Jazz

Biting the Apple
Biting the Apple

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Dexter Gordon
Steeplechase (1994-07-29)
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デクスター・ゴードンは、たしかマイケル・ブレッカーが敬愛するテナー奏者だったはず。マイケル・ブレッカーのように艶のあるエッジの聞いた音です。
以前、銀座のCD屋で、ちょうどそのお店でバイトをしていた私の友人がデクスター・ゴードンをBGMにかけていたんですが、マイケル・ブレッカーの演奏家と勘違いしたことがありました。
このアルバムは、有名な曲が多く収録されています。マイケル・ブレッカーも録音しているSkylarkがいいですね。
あとは、セッション曲のBlue Bossaも。この曲は私らが吹くと、演歌のようになってしまいがちですが、以下のとおり。黒いですが、洗練されていて、妙にシャクったりもたらせ過ぎることはありません。絶妙なバランスで歌っていると思います。

1976年のアルバム。ドラマーはアル・フォスターですね。
ではグーテナハト。

Béla Bartók

バルトーク:オーケストラのための協奏曲/ヤナーチェク:シンフォニエッタ
セル(ジョージ)
SMJ (2012-12-05)
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なんか、少しジメジメしたたこと書きましたが、この曲聞いて元気が出ました。
緊張感が半端ないですね。
鮮烈・ビビッド。テンポコントロールの絶妙さというのもあるのでしょうけれど。
こういう楽しみもまだ残されているのですが、まだ十分に咀嚼できていないのです。どうすればいいのか。どのように語ればいいのか。まだまだ考えないと。
あらためてグーテナハト。

Miscellaneous

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先日行った熱海の海。美しい光景ですが、なにか引っかかります。このような景色をこの際未来も見ることができるのでしょうか。
この一週間は、音楽から遠ざかり気味でした。といっても、音楽は聴いてまして、あの例のT-SQUAREというバンドの昔の音源を聴いて懐かしんでいました。ただ、どうにも西欧音楽は聴けず、という感じでした。
少し最近の立ち位置を確認しなければなりません。
どうもあの偽ベートーヴェン事件で、音楽にしらけてしまってですね。いや、あの事件でしらけるなんて、そこまで音楽が好きじゃなかったのでは、と思われるかもしれませんが。
正直、偽ベートーヴェンについては、かなり「無理」をしてよく書いた記憶があります。ですが、CDを聴き、コンサートに行きましたので、そうした事実は記録すべきと考え書きました。が、そこに、なにか「長いものにはまかれろ」といったベクトルが作用していたのではないか、と反省する部分もあるのです。あんなにいいと言われているのに、自分だけがわかっていないのではないか、という疑念を感じたからでしょう。もちろんそこに「全聾の」とか「絶対音感」という雑音も含まれていたのでしょう。
私のモットーとして、批判はするまい、というのがあります。専門の音楽教育を受けていませんので、そこまで言っていいのか、という、少し引き気味のスタンスで臨んでいます。それが理由で、ブレというか、キレのなさというものが生じたはず。そういう意味では徹底できなかったという悔いがあります。
ただなあ。あそこまで、評価していたマスコミやブログを見ると、音楽を語るということの責任性というものを強く感じます。かつて、大学に居た時に、教授と大学院生が、音楽評論の妥当性について熱く語っていたことを思い出しました。評論についての妥当性が問われないままという状況に疑問を呈する議論だったと記憶しています。
言論は歴史を創るものであり、事実を変えることさえも可能です。昨年何度か書いたヴェルディがイタリア統一に果たした役割が後世に作られたものであるということや、昨今の歴史問題などもそうしたものにあたるのでしょう。言論に対する飽くなき妥当性の追求を可能な限り行う、ということの難しさは、この20年間のインターネットの時代にあって、問われ続けながらも解決されていないことなのでしょう。
そういう意味では、ブログであろうとも、言論活動の一環ですので、そこに妥当性を常に求め続けることは必要です。経済活動を伴わないものである以上、そこには常に妥当性を求める必要はあります。ただ、妥当という言葉はあまりに絶大なもので、求めることはできても実現できないものなのです。妥当という言葉は、ブレンターノに依っていたはずです。それほど重い意味を持つものはず。
なんだか絶筆宣言のようになってますが、絶筆はしないです。妥当というものは求めるものであり、実現できないものである以上、絶筆すると止まるので。
今日は新国立劇場でオペラトークを聴いてきました。そちらの報告は明日から。それにしても手を広げすぎていて、すこし戦線を整理しなければなりません。。
ではグーテナハト。

