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音楽入門―音楽鑑賞の立場 音楽入門―音楽鑑賞の立場
伊福部 昭 (2003/05/22)
全音楽譜出版社

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完読していませんが、面白いので少々引用してみます。

正しい思考と、長い訓練によってのみ、はじめて感得しうるような種類の美がありますが、まず、第一に裸になって、自分の尺度を主とするところから始めなくては、決してそのような高い美しさを感得しうるようにはなり得ないと言うことを述べたいのです。

伊福部昭「音楽入門─音楽鑑賞の立場」全音楽譜出版社 2003年 12ページ

アンドレ・ジイドは「定評のあるもの、または、既に吟味し尽したものより外、美を認めようとしない人を、私は軽蔑する」と述べていますが、……

伊福部昭「音楽入門─音楽鑑賞の立場」全音楽譜出版社 2003年 13ページ

私たちが音楽作品を聴く場合に、第一に心がけねばらなぬことはこのことです。すなわち、その作品にあって、音がどのように美しく構成され、またどのような運動をするかということにかかっているのです。もっと平易に言えば、音楽は音の純粋舞踊のようなものだと考えればいいのです

伊福部昭「音楽入門─音楽鑑賞の立場」全音楽譜出版社 2003年 42ページ

観賞の立場から言えば「音楽は思想で聴くものではなく、その音を聞くべきものだ」

伊福部昭「音楽入門─音楽鑑賞の立場」全音楽譜出版社 2003年 48ページ

何はともあれ真の音の美しさを味わうためには、自己の中にある既成の音楽上の観念を一度捨てて、純な素直な心がまえで、音楽にもう一度触れてみる必要があるのです

伊福部昭「音楽入門─音楽鑑賞の立場」全音楽譜出版社 2003年 52ページ
ふうむ、音楽鑑賞をするにあたって、少し冷や水を浴びせられた感じ。もっと素直になって聴かないといけないなあ、と。そのためには、いわゆる世評が確立された録音だけではなく、その他の録音も聴かないといけなかったり、「音の純粋舞踊」を楽しむために、音の構成や運動を理解する必要があったり、僕がまだ到達できていないところが求められているようです。
続きを読んでみてまた書いてみたいと思います。

Tsuji Kunio

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夏の海の色 夏の海の色
辻 邦生 (1992/04)
中央公論社

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<海峡:黄色い場所からの挿話 XII>「夏の海の色」

夏の海の色から「海峡」を読む。

今は、誰もが直接に生きるのを嫌うのよ。山に登るかわりにリフトで頂上に行こうと思うでしょ?自分で楽器を弾かないで、ラジオやレコードで音楽を聴くのを好むでしょ?」

辻邦生「海峡」『夏の海の色』中公文庫、1992年、260頁

このエマニュエルの言葉には、冷たい手を胸に当てられたような思いを抱いてしまう。最近はCDで音楽を聴くことが多くて、自分で演奏する機会なんてなくなってしまった。演奏できる楽器がサクソフォンだけなので、家で吹くというわけにも行かない。エマニュエルの言葉に触発されて、EWIという楽器を吹いてみるのだが、アンブシェアががたがたで長い時間吹けなかった。歳を重ねるにつれて出来なくなってくることが増えてくる。欲望だけは拡大していくのだが、実現できることは明らかに狭くなってきている。これだけが歳をとると言うことだとすれば、寂しいことだ。

話題がそれてしまった。とにかくこの掌編もアクチュアルなものとして対面せざるを得なかった。というのも、北の町で働くことを、最近になって現実的なものとして想像しはじめたからである。北の町でささやかな生活を暖めることが出来るのならば、それはそれで幸せなのかもしれない。都会は選択肢が多すぎて疲れるのだ、とある知人が話をしていたのが思い出される。

だが、北の町に暮らすことだけでは解決策にならない。都会に住みながらも生活を暖めることが出来なければ、文明の敗北だと思うのである。課題は山積するが、有効な解決策を見いだせない。ただ、本を読むことが出来るぐらいである。

