ人の、宿命に打ちかつ強靱な魂を象徴している。

辻邦生「物語と小説のあいだ」『小説への序章』河出文芸選書 1976年 31ページ

辻邦生の小説論が納められている「小説への序章」。その最初の論文である「物語と小説のあいだ」にパルテノン神殿についての記述があります。

原始世界においては、物語=ナラシオンが思考、伝達、記憶を支配していましたが、一般的な抽象概念による思考、伝達、記憶に取って代わることで、近代において「小説」へと発展していくことが語られるのですが、そのなかで「ギリシア精神の勝利」という形で、ギリシアにおいては、近代的な抽象概念に陥る前に、人間を人間の空間に導いた、と述べているところでこのパルテノン神殿についての記載が現れます。

それは、物語=神話から小説へと移行する時代の流れにあって、物語=神話世界にありながらもなお、人間精神の典雅さを表すものとして、パルテノンを取り上げているということになります。

神話世界においては集団表象において、神話こそが真実であり、そこに没頭することになります。あくまで神話の文脈の中に人はいますので、おそらくは自我というものもなく、ただ神話世界の一つの事物としての個人があるわけで、個人は、物語=神話によって形成された集団表象、あるいは集団表象によって形成された物語=神話、なかに埋没することになり、人間たるべきことすらもわからないままとなるはずです。

しかしこのギリシアのパルテノンにおいては、物語=神話の世界にありながらも、そこに人間精神が樹立していることを、不毛な岩山の上にパルテノンを築くことによって実現した、ということなのでしょう。それは、宿命に打ち勝つ強靱な魂です。神話の世界にあって、人間の精神を表すということ。そうした、曖昧模糊とした神話のなかに人間精神を屹立させたギリシア精神の勝利を表すものとして、パルテノンが取り上げられているように考えます。

おそらくは、西欧近代における、主客が分離し、事物に概念を付加する形での認識形式ではなく、それ以前の世界と個人が合一した神話的認識の最終局面においてギリシア精神が果たした役割が述べられいて、その象徴としてパルテノンに言及された、ということと解釈します。

近代の営為としての科学的認識である主観と客観が分離した認識論の所産として小説形式が存在するのですが、そうした知的空間の「無色な、冷たい、無関心」な事物にあえぎ始めているのが現代=つまり私はそれを第一次大戦後と捉えましたが、それこそが現代であり、もう一度そうした科学認識から物語=神話的認識への揺り戻しが必要である、と説いているように思うのです。

そうした、神話的認識においてもなお、主観=人間性が存立しうるアンビバレントな状況を象徴するのが、パルテノンという場であるとしている、と捉えました。

おそらくは歴史というものは、経過するたびに積み重なるもので、実のところ過去への遡及は、想起という形で可能なのです。そういう意味で言うと、古代ギリシアから近代欧州の認識論も、その歴史を突き刺せば同時に存立するわけで、パルテノンに象徴されるギリシア精神は、神話的認識論と近代的認識論の間にあって、それが実のところ、次の小説=芸術において立脚すべき立場である、と辻邦生は言っているように思います。この論説の題名は「物語と小説のあいだ」ですが、それが「神話的認識論と近代的認識論のあいだ」と読み替えることができるのでしょう。

世界には進歩史観において発展しているようにも見えますが、実のところ、時間を流れる帯として捉えたとしても円環か螺旋のように同じところへと回帰するものです。あるいは、永遠の相のなかでとらえるのであれば、永遠とは共時=同時ですので、ギリシアも近代も同じ場所にいるのです。ギリシアという数千年前の事物であったとしても、その必要性というものは、現代であっても、フランス革命後のロマン派時代であっても、ルネサンス時代であっても、いずれの場所に置いても色あせることはないと思います。

人間の歴史はおそらくは進歩ではなく円環です。人間が求めるものは数万年の単位で同じはず。そうした世界認識においては、パルテノンの屹立は、その時代においてなされた輝きではなく、人類の歴史という名で語られる人類の「総体」において強く輝き続ける光芒なのだと思います。

つづく

Tsuji Kunio

この遠く嶮しい岩山の上に端然と立つアクロポリスの姿であったのが、そしてそれが、与えられた自然の意志に抗し、人間の領域を切りひらき、「人間」をして「人間」とせしめた人間の意志を表しているのが、僕には痛いように分かったのだった。(中略)それは人間を人間の根源の存在にまで連れもどす。あまりに強烈な自然に対して、それは人間を不毛にすると叫ぶことが許されないのを、これほど明瞭に語るものはない。それはまさしく運命に抗い運命にうちかつ姿そのものだ。

