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昨日は、少し早いですが近所の桜の名所へ。ですが、桜はほとんど咲いておりません。一分咲きがいいところです。とはいえ、お花見に興じているグループが結構いらっしゃいました。すこし羨ましかったです。

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とはいえ、近寄ると随分と美しく咲いている花もありました。

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今日は別の場所でエドヒガンを発見。こちらは満開。

近所の桜。江戸彼岸で、染井吉野よりも早く満開を迎えています。

桜といえば西行。西行といえば辻邦生「西行花伝」ですね。

西行花伝 (新潮文庫)
西行花伝 (新潮文庫)

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辻 邦生
新潮社
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「西行花伝」、実は一度しか読んでいません。おそらくは1999年ごろかと。「背教者ユリアヌス」、「春の体感」、「フーシェ革命暦」にならぶ辻邦生作品を連なる巨大な山脈の一つなのですが。

仏には桜の花をたてまつれ わが後の世を人とぶらはば

辻邦生の「西行花伝」の最後に言及される西行の歌です。

自分の死後、仏となった自分には桜の花を供えてほしい。もしそういう人がいるのならば、という意味だそうです。

桜の花を愛した西行の心持ちなのですが、死後の魂の有無を考えさせられます。

唯物論的には、人間とは考える主体ですから、主体が無くなれば世界認識もなくなります。世界は存在しなくなるわけですが、おそらくは厳然として世界は続くでしょう。ですが、「私」たちは、そんなことはわからないわけです。ですが、実際にはその先には何があるのか。

散りゆく桜の花に、そうした生の無常、あるいは生の新たな展開を想像してしまいました。

明日もまた暖かい1日のようです。春爛漫。新たな季節は、新たに年輪を刻む時でもありましょう。

では、みなさまおやすみなさい。グーテナハト。

Tsuji Kunio

The statue of the gate in Kanda Myojin.

少しご無沙汰しました。 先日おまいりした神田明神の門の写真です。朱色が美しく春の日差しに映えていました。

お参りのご利益で今年最後の大仕事が無事に終わりました。すでに気分は新年度です。

辻邦生の「夏の光満ちて」。

写真 1 - 2015-03-28

夏の光満ちて―パリの時 (1982年)
辻 邦生
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1980年6月からパリに滞在した時の記録です。以前紹介している「春の風駆けて」が属するシリーズ「パリの時」の一冊目にあたります。

書かれたのはいまから35年前のことです。つい最近のことのように思いますが、本当に別世界のようです。1980年の35年前は1945年です。現代と終戦のちょうど中間地点が1980年、ということですか。

あまりに現代と離れているので、これはもうほとんどフィクションの世界です。それは時代もそうですし、パリという場所が離れているということもありますけれど。おそらくは日記をもとに書かれたものですが、これもおそらくは「のちの思いに」のように、あるいは歴史小説のように、「歴史そのままと歴史はなれ」を体現したものなのかも、と思いました。

とにかく、まだ時間の流れが違っていた時代でした。別に懐古主義というわけではありませんが、郷愁を感じないといえば嘘になります。

石は生きているがセメントは死んでいる

「人間であること」を除いたら、いったい何のために生きているのか。太陽を、河波の反映を、雲を、葡萄酒を、通り過ぎる女たちの微笑を、心から楽しまなくて、どうして生きているといえるのか ──

このような引用は、真実を表しているのでしょうが、現代においては誤っているのでしょうね。こんなことを言ったもんなら、変人扱いされます。

ではグーテナハトです。おやすみなさい。

Tsuji Kunio

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週末に撮った春の空。霞がかかり、冬空にはない、なにか言いたいことがあるような空の色です。黄砂かとも思いましたが気象庁のデータではそうではないみたいです。

 

先週末にも書いた件。

生活の立て直しを進めていて、ようやく先が見えてきた感じがあります。送別会などもほぼほぼ終わり、来年の新しい生活に頭が切り替わってきた気がします。

しかし、生活のための仕事に邁進できるのも、日々、よく食べて、よく飲んで(?)、音楽を聴いて、本を読んで、少なくとも300メートルぐらい泳いで、計画的に、という足腰を鍛える活動を続けているからではないかと思われます。

