マリア・カラスのドキュメンタリー

いつもなら早く起きれるはずの朝なのですが、この2,3日は起き上がれないのです。おかしい。何かがおかしい。季節が変わったからなのか? すこしお疲れなのか? 平日もせめて3時間ぐらいは自分の時間を持ちたいと思っていますので、最近は少々厳しい。こういうときはやらないことを決めて、ばっさりと切り捨てることで時間を作るのがいいとはわかっているのですが、なかなかそれも難しい。

ともかく、今朝のベルクの「七つの初期の歌」を聞くのですが、これは本当に素晴らしいですよ。オーケストレーションについてもシュトラウスの色が濃いです。

会社でTOEICがあるというので、勉強しているのですが、あれだけ受験のときに勉強した文法知識がばっさり抜け落ちているのに気づいてがっくり。文法の練習なんて、もう十何年やっていませんからね。ですが、思い出すとなんだか若返った気分になるのが不思議。昨日は助動詞+過去分詞の用法。今日は仮定法。懐かしすぎます。 高校のころから英語は得意とはいえませんでしたが、大学入試に向けて激しくとりくんで某大学に何とか滑り込みました、という記憶がよみがえってきます。あのころはともかく勉強をすることで自身を補強して行っていましたが、最近は貯金を使い果たしたというところです。 

さて、昨日の昼さがり、何気なくつけた衛星放送でマリア・カラスのドキュメンタリーに見入ってしまいました。カラスと大富豪オナシスの関係に軸がおかれていて、カラスの苦悩の日々がつづられていました。

どんなに素晴らしい芸術家であったとしても、一人の人間であるということは間違いないわけですが、人間である以上、誰かに認めてもらいたいという欲求を多かれ少なかれ持っている。カラスはもちろん歌手としては絶大な人気を誇っていたけれど、一人の女としても愛されたかった。だが、相手が悪かった。カラスが国籍を変えてまで結婚したかった当のオナシスは、ケネディ未亡人のジャクリーンと結局再婚しますからね。

オナシスを心底愛していたカラスでしたが、その思いのすべてがオナシスに伝わっていたというわけではなかった。オナシスもオナシスで、ジャクリーンの腹の底を見て、カラスに再び惹かれていくのだけれど、先にオナシスは死へと旅立つ。すれ違いだったわけですね。

カラスは葬儀に出ることすら許されなかった。あとは孤独のうちに死を待つだけになってしまった。 人生はボタンの掛け違いの連続ですが、マリア・カラスの人生ほど劇的で哀切に満ちたものはないです。

冒頭のCDを早速と聴いてみたのですが、巧すぎますね。特に高音域のコントロールは驚異的です。ピッチコントロールはすばらしいのですが、少々ピッチが低く感じるところがあるのは気のせいでしょうか。

カラスが歌うトゥーランドット姫はすばらしいのですが、先日の新国立劇場でのオペラトークでは、ドイツ系の歌手が歌うことの多いというトゥーランドット姫の役柄を歌いこなしているということは、ワーグナーを歌うと凄いのでは、と思いましたが、現に、冒頭のCDでは愛の死の場面のイゾルデを歌うカラスを聴くことができます。誇りと威厳に満ちたイゾルデです。こちらもすばらしい。

マリア・カラスのドキュメンタリー” への1件のコメント

  1. 女性の大芸術家はなぜ生まれないか

    ミケランジェロ、シェイクスピア、ピカソ、ベートーヴェン、ワーグナー、ゴッホ・・・・男性の大芸術家は、その道の専門家でなくてもすぐに頭の中に浮かんでくるし、…

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