辻邦生「パリの手記Ⅳ岬そして啓示」11ページ

「パリの手記」として出版されている当時の日記の該当部分がこちらです。1959年8月24日の日付で、アテネのアカデミア街にて書かれたものとされています。

この記載が、おそらくは辻邦生パルテノン体験に関する最初の認識・記述に当たる部分と考えてよいと思います。西欧的な自然理解である、混沌とした自然のなかに人間の意思としてのパルテノンを打ちたて秩序づけた、という認識と思います。

この日記の冒頭において、ギリシアの自然の厳しさを驚きとともに、アラビアの砂漠と比べながら「荒涼とした姿」と表現しています。日本はもちろん、フランスやイタリアと比べても、その荒涼とした自然は辻邦生を驚かせたようで、8月の暑熱のなかに不毛の大地が横たわっているようだったのでしょう。その中に、白いアクロポリスが燦然とあるいは敢然と立ち上がっている姿を見て、「人間を不毛にすると叫ぶことを許さない」とか、「運命に抗い運命にうちかつ」と表現するのでしょう。

なにか、この表現を読んで、ユダヤ教あるいはキリスト教的父なる神の峻厳とした姿を思い浮かべたのですが、やはり辻邦生も「これは「男」の作品であることをある共感を持って思わない訳には行かなかった」と書いていて、また「アラビアの砂漠が生んだのは、地中海のもう一つの文化」と書いていることから、砂漠から生まれたユダヤ教、キリスト教を意識した秩序の象徴として、パルテノン神殿を認識しているように考えます。

そして、今読み返してみるとここには、パルテノンの「美」についての言及があまりないことに気がつきます。わずかに「美しく、均整のある、典雅な」「その廃墟の丘の石柱は美しい彫りのかげをきざんで」「自然らしい優雅さ」という表現が記載されているだけで、一環して人間を支える秩序のシンボルとしての側面が強調されているように思いますし、よくよく読むと「パルテノン」という言葉は綴られることがなく、すべて「アクロポリス」という言葉において述べられるだけです。

なにか、一神教的父なる神としてのパルテノン=アクロポリスを感じます。「人間」をして「人間」とせしめた、とはまるで、神が自らの姿に似せて人間を創ったという言葉とも通じるものです。それは西欧文明を基礎づけるものとして、ヘブライズムとヘレニズムがあげられますが、その二つをも統べるものである化のようにパルテノンが位置づけられているように思え、それは曼荼羅のように、人間あるいは世界を根底で支える汎的な秩序を具現化したものとも思います。

ともかく、辻邦生の世界認識を得た激しい興奮とともに書かれた文章は、なにか荒削りな力強さを感じ、ミケランジェロの未完のピエタのような存在感を感じるものです。

つづく

Tsuji Kunio

パルテノン神殿

辻邦生の文学は、西欧的な光が差し込む日本の旧い街並みを思い起こさせるものです。それはなにか長崎の街が持つ、アンビバレントな感覚にも似ていますが、実のところ、それは単に、世界の中に日本がある、という単純な事実を想起させるだけのものです。

この世界の中に日本がある、という感覚において、「世界」とは、中国であったり、インドであったり、あるいはヨーロッパであったりするわけですが、この400年あまりにおいて西欧が世界を席巻していた状況下においては、あるいは明治維新以降から終戦に至る状況においては「世界」とはすなわち西欧を示すことがになるわけで、日本と世界=西欧の対立関係あるいは協調関係を考えることが一つの精神的な軛であったのではと思うのです。

辻邦生も、終戦後、戦時中の快くない思い出に接する中で、西欧文明へと向かうわけで、それはパリへの留学に向かい、パリで徹底的に西欧を考えることになるわけです。ですが、それはパリにとどまるものではありません。パリ留学時代の日記を再構成した「パリの手記」を読むと、ヨーロッパ各地へ辻邦生が旅行し、そこで多くの経験・体験を積んで、西欧文明を血と肉に取り込んでいった過程がわかるのです。

その中でも特筆すべき経験が、ギリシアへの旅ということがいえましょう。経済的な不安を抱えながらも、イタリア半島を経由して、船で地中海を東進しペロポネソス半島へと上陸して、ギリシアの地を踏んだ先にあったのが、パルテノン神殿だったのです。

