Miscellaneous

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今年もあと1時間強で終わり。

本年一年間ありがとうございました。
音楽も聞けず本も読めず全てが思うように進むことのない一年でしたが、いろいろと考えることの多く、振り返ると充実していた年のような気もします。なかなか行く機会のない場所に行ったり、貴重な出会いに恵まれたり。

来る年のことを思うと、また大変な一年になりそうですし、正月休みも気が休まらず、時間が取れないのですが、様々工夫をして乗り越えようと思います。
みなさまもどうか良いお年を。
それではおやすみなさい。

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先日近所で撮った赤松。冬の夕暮れの輝く太陽に照らされて赤く輝いていました。時間は四時過ぎ。

このあと、そばにある図書館へ行ったのですが、閲覧室の窓の外の夕暮れにそびえるこの赤松をじっと眺めいる年配の方がいて、なにか思うこともあり。小説の一シーンのようでした。

まだまだ冬は続きます。

それではよい一日を。

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クリスマスも終わった今日このごろ。次はお正月に向けてまっしぐらです。この写真、クリスマスの夜の写真。画面の右上に恐らくは金星が輝く宵のころ。

この三連休は、静かに暮らしましたが、録画していたガッティがコンセルトヘボウに就任した演奏会のえいぞうを見まして、「ローマの噴水」が素晴らしくて感動しました。緊密と自由のバランスが素晴らしいです。

今週は、いつもと同じ一週間で、大変そう。来年も祝日が土曜日にかぶるケースが多く、お休みの楽しみが少ないようで、残念。

それではみなさま今日もまたお元気にお過ごしください。

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昨年の秋に撮影した空。空気の流れが波打つ雲の文様を作っていて、おそらくは、気象学者なら、三角関数を使ってこの文様を表現できるに違いない、と思いました。

海の波はもちろん、株式相場もやはり波のように動くようですし、もちろん、人間にも世界にもやはりこう言う波の文様があるはずで、そんなことは経験的に分かることなのかもしれませんが、人生に於いてもやはり、いい時もあれば悪い時もあるわけです。

結局は、山あり谷ありの波が、総体的に上向いていれば良いわけで、そうなるように努力すべき、ということなんだと思いましたし、すべてが波だと思えば、悪い時にもなんらか先行きに光を見出せるのでしょうし、良い時も、次の谷間に向けて、謙虚に身を引き締めることができる、というふうに思います。

満員の通勤電車などで、人に揉まれる時、人の動きに会えて委ねた方がうまく行くこともあります。波に逆らっても仕方がないので、まあ、適宜な感じで、波乗りをするのが、うまい人生の過ごし方であるように思いました。

ちなみに、今日は、少し悪い時でした、夜になって持ち直してきました。
なんてことを言いながら、夜更かししている感じ。滅多にない機会でした。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

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やっと冬の極致である冬至になりました。もっとも夜が長い日、だそうです。ただ、日の入りがもっとも早くなるのは、冬至ではなく、12月初め頃からのようです。

東京でいうと、11月28日に16時28分が日の入りとなったのがもっとも早いようですが、12月13日に16時29分となり、今日は16時32分ということで、少し遅くなってきました。

一方、日の出は、東京の場合、来年の元日1月1日に6時51分まで遅くなりますが、1月14日からに6時50分と少しずつ早くなります。

もちろん、東京とは違う場所もあります。根室は、12月上旬には、15時43分に太陽は沈んでしまうのですね。寂しい限りです。

来年の夏至でいうと、東京は19時1分が最長です。待ち遠しいといったらありません。

で、最近思うのは、本当に太陽の光が大好きだ、ということです。仕事場で、眩しいからということでブラインドが下げられてしまうのですが、本当に残念です。人それぞれなので仕方がないのですが。狂ったように太陽の光を浴びて過ごしたいと願い続けています。もちろんこれは人それぞれの好みですが、なんでこんなことになってしまったのでしょうか、というのはよくわかりません。たぶん、ブラインドの下げられた仕事場で仕事をし続けて欲求不満に陥った反動だと思います。

今日はこちら。バレンボイムは得意な方ではありませんが、なんだか全部聴き通したくなりました。今日はパルジファルからローエングリンへと進みました。ちょっと楽しみかも。かつてのワーグナー体験を追体験しています。ああ、オペラも狂ったように浴びるように観て聞きたい、というのも夢です。

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明日は残念ながら東京は雨のようです。少し残念。

それではみなさま、おやすみなさい。

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いろいろとあった一週間でした。なんというか、いつもと違う時間を過ごしましたので、たくさんの気づきを得ました。個人的な気づきもあれば、社会的な気づきも。あるいは未来に向けた展望も。

