兵站力の重要性──ただひたすらにアイーダを聞き続ける

仕事、なかなか進みません。こんなにうまくいかないのは、見積と実績が乖離しているから。それと、人さえ投入すれば仕事が出来上がると見られているから。結局、負荷が集中するキーパーソンがボトルネックとなり、プロジェクトはなかなか進捗しない。しかも、キーパーソンですから、いろいろなプロジェクトに横断的に関わっていて、被害はそのほかのプロジェクトにも飛び火する。

「ローマ人の物語」では「ローマは兵站(ロジスティック)で勝利する」というくだりが何度も出てきました。ただ攻めあがるのではなく、食料や兵器はもちろんのこと、道路を整備し補給路を確保する。それをやらなかったのが旧日本軍。精神力だけで飛行機を迎撃できませんから。 もちろんローマ軍にだって精神力はあった。それは、確かな兵站力の上に成り立っているもの。後ろで支えている人がいると思うだけで、ずいぶんと励まされるものですし、目先の敵に集中できるんですよ。

だれにも支えられていないと感じながら敵に向かうのでは、戦う前から足かせをはめられている感じ。何とかしたいものです。 まあ、いろいろといいたいことはありますが、ここは、仕事の話をする場ではないので、このあたりで。

引き続きアイーダを聞いております。DVDのほうは、第二幕へ突入。アムネリスとアイーダの対決が終わり、これから凱旋行進で盛り上がるところです。今日見る予定です。CDのほうは、テバルディとベルゴンツィが歌うカラヤン盤を狂ったように聴いています。もう大分と曲も覚えてきました。しかも飽きが来ない。何度聞いてもおもしろいです。小さい頃はこういうことがありましたが、近頃ではこんな聴き方をしていませんでした。珍しく一曲に没頭しています。カラヤン盤が実はとてもすばらしいということも原因の一つ。あそこまでドラマティックに盛り上げられると何度聞いても血が沸き立つ思いです。

こういう状態でDVDや実演を見るのが効果的なんですよね。

それにしても、アムネリスの言動は複雑です。恋敵のアイーダがいなくなったと喜んでいたら、ラダメスさえも失うことになるとは想像もつかなかったようです。第四幕前半の主人公は間違いなくアムネリス。アムネリスが、ラダメスに慈悲を、と願う台詞がある種の哀感すら漂わせる。あの第一幕、第二幕の強気なアムネリスは何処へ行ってしまったのでしょう。

以前にも書いたかもしれませんが、アムネリスにとってのラダメスの死は、おそらくは、初めて大切なものを失う瞬間なのでしょう。そういう意味では、同じくお嬢様(?)的お姫様であるトゥーランドットにも似ている。やはりトゥーランドットも謎かけにおける誇りを失い、挑戦者のなすがままになろうとしているのですから。

ラダメスとアイーダが地下牢で逢う場面、ここはトゥーランドットのカラフとリュウの掛け合いの部分に似ている。カラフは、トゥーランドットを選びリュウを選ばないのですが、ラダメスはアムネリスを選ばずアイーダを選ぶ。対照的でいながら要素は良く似ている感じを受けます。舞台はどちらもいわゆるオリエント(東方)ですし。

ヴェルディのオペラとプッチーニのオペラは似ていないのではないか、と常々思っていたのですが、やっと似ているところに出遭った感じです(むしろプッチーニはワーグナーに似ていると思っていました)。

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