このパルテノン神殿に感じた「啓示」が、辻邦生作品を支えた三つの「啓示」の一つにあたります。

辻邦生の三つの啓示とは以下の3つであり、辻邦生の小説論である「小説への序章」において語られているように、辻文学を基礎付け、執筆の原動力となった重要な体験です。

  • パルテノン体験
  • 一輪の薔薇はすべての薔薇
  • ポン・デ・ザール体験

その中でも多くの作品群の中で何度も語られ、特に印象的なものが「パルテノン体験」なのです。このパルテノン体験は、おそらくは、芸術を基礎づける直感的な体験として得られたものであるはずです。

このパルテノン体験について、2018年11月に、Facebook辻邦生グループ「永遠の初夏に立ちて」のオフ会で、いくらかまとめた内容を発表しました。しかしながら、当時は私が持ち込んだインフラがうまく整わず、また私の準備状況も至らず、うまく発表できなかったという思いがあります。

あらためて、この場で、辻邦生のパルテノン体験にまつわるいくつかテキストを取り上げて、その意味とその指し示すところの変遷を考えたいと思いました。

つづく

Tsuji Kunio

先日、当ページの「Kindleで今読む辻邦生」ページを更新しました。右上のメニューバーからアクセスできます。

いつのまにか、「嵯峨野明月記」や「時の扉」までKindleで読むことができるようになっています。特に「時の扉」はうれしいですね。毎日新聞に連載された小説ですので、誰にでも親しめる小説です。もう十年以上読んでいませんのでこのあたりで再読してみようかな、などと思います。

Kindleについては、様々な意見があるのは承知していますが、辻先生が亡くなって20年を超えてもなお、こうしてKindleにラインナップの充実がみられるのはうれしいものです。

私はほとんどの辻先生の作品群を持ってはいますが、重さを気にせずどこにでも持ち歩けたり、電気を消して眠る前に暗くした部屋で読むことができるという電子書籍はそれはそれで一つの利点です。

辻作品はもちろん、おくさまの辻佐保子さんの著作もKindleになっているのはうれしい限りです。

私も、電車の中や、会社の休憩時間に、スマホに入れたKindleで、辻作品を読むことが多いです。そうしたときに、なにかしらの発見を得ることも実に多いです。

私としては、そんな辻邦生Kindle群のベスト作品はこちら。「夏の海の色」です。

「ある生涯の七つの場所」の作品群の一角で、最高傑作短編の一つである表題作「夏の海の色」が納められています。

これからも、いつでもどこでもおもいたったときにすぐに辻文学に親しむことのできる電子書籍における辻作品リリースに期待したいです。

それでは、おやすみなさい。グーテナハトです。

Arnold Schönberg,Tsuji Kunio

夜の時間ができました。こんなことは本当にまれなことです。AppleMusicを開き最初に目に入ったのがジャニーヌ・ヤンセンのアルバムに収められたシェーンベルク「浄められた夜」。

Arnold Schoenberg la 1948.jpg

シェーンベルク最初期。作品番号は4番。おそらくはシェーンベルクの楽曲の中でも知名度が高い部類に入るでしょう。私もこの曲を20年ほど前に一生懸命聴いた記憶があります。

