Japanese Literature

人生は巻くことのできないぜんまい。一度ゆるむと、もうねじ巻くことは許されない。
それで、今日読み終わった伊吹有喜氏の「風待ちのひと」。
ポプラ社小説大賞特別賞の受賞作品。いわゆるうつ病と思われる「心の風邪」にかかったエリートサラリーマンと、家族を失いどん底に落ちながらも、明るく楽しく振舞う女性との一風変わった恋愛模様を描いた快作、って一言で書いちゃうとあっけないけれど、構造的にも話的にもいろいろ面白くて、1日ちょっとで矢のように読み終えてしまいました。快い読後感。だから本読みはやめられない。
読み始めると、意外にもオペラの話題が多いなあ、と思ったら、最終部にかけて「椿姫」がモティーフに使われ始めて、重要な役割を果たし始める。後付を見ると、原題は「夏の終わりのトラヴィアータ」だったとのことで、改題し「風待ちのひと」になったのだそうです。
いろいろ特殊な設定があって、きっと苦労してかかれたんだろうなあ、と思いますが、構成的にもよくできていてすばらしい。おそらく主人公は私と同年代かすこし前後するのでしょうけれど、まあ、30代はつらいこともあるし、わかるなあ、という感じです。
この本を読んでいて、昔読んだベルンハルト・シュリンクの「朗読者」を思い出しました。あれも、やっぱり世界の違う男女のきわめて異例な関係を描いていました。あちらは、たしか悲劇的結末を迎えたはずですが「風待ちのひと」ではどうでしょうか? 読んでのお楽しみ。
というわけで、今日はクライバー盤の「椿姫」を。ヴェルディには少々苦手意識を持つ私ですので、あまりバリエーションは聞いていないのはお恥ずかしい限り。やっぱりいろいろ聞かないとね。ストイックにオペラばかり聴こう、と決心。
ちなみに、「風待ちのひと」の主人公が語るオペラの聴き方が、私と同じなのでちと驚きました。つまり、何度も何度も聞いて曲を覚えて、それから演奏者を変えたり、実演に接したりしながら、聴くレパートリーを増やすというもの。私と同じ。ちょっと勇気がわいてきました。

Opera



昨日に続き「カルメン」がらみ。
ここのところ、録りためていた「スコラ」と「男と女はトメラレナイ」を順調に消化しているのですが、両番組とも本当に興味深いです。「スコラ」は音楽的に興味深く、「男と女はトメラレナイ」は、ああ、こういうことを女性たちが話しているのね、みたいな、感じ。前にも書いたけれど、是非アルコールを入れて語って欲しい。
スコラ 坂本龍一 音楽の学校
“https://museum.projectmnh.com/2010/04/22094240.php":https://museum.projectmnh.com/2010/04/22094240.php
男と女はトメラレナイ
“https://museum.projectmnh.com/2010/04/30212528.php":https://museum.projectmnh.com/2010/04/30212528.php
それで、昨日見てきた「カルメン」に重ね合わせてみると……。
やっぱり、女性は実に現実的。いつも引きずる外れくじを引くのは男と決まっているらしい。「カルメン」のホセなんて、本当手にその典型です。帰営ラッパが鳴り響いて、兵舎に戻らないと、とホセがサラリーマン精神を発揮するのを、カルマンは、なによ、私と仕事どっちが好きなのよ、とすごんでみせる。しまいには密輸団の仲間にさせられてしまって「自由、最高!」みたいな勘違いな状態。最後にはカルメンに愛想を尽かされ、カルメンを刺し殺すだなんて。
こんなの、本当に今のサラリーマン哀詩に他ならない。私は、もう、ホセが意地らしくて仕方がない。ああいう運命をたどるサラリーマン男子は少なくないはず。ニュースになるのはそのひとかけらです。ハインリヒの法則。
“ハインリヒの法則":http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87
それに対して、やはり女性は強い。女声も強いですが。常に現実を見極めながら、悪意が湧き出でる現実という沼沢地のか細い道を、きちんと歩み進んでいく。
そうした姿を、この一ヶ月間、たくさん見てきた気がします。「カルメン」しかり、「女たちのジハード」しかり。
あっしらもがんばらんとなあ。負けまへんで。
次の新国立劇場は今シーズン最後、池辺晋一郎さんの新作オペラ「鹿鳴館」です。土曜日にオペラトークに出かけてきたのですが、そのことについてちょっと触れていこうと思います。