特に、水泳はいいです。前にも書きましたが、ゆっくりと長めに泳ぐと、規則的な呼吸が禅や瞑想と同じ効果をもたらしている気がします。

うまくいかないことも多々ありますが。特に読書は思うようには進みません。このままでは目標が、危ういかも。

それでこちらを。

春の風駆けて―パリの時
辻 邦生
中央公論社
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なんというか、言葉がないです、

私はまた、辻邦生を理解していない、と強く思いました。もうすこい読み続ける必要を感じています。といいながら、そろそろ読了です。

この「春の風駆けて」の268ページ以降で展開される「小説家は紙と鉛筆があれば、どんなたのしい世界、神秘な世界でも作ることができる」という直感は、常人にはなかなか理解することができないでしょう。

ただその次のこの言葉。

「絶えざるこの世への淡白性、無関心。「夢」にのみ生きて、そこに、ふつうの人が「現実」に感じるのと同じ思い現実感を感じつつ生きる」

という直感は、なにかわかるような気がします。

最近、自分が透明になっていくのを感じていて、それこそがつまり「絶えざるこの世への淡白性、無関心」なのかもしれない、などと思います。

まあ、人に「最近透明になってね」ということをついつい口走ってしまい、ギョッとされるのですが。

以前から書いている「この世を哄笑する」の行き着く先が「透明になる」なのかもしれない、などと思いながら、そうは言っても生活ための仕事は大切ですから、などと思いながら、自宅にて今日も夜更けにアルコールを楽しみながら過ごしました。

ではみなさまもゆっくりお休みください。グーテナハトです。アディオス。

Miscellaneous

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近所のお稲荷様。柵に囲われ、大事にされています。今日は家族と散歩しているときに撮しました。

この一ヶ月、トラブルで徹夜をしたり、送別会に参加したりと、若干消耗している模様。こういう時は、食べて運動して眠るに限ります。

昨夜は、送別会でしゃぶしゃぶ食べ放題でがっつり食べて、今日はゆっくり休みました。午後には近所のプールで少し泳いで、夕食をたっぷりと。

今日はこちら。

クリーヴランド管をマゼールが振った《英雄の生涯》を。今週、セルが振ったクリーヴランド管の音源を幾つか聞いていたましたが、マゼール時代もその音は変わっておらず、さらにマゼールらしいテンポ感が加わっているのがとても興味深かったです。

Lorin Maazel Great Recordings
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というわけで、みなさまどうぞよい週末をお過ごしください。おやすみなさい。

Organ

全く暖かい日々です。今週末まではこのまま暖かく、来週は寒の戻りとのこと。もうコートはいりません。

今日もマルセル・デュプレ。NMLでいろいろと聞いていると本当に面白いです。

今日は《古いノエルによる変奏曲》を聞きました。民謡風のテーマの変奏曲なんですが、いやもう本当に面白くて。不協和音の当て方や、リズムがジャズっぽく、聴きながら、あれれ、と驚いてばかりでした。

パイプオルガンで、ハモンドオルガンのような風情を感じたり。

特に第二変奏は、変拍子で、あれ、これってプログレかウェザーか、みたいな感覚になりました。

Dupre:Organ Works Vol.1
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Youtubeでも聴けます。

というわけで今日もオルガンな1日でした。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハト。アディオス。

Classical

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春が徐々に近づいています。雨が降るたびに暖かくなります。今晩の東京地方は小雨です。徐々に季節が動いていますね。太陽の光も色合いを変えていますし、日没の時間も遅くなり、夕方も明るくなってきました。

さて、忘れられない曲というものは、だれしも持っているわけです。それも、四半世紀以上も忘れられないものとなれば、それは、幼馴染みの友人と同じほどの財産でしょう。

私にとってそうした曲のうちの一つがこの曲。マルセル・デュプレの《行列と連祷》。

1989年に、マイケル・マレイのアルバムがオンエアされ、そこで知りました。高校生の時分。まだソ連があった時代。

Organ at St. Sulpice
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単純な二つの旋律、恐らくは行列と連祷という二つを表しているもの。この二つが最後に融合するという、なんとも言えないものです。

