ペトレンコの清冽な悲愴を聴く

たまには音楽のことを。

ペトレンコがベルリンフィルを振ったチャイコフスキーの悲愴。

最近、音楽と向き合う機会があまりなく、どちらかというと、心を癒やすために音楽を聴いていた感もあり、アグレッシブに目的意識をもって聴けていなかったなあ、という思いがありました。

といいながら、週末あたりから、何か体系的に音楽を聴きたいという思いもあり、音楽学者の広瀬大介さんが作ったプレイリスト「若いうちに聴きたいクラシック100曲」を聴いていたのです。これがずいぶんと面白くて、選曲もさることながら、演奏家のチョイスも今風で、実に心地よかったのです。

その中の一曲がペトレンコの悲愴で、ああ、なんだかこういう新鮮で清々しい悲愴を聴くことのできる幸せをかみしめたのでした。

今日はこのあたりで短く。おやすみなさい。グーテナハトです。

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辻邦生幻の遺稿? 没後4ヶ月後に発表された映画に関する小論を発見?!

20年前、週刊朝日百科は「世界の文学」として全121巻の冊子が毎週毎週刊行されていました。創刊号を買って以来、毎週取り寄せていました。すべてを読んだというわけではありませんが、文字通り「世界」の文学を一望できるという意味ではとても貴重な資料でした。内容も、文章だけではなく、関連する写真や映画などビジュアル面で充実していました。

もちろん辻邦生も世界の文学のなかに位置付けられていまして、第100巻において菅野昭正さんが「本の小説、小説の本の」という辻邦生論を展開しています。

https://museum.projectmnh.com/2016/03/21225416.php

そして、また辻邦生も執筆者の一人として登場していました。第20巻「映画と文学」で「小説、芝居、そして映画へ」というテーマで「映画的イデー」について語っている小論です。

この小論が掲載された朝日百科第20号「テーマ編 映画と文学」は、1999年11月28日付けで発刊されています。発売日でいうとおそらく11月15日だったようです。辻先生が亡くなられたのは1999年7月29日ですので、なくなってから4ヶ月ほどあとに活字になったと言うことになります。

ところが、この小論について、辻邦生全集第20巻の著作年表をみると、記載がないのですね……。1999年9月12日に日本経済新聞に掲載された「青い魚の家」が最後の著作となっているのです。

全集20巻の著作年表を10年ほど遡りましたが、該当する文章の記録は見つからず、これはもしかして、幻の遺稿?などと色めき立ってしまいました。

もしかすると旧い小論をあらためて取り上げたのかしら、などと思ったりもしているのですが、あるいは、私が著作年表を見落としたかもしれず、とはいえ、Google先生にも聞いてみたのですが、答えはなく、もし本当に記録されていない最後の出版物だとしたら、なにかのお役に立てばよいのですが、と思っています。

今日は予定を変えてこちらをご紹介しました。タイトルはあおりすぎですかね……。

それではみなさま、よい夜を。

おやすみなさい。グーテナハトです。

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辻邦生のパルテノン体験を考える その4 時の終わりへの旅(1976年)──人々の人生を支える<美>

あらゆる滅びの上に立つ思念の永遠な姿──パルテノンの神殿はそうしたものをぼくに啓示した。ぼくは当時<美なるもの>が人間感情の対応物として存在しながら、なぜそれが人間の運命とかかわりを持つのか、わからなかった。<美>も所詮人間の恣意的な偶発的な感情の沸騰によって生み出される一個物にすぎないのではないか、と考えていた。(中略)僕には<美>の苛烈さはまだ見えていなかった。主観的な世界が、本当は、透明化することで、真の客観に達することも知らなかった。それらの仕事が、抵抗ある現実に働きかけるのと同等の、時にはそれ以上の、精神の強さを必要とすることも、当時のぼくには、まだ本当に気づかれていなかった。それを一挙に覆し<美>こそが滅びの現実を包み、人々に<生>の意味を与えていると言うことを直覚させたのが、このパルテノン神殿を仰ぎみた瞬間だった。その仄暗いまでの形象の高貴さが、百万の説明を跳び越えて、いきなりぼくの心に<美>の本質を照明して見せたのだった。

