Jazz

私が敬愛するジャズサクソフォニストであるマイケル・ブレッカーの義理の姉君であった時期もあるイリアーヌ・イリアスのSo far So Closeというアルバムの音源を入手しました。

イリアーヌ・イリアスとは

イリアーヌは昨今では歌手として知られるようになりましたが、かつてはピアニストとしてあのSTEPSに在籍していたこともあるのです。その天才ぶりは幼い頃から発揮されていて、ジョビンをして「私のイパネマがこんな曲だったとは知らなかった」とまで言わしめた天才少女だったのです。
そして、才色兼備を地で行ったような美貌に、若いミュージシャン達が群がったであろうことは容易に想像できてしまうのです。そして結婚した相手はランディー・ブレッカー、つまりマイケルの兄君だったのです。もちろん離婚してしまうわけですが。
今はベースのマーク・ジョンソンと結婚しているらしい。だから、彼女のアルバムのベーシストはマーク・ジョンソンなのか。今さら知った無知蒙昧に恥じ入るところ。
さて、ランディとイリアーヌの間には、アマンダという女の子が生まれました。彼女はいま両親から受け継いだ様々なアドバンテージを活かして歌手になっています。
アマンダについては、こちらも。
“https://museum.projectmnh.com/2009/06/24195833.php":https://museum.projectmnh.com/2009/06/24195833.php

Stepsとの関係について

さて、STEPSといえば、80年台初頭にマイク・マイニエリが結成したバンドで、当初は4ビートなどもやっていたのですが、徐々に電化を進み、マイケル・ブレッカーがEWIと呼ばれるウィンドシンセを使い、マイク・スターンがディストーションをかけたギターソロを披露するようになったのでした。バンド名もSTEPSからSTEPS AHEADと改名しました。
その改名前後に発表されたアルバムのMAGNETIC(1986)は、Live in Tokyoという1986年のライヴ盤重要な音源につながっていきます。
“https://museum.projectmnh.com/2007/08/19175353.php":https://museum.projectmnh.com/2007/08/19175353.php

Sor Far So Close

私の聴いたSo Far So Closeは1988年の作品。雰囲気がMAGNETICとそっくりなのに驚きました。これは、裏Steps Aheadと呼んでも良いのではないかと。
もちろんマイケル・ブレッカーもランディ・ブレッカーも参加しております。
さらにポイントなのは、シンセサイザーのプログラミングにジム・ベアードが参加していると言うこと。ジム・ベアードは、マイケル・ブレッカーのNow you see itというアルバムに参加して、電脳才能のフルに発揮している人物。ランディ・ブレッカーがWDRのビッグバンドと共演している以下のアルバムでは、キーボーディスとしても大活躍しています。私のレコメンドなミュージシャンです。WDRのジャズバンドとのエントリは以下の通り。
“https://museum.projectmnh.com/2007/08/11211441.php":https://museum.projectmnh.com/2007/08/11211441.php
さて、イリアーヌですが、そのアンニュイな感じの歌声で、私の癒しの音楽となっているDreamersというアルバム以降、自分はピアニストだけなのではなく、ヴォーカルとしてもやっていこうと決意したらしいのですが、ピアニストとしても素晴らしいですが、やっぱりヴォーカルが良いですなあ。
でも、ピアノもいいっすよ。コードの当て方とか結構格好良いのですよ。テンションを含んだ私好み。そうそう、ジャコ・パストリアスにささげられたStraight Acrossというナンバーではシンセベースまで弾いています。
この曲、結構アグレッシブ。で、ジャコに捧げられていると言うこともあって、音の雰囲気はWeather Reportそっくり。ということは、Weatherの影響下にあるYellow Jacketsにもそっくり。シンセベースの雰囲気なんてYellow JacketsのJimmy Haslipみたい。

