Miscellaneous

5月もおしまい。6月もまた少し状況が変わりつつ、攻める時間を作れそうな一ヶ月になりそうな気配です。

今日は慌ただしく一日が過ぎましあが、さしあたりはレヴィンが振るブラームス交響曲第4番第二楽章を聴きながら走りました。冒頭のホルンが、夕刻の田園風景にぴったり。明日からは近所のプールも再開されることになり、運が良ければランイングと水泳を行けるかもしれないです。

明日からはApple Musicがロスレスとなります。公式にはDACがなければ規格的なロスレス音源を愉しむことはできないようですが、幾ばくかは改善するのか、など試してみようと思っています。

Apple Musicロスレス詳細発表。AirPodsはロスレスで聴けず
https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1326469.html

なにかしら確認する愉しみがありそうです。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Johannes Brahms,Running

それにしても良い天気の午前中と、夕立のような雷雨に見舞われた午後、という東京地方の今日という日は、夏が大好きな身に取っては、素晴らしい一日だったように思います。

先日からはじめたランニングは、やっと10回目。足が痛くなり、心拍数が上がりっぱなしだったということもあり、土曜日にガラガラの(本当です。。)スポーツ用品店にランニングシューズを買いに行きまして、まあいつまで続くか分からないから安いシューズを買おうか、とセール品を物色していたところ、店員さんに声をかけれ、試し履きしてみたのですが、なんだかキツい感じで、じゃあこれは?と出されたナイキのシューズ(嫌な予感。。。)を履いてみると、これが本当にフィットして、まるで空気を履いているような感じしかなく(やばい。。)、これおいくらです?と聴くと、やはり予算オーバー。「やれましたね、、、」と言うと、店員さんは「すみません。。」と。ただ、歳もとったので、身体を労らないといかん、と勝手に納得し、やむなく(?)購入。

今日、そのナイキのシューズを履いて走ってみると、定量的に改善していて、心拍数の上がり方が本当に違うのです。これまでは130まで上がってしまい、ペースをセーブしながらだらだら走っていた感じですが、今日は120を上回るぐらいで推移していて、数字として変化がでていました。まあ予算オーバーながらも、心臓への負担を減らして走れるのであればそれに越したことはありません。明日以降も検証してみないと。

走りながら聴いたのは、こちら。レヴァインのブラームス。これまで聴く機会がなかったのですが、AppleMusicに進められたので聴いてみましたが、ドラマティックにまとめられているというのがファーストインプレッションです。もう少し繰り返し聴いてみないと。。ちなみに、このミュシャ的なジャケットが素敵です。

村上春樹は洋楽を聴きながら走るようですが、最近の実績で言うとクラシックで、ベートーヴェン、ブルックナー、ブラームスで走っています。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Book

Duke Humfrey's Library Interior 6, Bodleian Library, Oxford, UK - Diliff.jpg
By <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/User:Diliff" title="User:Diliff">Diliff</a> – <span class="int-own-work" lang="en">Own work</span>, CC BY-SA 3.0, Link

今日は、とある用事のため母校の図書館へ行きました。十年前に卒業生の集い的なイベントにふらりと行って、中を見せてもらった以来で、実質卒業後四半世紀近くほとんど足を踏み入れていなかったのですが、本当に記憶というものは恐ろしくて、全くもって図書館に踏み入れたときに違和感がなく、むしろ帰ってきたのだ、という感覚しかないことに驚きました。

カーペットの踏み心地や空気感、掛けられた絵、エレベータホールのゴミ箱、椅子の装丁、その全てがまるで昨日の記憶であるかのように思えたのです。

特に独特の匂い、それは紙の発するかすかな糊や薬剤やインクの匂いであったり、あるいはカビのような匂いで、古本屋のそれとはまた違う独特の匂いで、この匂いだけで、あっという間に当時の記憶が呼び覚まされた感じがします。

思い起こすと、入学式当日に学科の先輩が学内見学に連れて行ってくれたのですが、図書館に入ったときに、おそらくはそこに納められた「無限」に近いと思われる書籍群にこれから4年という長い間(当時はまだ4年という時間は永遠に思えたのです)触れる権利を得たのである、という昂揚と期待があって、その感覚がまざまざと思い出されたと言うわけでした。

確認すると、どうやら卒業生であれば年間いくらか納めることで、図書館を利用できるらしいということで、手続をすることにしました。維持すればこれから何年にもわたってこの「無限」に近い書籍にアクセスできるのか、と言う昂揚と期待をもう一度感じたように思います。確かにウェブ上の情報もやはり無限ですが、書籍の情報の全てがウェブ上に上がっているというわけではないな、ということも、静まりかえった薄暗い書庫のを歩きまわりながら感じました。無限の知識を全て得ることはできませんが、その膨大さに実感として触れたときに、なにか諦念と謙虚さを覚えつつも、そのなかで有限の生きるという時間のなかでなにをすべきか、と言うことを考えるんだろうなあ、と言ったことを思いました。