辻邦生「時の終わりへの旅」219ページ 太字としたのは今回。

パルテノン体験の17年後、1976年9月10日に、再び訪れたアテネで書かれた日記に記された、1959年のパルテノン体験についての記載です。

さすがに新たに激動的な啓示を受けるということはなく、17年前のことを思い出しながら反省的に書いた文章となっています。しかし、がゆえに、その後の思想の発展によってその意味が成長しているように思うのです。

ここで<美>が人間の運命と関わる、という記載があります。1959年のパルテノン体験の記載では、「「人間」をして「人間とせしめる」というような、人間性を保持する機能としてのパルテノンが書かれていました。動物的な人間、ただ生きるためだけの人間ではなく、そこに自然に対して反抗し対立し、動物的から人間的へと向上せしめるシンボルとしてのパルテノンが書かれていた、と理解していました。

しかし、ここでは、「人間の運命と関わる」「人々に<生>の意味を与えている」というように、人間一般ではなく、人間個々人の運命に対して<美>がなにかしらの影響力を持つシンボルとしてのパルテノンが書かれているように思えます。

人間一般を支える<美>から、さらに一人一人の人間の運命を支える<美>の根拠としてのパルテノン。人間の歴史を支えるという大きな存在としてではなく、個々人の人生を支えるもの、あるいは変えてしまうものとして<美>が捉えられるようになっています。

先日、「「作品が湛えている美に触れることは、その後の生き方を決定的に変えてしまう」」という辻邦生の言葉を紹介しましたが、それにあたります。

昔、クライバーの振る《ばらの騎士》の映像を見て、人生が変わってしまったという話を聞いた記憶があります。私も、辻文学に接してどうも人生が変わってきてしまった気がしていますが、それほどの力を持つものとしての<美>がパルテノン体験によって捉えられた、ということなのだと思います。

つづく

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つれづれ

とたんに涼しくなり、東京地方の日没時間が17時41分であることにショックを受け、夏が名実ともに終わってしまった、と残念に思う一日でした。

辻邦生関連のオンラインイベントも終わりまして、進行しましたが、自分の発表準備の中で発見した興味深い事案に一人で興奮してしまい、振り返ってみてどうだったのかな、などと反省しています。いずれここに書くかもしれませんけれど。

とにかく、いろいろなことが動き始めていますので、私もここでやれることをみつけるだけです。まずは毎日書くことを日課に戻すべく進めるだけだな、と思っています。

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学習院大学史料館が辻邦生作品の朗読をオンライン配信します

オンライン朗読会 声でつむぐ辻文学『銀杏散りやまず』配信について

学習院大学史料館のTwitterで、辻邦生作品も朗読がオンライン配信される旨アナウンスされました。

     第1回 『遠い園生』(2016)
     第2回 『夏の砦』(2017)
     第3回 『背教者ユリアヌス』(2018)
     第4回 『廻廊にて』(2019)
     第5回 『銀杏散りやまず』(2020)

9月24日(木)から期間限定で順次配信されるとのことです。

配信は以下YouTubeチャンネルで行われます。

https://www.youtube.com/channel/UC-RRCgYtNgHzCab5m0nVjTA

私は、第3回、第4回の朗読会に行くことができました。声で聞く辻作品は、読む辻作品とは異なる素晴らしさがあります。作品が塊となって迫ってくる感覚がしました。その感覚がオンライン配信でどのように再現されるか楽しみです。

さて、今日はパルテノン体験をお休みします。明日は、Facebookで展開している辻邦生グループのオンラインイベントがありまして、そちらに参る予定。というか、司会進行をしますのでアジェンダを作っていました。どんな話をうかがえるか楽しみです。

それではみなさま、秋の夜長をお楽しみください。おやすみなさい。グーテナハトです。

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辻邦生のパルテノン体験を考える その3 パリの手記(1961年)──歴史に輝く光芒