この曲は、リヒャルト・デーメルの詩にモティーフを得て作曲されたものです。このあたりのエピソードもほとんど忘却の彼方からいまここにたぐり寄せたものです。

Rudolf Dührkoop - Richard Dehmel (HMuF, 1905).jpg
Zwei Menschen gehn durch kahlen, kalten Hain;
der Mond läuft mit, sie schaun hinein.
Der Mond läuft über hohe Eichen;
kein Wölkchen trübt das Himmelslicht,
in das die schwarzen Zacken reichen.
Die Stimme eines Weibes spricht:
Ich trag ein Kind, und nit von Dir,
ich geh in Sünde neben Dir.
Ich hab mich schwer an mir vergangen.
Ich glaubte nicht mehr an ein Glück
und hatte doch ein schwer Verlangen
nach Lebensinhalt, nach Mutterglück
und Pflicht; da hab ich mich erfrecht,
da ließ ich schaudernd mein Geschlecht
von einem fremden Mann umfangen,
und hab mich noch dafür gesegnet.
Nun hat das Leben sich gerächt:
nun bin ich Dir, o Dir, begegnet.
Sie geht mit ungelenkem Schritt.
Sie schaut empor; der Mond läuft mit.
Ihr dunkler Blick ertrinkt in Licht.
Die Stimme eines Mannes spricht:
Das Kind, das Du empfangen hast,
sei Deiner Seele keine Last,
o sieh, wie klar das Weltall schimmert!
Es ist ein Glanz um alles her;
Du treibst mit mir auf kaltem Meer,
doch eine eigne Wärme flimmert
von Dir in mich, von mir in Dich.
Die wird das fremde Kind verklären,
Du wirst es mir, von mir gebären;
Du hast den Glanz in mich gebracht,
Du hast mich selbst zum Kind gemacht.
Er faßt sie um die starken Hüften.
Ihr Atem küßt sich in den Lüften.
Zwei Menschen gehn durch hohe, helle Nacht.

男と女がいて、女が身ごもる子供の父親は、そのかかる男ではない。だが、男は苦悩の先において、女が身ごもる子供を我が子のものとして育てる決意をする、というもの。

これは、なにか聖書であるか、あるいは村上春樹の「騎士団長殺し」のモティーフでもあるかのような。愛情とはこのように、「私(わたくし)」を捨ててすべてを受け入れるものなのか、と。

芸術というものは、文学であろうと音楽であろうと、人間の極地を描くことにより、人間の価値を高め認め育てるものです。このある意味で愛情に関する排他性を乗り越える感覚というのは、無私の愛であり、ある種アガペーに近いものでもありえます。

ロボット三原則のなかには、自分の身を守らなければならない、という条項があるように、人間もやはり自分の身を守る必要がありますが、その先の試練として無私の愛があり、それを乗り越えるという営為が想定されているのではないか、という感覚。

辻邦生の「ある生涯の七つの場所」のなかの感動的な短編を思い出しました。「赤い扇」という短編です。その中の一節。

相手が好きになるとは、相手のみになるのではなくて、自分の好みに相手があうかどうかを定めることじゃありません?
(中略)
もしそうだとしたら、恋愛で一番大事なのは自分です。よく恋のために死ぬなんてことがありますわね。でも、それは、自分の好みを実現している相手に殉じるのですから、結局は自分のために死ぬのと同じです。本当に無私ならば、決して自分の好みなどに引きつけてかんがえるわけはありません

辻邦生『赤い扇』ある生涯の七つの場所より「椎の木のほとり」中公文庫415ページ

普通の恋愛は、おそらくはエロスとよばれ、神の愛はアガペと呼ばれますが、先日、美はアガペーのようだ、ということを書いたりもして、おそらくはこの浄められた夜の男は無私の愛の境地に達し、そうだとすると、それ自体が人間の高貴な秩序にむけたアガペー的で美的な行為ということになるのでしょうか。ここではアガペーという言葉を幾ばくか恣意的に使っているわけですが、それは美的行為が神的意味を有するという相関関係においてわざと使っていることになるでしょう。

さて。この夜は、少しずつ涼しくなっていて、コオロギの声が聞こえ始めました。会社の若い人が「ようやく秋ですね」と話しかけてきて、「もうすぐ春ですね」もフレーズが聞こえてきて、春を待ちわびるのも、秋を待ちわびるのも質的には変わらないのかも、と思いました。シェーンベルクは無調の世界へと旅立ちますが、私たちはどこへ向かうのか。この秋を超え、冬を越え、次の夏へと向かう道程において何が待つのか。そんなことを考えながら、デスクライトに照らされたPCに向かって文章を書いています。これが幸福なのでしょう。

また次も書けますように。みなさまもよい夜を。おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

「作品が湛えている美に触れることは、その後の生き方を決定的に変えてしまう。美とは本来そういうものだし、またそういう形で美に触れなければ、真に作品を見たとは言い難い」

辻邦生の言葉。

美とは、本当にそういうものです。私も、何度かそういう経験をしました。ゆえに生き方が変わりつつあるように思います。

美のもつ秩序Orderこそが、世界を拡散から守り、一つの体系へと統べているのではないか。

それは、西田幾多郎の言う統一力のようなものではないか、と思います。

意識を離れて世界ありという考より見れば、万物は個々独立に存在するものということができるかも知らぬが、意識現象が唯一の実在であるという考より見れば、宇宙万象の根柢には唯一の統一力あり、万物は同一の実在の発現したものといわねばならぬ。