これ以降あらすじ。


あらすじ

エマニュエルと私は、夏の休暇を、友人のウタ・シュトリヒの故郷である海峡に面した北フランスの小都市で過ごすことになった。これまでは南フランスで過ごしていたので、北フランスの夏を新鮮に感じるエマニュエルと私。エマニュエルは魚を捕りたいといって、小都市での暮らしを楽しみにしている。

「地中海の晴れやかな夏もいいけれど、北の海の翳りのある夏も味わってみたいわ。きっと私ね、魚を捕るのに夢中になると思うわ」
「今まで釣をしたなんて言ったことある?」私が言った。
「ないわ」エマニュエルは笑って首を横に振った。
(中略)
「しかしなんで急に釣のことなんか思いついたのかな?」
「きっと、私ね、生活にもっとさわってみたいのかもしれない」
「今だって生活しているじゃない?」
「もっと直接に、日の光や、風や波に触れる生活がしてみたいの」
「それは賛成だな」
(中略)
「賛成しない人の方が多いと思うわ。今は、誰もが直接に生きるのを嫌うのよ。山に登るかわりにリフトで頂上に行こうと思うでしょ?自分で楽器を弾かないで、ラジオやレコードで音楽を聴くのを好むでしょ?」

辻邦生「海峡」『夏の海の色』中公文庫、1992年、260頁

都会では、自分がする前にすべて他人がやってくれた。(中略)生活ではなく、生活の幻影を追って生きているのだった。私はいつだったか、ふと、このことに気付きはじめると、その後、都会では、自分で生活を試みる機会がいかに少ないかにしばしば驚かされたのだった。

辻邦生「海峡」『夏の海の色』中公文庫、1992年、262頁

こうして、エマニュエルと私は北の小都市へ到着する。慎ましく素朴だが、同時に質実剛健な雰囲気を醸し出す街の様子に二人は喜ぶ。早速、釣や海水浴をはじめるエマニュエルと私。

「この夏は、ぼくたちはすべてにじかに触れるように暮らそうと言っているんだよ」私がウタに言った。「こうして自転車に乗って森の匂いや潮の匂いを嗅ぐと、もうそれだけで、ぼくらの願いが充された感じだな」
「ある意味では、ここには、そういう直接の生き方しかないんだわ」ウタは私を振り返って言った。「それはとてもいいことだけれど、この土地に縛られた人には、また別に考えられるのね」

辻邦生「海峡」『夏の海の色』中公文庫、1992年、268頁

ウタの父親は、海峡の連絡船の船長だった。だが、二年前に自殺し他界していた。快適な家があり、清潔な品によい街にかこまれ、家族とともに幸福に暮らしていたはずなのに、なぜ自殺をしてしまったのだろう、と私は考える。すべて満たされていたはずなのに、なぜ自殺を選んだのか?

しかし私は午後の静かな太陽に灼かれ、岩肌の快いぬくみで身体の湿りが乾いてゆくのを感じていると、この平穏な調和した安逸感が、かすかな不安を引きずっているのを感じた。
波は岩に砕け、音を立って海水が岩肌を流れ落ちていたするとすでに次の波が岩へ身体をぶつけてくるのだった。
私はその律動の無限の繰り返しの中に、生の無意味さ、生の無目的が、黒ずんだ窖のように、ぽっかり、口を開いているのを見るような気がした。波は砕け流れ落ち、また打ち寄せていた。
ひょっとしたら、ウタの父は、ある日、これに似た虚無感に捉われたのかもしれない。彼はそれに抗って、自分の市民的な義務(中略)を思い出し、生の意味を呼び起こそうと努めたに違いない。しかしずるずる崩れ落ちる蟻地獄のように、生の虚無の中に刻々に深く沈んでいったのかもしれない

辻邦生「海峡」『夏の海の色』中公文庫、1992年、275頁

エマニュエルと私は、ウタとともにこの北の小都市での休暇を楽しむ。午前中は釣をしたり、泳いだり、午後は午睡をとったり水彩画を描いたり本を読んだり。

そんなとき、対岸の街で市が開かれると言うことを知る。近郊の人々が不要品を持ってきて並べる市なのだという。ウタとエマニュエルと私の三人は連絡船に乗って対岸へと向かう。ウタは自分の父親の写真が出てきたと語りはじめる。父親はかつて人民戦線に加わっていたことがあるのだという。