そんなことを思いながら30分ほど図書館の中をさまよい続け、疲れ切って閲覧席に座り込むとなにか甘い微熱のようなものに包まれている気がしました。興奮と疲労でおそらく身体が熱を帯びたのではないか、と思います。

この記事のタイトルを考えていたら、「ユリシーズの帰還」というオペラのことを思い出しました。ユリシーズは10年かかって帰ってきたそうですが、私は四半世紀かかって帰ってきたということになるのかもしれないですし、これからきちんと使えれば、「図書館への帰還」と言うことに名実ともになるわけで、そうなるといいな、と思います。

ということで、明日も引き続きさまざま頑張ろうかと思います。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Edward William Elgar

緊急事態宣言が延長となり、またまた水泳が遠ざかってしまいそうです。

もちろん、こんな呑気なことしか書かないのも意味があることなのでお察しください。

さしあたり一週間が終わり、さまざまなことを整えながら過ごしております。

こういうときに音楽があるのは本当に助かります。

今日聴きたいなあ、と心から思ったのはこちら。エルガーの交響曲第2番です。

日本では、ドイツ系音楽中心に受容が進んだこともあり、イギリス音楽はいくばくか違った路線感を醸し出しているわけで、ドイツ系のきっちりした形式張った音楽ばかりきいていると、この曲の旋律感や構成感になにか違和感とは言わないまでも新鮮味を感じまして、それは初めて聴いたときもそうですし、繰り返し聞いたあとであっても、やはり小学校の授業で取り上げられるようなドイツ系音楽とは違う感じに酔うような気がいたします。ミュンヘンに行ったときに「イギリス風庭園」なる庭園が公園にありまして、たしかそれは形式のない自然の感じを残した庭園だったと記憶していますが、大陸的なシンメトリーではなく、もう少し自然で複雑な(複雑系的な)音楽形式を持っているのでは、と思います。

私は、いつもこの曲はシノポリの演奏で聴くのですが、今日はサー・コリン・ディヴィスの指揮で。少し話がずれるかもしれないですが、私はドイツ系音楽をイタリア系指揮者が振る演奏が大変好きです。もしかするとシノポリが指揮するエルガーも同じくイタリア系指揮者によるものなので好んでいたのではないか、と思います。形式張った感じではなく、形式のなかで歌わせる感覚がイタリア系指揮者には少なからずあるような気がします。サー・コリン・ディヴィスの指揮は、イギリス人であるというバイアスにとらわれていますので、安易に「イギリス的な指揮」などと書いてしまいそうですが、昔聴いた記憶ではずいぶんと角張った指揮だなあ、と思った記憶があります。つまりあまり良い印象は持たなかったというkとことです。しかしながら、いま改めてもう一度聴いてみると、そんなことはあまり思えず、幾分かドラマチックな情感のこもった演奏である、という印象です。そういえば、昔聴いたサー・コリン・ディヴィスが振った魔笛もやはり激しい演奏だったなあ、と言う記憶が(テノールがペーター・シュライアーで、情感激しい歌だったから、ということかもしれないですが)。

さまざまな苦悩が溢れる世の中ではありますが、せめて音楽を聴くことで、何かが善くなるのかもしれない、というテーゼを措定してさらにそれを信じたい、そんな気分です。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

 

Anton Bruckner

昨日からブルックナーへの関心が急激に高まりまして、もう二十年は手に取っていなかったであろうブルックナーの伝記を取り出しました。1988年の初版本で昭和の本ということになります。古本屋で買った形跡もないので、おそらくは新刊書店で買ったんだと思います。
早速以下のような箇所を読んで、ブルックナーのインプロバイザーとしての力量を思い出したのでした。

ブルックナーは聞き手が試し弾きかと訝るような単純な音型で始め、次第に高揚感を増して巨大な頂点で終えた。聴衆はオルガンという楽器の本当の威力をこの時初めて知ったに違いなかった。熱狂的な喝采のため、後に控えた演奏者はもはや出番を喪ってしまった。

111ページ

この年のドイツ帝国成立を祝って開かれた八月二十一日の演奏会では、特に求められてドイツ愛国歌『ラインの守り』に基づく即興を行った。熱狂した聴衆は、終演後ブルックナーを肩にかつきあげて場内を練り歩いた。

111ページ

ブルックナーは、1871年にロンドンに演奏旅行をしていますが、そのときの模様が描かれていました。こうしたエピソードも解釈された歴史です。事実と解釈は違う可能性はあるでしょうけれど、ともかく、純朴なブルックナーが聴衆の喝采を受けるシーンを想像するだけで、なにか昂揚を覚えます。