西田幾多郎「善の研究」より

バラバラな意識や考えも、説明できないなにかで繋がっています。間主観性とか、集合意識とか、言語ゲームとか、そういう言葉で語られるのかも知れませんが、『美」が持つ目的を超えた合理性に世界に秩序を齎す秘密があるのでは、と思うのです。美とは、それ自体に目的や機能はなく、ある意味無償の価値でありそれはアガペーにも通じるものがあります。辻邦生が『春の戴冠」で美に神的なものを見ようとしたのも肯けます。

そうした美のもつ秘密を解き明かしたい、という思いに、このところ囚われています。美がもたらす秩序を見て、なにがどうしてこうなるのだろう、という不思議を感じるのです。

そんなことを考えながら、今日は帰宅しています。コロナで少なくなったひと握りの乗客を乗せて夜の通勤列車は進みます。

みなさまも良い夜を。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

今日は終戦の日です。75年。ついこの間、50年だったと思ったのですが、時がたつのは本当に早いものです。

辻邦生が戦後50周年にあたって書いた文章を読みました。

今では、国と個人は権利的に対等に立っている。これは日本では、戦後に確認された意識と言っていい(中略)それは個人の尊厳と自由に対し、何ものも犯し得ないという認識だ。しかし、これは「祖国」のために死んだ人の意味を決して無にしない。「祖国」とはここでは「愛する人々」の別名だからだ。「愛する人々」は今やアジアへ、世界へ拡がっている。

辻邦生『変化する歴史に沿って』「辻邦生がみた20世紀末」2000年、信濃毎日新聞社、259ページ

ここには書きませんが、この文章には、敗戦国の無常についても書かれています。おそらくは個々の兵士たち人間たちは、敗戦国の無常を想定し、郷里のため、家族のために戦ったのでしょう。それが自由意志であったかのように。

おそらくは「国と個人は権利的に対等」ですが、それは先人の血によって勝ち取られたもので、不断の努力で維持しなければならないものですが、どうでしょうか。

世界的に危機が少しずつ迫っているような気がしてなりません。歴史は変化し続けているのです。

やはりできることは「個人の尊厳と自由に対し、何ものも犯し得ない」という認識を持ち続けること、です。これだけは譲ってはいけませんし、自分自身もそうであるように行動しなければなりません。

東京の夏は今日も暑かったです。どうかみなさまもお気をつけてお過ごし下さい。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

昨日の個人的な直感を経てから、なにか辻先生が書いていることの理解が変わった気がしています。今までは、頭でわかっていたつもりでしたが、すべてが一瞬にして変わり、新たな理解に到達してしまった感があります。

似たような経験をしたのは、1994年晩冬のこと。親戚の結婚式に向かう上越新幹線の中で、西田幾多郎「善の研究」が語る純粋経験の主客未分を体験的に把握したことがありました。あのときの感覚を思い起こしています。使い方を間違っていないのであれば、ベルグソンのエラン・ヴィタールのような跳躍でした。

今朝も「言葉の箱」をKindleで読んでいたのですが以下の言葉がなにか痛いほど刺さってきました。

人間として存在していることが言葉としている存在していること

辻邦生「言葉の箱」No.210/1537 Kindle

私は、これまでは人間足るべきものは、言葉によってその存在証明をするのだ、という意味合いと捉えていました。昔見たフランス映画で、小学生たちに「話さないことは存在しないこと」ということを教えているシーンがでてきたのを覚えています。西欧では、話さないことがすなわち人間として存在しないことだ、とうことを知ったのですが、そういうことを述べているのではないか、と考えたのです。

しかし、この「人間として存在している」と「言葉として存在している」が同義であると言っているということは、ひっくり返すこともできるわけです。A=Bであれば、B=Aともいえます。

「言葉として存在していることが人間として存在していること」

そうすると、言葉がまずあって、その後人間が存在していると言うことになりますが、それは言葉が人間を形成するという作用を暗示するわけです。

はじめにロゴスあり、という聖書の言葉があり、、言葉が人間を作るというのは、前後逆であるように見えて、実は言葉の強大な力を表現しているものなのだと捉えました。よく言われる「言霊」ということなのでしょう。