私は考える。ウタの父親は、人民戦線での不幸な出来事の一切を忘れようとして、市民的な生活を送ろうとしていなのではないだろうか。この小都市でのささやかで幸福な生活に没頭しようとすればするほど、そこから引き離されているのを感じていたのではないだろうか。酸鼻を極めたスペイン内戦での出来事を見つめざるを得なかったのではないか。むしろこの小都市での幸福な生活の溢れるような生の意味を知っているが故に、そこから自分を切り離してスペイン内戦に加わったという重みが、彼に死を選ばせたのではないか?、と。ウタの父親が、幸福な生活の外にあるものを知っているが故に、このささやかで幸福な生活の意味を見いだそうとしていたのである。

だが、本当に、泳ぎや釣に没頭でき、太陽を愛し、風に心を高鳴らすのは、あの人々と──あの大都会の雑踏の中で──大工場の雑音の中で──事務機械のカチカチつぶやきつづけるなかで──汗を流し、不安と戦い、単調な時間に虐げられるあの人々と、真に心が結びつき、人々の思いがそのまま血のなかに流れつづけるときではないのだろうか。
ウタの父はそれを試み、それを失い、そしてその最後の糸を、この海峡の安逸のなかに見失いそうになった故に、自ら死を選ぶに至ったのだ。その死によって、彼のなかにある、この人々との結びつきを、彼は守り抜こうとしたのだ。

辻邦生「海峡」『夏の海の色』中公文庫、1992年、285頁

Tsuji Kunio

旧Museum::Shushiの記事から。

このWeblogは幾つか意図があってはじめたのだが、そのひとつが、辻邦生についての自分の考えをまとめる場にしてみたい、という点。「辻邦生」なんて、書くのはあまりに恐れ多い。辻先生と書くことにしよう。何も媚を売るわけではなく、純粋な尊敬の念から、そう書きたいのだ。

いつも迷っていた、辻邦生さんのことを文中で書くときのこと。かつてのブログにその解答が載っていました。移行後も、辻邦生さんのことは「辻先生」という表記にしようと思います。

Tsuji Kunio

安土往還記 安土往還記
辻 邦生 (1972/04)
新潮社

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戦国の英雄、織田信長を描いているのですが、単なる信長公記の焼き直しではありません。語り手の南蛮人が、織田信長の天下統一事業を高い次元のイデアを目指すものとして語りつづっているのです。信長はシニョーレという代名詞で語られます。信長の天下統一事業は、生半可なものではありませんでした。よく知られているように比叡山の焼き討ちや、謀反人への容赦ない処罰など、半ば神がかったものでした。天皇の権威をも揺るがそうとする勢いは、日本という国の意義自体をも揺るがすものだったといいます。語り手はそうした事績を非日本人としての客観的まなざしで語り続けます。最後に信長が安土城で催す松明行列のシーンが圧巻です。その後訪れることになる本能寺の変のことを我々が知っているだけに、その圧巻な催しに寂寥感を覚えざるを得ないのです。
辻文学においては、高い理想を掲げ目指すのだが、現実との軋轢により挫折せざるを得ない、という構造を多く見ることができます。「春の戴冠」においては、サヴォナローラ事件がそうですし、「ある生涯の七つの場所」では、スペイン内戦の人民戦線がそれに当たります。「背教者ユリアヌス」でも、ユリアヌスは遠征先の砂漠で斃れることになります。「安土往還記」においてもやはりそうした構造に基づいていると言えるでしょう。こうした一連の物語は、現実社会においても、性急な改革を戒め、地に足をつけたゆっくりした着実な改革が大事なのだ、ということを語っているように思えてならないのです。

Tsuji Kunio

「クロード・ジャド」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2006年12月3日 (日) 05:03
フランスの女優、クロード・ジャドさんが亡くなりました。この方は、辻邦生原作の映画「北の岬」に出演されていました。

Tsuji Kunio

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夏の海の色 夏の海の色
辻 邦生 (1992/04)
中央公論社

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<古い日時計:黄色い場所からの挿話 XI>「夏の海の色」

鎧戸の透き間に太陽が金色の尾羽を並べたように反射していた。涼しい室内はその反射光で明るみ、別途に向こうむきに寝ているエマニュエルの浅黒く日焼けした肩の丸味がほの白く光っていた。

