Tsuji Kunio

何かに罪の意識を感じている男と女がスペインへの列車旅行に向かいます。それも旅行案内書に載らないような旅行をするために。灼熱のスペインの大地を走る気動車。フランコ政権下にあって政治的自由を失っているスペイン人達。線路工事をする兵士。

そうしてサラマンカに到着した二人はやはり旅行案内書に載らないような場末のホテルに部屋をとる。だが旅行案内書に沿わないようにしているはずなのに、いつしか旅行案内書に近付いている。

ホテルの物静かな主人。サラマンカの市場の熱気。揚げ油の匂い。ロマの娘の舞踏の情熱的美しさ。サラマンカの風物にあてられながら、 二人には徐々に生への意志が醸成されていきます。それは男の「僕たちにだって幸せに生きる権利がある」という言葉にも見て取ることができます。しかし、二人はサラマンカを去らなければならない。女は言います。

「それ以上のことをサラマンカに負わせるべきじゃないわ」

最終幕がすばらしいのです。このブログでも何度も紹介したかも知れません。そして個人的に何度となく励まされたことか。泥棒容疑で捕まった踊り子の娘が警察署から裸足で歩いてくる。オレンジを齧りながら。その躍動的な生命感と言ったら! そして、この言葉で小説は閉まります。

「オレンジを囓るんだ。裸足でね、そして何かにむかってゆくのさ」

 

初出:1972年文學界
辻邦生全集第8巻に所収
文庫:新潮文庫「サラマンカの手帖から」、講談社文芸文庫「城・ある告別」