NNTT:新国立劇場,Opera

昨日は池辺晋一郎氏の新作オペラ「鹿鳴館」のオペラトークに行きましたが、今日も引続き初台に赴きまして、「カルメン」を聴いて参りました。
私のカルメン体験は、クライバー&ドミンゴのDVDを観たのと、2006年にドレスデンで不祥ながら実演に接した、という二回限りですが、このところは、もっぱらクライバー盤とカラヤンの抜粋盤を交互に聴いておりました。
今日驚いたこととと言えば、まずは前奏曲が速い速い。疾風のように軽やかにギャロップする駿馬のよう。のっけからノックアウトされた気分。バルバッツィの指揮は、最近はやりのためるような棒ではなく、砂塵を巻き起こして走り去る軽騎兵のよう。すごく新鮮に感じました。私が予習で聴いていたクライバーよりずっと速くて流れるような演奏で溜飲の下がるおもいです。こういう指揮もいいなあ、と本当に感激でした。
一方、カルメンを歌ったキルスティン・シャベスも素晴らしかった。確かに終幕部にかけていくぶんかの疲れを見せましたが、第一幕の登場から、妖艶なカルメンを歌い演じきっていました。この方は生まれたときからカルメンだったのではないか、と思うぐらいはまり役です。歌唱のほうも素晴らしく安定していました。ピッチの狂いもあまり感じませんでしたし。何より演技が大胆で、迫力さえ覚えたぐらい。見ているだけで、ちょっと気恥ずかしくなるような場面も。まさに、ファム・ファタールたるカルメン。
ホセを歌ったトルステン・ケールですが、最初はかなりセーブぎみに歌っていたのですが、後半に進めば進むほど迫力と力強さを増して行きました。最初は少し細く軽めな声だと思っていたのですが、クライマックスでは正確なピッチで美しいロングトーンを聴かせてくれました。
あとは、ミカエラを歌った浜田理恵さんが素晴らしかった。この方を聞くのは二度目です。2008年に新国で「トゥーランドット」リュウを歌われたのですが、あの時に続いて、今日も日本人離れした太くて豊かなメゾソプラノで、感激しました。でも、よく考えると、リュウもミカエラも決してかなうことのない恋のに殉じていますね。
演出、その他については、また明日書いてみたいと思います。

Japanese Literature

ふう、たったいま読了。帰宅の通勤電車にて。
この本は引きつけてやまない魅力に満ち溢れています。会社で厳しい立場に置かれる主人公にはなぜだか強く感情移入してしまいます。少し境遇が似ているからかもしれません。これかどうなっていくのでしょうか。僕の生き方にヒントになることはあるかしら……。
描かれるエピソードは、何時の世にも共通な組織と個人の葛藤が描かれています。あまりに普遍性を持つテーマですので、ここに飛び込める作家さんを本当に尊敬してしまいます。
山崎豊子さんの場合、それは綿密な取材や堅牢な構成によって克服しているように見えます。よくもここまで調べたなあ、という感嘆。ネット時代でもないのに。
とは言え、ネット時代の取材も難しいでしょうね。ネットに流れている情報が真実であったり正しいものである、という保障はありませんから。
加えるなら、昔は鷹揚な時代で、取材と称して色々な会社に電話してみると、スルスルと教えてくれたんだそうです。でも、こういう世知辛いよのなかですので、そんな鷹揚さはとうに失われているでしょう。
さて、会社でショックな出来事。まあ、誰もが通る道なんですが、最近、小さな文字が読みにくくて、とこぼしていると、それはどうやら目の筋肉力の低下によるものなのだそうです。度の強い眼鏡で遠くに焦点を合わせることに慣れてしまった目の筋肉が、さて、では近くをみようか、となると、力を失い、適切に焦点を合わせることが出来なくなってくるのだとか。
この現象に気づいたのは2008年頃から。まあ、歳のせいということ。早くいえば老眼の入口に立ったとでも言いましょうか。
というわけで、こまめに眼鏡をはずして過ごして見ることにしました。いまも眼鏡をはずしてiPadで作文中です。