西欧においては、人間が起点となり、人間が世界を形成します。しかし、どうも日本(あるいは東洋?)においては、人間が世界を形成するのではなく、世界があって人間があるように思うのです。それは単純な経験論ではありません。言葉による世界が、人間を形成するという意味であり、それはなにか西田幾多郎の主客未分とも似ているように感じます。そこに主客=人間と言葉の依存関係や優劣性はないのです。

これは哲学の学問的議論ではなく、あくまで随想ですので、議論するものではなく、直感を文章かしようとしているものです。しかし、昨日の直感以来、「言葉の箱」の文章のすべてがこれまでと違う意味を持ち始めてしまい、驚き困惑しています。それは私の解釈だけであって、辻先生がそうした思いで書いておられたのかはよくわかりません。しかしながらそれが解釈であったとしても、その状況をどこかに書き留め表現しなければならないという衝迫に駆られているようです。

ほかの箇所でもいろいろと気づきがあったのですが、今日はこのあたりで。みなさまもどうかよい夜を。おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

21年は長く短い

今日は、辻邦生先生のご命日。園生忌です。21年前になります。

今年の思いは、「21年は長く短い」です。

歳を重ねるにつれ、10年前の記憶が産まれ、15年前の記憶が産まれ、20年前の記憶が産まれます。そうしたあらたな記憶が産まれることに、当初は驚くのですが、そうした驚きもいつしかなくなり、21年前の記憶が鮮明であることにも驚かなくなります。21年前の記憶と1年前の記憶に質的差異は全くないのですから。そういう意味では、辻先生の記憶もなにかまざまざと迫ってくるものがあります。

21年前辻先生と文学についてお話しするのが夢でしたが、その夢は潰えた、という思いを抱いた、という記憶もありますが、もしかするとそれも、後解釈で付け加えられた別の記憶であるかもしれず、もはやなにが正しく真実であるのかはわかりません。

今日、この新聞記事にある「美」と「言葉の力」というテーゼが、ストンと腹落ちするのを感じました。それは、少し前から少しずつ腹落ちに向けて考えていたことなのですが、本当に偶然に、この辻先生のご命日に腹落ちしたのでした。腹落ちした瞬間は、今日が7月29日であることと関連付けていなかったのですが、夕方になって、今日という日付のことを改めて思い出し、文字通り声を上げて驚いたのでした。

「美」と「言葉の力」

それにしても、いままでこの「美」と「言葉の力」を理解していた気がしていたのに、全く理解していなかったのでした。そのことも驚きますが、今日というこのタイミングで腹落ちしたのも運命的です。

きっと「美」にも、なにかしらの実践的な意味があるのだろうなあ、ということで、それは「食べ物もなにもない焼け跡で、文学が何の役に立つのか」ということの答えになるものではないか、とも思うわけです。しかし、「腹落ち」という非論理的な営為を言語化することは難しい仕事なので、これ以上語ることはできず、おそらくはこの先何年もかけて言語化していかないと、と考えています。

おわりに

ところで、一昨日から巻頭言をホフマンスタール「ばらの騎士」から「春の戴冠」に変えました。世の中は腹が立つこともあるのでしょうけれど、それ以前に充足していることのほうが大切です。

今日はこのあたりにしておきます。コロナ以降、私も少しずつエンジンがかかってきました。これまでより頻度をあげて書こうと思っていますので、お時間のあるときに是非おこしください。

おやすみなさい。

Tsuji Kunio

「くる日もくる日もノートを書いていても、それは、あくまで〈生きること〉を一層徹底させ、没入的にするための作業、といった趣を持っていた」──辻邦生『空そして永遠』より。

辻邦生のパリ留学時代の手記をまとめた『パリの手記』。その最終巻の『空そして永遠』を鞄に入れて過ごしました。帰宅の電車のなかでなんとなく開いた最後の「あとがき」にこの言葉がありました。

辻邦生は、まるでピアニストがピアノを弾くように、たえず書く、と言っていました。書くことは、文章を作り出すということ以上の意味を持ちます。世界を作り出していたのでしょう。その世界とは、書き手だけの作りうる完結・統一した世界なのだと思います。

それにしても、こんな風に、生きることに打ち込み、やることが生きることと直結していたら、そんな感想を持ちます。

やることと生きることが繋がっていなければならず、そうでない時間は浪費になりかねません。生きることに繋がることをやるのが人生への責務なのだと思い、責務を果たすために努力をすること。これに尽きるのだな、と思います。