今でいえばだれなんですかね。クイーンかだれかが熱狂の中で演奏するという状況でしょうか。私はそういったコンサートにはあまり行かないので映像や伝聞からでしかわかりませんが。

ただ、一つ目の引用「単純な音型」をもとに楽曲を即興で組み立て、巨大な頂点で迎える、というのは何かよく分かる気がします。ジャズのミュージシャンが、実に愛らしいディズニーのテーマをもとに、あざやかにそして激しく昂揚するインプロバイズを見せることがあります。私も、数分間の自分の持ち場をストーリー感を持って組み立てることを試みたことがあり、聴く側としても、演奏する側としても、その感動や面白さはよく分かります。ブルックナーは交響曲作家ですが、その作品群を踏まえて、どんな即興だったのだろうか想像するのも愉しいものです。

今日の東京は雨の一日。明日からは天気が回復するとのこと。楽しみです。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Anton Bruckner

 

今日は皆既月食。本来なら真っ赤な月が見えるはずでしたが、残念ながら東京地方からは見ることができませんでした。とはいえ、きっと天上ではなにかしらの素晴らしいことが起きているのでしょう。

私も、今日はひとついいことがありました。AppleMusicからレコメンドされたカラヤンが振るブルックナー交響曲全集に巡り会ったことです。たしか、カラヤンの最後の録音はブルックナーだったはず。調べると、やはり交響曲第7番でした、カラヤンとブルックナーの組み合わせはあまりピンと来るものがありませんでしたが、今回あらためて聴いてみると、特に緩徐楽章の歌い方が素晴らしく、ゆったりとした速度で恍惚とした表情を浮かべながら巡航する感じは、あまりにも甘美です。

そんなことを思っていると、さきほどから、急に無性に第6番のアダージョが聴きたくなり、今聴いていますが、いやあこれは本当に素晴らしく、磁器のようなきめこまかさは、ずっと側に置いておきたくなるようです。この楽章、今日聴いたはずもないのに、なぜか頭に流れてきて、あ、聴かないと、と思ったのでした。未来の記憶をあらかじめ見ていたように思います。

さて、皆既月食は見られませんでしたが、きっとなにかいいことが起きるでしょう。

ということで、今日は少し早めに。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Johannes Brahms

今日は、素晴らしい天気の一日。在宅勤務でしたが、見計らって、太陽の高いうちにさっと散歩にいって来ました。吹き渡る風も暖かく、シャツだけでじかに自然の息吹に触れられて、この気候は、日本における一つのイデアールな気候なんだろうなあ、と思いました。トラクターが動いていたりするのをみると、なんだかミレーの絵を思い出したりして。まだ日は高いですが。在宅勤務ものこりわずかな感じですが、この季節感を味わえたのは一生の経験になるな、と思います。

今日もアバドのブラームスばかり聞いていた一日でした。これまであまり意識しなかった「悲劇的序曲」を聴きました。ブラームスの交響曲にカップリングされがちな曲は、「悲劇的序曲」、「大学祝典序曲」「ハイドンの主題による変奏曲」などが挙げられますが、このあたりを愉しむところまではま至っておらず、まだまだ勉強不足だなあ、と思います。どうもブラームスというと、重厚な交響曲群にその価値を求めてしまいがちですが、まあ、これだけで交響曲の一つの楽章に、あるいは小さな交響曲あるいは、交響詩に値する楽曲なんだろうなあ、と思います。

さて、明日は皆既月食だそうです。私が住む東京地方は、晴れると言うことで、見ることができるのでは、とされています。なかなかないことですので、近所に見に行ってみようかなあ、と思っています。明日晴れますように!

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Running

昨夜書いたランニングの件。これは、身体能力を維持するという観点もありますが、仕事をきちんとするため、という観点の方が強いです。多分、走ると頭の回転もあがるはず、とおもいながら、こちらの本が書棚にあったので引っ張り出してみました。数年前に買ったままになっていた本です。

この本によると、心拍数は、1分間あたり「138-年齢÷2」程度に抑制して走らないと行けないそうです。ということで若干さばを読みつつ、130~120を目標に走ってみることにしました。これまでとは全く違うだらだらした速度で、これでいいのか!、昔はもっと速く走れたのに!という歯がゆい思いを抱きながら、幾ばくかの恥ずかしさとともに、だらだらと2キロ程度走りましたが、なるほど、これぐらいであれば、なんとなく走れる感じもあり、心臓や脚への負担も少ないという感覚を持ちました。ひどかった脚の筋肉痛も緩和されたかな、と思います。