Japanese Literature

ほぼ読み終わりました。あともう少し。結構長いんですが、私には、まだ隙や疵があるようには感じられません。それほど完成度が高いと言うこと。
また好きな作家さんがふえました。
カミさんも読んだことがあるとのことで、読みやすくてすてきだよねえ、って少し盛り上がりました。読みやすく書く、というのは、本当に難しいことなのですから。
読みやすさに加えて、繊細さや優雅さのようなものも感じられる。だから、女性作家が好きなんだなあ。
小さいころ読んでいた本も結局は女性作家は少なくなかった。。リンドグレーンや、オルコット、モンゴメリばかり読んでいた気もするし。
この本、長編といっても、オムニバス形式であることには代わりはなくて、一つ一つのエピソードはちょうど良い感じの長さなんですが、それらが絡み合いつつも、付かず離れず、というところ。ドラマにするにはちょうどいい。見たかったなあ。どこかに映像でていないかな?
それにしても、冷徹なリアリズムは女性作家ならでは。夢物語の裏側にある汚れた世界や、厳しさなどが繰り出されてきて、なんだか妙に親近感を覚える。そうそう、そうなんだよなあ、みたいな。ある意味、主人公の女性たちに共感を覚えている気もする。
男も女も生きるには難しい。難しさの質は違うけれど、みんな野望を抱いて、社会に飛び出して、優秀な奴らは、どんどん会社を飛び出していき、結局顔色の悪い体形の崩れた同期しか残っていない、みたいな。
通勤時間を、幸福な読書の時間に充てられるというのは、本当に幸せなこと。感謝しなければ。

Japanese Literature

篠田節子さんの「女たちのジハード」を読んでいますが、本当に素晴らしいです。
バブル崩壊後の中堅保険会社に勤めるOLたちが主人公。歳は25歳前後から30歳過ぎの女声たち。自己実現とか恋愛とか、婚活とか、女性達をとりまく事情が、今と変わらぬ普遍性とともに語られていて、興味深かいといったらないかんじ。
まだ、今ほど女性に活躍の機会が少なかった時代というのもあって、彼女たちの真剣さにはハッとするものがあります。
そうした事情を、毒や皮肉をたくさん盛り込んでくる。セクハラ、ドメスティックヴァイオレンス、宗教まがいのセミナー、などなど。
私が言うのも偉そうで気が引けるのですが、なにより、文章や構成に隙がないのです。ここまで疵がない小説を読んだのは久々です。辻邦生ぐらいの構築美と行って良いでしょう。
そういえば、好きな日本人作家は女性が多いなあ。永井路子、岡本かの子、塩野七生などの方々。辻邦生の小説も女性的な繊細さを持ち合わせていますし、なにより主人公が女性であることが多いですし。
最初の読み始めは、なんだか短編小説のオムニバスのような気がしたのですが、wikiを見るとやはり、最初は短編集だったのだそうです。
この小説、1997年にNHKでドラマ化されているのだそうです。
そうか、時代設定は1997年ぐらいですか。主人公達は私たちと同輩か少し上の方々ですね。バブル崩壊し、金融危機前夜の厳しい時代。当時もやっぱり就職難で、今も昔も大変さは変わらないです。
こうも時代が繰り返すと、やはり進歩史観が間違っているのですね。
といいながらも、この小説の主人公達のように進歩を目指して生く予定。いや、そうあるべし。

Opera


新国立劇場の平成22年度収支予算案が発表になっているようです。
“http://www.nntt.jac.go.jp/about/foundation/budget.html":http://www.nntt.jac.go.jp/about/foundation/budget.html

おわび

 今年の3月17日付けの以下の記事で、平成21年度の予算案をご紹介していたのですが、私がソースとしていた資料が誤っていたか、私が誤認していたか、差し替えや訂正がなされたのか、よくわかりませんが、最新の資料を見る限り、実際とは全く違うことがわかりました。お詫びして訂正いたします。
“https://museum.projectmnh.com/2010/03/17032228.php “:https://museum.projectmnh.com/2010/03/17032228.php
先日もソースが不可解な動きをしました。私が間違えたのかもしれませんが、かなり気をつけて書いたつもりですので、何とも言えません。

収入について

平成20年度から22年度の3年分の収入の部を以下の通りあげておきます。

先日も書いた通り、委託費というのが、おそらくは国庫が元となる金額です。5億円ほど削減されています。

これは、さすがに仕方がないでしょう。こういうご時世ですので。といって、流してしまってもならないですし、事業仕分けでのコメントによれば、今後「圧倒的縮減」が予想されますので、油断してはならないのですけれど。