イリアーヌのディスコグラフィ

Wikiによると、こんなにたくさんのディスコグラフィが。ああ、全然聴けておりません。収集活動を始めないと。◎がついているのが把握している音源。ファーストアルバムはお嬢様のAmandaの名前なんですね。Sor Far So Closeもお嬢様に捧げられたアルバム。本当に子煩悩なのですね。
* Amanda(1985)
* Illusions(1986)
* Cross Currents(1987)
* So Far So Close(1988) ◎★
* Eliane Elias Plays Jobim(邦題:風はジョビンのように)(1989)
* A Long Story(1991)
* Fantasia(1992)◎
* Paulistana(1993)
* Solos & Duets(1994)(with Herbie Hancock)
* The Three Americas(1997)
* Impulsive!(1997)
* Sings Jobim(邦題:海風とジョビンの午後)(1998)◎
* Everything I Love(2000)
* Kissed by Nature(2002)
* Giants of Jazz(2004)
* Dreamer(2004) ◎
* Around the City(2006)◎
* Something for You(2007)
* Bossa Nova Stories(邦題:私のボサ・ノヴァ)(2008)
* Eliane Elias Plays Live(邦題:デサフィナード)(2009)

iPadのつぶやき

iPad、素晴らしいですよ。
今日は、UQ Wimaxと一日600円の契約をして、自宅から会社の受信状況をチェックしました。電波は弱いものの8割程度の行程でWimaxが受信できることがわかりました。田舎の丘の上に立つうちの会社でも一応受信可能でした。ところどころでやっぱり受信できないところもありましたが。
それから、やっぱりiPadで文章を書くのはまだちと骨が折れる。このブログ記事の前半部分はiPadで書いてみたのですが、さすがにキーボードのように早く書くことは能わず。ああ、Bluetoothのキーボード買ってみようかな。
ちなみに、Bluetoothって、デンマークの王様の名前なんですよ。
“http://ja.wikipedia.org/wiki/Bluetooth#.E5.90.8D.E7.A7.B0.E3.81.AE.E7.94.B1.E6.9D.A5":http://ja.wikipedia.org/wiki/Bluetooth#.E5.90.8D.E7.A7.B0.E3.81.AE.E7.94.B1.E6.9D.A5

iPad,Opera

iPadが来て二日目。大分なれてきました。

良いところ

画面が美しいアプリがたくさんです。たとえば、こちら。

天気予報のアプリなのですが、あまりの美しさと多機能に度肝を抜かれました。
それから、青空文庫からシームレスに本をダウンロードできるのは凄い。iBookが日本で根付くかどうかはわからないのですが、青空文庫はもうかなり歴史ありますからね。昔、Palmに落として、芥川を読んだり、岡本かの子を読んだりしていましたので、これは本当にありがたい。

本題

さて、本題。
カルロス・クライバーが、エレーナ・オブラスツォワ、プラシド・ドミンゴと組んで演奏したもので、ウィーン国立歌劇場で1978年2月に収録されたライヴ盤。
2006年にゼンパーオーパーで「カルメン」を観るための予習用に買ったものですが、クライバーとドミンゴとくれば、悪い演奏なわけがない。
特に激烈なのが20トラック目「セビリアの城壁近く」。スペイン的フレーズなんですが、このフレーズが凄くて、導入はマイナースケールで上昇するんですが、下降するときにはメジャースケールに変わっている。カルメンの表裏を表しているように思えます。美しきものの裏に隠れる狡猾さ。途中でオケが、激しく慟哭するんですが、あの場面のクライバーのドライヴ感は凄まじいものがあります。
1978年と言えば、ドミンゴは37歳ですか。一番脂がのっていそうな年頃です。クライバーは1930年生まれですので、48歳。こちらも一番元気な頃じゃないでしょうか。
しかし、カルメン役のオブラスツォワは、カルメンのために生まれてきたのではないか、と思うぐらい役にマッチしています。声の質は太く柔らかいメゾで、パワーもあるし、妖しさもある。私は、カラヤン盤抜粋でアグネス・バルツァのカルメンも聴きましたが、オブラスツォワのほうが、良い意味でカルメン的な野卑さを持っていると思います。
というわけで、お勧めしたところですが、この盤はもう市場の表舞台から消え去っていますね。AMAZONではMPでしか売っていないみたい。やっぱりコンテンツ産業は大変なんだろうな。DVDは高いですが、重要なものは落としてはならんのですね。
追記:ああ、こういう媒体で安く出ているのか……。なんと990円! 教えてくださったgarjyuさんに感謝。
→  "http://www.fujisan.co.jp/Product/1281683685/b/323315″:http://www.fujisan.co.jp/Product/1281683685/b/323315/ap-shushi
iPadが来て、時代が大きく変わったことを思い知ったことと相まって、ちょっといろいろ急いで考えないと、と思いました。頑張ろう!

