今年も、学習院大学史料館の辻邦生講演会の季節が参りました。梅雨空のなかではありましたが、目白へと行ってまいりました。
「二つの磁場から──名前で語る人と語らない人」
キュレーター・美術史家の拝戸雅彦先生の講演「「二つの磁場から──名前で語る人と語らない人」は、本当に刺激的で、私にとってはなにか刺激的な辻邦生解釈を得たような気がします。
拝戸先生は名古屋大学文学部哲学科美学美術史専攻における辻佐保子さんのお弟子さんで、佐保子さんとの関わりの中で、辻先生との接点をもたれていて、さまざまな思い出話を盛り込みながら語られる辻邦生像はとても新鮮でした。辻先生を語るアプローチが本当に斬新で、私は我を忘れて聞き続けたのです。
ジャズそして未来へ
まず、辻先生と拝戸先生の接点が間章氏という点。間章氏は、音楽評論家で、立教大学時代に辻先生と交流があったというのです。拝戸先生は間章氏の文章を中学生の時に読まれて影響を受けたというのです。それは、チューブラーベルズのライナーノーツのテキストで実に難解ななもの。拝戸先生は、辻夫妻のご自宅を訪ねられたときに、この間章氏の著作について話をされたことで、拝戸先生の印象が辻先生に残ったのではないか、とのことでした。
そして、最後の締めはロバート・グラスパー。どうやら辻家では、日曜の午後にマイルス・デイヴィスを聞いておられた、と言うこともあり、きっと、辻先生や辻佐保子さんがご存命なら、ロバート・グラスパーを聴けば喜ばれたのではないか、というお話。
(Robert Glsper, Black Radio)
これは、本当に凄いことだと想うのです。
いずれもジャズを通底としたお話で本当に新鮮だったのです。普通にはできない発想で辻先生や辻佐保子さんのことを語られたなあ、と考えました。
辻先生は、ジャズを聴きながら自動車を飛ばして軽井沢へ出掛けられた、というエピソードをどこかで読んだ記憶があり、確かに、グラスパーのドビュッシー的な和声・旋律と織りなす言葉を聴いてきっと喜ばれるのではないか、と思いました。
何か、現代の新しい芸術や文学をみて辻先生が何を思われるのか、という発想につながり、いまはおられない辻先生が、まだ生きておられてなにか語りはじめるのではないか、という感覚を持ちました。辻邦生再解釈というと言い過ぎかもしれませんが、未来に開かれた辻邦生像を考えられるのでは、と感じました。
「最後の四つの歌」をめぐる解釈
実に印象に残ったが、リヒャルト・シュトラウス「最後の四つの歌」に関する考察です。
辻佐保子さんが書かれた「辻邦生のために」の中に、「最後の四つの歌」のうち「夕映え」を辻先生が聴かれるシーンがあります。アイヒェンドルフの詩が使われた「夕映え」は、人生の終わりと一日の終わりを重ねた歌詞ですが、辻先生がなにか死期を悟りながらこの「夕映え」を聴いていたのではないか、というシーンです。
拝戸先生は、辻先生の死後まもない時期に佐保子さんが幾分かメランコリックな状況で書かれたシーンであり、実は違うのではないか、と解釈されていました。辻先生は、最後まで現実世界で死を克服するかのように語り続け書き続けることに尽くそうとしていたのではないか、という解釈。たしかにそうかもしれない、と思いました。あるいは、拝戸先生が、辻さんご夫妻のこと、とくに佐保子さんのことをよくご存知だったからこそできた解釈なのだ、とも考えました。
おわりに
拝戸先生の講演は、実際にチューブラー・ベルズやロバート・グラスパーの音楽を聴かせてくださったり、あるいはキュレーターのお仕事の大変さを垣間見るものであったり、と実に素晴らしいものだったと思います。ほかにも重要なことを話しておられましたが、私の印象に残ったことを書きました。
ロバート・グラスパーは、私も2015年頃に知って以来よく聴いていて、拝戸さんが取り上げられたAlways Shineと言う曲も知っていました。
学習院大学の講堂でグラスパーを聴くことになるとは想像しておらず、なにか不思議な気分に浸りながら、グラスパーの雨の都会のような冷たい匂いを感じていました。そのとき、拝戸さんの姿がモニタに隠れて私の席から見えなくなり、拝戸先生が退席されたのではないか、と感じたのです。
何か、このまま音楽とともに講演が終わっていくような感覚、それはまるでジャズのアルバムで、トラックがフェードアウトして終わっていくように感じ、それはそれで心地よい終わり方では、と思いました。もちろん、それは私の錯覚で、最後は、きちんと締めがありました。
すいません、書いていたら、どんどん長くなってしまい夜更かしをしてしまいました。松浦寿輝先生の講演は次回書きます。これもまた刺激的でした…。
それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。