予算削減のポイント

3月17日の記事では、平成20年度と平成21年度を比べて、平成21年度は9億円ほどの受託収入が減ったと書きましたが、最新のソースを見てみると、実際には5千万円ほど削られていただけでした。
ところが、平成22年度となると、5億円ほど削られていることがわかります。このしわ寄せはどこに来たのか、といいますと、
# 施設維持管理費支出が4億円強の削減
# 公演事業費支出が1億9千万円の削減
# 管理費給料手当支出が6千万円強の削減
となっています。
気になるのは今年から「協賛収入」が一般会計から特別会計に移ってきました。これは何を意味するのか。謎。
会計知識、全くないですなあ、私。一応簿記の資格は取りましたが、10年以上前のことなので。

公演事業費支出

以下の通りですが、やはり公演費本体の削減は避けられません。

人件費

さすがに人件費が削られているのですが、これがちょっと興味深いのです。

「事業費」にぶら下がっている職員給与は5千万円ほど増えているのですが、「管理費」にぶら下がっている職員給与のほうは6千万円強削減されています。これは、管理職の方々が相当身を削っていると見て正しいでしょうか。もちろん、従前の水準が一般的に見てどうなのか、というのはわかりませんので、なんともコメントするのが難しいところでもありましょう。こういうご時世ですので。役員給与の下げ幅についてもよくわかりませんので、こちらもノーコメント。

まとめ

私は、平成21年度で9億円もすでに削減されていると誤解していましたが、実際には、公演事業費支出だけで言うと、3億4千万円も増やされていたのでした。それに対して、平成22年度は逆に1億9千万円削減されています。
これ、意外でして、平成20年度よりも公演事業費支出は高いという計算になります。平成20年度は「軍人たち」をやっていますので、相当お金がかかったはずなんですが。ですので、「自主公演ができなくなるのでは?」という懸念はまだなさそうです。
一番減らされている施設維持管理費とは、いったい何なのでしょうか? 施設のメンテナンスをリストラで4億円捻出とは具体的にはどういったところなのか、よくわからないです。たとえば、前庭の水を抜いてしまう、とかでしょうか。あの水を張った美しい前庭は、相当維持費がかかるはず。放っておくと水苔が出てきますので、定期的に水を抜いてきちんと洗わないといけないはず。相当大変な作業ですから。。
会計に明るい人がごらんになったら、もっといろいろつかめるのかもしれませんが、私の考え得る限るのと頃は今のところこんな感じです。
こういう世知辛い世の中ではありますが、人間を人間たらしめている芸術活動の基盤である新国立劇場の、一層の発展を願いつつ、応援しつつ、という感じです。頑張ってください!

iPad


iPadが到着して一週間がたちました。感想などを少々。
全体的には大変満足しています。ただ、もう少しのところもあるので、ちょっとぼやいてみると。
* かな漢字変換についてですが、ATOKだと自動的に修正してくれる、「ん」や小さい「っ」の連続を補正してくれない。
* 単語登録が難しい。できるんだけど、連絡先に登録する、というトリッキーな方法らしい。
* これはぼくの練習不足ですが、まだタッチパネル入力に慣れていない。でも、ここが踏ん張りどころ。
* カーソルの動かし方にもっと慣れないと。シングルパッドして数秒経つとマグ二ファイア、つまり虫眼鏡が現れてカーソルの位置を調整するのですが、まだぎこちないです。
* やっぱりWiFiなどでネットにに繋いでないとその真価を発揮出来ない気がします。あれ、なんだっけ? みたいな感じで、Wikipediaを無性にみたくなるとき、かなり不自由感があります。こちらは少々検討中。
* シングルタスクは痛い。マルチタスク渇望。まあ、アプリの切り替えは素早くて、そんなにストレスないんだけど、Radikoや音楽聴きながらウェブサーフィン、っつうのをiPadでもやってみたい。
* サファリにアドオンとか追加できるといいのですが。。ちょっと単機能。
とはいえ、繰り返しますが、良いですよ、iPad。お勧めです。これは、まさにエポックメイキングな製品だと思いました。ここまで立ち上がりが早くて、ウェブに接続できるというのはあまりに画期的すぎます。いま、パラダイムシフトの最前線にいるんだなあ、と、ちょっと大げさですが、それぐらい凄いなあ、と思っています。
ところで、10年以上も昔、まだ、Windows3.1の時代に、未来のPCを想像していたことがありました。PCの進化形は、机全面がPCの画面になっているだろう、と思っていましたが、どうやら机を飛び越えて機動性のあるタブレット型になったのですね。
それから、高校時代にブラインドタッチを習得したとき、次のあたらしい入力方式についていけだろうか、と不安に思ったものです。僕はそれは携帯のテンキー入力だったと思っていましたが、それも通り過ぎていまはタッチパネル入力なのだな、と実感しています。