iPad,Jazz

Jazzのライヴ

あまりにあっという間な錦糸町の夜のひとときでした。
先輩方や後輩の演奏は昔と変わらずどころか進化しているようにも思えます。ベースの先輩は巧くなっているし、サックスの先輩もアグレッシブな演奏でした。テナーサックスにおける、ジャズのインプロヴァイズはフラジオなしには考えられませんが、先輩はちゃんとフラジオ音域まで使っておられましたからね。楽器を替えたと思ったのですが、マウスピースを替えたのだそうです。曲はスタンダード中心で、終始安心してきていることが出来ました。
先日取り上げた 「スコラ」 では、ジャズシリーズをやっておりましたが、ブルーノートとテンションが織りなす感覚がとても懐かしかったです。
私も少し吹きたくなりましたが、今の生活にバンド活動をアドオンするのは極めて難しいです。残念ですが。タスクがもう少し減ればいいのですが。EWI練習しよう。毎日毎日。がんばるぞ。

iPadのこと


で、ベースの先輩に、iPadのことでいじられました。今日は持って行くのをあえてやめておいたんですが、持って行けばよかったです。
今考えているiPadの利点は。
# ウェブへのアクセスが極めて早い。ノートPCをハイパーネーションで立ち上げる手間がうざくなりました。
# これは、iPhoneやiPod touchのほうが優れていると思いますが、メモしていても仰々しさがないです。ノートPCだと、文書書いてます、的なオーラが強すぎることもある。まあ、紙にメモればいいのですが、でんしかしておきたいこともありますので。
欠点、というか問題点は、
WM3300RというNEC製のWimax端末と巧くつながらないのです。iPadとWimaxで乗り切ろうと思っていただけに残念。みんな同じ問題に直面しているんだろうなあ。NECのサポートに電話してみるかな、というところ。
シングルタスクは思った以上にストレスフルです。音楽聴きながらネットサーフィンが出来ないという事態。まあ、PCじゃないと割り切るしかないのですが。秋にはOSのアップデートが予定されているとのことで、ここでどこまで善くなるかというところ。
思ったより外枠が広いですね。もう数年経つと、もっと小さくなるんだろうなあ。
アメリカに注文しているケースが届かないので、中途半端なケースを買ってしまい後悔。安物買いの銭失いとはこういうことをいうのだろう。吝嗇は不幸なり。

聞いているのは

今日は、息子のほうのクライバーが振っている「カルメン」をば。DVDで発売されているもので、ドミンゴが悲壮な感じで歌っていていいんですよ。クライバーもドライヴのかかった指揮っぷりで、興奮せずにはおられない。これ、6月の新国の演目を意識しています。いい演奏、パフォーマンスだといいなあ。

Miscellaneous

うふふ。iPad、本日届きましたですよ。ちと嬉しい。





まだ、ざっくりしか使っていないのですが、PC以外のプラットフォームで違和感を感じることなくウェブの操作をできるのには本当に驚きました。Apple製品はiPodしかしらない私ですので、Safariやらなんやら、まだ操作に不慣れな感じはあります。
あとは、Wimaxでの接続がうまくいくかどうか、ですが、ちょっとうまくいかない。このルーターを買って、PCでもiPadでも使えるように、と準備したのですが。

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まあ、気長にやります。
あ、クライバーのミュンヘンでの「ばらの騎士」を入れてみました。出先で聴いてみよう。