厳しい不毛の岩山にすぎないアクロポリスの丘の上に立つかくも典雅な人間精神の均整をしめすパルテノンの神殿は、ギリシャ人の、宿命に打ちかつ強靱な魂を象徴している。

辻邦生「物語と小説のあいだ」『小説への序章』河出文芸選書 1976年 31ページ

辻邦生の小説論が納められている「小説への序章」。その最初の論文である「物語と小説のあいだ」にパルテノン神殿についての記述があります。

原始世界においては、物語=ナラシオンが思考、伝達、記憶を支配していましたが、一般的な抽象概念による思考、伝達、記憶に取って代わることで、近代において「小説」へと発展していくことが語られるのですが、そのなかで「ギリシア精神の勝利」という形で、ギリシアにおいては、近代的な抽象概念に陥る前に、人間を人間の空間に導いた、と述べているところでこのパルテノン神殿についての記載が現れます。

それは、物語=神話から小説へと移行する時代の流れにあって、物語=神話世界にありながらもなお、人間精神の典雅さを表すものとして、パルテノンを取り上げているということになります。

神話世界においては集団表象において、神話こそが真実であり、そこに没頭することになります。あくまで神話の文脈の中に人はいますので、おそらくは自我というものもなく、ただ神話世界の一つの事物としての個人があるわけで、個人は、物語=神話によって形成された集団表象、あるいは集団表象によって形成された物語=神話、なかに埋没することになり、人間たるべきことすらもわからないままとなるはずです。

しかしこのギリシアのパルテノンにおいては、物語=神話の世界にありながらも、そこに人間精神が樹立していることを、不毛な岩山の上にパルテノンを築くことによって実現した、ということなのでしょう。それは、宿命に打ち勝つ強靱な魂です。神話の世界にあって、人間の精神を表すということ。そうした、曖昧模糊とした神話のなかに人間精神を屹立させたギリシア精神の勝利を表すものとして、パルテノンが取り上げられているように考えます。

おそらくは、西欧近代における、主客が分離し、事物に概念を付加する形での認識形式ではなく、それ以前の世界と個人が合一した神話的認識の最終局面においてギリシア精神が果たした役割が述べられいて、その象徴としてパルテノンに言及された、ということと解釈します。

近代の営為としての科学的認識である主観と客観が分離した認識論の所産として小説形式が存在するのですが、そうした知的空間の「無色な、冷たい、無関心」な事物にあえぎ始めているのが現代=つまり私はそれを第一次大戦後と捉えましたが、それこそが現代であり、もう一度そうした科学認識から物語=神話的認識への揺り戻しが必要である、と説いているように思うのです。

そうした、神話的認識においてもなお、主観=人間性が存立しうるアンビバレントな状況を象徴するのが、パルテノンという場であるとしている、と捉えました。

おそらくは歴史というものは、経過するたびに積み重なるもので、実のところ過去への遡及は、想起という形で可能なのです。そういう意味で言うと、古代ギリシアから近代欧州の認識論も、その歴史を突き刺せば同時に存立するわけで、パルテノンに象徴されるギリシア精神は、神話的認識論と近代的認識論の間にあって、それが実のところ、次の小説=芸術において立脚すべき立場である、と辻邦生は言っているように思います。この論説の題名は「物語と小説のあいだ」ですが、それが「神話的認識論と近代的認識論のあいだ」と読み替えることができるのでしょう。

世界には進歩史観において発展しているようにも見えますが、実のところ、時間を流れる帯として捉えたとしても円環か螺旋のように同じところへと回帰するものです。あるいは、永遠の相のなかでとらえるのであれば、永遠とは共時=同時ですので、ギリシアも近代も同じ場所にいるのです。ギリシアという数千年前の事物であったとしても、その必要性というものは、現代であっても、フランス革命後のロマン派時代であっても、ルネサンス時代であっても、いずれの場所に置いても色あせることはないと思います。

人間の歴史はおそらくは進歩ではなく円環です。人間が求めるものは数万年の単位で同じはず。そうした世界認識においては、パルテノンの屹立は、その時代においてなされた輝きではなく、人類の歴史という名で語られる人類の「総体」において強く輝き続ける光芒なのだと思います。

つづく

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辻邦生のパルテノン体験を考える その2 パリの手記(1959年)──父なる神としてのパルテノン