Japanese Literature

今更ですが、「沈まぬ太陽 (1)アフリカ編」を読みました。
私は、基本的にはドラマはあまり見ません。最近は映画も見なくなってしまった。なので、頼りとなるプロットのネタの仕入れもとは、既存の小説か、知り合いが教えてくださることぐらいでしょうかね。
この本は、1960年代から1970年代のJALがモデルになっていて、今読むと、まあ右肩上がりの時代なので何がしかの未来への希望はあったとはいえ、今と比べて、もっともっと劣悪な労働環境だったのだなあ、という感じ。昔も今も大変です。
書かれていることは、JALにとって、相当厳しい批判的な内容でしたので、険悪な空気となったようで、当時連載していた新潮社の雑誌をJALは積み込まなかったそうです。
しかし、まあ、ここに書かれていることがおおむね真実だとしたら、まあ、今のていたらくぶりはさもありなむ、という感じ。まさに事業仕分けで滅多斬りにすべき内容。
しかし、描かれていることはアクチュアルなもの。普遍性をきちんと持っている。組織と個人の問題、自己保身に走る情けない男たち。信念を曲げることなく振る舞おうとすれば、無邪気な奴だと陰口をたたかれ、批判を浴びるという蟻地獄。
もちろん小説ですから、すべて本当なわけはないんですけれど、明らかに取材しないと分からないことがたくさん含まれていて、リアリティはかなり高いです。
カラチの描写は実体験か取材をしなければ書くことができない内容でした。昔のパキスタンって、あんなんだったんですねえ。それから、飛行機の描写が少いのが残念ですが、一カ所だけ出てきました。ILSを掴んで着陸しようとしたDC-8がゴー・アラウンドする、つまり着陸復行するシーンでした。あれも取材が無いとできないはず。
とりあえずは二巻目以降でどういう動きになるのかが楽しみです。御巣鷹編、というのもあって、JALにしてみれば目の上のたんこぶの様な小説ですねえ。
小説の機能として、バルザックやらの時代から、現実認識や伝聞の媒体である、ということが言えましょうが、この小説は、そうした伝聞告発的な要素もありますね。もちろんそれだけではありませんが。
ただ言えることは、このような小説を新人作家が書いたとしても、評価されることはないだろう、ということ。山崎豊子さんのビジネスモデルなんですから、二匹目のドジョウはなんとやら、だとおもいます。
もちろん最後まで読んで、主人公がどのような運命をたどるのか、興味はつきません。次の巻がが楽しみです。

Jazz

うー、苦しい。一日更新サボりました。この埋め合わせは週末には必ず。
で、苦しいときは、やっぱり僕の場合はブレッカーやハービーなんですよねえ。
とりあえず、1992年といいますから18年前に再結成当時の初アルバム「Retrun of the Brecker Brothers」を、昼休みに最大音響で聞いています。もちろんBOSEのクワイエットコンフォート2にて。
このクワイエットコンフォートのケーブル、よく断線するんですよねえ。で、これが交換部品になっているのがすばらしいところ。
ここを一体型にしていると某社製品の場合、本体まで修理対象になってしまい「お客さん、そらなら新しい買ったほうが得ですぜ」なんて、店員に言われるなんていう状況を容易に想像することができます。
それも8年ほど前の話。
しかし、ここまでガチャガチャ騒がしく格好良く激しく強靭な音楽を聴かされると、なぜか心が落ち着きます。まあ、今の私の心の中身を表しているのでしょう。
そうそう、この前「スコラ」で、チャーリー・パーカー以上のアルト・サックス奏者はいない、と言っていましたが、テナー・サックスだとやっぱりマイケル・ブレッカーになってしまうんだろうか。たしかに、ビル・エヴァンス(テナー奏者のほう)がランディー・ブレッカーと吹いているサムスカンクファンクなんて、聞くのに大変苦労しますしね。
まあ、タイプは似ているけれど、ボブ・バーグも巧かったなあ。テクニックはかなり肉薄しているし、作る音楽も大好きなんですけれど、ブレッカーのようななにかしらがない気がする。ボブ・バーグは美しすぎるのかもしれない。
で、今日は相変わらず、Return of the Brecker Brothersでストレス解消。こういう音楽の聴き方は許されるのだろうか。広義の音楽療法です。