辻邦生「古い日時計」『夏の海の色』中公文庫、1992年、205頁

むう。もうこの冒頭分だけで参ってしまう。

鶏が庭土をつつきながら野菜畑の方へ歩いていた。真夏の昼下がりの光がポプラにも草地にも野菜畑にも納屋の屋根にもまぶしく降り注いでいたが、鶏のク、クと鳴く声と納屋の前に飛ぶ蠅や羽虫のうなりを覗くと、すべてが森閑と静まりかえっていた。

辻邦生「古い日時計」『夏の海の色』中公文庫、1992年、205頁

午睡の習慣がある南欧の厳しい夏の風景。静謐で美しくまるでセザンヌの絵のようです。

「さっき教会の前で日時計を観ていたんだよ。横の庭においてある……」

「ええ、知っているわ」

「あれを見ていたらね、時間が、太陽の動きと一つになって、ゆっくり動いていて、決して流れ去らず、また明日になると、太陽とともに、時間がやってくる──そんな気持ちになったんだ。時間は無邪気な子供みたいに日時計の石の文字盤の上に戯れていて決して無くなることはない。いつもゆったりしていて、明日も同じように、そこに、たっぷりと姿を現す……

辻邦生「古い日時計」『夏の海の色』中公文庫、1992年、207頁

スピードと効率性を重視する現代社会において、日時計などというものは無用のものかもしれないのですが、日時計に着目することで、かつて時計を知らなかった時代にわれわれがもっていた「時間」への郷愁が浮き彫りになってくるのでした。

これ以降あらすじです


あらすじ

エマニュエルと「私」は南仏の小さな村にいる。午睡をする二人。翌日近くの街の古代ローマ遺跡を見学するのだが、その帰りにブリネ神父と出会う。どうやらこの町はエマニュエルが幼い頃両親と離れて育った街で、エマニュエルは両親に愛されていなかったためこの街に預けられたのだとおもっていたのだが、父親の日記を読むことでそれが違っていたことがわかったのだ。こうしてエマニュエルは再びこの村に戻ってきて思い出を確かめようとしているのだった。ブリネ神父はエマニュエルの両親のこともエマニュエルのこともよく知っていて、二人が愛し合っていたこと、エマニュエルを愛していたことをエマニュエルに語る。

二人が泊まっているマルタン老人の家に戻ると、老人は検問があっただろう、と言う。どうやら二人が古代ローマ遺跡を見学した町で殺人事件があったらしい。男が妻の前の亭主を殺害したというのだ。男は単独で逃走しており、妻はそのまま残ったのだという。二人はどうして単独で逃走したのか、愛し合っているのならば二人で逃走するべきではないか、と話をする。「私」は男が女のために人殺しまですることが非現実におもえるというのだが……

「そうかしら」エマニュエルは眼を細めて、丘の上のポプラを眺めた。「私は反対のような気がするわ。人間が誰かを殺したくなるほど、純粋に憎めるのは、名誉心からでも物欲からでもなく、やはり愛からだと思うわ」

「嫉妬からということもある」

「それだって愛があるから起こるのよ」

「もちろんそうだけれど」私はエマニュエルの表情が複雑に動くのを見て言った。「愛にしろ何にしろ、現代人は誰もそんなものを信じようとしないからね。そんなものを信じた貌に出会うと、急に鼻白じんだ表情をする」

「現代人の虚栄心ということもあるわ」

「そうだね。そういう面は確かにある」
「追いつめられた人の眼で見れば、多少、違ってくると思うわ」
「しかし現代人は追いつめられた人間を笑おうとしているのじゃないかな」
「それはまだ自分も追い詰められていることに気がついていないからよ」
「何に追い詰められているんだろう?」
「この世に投げ出されているという事実よ」
「ばかに哲学的なんだね」
(中略)
「でも、それから目をそらすわけに行かないわ」
「僕も同意見だよ」
「そうだと思っていたわ」
「どうして?」
「そこから私たちがはじまっているからよ」