この遠く嶮しい岩山の上に端然と立つアクロポリスの姿であったのが、そしてそれが、与えられた自然の意志に抗し、人間の領域を切りひらき、「人間」をして「人間」とせしめた人間の意志を表しているのが、僕には痛いように分かったのだった。(中略)それは人間を人間の根源の存在にまで連れもどす。あまりに強烈な自然に対して、それは人間を不毛にすると叫ぶことが許されないのを、これほど明瞭に語るものはない。それはまさしく運命に抗い運命にうちかつ姿そのものだ。

辻邦生「パリの手記Ⅳ岬そして啓示」11ページ

「パリの手記」として出版されている当時の日記の該当部分がこちらです。1959んん8月24日の日付で、アテネのアカデミア街にて書かれたものとされています。

この記載が、おそらくは辻邦生パルテノン体験に関する最初の認識・記述に当たる部分と考えてよいと思います。西欧的な自然理解である、混沌とした自然のなかに人間の意思としてのパルテノンを打ちたて秩序づけた、という認識と思います。

この日記の冒頭において、ギリシアの自然の厳しさを驚きとともに、アラビアの砂漠と比べながら「荒涼とした姿」と表現しています。日本はもちろん、フランスやイタリアと比べても、その荒涼とした自然は辻邦生を驚かせたようで、8月の暑熱のなかに不毛の大地が横たわっているようだったのでしょう。その中に、白いアクロポリスが燦然とあるいは敢然と立ち上がっている姿を見て、「人間を不毛にすると叫ぶことを許さない」とか、「運命に抗い運命にうちかつ」と表現するのでしょう。

なにか、この表現を読んで、ユダヤ教あるいはキリスト教的父なる神の峻厳とした姿を思い浮かべたのですが、やはり辻邦生も「これは「男」の作品であることをある共感を持って思わない訳には行かなかった」と書いていて、また「アラビアの砂漠が生んだのは、地中海のもう一つの文化」と書いていることから、砂漠から生まれたユダヤ教、キリスト教を意識した秩序の象徴として、パルテノン神殿を認識しているように考えます。

そして、今読み返してみるとここには、パルテノンの「美」についての言及があまりないことに気がつきます。わずかに「美しく、均整のある、典雅な」「その廃墟の丘の石柱は美しい彫りのかげをきざんで」「自然らしい優雅さ」という表現が記載されているだけで、一環して人間を支える秩序のシンボルとしての側面が強調されているように思いますし、よくよく読むと「パルテノン」という言葉は綴られることがなく、すべて「アクロポリス」という言葉において述べられるだけです。

なにか、一神教的父なる神としてのパルテノン=アクロポリスを感じます。「人間」をして「人間」とせしめた、とはまるで、神が自らの姿に似せて人間を創ったという言葉とも通じるものです。それは西欧文明を基礎づけるものとして、ヘブライズムとヘレニズムがあげられますが、その二つをも統べるものである化のようにパルテノンが位置づけられているように思え、それは曼荼羅のように、人間あるいは世界を根底で支える汎的な秩序を具現化したものとも思います。

ともかく、辻邦生の世界認識を得た激しい興奮とともに書かれた文章は、なにか荒削りな力強さを感じ、ミケランジェロの未完のピエタのような存在感を感じるものです。

つづく

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辻邦生のパルテノン体験を考える その1 はじめに 

辻邦生の文学は、西欧的な光が差し込む日本の旧い街並みを思い起こさせるものです。それはなにか長崎の街が持つ、アンビバレントな感覚にも似ていますが、実のところ、それは単に、世界の中に日本がある、という単純な事実を想起させるだけのものです。

この世界の中に日本がある、という感覚において、「世界」とは、中国であったり、インドであったり、あるいはヨーロッパであったりするわけですが、この400年あまりにおいて西欧が世界を席巻していた状況下においては、あるいは明治維新以降から終戦に至る状況においては「世界」とはすなわち西欧を示すことがになるわけで、日本と世界=西欧の対立関係あるいは協調関係を考えることが一つの精神的な軛であったのではと思うのです。

辻邦生も、終戦後、戦時中の快くない思い出に接する中で、西欧文明へと向かうわけで、それはパリへの留学に向かい、パリで徹底的に西欧を考えることになるわけです。ですが、それはパリにとどまるものではありません。パリ留学時代の日記を再構成した「パリの手記」を読むと、ヨーロッパ各地へ辻邦生が旅行し、そこで多くの経験・体験を積んで、西欧文明を血と肉に取り込んでいった過程がわかるのです。