私が最初に聴いたマイケル・マレイのオルガン盤以外に、オーケストラとオルガンの合奏版もあります。

こちらのオケ版も秀逸。

Organ Works
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私がプロデュースした結婚式で新婦入場の音楽に使いました。たおやかな感じで実にいい感じでよかったのではないかと思っています。

今になってこの曲かというと、この曲眠りにつく時の音楽にふさわしいということ。落ちつかない気分もこの曲を聴けば心ほぐされます。

いや、癒しの音楽なんていうものは本来的にはないのかもしれませんが、少なくとも音楽の果たす役割が、彼岸との交信である以上、この曲は間違なく、彼岸との交信の媒介になるものだと思います。

では、みなさま、季節の変わり目ですのでお身体にはお気をつけください。

アディオス。グーテナハトです。

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その後、ご紹介したCDが、四半世紀前に聞いたものと同一ではないことがわかりました。記憶違い。継続調査します。

Classical

Plum tree.

東京地方には春が来ましたね。コートがいらない1日でした。近所の梅もこのように満開です。

今日はこの一枚。

最近、「美しく青きドナウ」が私的テーマになっていまして、そんなこともあり今日はこちらを。

ニュー・イヤー・コンサート2000 ミレニアム
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ムーティーの指揮は高貴で絢爛です。貴族を超えて王族の雄々しさと優雅さ。確かにウィーン的洒脱さというより、太陽の光に照らされた音楽です。

まあ、ムーティーという名前から来る先入観からなのかもしれませんけれど、まあそうなのだと思います。

どんな指揮者を聞いても思いますが、微細なコントロールの難しさというのはすごいものです。統御されたそれは、曲中で一貫したものであり、一秒未満の単位の絶妙さですから。

この録音でもそうした微細なコントロールが、(先日も使った比喩ですが)名画の微細なタッチにも似た繊細さなのでした。

私は最近はあまり絵画は見ませんが、十数年前に随分見に行ったことがあります。名画とそうでない絵を分けるものは、全体の構図といったものよりもむしろ研ぎ澄まされた繊細な注意力が隅々まで行き届いていることではないか、と思うのです。それは特に19世紀以前の絵画において当てはまります。

神は細部に宿る、という言葉がありますが、私は勝手にこのような考えに当てはめてます。

(つうか、普通の企業の仕事で「神は細部に宿る」でやると、破綻します。でも、新人にはあえて最初にそう教えますが)

そういう意味でも、ムーティーの指揮は破綻なく完璧で、国王の音楽だと思います。

でも、もう15年前ですか。早いものです。

今日はこの辺りで。みなさまおやすみなさい。グーテナハトです。

2014/2015シーズン,Giacomo Puccini,NNTT:新国立劇場,Opera

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はじめに

幕がひけた後の新宿です。もうちょっと引くと面白かったのですが、iPhoneの単焦点レンズですと、こんなかんじにしかなりません。まあ、限定されたものの面白みというものがあるのだと思います。

マノン・レスコー、引き続き

歌手勢では、マノンを歌ったスヴェトラ・ヴァッシレヴァがとりわけ印象的です。舞台がキリッとしまりました。

特に、二幕のマノンの悪魔っぷりがいい感じです。あそこは、マノン役の見せ場だと思いますが、本当に濃密で集中したパフォーマンスでした。時を忘れた感じです。

さすがにそれらしい演技です。でも本当の悪魔はそうではないのかも、とも。とにかく、男はアホですな、というのが結論か。経済学は女性のほうが得意なのでしょう。

ヴァッシレッバは低音域も豊かで、重みのあるソプラノです。プッチーニ役が得意とのことですが、ヴェルディの主役級はいけそうです。ヴィオレッタは当然ですが、この方のデズデーモナとか聴いてみたいです。なんか、《ばらの騎士》の元帥夫人とか《カプリッチョ》の伯爵夫人もいけるのでは、とか思ったり。あるいはジークリンデ、とか。本当に綺麗な方です。