辻邦生「古い日時計」『夏の海の色』中公文庫、1992年、214頁

ブリネ神父を尋ねる二人。エマニュエルの昔のことを話そうというのだ。ブリネ神父は日時計についてこう語る。

「日時計は私たち人間の全生活が昼と夜、天候、季節と深く結びついていたことの証であり、その名残です」神父は二重顎をひくようにして言った。「私たちは昼と夜が指し示す通りの生活をしました。朝早く目覚め、昼は働き、夜は休みました。夜働くものはなく、昼、光のない地下街であたら区などということもありませんでした。雪の日、風の日、私たちは厚い壁の中で、それに耐えました。雷鳴に怯え、雪の日には、暖炉の火が、おいしいご馳走と同じでした。日時計の時代は、人間の愛も豊かでした。それは家族や村の人々と結びついて感じられていたからです。切り離された現代の愛は、孤独です。ちょうど現代の都会生活に季節が無く、昼も夜もないように」

辻邦生「古い日時計」『夏の海の色』中公文庫、1992年、215頁

ブリネ神父によれば、エマニュエルの母はシリアの考古学を専門にしていて、エマニュエルが生まれると、シリアから戻りたい、自分の仕事を辞めたいといったのだそうだ。エマニュエルの父もおなじくエマニュエルが生まれることを望んでいたが、結果としてエマニュエルの母がエマニュエルの誕生のために自分の仕事を捨ててしまうのではないか、と考えていたのだ。父は、『もしお前がエマニュエルのために、今仕事を打ち切ったら、お前は、後になってこの子を憎むようになるよ』といって、この村に預けることにしたのだという。
辻邦生「古い日時計」『夏の海の色』中公文庫、1992年、218頁

ブリネ神父の家を後にするとき、検問のことをブリネ神父に尋ねる。少し考え込む風なブリネ神父の表情。

その後、殺人犯の男が逮捕されたというニュースを知る。ブリネ神父にそのことを言うと、神父の顔は妙に歪んだ感じで、落ち着きがなかった。

あとから考えてみると、どうやらブリネ神父が男を逃がしたのではないか、と二人は考えるようになる。どうしてなのか、と思いを巡らせる二人。

「ブリネ神父はあの男が逃げることを望んでいたね」
「さ、それはわからないけれど」私はエマニュエルの横顔を見て言った。「なにか日時計の持っているものと似たものが、あの男の殺人の中にあったのかもしれない」
「どういう意味?」
エマニュエルは前を見たまま言った。
「つまり季節や天候や人間の群れと固く結びついた何か──見えない掟のような何か──そんなものがあったんじゃないかな」
エマニュエルは黙って、頭を横に振った」

辻邦生「古い日時計」『夏の海の色』中公文庫、1992年、222頁

Tsuji Kunio


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1992年、百の短篇とよばれる「ある生涯の七つの場所」の文庫版第一巻「霧の聖マリ」が発売された。僕がこの短篇を手に取ったのは、辻邦生さんが済んでいた高輪のそば、品川プリンスホテル内の書店だった。大学受験で上京した宿泊先が品川プリンスホテルだったのである。「霧の聖マリ」の最後に辻邦生さんの文庫版あとがきが入っていて、その最後に「一九九一年師走 東京高輪にて」とあった。品川プリンスホテルの裏はすぐ高輪であることを知っていた若い僕は、ニアミス、あるいはシンクロニシティの神秘に心をふるわせたのだった。
一年間の浪人が決まり、いよいよ勉学に励まなければならない状態にあった。家族は僕のことを無視し続けていたが、何とか予備校に通って、勉強にいそしんでいたつもりだった。
そんな中でも読書だけは忘れなかった。「ある生涯の七つの場所」は1992年一年間をかけて二ヶ月おきにゆっくりと文庫版が刊行されていた。僕は隔月刊行の文庫を待ち続け、予備校近くの書店で発売日には早速と買い求め、通学電車の中で時を忘れて読み続けたのだった。百の短篇が織りなす時代のタペストリーの全体像を思い描くには、それなりの準備が必要だと思うのだが、百の短篇一つ一つに織り込まれた人間の情念や美への揺るぎない信念を感じるには、短篇一つを読むだけで十二分に味わうことができた。
一つの短篇を読み終わるたびに訪れる、まるで大理石を削りだして生まれた彫刻をみるような甘美な気分や、人間の情感がもたらす不思議な物語に触れた時に訪れる人知を越えたものへの憧憬を、ゆっくりと楽しんだのを覚えている。
僕の辻邦生作品へのひとかたならぬ思いを形成し、読書の楽しみを教えてくれたのは、浪人中に読んだ百の短篇なのである。