Opera,Richard Strauss

来年は「ばらの騎士」イヤーでもあります。「ばらの騎士」は1911年1月26日にドレスデンにて初演です。マーラーは「ばらの騎士」を聞いたでしょうか?
シュトラウスとマーラーというと、仲がよさそうにも見えるし、悪そうにも見える。アルマ・マーラーの回想録では、エコノミカルな面に腐心するシュトラウスの姿が批判的に書かれていました。もっとも、アルマ・マーラーの回想録自体どこまで真実に近づいているかはよくわからないのですが。
いずれにせよ、二人は同年代ですし、互いを意識していたんだろうなあ、というのは音楽を聴いていてもわかります。特に「影のない女」では数箇所、マーラー的な場所が驚いてびっくり。たとえば赤い鷹のモティーフ、マーラー的に聞こえるのは私だけでしょうか。
話を戻して、来年が初演100周年となるばらの騎士をハイティンク@ドレスデンで聞いてみましょう。ハイティンクを好きになったのはこの一年ですので、この「ばらの騎士」も一箇所を除いては大変すばらしい演奏だと思います。私なんて、第一幕冒頭のっけから、平伏しましたし。
今日はばらの騎士を聞いて心を落ち着かせましょう。
そうそう。今週の土曜日は大学の先輩後輩のジャズライヴがあるので、遠出(っていても錦糸町ですが)します。久々のジャズライヴで楽しみ。私も参加したいぐらい。EWIがんばろう!
あ、明日、iPad、運がよければ家に届くかも。。。

Gustav Mahler,Symphony

なんだか、虚脱状態に陥りっぱなし。やけに忙しいぞ。
さて、今年はマーラーイヤー(生誕150年)で、来年もマーラーイヤー(没後100年)ですね。
マーラーは1860年7月7日に生まれ、1911年5月18日に亡くなっています。中学生の頃、命日の5月18日にしんみりしていたりしてましたなあ。懐かしい思い出。
というわけで、図書館にはマーラーコーナーが設営されていまして、所蔵するマーラー録音が一堂に会している状態。ですので、ちと何枚か物色しています。
この二年間、ほとんどマーラーは聞いておりませぬが、私の強烈なマーラー体験は、小学6年生に小澤征爾がジェシー・ノーマンなんかとボストン交響楽団を振った復活の最終部の映像をみてからです。
NHKでドキュメンタリーが放映されたのですね。詳しいことは覚えていないのですが、二箇所だけ覚えています。
なんだか小澤征爾が神経質な面を見せる場面があったのですが、それを見ていた父が「芸術家のこういう芸術家ぶったところが嫌いだ」と言っていたことと、小澤征爾の子供達が庭で遊ぶシーン、「復活の最終幕」です。
この「復活」の最終部を聴いてから、マーラーのエアチェックを始めたわけです。
で、苦手だったのが、交響曲第五番でした。マゼール盤を聴いていたのですが、第四楽章以外は全く理解できませんでした。ある種恐怖症状態。
ですが、その呪いを解いてくれたのが、ラトル&BPOのライヴ盤でした。映像も見ましたね。ああ、この曲はこんなに面白いのだ、と得心。第三楽章でホルン協奏曲状態になるのをみて、すげー、と感心したり。
で、今日は、ショルティ盤交響曲第五番を聴いております。
先日来、バーンスタインのマーラーを少しばかり聴いておりましたが、ショルティはスマートになんでもやってのける感じ。そこが、賛否両論があるところなのかもしれませんが、くたびれた体には、ショルティのようなすっきりとした味わいもまた格別でした。虚脱状態の私にはちょうど良いカンフル剤的状況でした。第四楽章が意外と遅いテンポで、ショルティらしくないなあ、とも思ったり。逆にその方が良いんですけれど。
さて、先だって注文していた新しいノートPCが届きました。Windows7に初めて触れましたが、なかなか好感が持てます。私は、MSの戦略にはまらぬよう、メインPCは未だにXPですが、食わず嫌いも良くないなあ、とちょっと反省しまし

Miscellaneous

当ブログの公開エントリ数が1000本を超えました。
最初にブログを始めたのが2003年だったと思います。当時の最先端だったMovabletypeのバージョン2で始めたのでした。
その後、2006年にFC2に「Museum::Shushi bis」としてリニュアールし、再びMovabletypeに戻り、このたび1000本突破となった次第。
ひとえにごらんになってくださっている皆様、コメントをいただいた皆様のおかげでございます。ありがとうございます。
今後も引き続き続けて参りますので、皆様のお越しをお待ちしております。