その中でも特筆すべき経験が、ギリシアへの旅ということがいえましょう。経済的な不安を抱えながらも、イタリア半島を経由して、船で地中海を東進しペロポネソス半島へと上陸して、ギリシアの地を踏んだ先にあったのが、パルテノン神殿だったのです。

このパルテノン神殿に感じた「啓示」が、辻邦生作品を支えた三つの「啓示」の一つにあたります。

辻邦生の三つの啓示とは以下の3つであり、辻邦生の小説論である「小説への序章」において語られているように、辻文学を基礎付け、執筆の原動力となった重要な体験です。

  • パルテノン体験
  • 一輪の薔薇はすべての薔薇
  • ポン・デ・ザール体験

その中でも多くの作品群の中で何度も語られ、特に印象的なものが「パルテノン体験」なのです。このパルテノン体験は、おそらくは、芸術を基礎づける直感的な体験として得られたものであるはずです。

このパルテノン体験について、2018年11月に、Facebook辻邦生グループ「永遠の初夏に立ちて」のオフ会で、いくらかまとめた内容を発表しました。しかしながら、当時は私が持ち込んだインフラがうまく整わず、また私の準備状況も至らず、うまく発表できなかったという思いがあります。

あらためて、この場で、辻邦生のパルテノン体験にまつわるいくつかテキストを取り上げて、その意味とその指し示すところの変遷を考えたいと思いました。

つづく

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「Kindleで今読む辻邦生」更新

先日、当ページの「Kindleで今読む辻邦生」ページを更新しました。右上のメニューバーからアクセスできます。

いつのまにか、「嵯峨野明月記」や「時の扉」までKindleで読むことができるようになっています。特に「時の扉」はうれしいですね。毎日新聞に連載された小説ですので、誰にでも親しめる小説です。もう十年以上読んでいませんのでこのあたりで再読してみようかな、などと思います。

Kindleについては、様々な意見があるのは承知していますが、辻先生が亡くなって20年を超えてもなお、こうしてKindleにラインナップの充実がみられるのはうれしいものです。

私はほとんどの辻先生の作品群を持ってはいますが、重さを気にせずどこにでも持ち歩けたり、電気を消して眠る前に暗くした部屋で読むことができるという電子書籍はそれはそれで一つの利点です。

辻作品はもちろん、おくさまの辻佐保子さんの著作もKindleになっているのはうれしい限りです。

私も、電車の中や、会社の休憩時間に、スマホに入れたKindleで、辻作品を読むことが多いです。そうしたときに、なにかしらの発見を得ることも実に多いです。

私としては、そんな辻邦生Kindle群のベスト作品はこちら。「夏の海の色」です。

「ある生涯の七つの場所」の作品群の一角で、最高傑作短編の一つである表題作「夏の海の色」が納められています。

これからも、いつでもどこでもおもいたったときにすぐに辻文学に親しむことのできる電子書籍における辻作品リリースに期待したいです。

それでは、おやすみなさい。グーテナハトです。

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シェーンベルク「浄められた夜」を聴く夜

夜の時間ができました。こんなことは本当にまれなことです。AppleMusicを開き最初に目に入ったのがジャニーヌ・ヤンセンのアルバムに収められたシェーンベルク「浄められた夜」。

Arnold Schoenberg la 1948.jpg

シェーンベルク最初期。作品番号は4番。おそらくはシェーンベルクの楽曲の中でも知名度が高い部類に入るでしょう。私もこの曲を20年ほど前に一生懸命聴いた記憶があります。