Tsuji Kunio

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夏の海の色 夏の海の色
辻 邦生 (1992/04)
中央公論社

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<泉:黄色い場所からの挿話 VIII>

ある生涯の七つの場所について、少しずつ書いていこうと思います。本当は最初から書き始めるのがよいのでしょうが、僕の好きな「夏の海の色」から始めてみようと思います。

この掌編では水の描写を楽しむことができます。たとえばこんな冒頭部分など。

泉は村の広場の真ん中にあって、石に彫られた獅子の口から勢よく迸る水はきらきら光る弧を描きながら、浅い水盤の上に落ちていた。水盤を溢れた水は、もう一段下の水槽に、薄い簾状の滝になって、音をたてながら流れていた

辻邦生「泉」『夏の海の色』中公文庫、1992年、11頁

水盤を溢れて、簾状に落ちてゆく水は、水と言うより、硬質の滑らかなガラスのような感じで、とくに水盤の縁をまるく、しなやかに越えていく透明な脹らみは美しかった。

辻邦生「泉」『夏の海の色』中公文庫、1992年、13頁

ただ感嘆のみ…。

エマニュエルと「私」のことは、これからどうなるかを知っているだけに、複雑な気分。エマニュエルは本当に強い女性だと思います。そして、エマニュエルを産み出した辻邦生の「物語り」に深い驚きを覚えてしまうのです。物語作家は、ある種文中人物に憑依されて、文章を書いているのではないか、と思います。

この事件にもやはりスペイン内戦の暗い翳りが感じられるのです。おいおい読み進めていくことで明らかになってきます。

───これから読む方はここから先は読まない方が良いかと存じます───

あらすじ

アルプスの麓、夏の休暇にチロル地方の小さな村で暑さを避けているエマニュエルと「私」。ゆっくりとした時間でエマニュエルは論文の準備をする。

「ゆっくり時間のあった時代の仕事さ」
「いいえ、ここには、いまも、ゆっくりした時間があるわ」
「そうかもしれない。ここに来てから、まるで時間が過ぎてゆかないものね」

辻邦生「泉」『夏の海の色』中公文庫、1992年、12頁

その村の泉にまつわる奇怪な出来事。人間の手首が切られて泉の中にうち捨てられていたというのだ。ひまわりの花もたくさん浮かべられていたのだという。その手首の持ち主は、マルティン・コップと言うのだそうだ。私とエマニュエルは推理を始めるが、もちろん妥当な結論に至ることはできない。

エマニュエルが論文を提出したあと、「私」はエマニュエルと実はきちんとした関係(結婚と解釈するのが妥当だろう)をしたかったのだが、エマニュエルはそれを拒むのだった。

しかしエマニュエルはそうした危険を感じながら、日々新たに情念を確かめる生活でなければ、男女がともに暮らす理由はないと考えているのだった。
「それは人間を過信した傲慢な態度じゃないだろうか」
(中略)
「過信?」エマニュエルはそういうときのつねで、頬のあたりがほっそり窪んだ感じの顔を俯けて言った。「私はそうは思わないわ。むしろそのことだけは、もっと信じたいと思うわ」
「しかしまるでむき出しに風の中に晒されているようなものじゃないかな」
「それに疲れて、駄目になったら、私ね、悲しいと思うけれど、安全地帯にいて、惰性的な形を保った方が良かったとは言わないと思うわ」

辻邦生「泉」『夏の海の色』中公文庫、1992年、32頁

クリスマス休暇に入ると、エマニュエルと「私」は別々に休暇を過ごすことになった。「私」は日本人の友人とともに北フランスの小さな村で過ごすことになった。そこで出会ったニコラの家に招かれる。旧式の複葉機と男が映った写真を見つける。ニコラの父親だという。スペイン市民戦争に人民戦線側について参戦したのだという。人民戦線が敗れたのち、飛行機に乗って脱出しようとしたのだが、相棒の男に飛行機を奪われ、果てに指を切られてしまったのだという。ニコラの父親はひまわり畑のなかを自分の切断された指を探し回ったのだという。ニコラが指のことを聴くと、ひどく機嫌が悪くなったのだそうだ。「私」は、あのチロルの村での奇怪な出来事を思い出し、ニコラの父親がマルティン・コップを殺めたのではないかと推理する。エマニュエルに手紙を出す「私」。エマニュエルから返事が届く。