Oboe

大雪の影響でレッスンが飛んだので、一ヶ月ぶりのレッスンになってしまいました。
場所も変わり新宿にて。
どうもアーティキュレーションへの意識というものが向いておらず、楽譜を見てアーティキュレーションをコントロールするという行為が苦手なようです。そういったものはなんとなくできていたんでしょうけれど、改めて意識するとなかなか興味深いものです。
吹奏楽から上がったわけではない独学サクソフォーンにとってみれば、実に新鮮なことが沢山。みなさんこういうことを習っておられたというわけなのですね。
やはり、音楽は独学では限界があるということだと思いました。
口蓋の容積のコントロールの重要性も改めて再認識しました。少しの操作で音はずいぶん変わっていきます。面白いぐらいに良くなっていきますので。先生の的確なご指導に感謝しています。
今やっているのはHINKEですが、これだけでもずいぶん面白いものです。

Praktische Elementarschule fuer Oboe / Elementary Method for Oboe
Gustav Adolf Hinke
Peters, C. F. Musikverlag
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今後やりたい曲をどうしようか、という話になりましたので、バッハのイタリア協奏曲でーすと申告しましたが、言っておきながら不遜だ、と思いました。しかし、この曲はピアノで弾いたこともあるので、思い入れあります。
こんなかんじで弦楽四重奏とやる編曲版があります。

アルブレヒト・マイヤーも演奏しています。

バッハ・アルバム
バッハ・アルバム

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マイヤー(アルブレヒト)
ユニバーサル ミュージック クラシック (2004-09-22)
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というわけで、今回も妄想シリーズでした。グーテナハトです。

Oboe

IMG 0724
線路が雪で埋まってしまった出先の駅。まったく、どうかしてます。水曜日、木曜日とまた雪が降るそうです。山梨も大変な被害だそうです。
雪が多いからといって温暖化とかどうだかとか言うのは拙速らしいですが、ともかく黒潮の蛇行が原因だとか、ブロッキング高気圧とか言う強力な高気圧がシベリアからベーリング海峡あたりにいてジェット気流が蛇行しているから、とか、いろいろ原因はあるそうですね。
さて、オーボエのこと。先週、練習中にFキーのタンポが外れました。まあ、日が経つとそういうこともあるようで、修理をしていただき、今日も少しだけ練習。いい音が出るようになってきました。
が、音の出し方はわかっても、アンブシェアの力が無かったり、ブレスの方法が今ひとつということで、なかなかうまく行きません。やはり毎日練習してアンブシェアを作ることが必要です。
それから、先日ゆえあって、少し固めのリードを入手しました。これ、ほんといい音が出ます。でも、すぐに疲れてしまうんですが。。はやくリードを自分で作れるようにならないと行けないですね。
というわけで、新兵器を導入しましたが、これはまた後日。
さて、こちらもゆえあって、バンドをやるかもしれなくなりました。少し楽しみですが、どうなることやら。。
ではグーテナハト。

未分類

いーぐるに行ってきました。大学時代の先輩後輩たちとともに。
“http://www.jazz-eagle.com/":http://www.jazz-eagle.com/
四谷にあるジャズ喫茶で学生時代によく行ってました。
昔良く聴いていたアート・ペッパーがかかっていて懐かしく、意外といまでもいいかも、と純粋に感動しました。ハービー、ラリー・コリエルなんかも。
ジャズもクラシックももっと体系的に戦略的に聴かないと行けないと改めて思いました。音楽を聴くことにについて初心にもどって謙虚にやり直さないと行けないです。

一生モノのジャズ名盤500(小学館101新書)
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日は変わってますが、グーテナハト。