第二幕の途中登場のダンサー。男性ダンサーが女性的バレエを踊るという、フランスの頽廃を皮肉ったもの。男性が白粉で顔を真っ白にしているというのもなにか示唆的です。中性化が革命につながる? そういうものなのでしょうか。

終わりに

今日、一緒に飲んだ高校時代の友人。幼稚園に通う娘さんがいるのですが、一言こうおっしゃっていました。

「女の子は女だよ!」

ありがとうございました。今日一番の名言をいただきました。

ではグーテナハトです。

Giacomo Puccini,NNTT:新国立劇場,Opera

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はじめに

今日の新国立劇場の水庭。静謐な水面です。

今日は《マノン・レスコー》。2011年3月にプレミエが予定されていましたが、震災のためゲネプロをやったところで中止となった、という事情のあるプロダクションです。

4年前のブログにもいくつか書いておりました。

https://museum.projectmnh.com/2011/03/14214016.php

https://museum.projectmnh.com/2011/03/20193219.php

日本人にとっては、このプロダクションはなにか感じるものとなります。当時のブログ記事には先行きの見えない不安や悲観が書いてありました。実際には、震災当時八千円だった日経平均は二万円目前まで上がっています。2020年のオリンピック開催も決まりました。しかし、福島第一は引き続き先に見えない修復作業をおこなっており、復興も道半ばです。

そうした中にあって、中止されたこのプロダクションが復活するということは、当時失ったものを一つ取り戻した形になる、ともいえるでしょう。

今日の演奏

それにしても、ピエール・ジョルジョ・モランディの指揮が素晴らしかったです。

この方、元はオーボエ奏者でいらっしゃいます。その後、ムーティのアシスタントになり、バーンスタインや小澤征爾に師事し、 1989年にローマ歌劇場の首席指揮者という経歴を作ったようです。

先日、シノポリの画期性とは? という記事を書きましたが、カラヤン後にあってテンポをうごかした、というところにあるのでは、と思いました。80年代にあの様な演奏はに「戻した」というのが画期的だったのでしょう。

今日ではめずらしくはありませんが、今日の指揮もやはりそうしたテンポを動かしてドラマを際立たせるものでした。特に二幕の最後の駆け上がるような加速とか、極端にテンポを落としてみせるところは、なかなか圧巻でした。

ドラマをきちんと成立させる指揮という意味で、完全な指揮でした。まずはそこがあって、その上で、です。今回はその上もできていましたから。間奏曲の弦の厚みとか、うねるグルーブとか、絶妙なダイナミズムなどは、緻密に行き届いた名画を見るようでした。

さしあたり

今日は一旦ここまで。明日に続きます。

それではおやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

Photo

今日は仕事場の方々と屋形船でもんじゃとお好み焼きをいただきました。いつも仕事場から遠目に眺めているレインボーブリッジは、近くから見ると趣が異なりますね。

ただ、船のスタッフの方が「レインボーブリッジですよー!」と知らせてくれたんですけれど、「いや、見慣れてますんで」とも言えず、みたいな。

もんじゃの写真も撮りましたが、なにか写真でとっても美味しそうには見えないのが不思議ではあります。

もんじゃを1時間半食べて、満腹状態。普通の飲み会だと、料理が少なくてあれれ、と思うこともあるのですが、今回は満足です。

そうそう、今日は、仕事場で楽器を吹いている方と少し立ち話を。シュトラウスのオペラ《カプリッチョ》とか、ウルフ・シルマーの話とか。なかなかリアルでそういう話ができる方がいないので新鮮でした。

《月光の音楽》の譜面に三日月の形が現れている、という情報を教えてもらいました。知らなかったので少々冷や汗。で、電車の中で譜面を見てみたんですが、見つからず。。ネットでも情報がないです。どういうことなのか聞いておかないと。。

先週から、徹夜仕事が何度かあって、少し疲れ気味。立て直さないと。明後日は予定どおりであれば《マノン・レスコー》に行くことになりそうです。

では、グーテナハトです。