Opera,Richard Strauss

はじめに

「影のない女」から一夜明けた今日、なんだか、虚しさ覚える、虚脱状態とでもいいましょうか。
オペラを総合芸術に仕立て上げたのはリヒャルト・ヴァーグナーですが、以降のオペラは、音楽面だけではなく、文学面や美術面においても評価されなければならなくなってしまいました。そのうちどれかが欠けても難しい。
昨日の「影の女」は、残念ながらひとつだけ欠けたところがあったと思うのです。それは私の理解の足りなさという面もあるかもしれませんが、やはり演出面だけは釈然としません。
シュトラウスとホフマンスタールが作り上げた天才的奇跡的な音楽だけに、それをさらに高みへとあげるのは困難なはずですが、それにしても、という歯軋りをする思い。三人のヒロイン達がすばらしかっただけに、残念な思い。
最初に舞台装置に「疵」というか「矛盾」を見つけてから、視覚的違和感が常につきまってしまうのです。
これ以降、書くこと自体躊躇するところがあります。私の理解不足や、体調の不備、天候の悪さなどが影響しているかもしれないからです。ですが、やはり、ここは一足飛び超えて書かないと行けない、という覚悟で書きます。それが、新国にとっても良いことだと思うので。ご批判は覚悟の上。なにかあればコメントを。

違和感

私が違和感を感じ始めたのは第一幕のバラクの家のシーンから。
舞台全部には白い平たい板、白い底面が引いてあるのですが、それは、家々が地面に投げかける白い影で、家の窓枠に対応する形で、床が切り取られているのですが、一つだけ対応していない場所があるのを見つけてしまったのです。
神は細部に宿りますので、そうした細かい疵に気づいてしまってからなんだか気が抜けたソーダ水を飲んでいるような気分になってしまいました。
で、この平たく白い底面は、全幕通して置かれっぱなし。皇帝の居室であろうと、バラクの家であろうと、霊界であろうと、いつでも。これはちょっと違和感がある。
それから、舞台装置の移動は、黒い服を着た男達が劇中にお構いなしにあらわれて移動してくる。日本風に言えば黒子なんですが、顔もあらわで、いわゆる日本的な黒子ではないのです。「影のない女」の難しい舞台転換を安易な方法で解決したとしか思えない。
確かに「ヴォツェック」でも、黒子的な男達が現れたけれど、ちゃんと衣装を着て、ちゃんと演技しながら舞台装置を動かしていたんです。ですが、今回は演技すらしない。本当にスタッフがやっていて、劇空間がめちゃくちゃに破壊されてしまう。
それから、鷹や馬、オオカミなどの動物たちは、動物の形をしたワイヤーアートを持った方々が出てくるのですが、このワイヤーアートが見えにくくて仕方がない。これ、あらすじを知らない方がごらんになったら、赤い鷹の重要性を全く理解できないと思います。
それから、舞台装置がチープに思えてしまう。家をかたどったオブジェはベニヤ板が張られているのが見えてしまったり、石垣のように石が積み上げられた壁は安くて弱々しい。
乳母が死ぬ場面も、なんだか予定されたように舞台下にせり下がっていくというありがちなパターン。

背景は何か?

でも、本当にこれは演出家だけの問題なのだろうか、とも考えたのです。ほかにも原因はあるのではないか、と。
よく考えますと2010年度になってから二回目の新制作ですよね。もしかしたら予算が相当削られていたのではないか、とも思えるのです。まだ新国立劇場自体の22年度予算はウェブ上で確認することができないのですが、そうした背景もあるのではないか、とも。
先日の「ジ・アトレ」6月号に書かれていたのですが、予算は年々縮減傾向にあることは間違いないようです。そうした影響が出ているのかもしれません。
それから、このシーズンでは指環の後半である「ジークフリート」と「神々の黄昏」をやっている。バックステージツアーで舞台監督の方がおっしゃっていたのですが、再演とはいえ、やはり経済的な負担は大きかったようです。ですので、「影のない女」の予算が削られてしまったのではないか、とも思える。

まとめ

いずれにせよ、すこし寂しい思いをした公演でした。私も少し気張りすぎていて、期待が大きすぎたので、その落差に戸惑っているという面も少なからずあるとは思いますし。
次のシーズンでは、「アラベラ」や「トリスタンとイゾルデ」の新制作もあります。演出家の方も大変だと思いますが、予算担当の方も相当大変なはず。
私にできるのは、チケットを買って、劇場に足を運んで、公演の模様をブログで取り上げて、頑張ってくださいと申し上げる、ということぐらいしかないので……。
ともかく、今後も、日本唯一の常設劇場を持ったオペラカンパニーとしての新国立劇場を応援していきたいと思います。