この曲は、リヒャルト・デーメルの詩にモティーフを得て作曲されたものです。このあたりのエピソードもほとんど忘却の彼方からいまここにたぐり寄せたものです。

Rudolf Dührkoop - Richard Dehmel (HMuF, 1905).jpg
Zwei Menschen gehn durch kahlen, kalten Hain;
der Mond läuft mit, sie schaun hinein.
Der Mond läuft über hohe Eichen;
kein Wölkchen trübt das Himmelslicht,
in das die schwarzen Zacken reichen.
Die Stimme eines Weibes spricht:
Ich trag ein Kind, und nit von Dir,
ich geh in Sünde neben Dir.
Ich hab mich schwer an mir vergangen.
Ich glaubte nicht mehr an ein Glück
und hatte doch ein schwer Verlangen
nach Lebensinhalt, nach Mutterglück
und Pflicht; da hab ich mich erfrecht,
da ließ ich schaudernd mein Geschlecht
von einem fremden Mann umfangen,
und hab mich noch dafür gesegnet.
Nun hat das Leben sich gerächt:
nun bin ich Dir, o Dir, begegnet.
Sie geht mit ungelenkem Schritt.
Sie schaut empor; der Mond läuft mit.
Ihr dunkler Blick ertrinkt in Licht.
Die Stimme eines Mannes spricht:
Das Kind, das Du empfangen hast,
sei Deiner Seele keine Last,
o sieh, wie klar das Weltall schimmert!
Es ist ein Glanz um alles her;
Du treibst mit mir auf kaltem Meer,
doch eine eigne Wärme flimmert
von Dir in mich, von mir in Dich.
Die wird das fremde Kind verklären,
Du wirst es mir, von mir gebären;
Du hast den Glanz in mich gebracht,
Du hast mich selbst zum Kind gemacht.
Er faßt sie um die starken Hüften.
Ihr Atem küßt sich in den Lüften.
Zwei Menschen gehn durch hohe, helle Nacht.

男と女がいて、女が身ごもる子供の父親は、そのかかる男ではない。だが、男は苦悩の先において、女が身ごもる子供を我が子のものとして育てる決意をする、というもの。

これは、なにか聖書であるか、あるいは村上春樹の「騎士団長殺し」のモティーフでもあるかのような。愛情とはこのように、「私(わたくし)」を捨ててすべてを受け入れるものなのか、と。

芸術というものは、文学であろうと音楽であろうと、人間の極地を描くことにより、人間の価値を高め認め育てるものです。このある意味で愛情に関する排他性を乗り越える感覚というのは、無私の愛であり、ある種アガペーに近いものでもありえます。

ロボット三原則のなかには、自分の身を守らなければならない、という条項があるように、人間もやはり自分の身を守る必要がありますが、その先の試練として無私の愛があり、それを乗り越えるという営為が想定されているのではないか、という感覚。

辻邦生の「ある生涯の七つの場所」のなかの感動的な短編を思い出しました。「赤い扇」という短編です。その中の一節。

相手が好きになるとは、相手のみになるのではなくて、自分の好みに相手があうかどうかを定めることじゃありません?
(中略)
もしそうだとしたら、恋愛で一番大事なのは自分です。よく恋のために死ぬなんてことがありますわね。でも、それは、自分の好みを実現している相手に殉じるのですから、結局は自分のために死ぬのと同じです。本当に無私ならば、決して自分の好みなどに引きつけてかんがえるわけはありません

辻邦生『赤い扇』ある生涯の七つの場所より「椎の木のほとり」中公文庫415ページ

普通の恋愛は、おそらくはエロスとよばれ、神の愛はアガペと呼ばれますが、先日、美はアガペーのようだ、ということを書いたりもして、おそらくはこの浄められた夜の男は無私の愛の境地に達し、そうだとすると、それ自体が人間の高貴な秩序にむけたアガペー的で美的な行為ということになるのでしょうか。ここではアガペーという言葉を幾ばくか恣意的に使っているわけですが、それは美的行為が神的意味を有するという相関関係においてわざと使っていることになるでしょう。

さて。この夜は、少しずつ涼しくなっていて、コオロギの声が聞こえ始めました。会社の若い人が「ようやく秋ですね」と話しかけてきて、「もうすぐ春ですね」もフレーズが聞こえてきて、春を待ちわびるのも、秋を待ちわびるのも質的には変わらないのかも、と思いました。シェーンベルクは無調の世界へと旅立ちますが、私たちはどこへ向かうのか。この秋を超え、冬を越え、次の夏へと向かう道程において何が待つのか。そんなことを考えながら、デスクライトに照らされたPCに向かって文章を書いています。これが幸福なのでしょう。

また次も書けますように。みなさまもよい夜を。おやすみなさい。グーテナハトです。

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