By <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/User:Diliff" title="User:Diliff">Diliff</a> – <span class="int-own-work" lang="en">Own work</span>, CC BY-SA 3.0 , Link
今日は、とある用事のため母校の図書館へ行きました。十年前に卒業生の集い的なイベントにふらりと行って、中を見せてもらった以来で、実質卒業後四半世紀近くほとんど足を踏み入れていなかったのですが、本当に記憶というものは恐ろしくて、全くもって図書館に踏み入れたときに違和感がなく、むしろ帰ってきたのだ、という感覚しかないことに驚きました。
カーペットの踏み心地や空気感、掛けられた絵、エレベータホールのゴミ箱、椅子の装丁、その全てがまるで昨日の記憶であるかのように思えたのです。
特に独特の匂い、それは紙の発するかすかな糊や薬剤やインクの匂いであったり、あるいはカビのような匂いで、古本屋のそれとはまた違う独特の匂いで、この匂いだけで、あっという間に当時の記憶が呼び覚まされた感じがします。
思い起こすと、入学式当日に学科の先輩が学内見学に連れて行ってくれたのですが、図書館に入ったときに、おそらくはそこに納められた「無限」に近いと思われる書籍群にこれから4年という長い間(当時はまだ4年という時間は永遠に思えたのです)触れる権利を得たのである、という昂揚と期待があって、その感覚がまざまざと思い出されたと言うわけでした。
確認すると、どうやら卒業生であれば年間いくらか納めることで、図書館を利用できるらしいということで、手続をすることにしました。維持すればこれから何年にもわたってこの「無限」に近い書籍にアクセスできるのか、と言う昂揚と期待をもう一度感じたように思います。確かにウェブ上の情報もやはり無限ですが、書籍の情報の全てがウェブ上に上がっているというわけではないな、ということも、静まりかえった薄暗い書庫のを歩きまわりながら感じました。無限の知識を全て得ることはできませんが、その膨大さに実感として触れたときに、なにか諦念と謙虚さを覚えつつも、そのなかで有限の生きるという時間のなかでなにをすべきか、と言うことを考えるんだろうなあ、と言ったことを思いました。
そんなことを思いながら30分ほど図書館の中をさまよい続け、疲れ切って閲覧席に座り込むとなにか甘い微熱のようなものに包まれている気がしました。興奮と疲労でおそらく身体が熱を帯びたのではないか、と思います。
この記事のタイトルを考えていたら、「ユリシーズの帰還」というオペラのことを思い出しました。ユリシーズは10年かかって帰ってきたそうですが、私は四半世紀かかって帰ってきたということになるのかもしれないですし、これからきちんと使えれば、「図書館への帰還」と言うことに名実ともになるわけで、そうなるといいな、と思います。
ということで、明日も引き続きさまざま頑張ろうかと思います。
それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。