Opera,Richard Strauss



行って参りました、「影のない女」@新国立劇場。
あいにくの雨模様で、少々気が滅入っていたのかもしれませんし、昨週は相当忙しかったので、体調が万全ではなかったということはだけは最初に申し上げておいた方が良いかもしれません。

驚きの再会──ジェーン・ヘンシェル

しかし、驚いたことが一つあります。
このオペラで最初に口を開いて歌を歌うのは乳母役のメゾソプラノ。始まったとたんに身震いしたんです。凄いパワーなのですよ。
声の大きさも十分で、倍音を豊かに含んだ声。技術的にも凄いと思ったのは、伝令とともに、「皇帝は石化する」と歌うところ。

“!https://museum.projectmnh.com/images/SoundIcon.png!":https://museum.projectmnh.com/midi/strauss/3-Stein.mid
ここ、相当低い音まで出さなければならなくて、CDで聴いていたとき、この部分をメゾが歌うのは、ピッチコントロール含めて、かなり大変そうだな、と思っていたのです。
ところが、この方は難なく最低音域に到達しピッチも狂うことなく、音楽的な価値を保っている。
このメゾソプラノのお名前はジェーン・ヘンシェル女史。
で、わたし、デジャ・ヴに襲われたのです。ヘンシェル女史の姿、お顔や体型など、どこかで見たことがあるな、と。
もしかして、あの悔い多きバスティーユ・オペラでの「影のない女」で乳母を歌っていたのがこのヘンシェル女史ではないか、と。
家に帰って、ごそごそと当時のプログラムを見つけて見てみると……。
やはり!
2002年の冬といいますから、もう9年半前になりますが、当時、ウルフ・シルマーが振ったパリ・バスティーユオペラでの「影のない女」の公演で乳母役を歌っていたのは、間違いないくジェーン・ヘンシェル女史! まじですか! 凄い偶然というか運命というか。
この方のパワーで、この公演の音楽的部分は下支えされていたはず。相当なものでしたから。もう8年半前経っていて、かなりお年を召した感じなのですが、バイタリティ溢れておられる。体力的にもきわめて大変なはずの乳母役であるというのに。平伏します。

強力なヒロイン──皇后のエミリー・マギー

まずは、皇后を歌ったエミリー・マギーさんについても書かなければ。
この方、の高音の伸びは凄かった。ピッチコントロールを保ちながら、かなり高い音域でパワー全開で歌っている。テオリン様よりも高めの倍音を含んでいる感じ。容姿も端麗でいらして、皇后の持つ霊界の玄妙さと人間的な苦悩をうまく演じておられました。しかし、ハイトーンが凄かったです。新国には何度かいらしているようですが、またいらして欲しい方です。

もう一人のヒロイン──バラクの妻のステファニー・フリーデ

そして、もう一つの感動が、バラクの妻を歌ったステファニー・フリーデさん。この方を聴くのは「西部の娘」、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」に続いて三度目です。
しかし、ここまで凄い歌唱を聴かせてくれたのは今回が初めてだった気がします。バラクの妻は、エヴァ・マルトンのようなブリュンヒルデを歌えるドラマティック・ソプラノの役柄なので、相当なパワーを要求される役柄。
フリーデさんは、少し語弊があるかもしれませんが、咆吼とでもいえる凄まじいパワーを見せてくれました。ピッチで若干揺れたところもありましたが、バラクの妻の切実な苦悩がストレートに伝わってきました。特に第三幕の冒頭部分から、バラクとの二重唱にかけての部分の迫力は衝撃的。凄かったなあ。

しかし残念なことが。

しかし、今回のパフォーマンス、どうにもしっくりこない。なぜなのか。
雨が降っていたこと、私の体力が十分でなかった、という事実はありましょう。
しかし、それを吹き飛ばすだけのものがなかったのかもしれない。
それは、音楽的な面ではなく、演出面を私が理解できなかったからではないか、と書かざるを得ない苦悩。これ以上、書けるかはわかりません。一日頭を冷やして考えてみます。