「私は世の中に恐ろしい偶然があり、符号があることを認めています。それでも、なぜか、それを信じてはいけないような気がするんです。その理由はいろいろありましょう。その中で有力な理由は、私が運命の力を最小のものに見なしたいと思っていることかもしれません。私が偶然の力を過小評価しなければならないと考えているからかもしれません」

辻邦生「泉」『夏の海の色』中公文庫、1992年、40頁

Tsuji Kunio

ラジオドラマCD 西行花伝 ラジオドラマCD 西行花伝
(2006/06)
エニー

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西行花伝のラジオドラマCDを発見しました。早速注文してみました。とても楽しみです。

西行花伝 西行花伝
辻 邦生 (1999/06)
新潮社

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ちなみに、西行花伝はなぜ「花伝」なのでしょうか?おそらくは能の形式である「夢幻能」を意識しているのではないかと思うのです。夢幻能とは、

亡霊が主人公(シテ)となって、僧(ワキ)の前に現れ、過去を語り、僧の供養を受けて成仏する

松岡心平『能 狂言 風姿花伝』週刊朝日世界の文学第28巻、2000 8-230ページ
という構造です。そこで何が起こるかというと、ワキが観客の代表としてシテの物語をリアリティーを感じながら聞いている、ということを演じている訳です。自ずと観客もワキと同じ立場に立って、リアリティを持ちながらシテの物語に没入していくことができ訳です。
このワキとも言うべき語り手が登場するケースが辻邦生作品の中には非常に多いと思います。いま思いつく限り並べてみると…。

  • 春の戴冠(サンドロをフェデリゴが語る)
  • 夏の砦(支倉冬子をエンジニアが語る)
  • 廻廊にて(マーシャを日本人画家が語る)
  • 西行花伝(西行を弟子が語る)
  • 安土往還記(シニョーレをディエゴ・デ・メスキータが語る)
  • ある生涯の七つの場所(宮部音吉を「私」が語る)

などなど、枚挙にいとまがありません。作品中の脇役ないしは語り手が、主人公を語ることで、物語世界のリアリティがより強固なものに補完されていくのです。
さて、辻作品関連のCDといえば、以下もあります。

細川俊夫作品集 音宇宙(9) 細川俊夫作品集 音宇宙(9)
細川俊夫、東京少年少女合唱隊 他 (2004/02/21)
フォンテック

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冒頭のハープ協奏曲が辻邦生に捧げられていますが、辻邦生はこの作品の完成を心待ちにしたそうですが、完成を待たずして99年の夏に急逝しまったのです。2001年3月31日6時からサントリーホールにて、秋山和慶指揮、ハープは吉野直子、東京交響楽団によって初演されました。学習院大学で2004年の晩秋に行われた辻佐保子さん(辻邦生の奥様)の講演に際して、講演前の待ち時間にこの曲流されいたのを覚えています。

Tsuji Kunio

楽興の時十二章 楽興の時十二章
辻 邦生 (1990/11)
音楽之友社

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辻邦生全集〈8〉 辻邦生全集〈8〉
辻 邦生 (2005/01)
新潮社

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マーラー:交響曲第3番 マーラー:交響曲第3番
アバド(クラウディオ)、ラーション(アンナ) 他 (2002/03/13)
ユニバーサルクラシック
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その作家の作品の中で、一番最初にであった作品ほど印象深いものはありません。

それはまるで、ある音楽作品を聴くのが初めてで、その演奏がきわめて印象深かったとき、音楽作品と演奏が深く結びつき、まるで音楽作品と演奏が切っても切り離せない不可分な関係にあるかのように思えるのと似ています。実は、その音楽作品の演奏は、さまざまな演奏者によって行われていて、その演奏の解釈はそれぞれにおいて違うはずで、もちろんどれがもっとも優れた演奏であるといったような命題は陳腐な命題となるのでしょうけれども、その音楽作品を聴いた私にとっては、初めて聴いたその演奏が最も優れた演奏に思えてならないのです。