このあと、この程度の心拍数を目処にはしりつづけると、少しずつ速度が上がっていく、というロードマップを信じて、少しばかり走り続けようと思います。プールが再開すれば、2キロ走って、500メートル泳いで、って感じでやると、身体が良い感じになりそうだなあ、と少し期待してしまいます。

走りながら聞いたのはこちら。なぜか皇帝。

ちょうど、第一楽章を聞き終わるところで、走り終わる感じで、なかなか良いものでした。

村上春樹さんは洋楽を聴いて走っているようですが、私はしばらくクラシックで走ってみます。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

 

Running

東京に緊急事態宣言がでてからもう少しで一ヶ月。

日課にしていた水泳は、プールが閉鎖されたためかなわず、それが原因か分かりませんが、二週間ほどまえから急激に肩こりが悪化しました。

マウスのせいかな、と思い、トラックボールに変更したところ幾分改善したのですが、悶々とした感じは拭えませんでした。

そんなときに、この本を再読し、あ、これは走らないと、と思ったのでした。単純ですね。。。

辻邦生も、村上春樹が毎日走るということを褒めていた記憶があるなあ、とおもいつつ、先週の木曜日からそろりと走り始めましたが、いや、本当に初心者がはしるというのは大変なことです。

水泳は、もう7年近く続けていますので、泳ぎ方もこなれているらしく、そんなにぜーぜー言うことなく泳げるのですが(といっても10分程度しか泳ぎません)、走るとなると、少し走っただけで息切れが激しいです。これはもう身体がついてきていない、の一言に尽きるんだろうな、と思いつつ、心拍数をみると140を超えていて、心臓の調子がおかしくなります。泳いでいるときの心拍数は100前後ですので、明らかに高すぎで、心拍数を下げるために、スピードを落としてだらだら走るしかありません。

ですが、まあ四日も走ると、ようやく心拍数が130界隈まで落ちてきて、この調子でなんとか心拍数を110ぐらいまでに下げて走れるようにならんと、なんてことを思います。村上春樹は心拍数70で走っておられるそうで、まだまだ先は長いです。

まあ、今日は久々に天気がよくて、トウモロコシ畑のなかを走ると、夕陽にトウモロコシの長い葉が光り輝いていて、夏の日差しを浴びる幸福を感じました。

それにしても身体の衰えは定量的にやばすぎで、高校時代は7分ぐらい?で走っていたと記憶している1500メートルが、いまでは15分ですか。。高校時代は帰宅部でしたが、それでも運動部の人達に負けずに走っていたはずなんですが、まあ、昔日の面影はないですね。。

あとは、肩こりは、走り始めてから如実に改善した気がします。理由は不明ですが、血流かなにかの関係でしょうか。

そのかわりに、脚はひどい筋肉痛です。慣れれば筋肉がついて改善するかしら、あるいは、靴を替えたりすると少しは改善するかしら、などと思ったり。

ということで、明日も仕事を抜け出して15分程度走ってみようと思います。村上春樹のようになにか良い考えが思いつくかもしれません。

それではみなさま、おやすみなさい。

Johannes Brahms,Miscellaneous

先日発売になったApple TV 4Kを導入してみました。

目的としては、居間で音楽を気兼ねなく聴くということと、Macの画面を居間のテレビでシームレスに映したい、というのが目的ですが、1日使った感じでは良い感じです。とにかくiPhoneを使わずにAppleMusicを使えるのは気楽です。

とはいえ、こういうレビューのような記事は、往々にして最初の印象となりがちです。一定の期間使わないとその善し悪しは分からないはずで、Apple TVもやはりそうなんだろうな、と思います。

現在のライフスタイルは、映画を見る時間を作っておらず、代わりに読書時間を増やしているので、映画のような動画をみることもあまりないでしょうし、ゲームもいまはまだしない感じ。

とはいえ、なにかテレビがApple製品と繋がるというのは、また囲い込まれてしまった、というヤラレてしまった感はありながらも、シームレスにものごとを進めると言う観点では、生活の質があがるのでは、と言う期待を持っています。

数ヶ月後に感想を書こうと思ったときに、どんな感想をかくことになるのか……。きっと良い感想ではないか、と期待しています。

さて、今日もやはり、ブラームスを聴いて過ごした感じです。アバドのブラームス大一番。何度も何度も、浮かされたようにこの半年間聞き続けている感じ。第一楽章冒頭のテンポ感を聴くのが主目的になっていますね。。ラトルの演奏も聴いてみましたが、テンポ感が一番フィットするのがこのアバド盤です。少し遅いテンポ感で広大な空間を想起させるもので、これ以上遅くなっていくと空間がガラガラと崩れてしまうところ、ちょうど良いバランスで崩壊寸前の美しさを現前させている、と思います。

明日の東京地方は久々に晴れるとのこと。雨も趣深いですが、やはり太陽の光が恋しいですね。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。