Anton Bruckner,Symphony

Symphony 7
Symphony 7

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Bruckner Berlin Philharmonic Orchestra Wand
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いや、ほんと短信です。
いろいろあった一週間。あの騒動で、一時音楽が聴けなくなるんじゃないか、と思いました。それは、聴くことと語ることを一つにしようとしたからかも。音楽を語るということに対する苦しみというものは以前からあって、それが今回の騒動で色々考えざるを得なくなってしまったということだと思いました。
しかし、昨日から読んでいる伊福部昭「音楽入門」で、「わからない音楽ほどわかっている」という一節があり、ああ、語ってはいけないのかもしれない、などと思いました。まるで一神教の神のように。
で、ヴァントが振るブルックナーの7番を聴いて、ただただ、端正で静謐だ、とだけ思いました。
そうか、音楽を語るときに比喩表現を用いてはいけないのか、などと気づいたり。けっして、「かなしみは疾走」などと言ってはいけないのですね。安易に。
明日の関東はまた雪ですか。2日振り続けるようです。週末、大学時代の音楽関係者と会うんですが、開催されるのでしょうか。。。
ではグーテナハト。

Book

音楽入門―音楽鑑賞の立場
伊福部 昭
全音楽譜出版社
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かつて読んだ伊福部昭の「音楽入門」ですが、昨今の問題を考える上での最も厳しい意見が書いてあります。
私はかつてこの本を読んだ時、どうも自分の考えとはすりあわない、と思っていました。リヒャルト・シュトラウス《ツァラトゥストラはかく語りき》が大なたでメッタ斬りにされてますから。
ですが、今回の事件を受けて、もう一度読み始めました。
で、こんなことが書いてあります。

私たちは、このように音楽以外のものの助けによって、その音楽に意味あらしめようとするような作品を軽蔑しなければなりません。

伊福部昭「音楽入門」47ページ
この本における「軽蔑」の仕方が半端ありません。絵画における裸婦像を例に取り、裸婦像を芸術的な眼差しでそれ自身を見るのであれば、それは芸術であるが、そこに性的欲求などを介してみた場合、その絵画は春画に堕ちる。であるから、、

同様に音楽にあっても、その方便で選ばれた題に基づいて諸々の連想をたくましくする態度は、その連想そのものがいかに美的なものであったとしても、いわば春画的な見方と言わざるを得ないことになるのです。

伊福部昭「音楽入門」42ページ
となります。
さて、少し先取りなのですが、あとがきが片山杜秀さんが書いておられて、例の小林秀雄の「モオツァルトのかなしさは疾走する」が取り上げられています。この文学趣味の行末が、今回の問題につながっているといえましょうか。
今回の問題は、ちょっと深いです。勝手に私が深く思ってしまっているだけだと思いますが。

Symphony 5
Symphony 5

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Bruckner Barenboim Bpo
Elektra / Wea (1992-11-03)
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今日もバレンボイム。ブル5。うーん、今度は疾走するブルックナー。これはかなり速い方のブルックナーです。ブルックナーのXXXXは疾走する。XXXXには何が入るのかな?
ではグーテナハト。

Anton Bruckner,Book

ブルックナー:交響曲第8番
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 バレンボイム(ダニエル)
ダブリューイーエー・ジャパン (1995-10-25)
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建国記念日の一日は、最近の疲れを癒やす一日になりました。少しゆっくり眠りましたし。
それでも、現行の構成を終えて、リードを削って、ウォーキングして、みたいなかんじ。朝食は寝坊したので抜きました。夕食は、友人が送ってくれた牡蠣を使ったパスタ。
ナクソスミュージックライブラリーに、TELDECが収められているのですね。バレンボイムのブルックナー交響曲も収録されていて嬉しい限りです。
今日はブル8。ブルックナーについては語りますまい。ブルックナーを語るのはハードルが高すぎます。それでもなお言えることは、バランスがとれている本格派の演奏ということでしょう。ベルリン・フィルの機能性を十分に活かしたものなんでしょう。隅々まで統御された丁寧な作りでいながら、ダイナミズムもある演奏というところでしょうか。実は好きな演奏かもしれない、と思います。
昨今音楽を語ることについてはかなり敏感になっています。絶対音感がないと語れない、という点が気になって仕方がないのです。
私にしてみると、多くの人々が例の交響曲に感動できるのなら、ブル8にも感動できるはず、と思うのです。ブル8が別の名前で別のストーリーがあって、日本でしかるべき形で演奏されると、きっと誰しもが泣くのだと思います。長さだって例の交響曲より少し長いぐらいなのですから。。ブルックナーといった有名な作曲家の名前が、逆に日本では一般に受け入れられないものとなっているのでしょうか。それほど文脈が重要ということでしょうか。
というわけで、グーテナハト。明日も頑張ります。