作家の作品においても、最初に出会った作品において、八分がたその作家の評価を定めてしまいかねず、それがいい方向に向かえば、その作家との良い関係を築くことができるでしょうし、それが悪い方向に向かえば、その作家との関係を修復するのは難しくなることでしょう。そして、前者であったとすれば、それは恩寵とでも言うべき幸福な関係となるに違いないのです。

私が辻作品に出会ったのは、高校2年の年で、炎暑に見舞われた京都から下る東海道本線の座席について、今は休刊となってしまった「音楽芸術」誌を開いたときでした。「樂興の時 十二章」と題された連作短篇集の第11話「桃」がそれだったのです。マーラーの交響曲第3番をモティーフにしたその作品は、老外交官が死に際して己の人生を振りかえるにつけて覚える苦い悔恨と、幼い孫の無邪気さや看護婦の若い力による諦観が描かれていました。

タイトルの「桃」は春の若々しさを想起もさせ、また人間の根源的欲求をも感じさせるモティーフで、老外交官が中国奥地へ赴いたときに、霧中から突如あらわ得る桃畑のイメージが、精神の底深いところに常に存在する若々しさや生への根源的欲求を象徴しているのでした。

マーラーの交響曲第3番では清純な少年合唱が登場しますが、幼い孫たちのイメージと重なります。少年合唱は「ビム、バムBim Bam」という歌詞で始まります。鐘の音は、ミサを想起させますし、果ては葬送をも想起させるのです。短篇中にゴシック文字で挿入されるエピソードに登場する子供たちの姿は、交響曲第3番の少年合唱でもあり、あるいは老外交官を彼岸へと導く天使たちの行進なのかもしれません。

老外交官の苦い悔恨を読んで、自分はそうならぬよう人生を生きなければならぬ、と読んだ当時強く決心したものでした。しかし、現実はそうも上手くゆかないようです。今朝方の通勤電車の中でもう一度短篇を読み返してみたのですが、老外交官の覚えた悔恨に似た人生の苦みを噛みしめたのでした。

しかし、老外交官は、幼い孫たちや若い看護婦との邂逅によって救済され彼岸へと旅だったようにも読めるのです。辻作品はどれも一遍的な解釈を許しません。答えを与えることはしないのです。そこにあるのは現前とした事実の提示とあるべき理想の姿の示唆です。読み手は、事実の提示と理想の示唆の間で、まるで解決を求める不協和音の響きのような心地よい不安定感を感じつつ、その両者を止揚する努力を決意させられてしまうのです。僕が今朝方感じたのもやはり同じ止揚への決意でした。

しかし、なんということでしょう。これまで辻作品を幾度となく読んで何度もこの止揚への決意を感じたはずだったのに、現実世界の濁流に呑み込まれて、そこをただ泳ぐことに必死で、岸辺へと向かい濁流から身を上げる努力を怠っていたことに気づかされたのです。それが、先ほど述べた悔恨に似た苦みだったのです。 ですが、次の二つの引用をもって、辻邦生作品から「生きること」の大切さを再認識したいと思うのです。 そして、また止揚への努力へと自らを奮い立たせようと思うのです。

生きると言うことに後も前もない 今があるだけだった こうして黄金にきらめく海を泳いでいるように今がすべてであり いましかなく 今に抱かれるとき 今は豊かな母の胸に変わっていた

「樂興の時 十二章」/辻邦生/1991年/音楽之友社/200ページ

「オレンジを齧っていたね。あれが生きるってことかもしれない」 「オレンジを齧るのね。裸足でね」 「そうだ、オレンジを齧るんだ。裸足でね、そして何かに向かってゆくのさ」

「サラマンカの手帖から」/辻邦生/1975年/新潮文庫/282ページ

「桃」についてはまだまだ語りたいことがたくさんありますし、辻邦生作品について語りたいことはもっとたくさんあるのですが、今日はひとまずこのあたりで終わりにしておきましょう。