しかし、やるべきことはなかなか終わらず。

いつかも書いたかも知れませんが、人生を成し得るには、戦略はもちろん、仔細にわたるタスク管理の技術が必要で、特に、偉い方々のように秘書やかばん持ちを持たない個人には、それを一人でやるための工夫が必要です。それができないと、偉い人との差は広がる一方です。うまくやっているつもりですが、まだまだ工夫の余地はありそう。頑張らないと。

今日も明日も良い天気。冒頭の写真は、先日撮った新宿。冬の東京の晴天を「日本晴れ」と表現しているドラマの台詞を聞きましたが、明日も「日本晴れ」のようです。

つれづれですが、今日はこの辺りで。それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Richard Wagner

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夕暮れ。冬晴れの関東の美しさは奇跡的です。雪に閉ざされる冬ではないのがありがたいです。

最近やめられなくなってしまった、こちら。リオバ・ブラウンとペーター・シュナイダーのアルバム。

よく知られているように、歌詞は、当時不倫関係にあったとされているマティルデ・ヴェーゼンドンクによるもので、そうした不倫関係が《トリスタンとイゾルデ》につながったといいます。この歌曲集は、《トリスタンとイゾルデ》の作曲時期と重なっていることで、曲想が非常に似ています。

「ヴァーグナー大事典」によれば、「夢」「温室にて」の2曲が《トリスタンとイゾルデ》を先取りしているそうです。

ですが、私は第4曲「悩みSchmerzen」が《トリスタンとイゾルデ》の和声の感覚にマッチしていると思いまして、繰り返し聴いてしまいました。どんどん続いていく転調めいた旋律が、人間なのかあるいは世界なのかわかりませんが、永遠の流転を表しているように思うのです。音楽というのは本当に恐ろしいものです。世界と直接繋がり、人間の心に直接アクセスしてきますから。

それから、《パルジファル》のクンドリのパートも入っていて、先日も触れたように、こればかりはもうたまらない美しさと悲しさと優しさと妖しさなんでしょう。クンドリはパルジファルを誘惑する際に、この歌の中でパルジファルの母親の記憶をパルジファルに喚起させようとしますが、その妖しさ。母親を使い男を誘惑するという恐ろしさ。ワーグナーは文学と音楽の両面における天才だったということがよくわかります。

なんだか昨今いろいろと世界認識が変わっているのですが、そうした気分になったのもこのアルバムを聴いたからだと思いました。

今朝は早起きでやっと書けました。今日いちにち良い日でありますように。

SF

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)
クラーク
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アーサー・C・クラーク「幼年期の終わり」を読みました。光文社から出ている新訳をKindleで。これは、高校か大学の時に読みたかった本。当時はアシモフは読んでいましたが、クラークは今ひとつ読んでなかったかも。いまさら感ありますが、なにか読んだあとにじわりとくるものが。

ネタバレあるかもしれないですが、これは、喜劇なのか悲劇なのか、という問題。「砂の女」を読んだ時も、やはりそう思いました。オーバーマインドと合一した人類は、果たして滅亡したのか、進化したのか。その割り切れなさ。そして、子供が変やつし去って行くと言う設定。死別でもなく、離別でもなく、変容によると分かれ。この哀しみこそが文学なのだ、と強く思います。

そして、これは未来史小説。歴史と物語が同じものであるということを感じさせます。連綿とした未来史のなかで、運命あるいは必然に抗い決然と生きる人間たちの姿は、例えば、辻邦生「春の戴冠」のフィオレンツァの人々や、「天草の雅歌」の長崎の人々のように思いました。必然の歴史の中で、自我と自由を守ろうとし、あるいは取り戻そうとする人たちを書くこともまた文学だとも思います。

それにしても、この名状しがたい読後感。丁度、日経サイエンスで人類の未来についての記事を読んでいただけに、この先1000年、2000年後の人類を思うと、目がくらみます。こうしたことを考えるのも矢張り文学なんだろうなあと思いました。

一週間終わり。来春はまた別の種類の仕事を一週間。不安は多い。今、帰宅中ですが、家でとりあえずワインを飲みたい気分。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Classical

今日もペーター・シュナイダー。

昨日紹介した音源を繰り返し聴いてしまいました。

ペーター・シュナイダーといえば、もう本当に懐かしい思い出がたくさんある指揮者です。2007年に見た新国立劇場《ばらの騎士》は、私にとって最大のオペラ体験でした。ずっと泣いていたのです。感動して感動して。

そういえば、ドレスデンで見た《カプリッチョ》を振っていたのもやはりペーター・シュナイダー。その頃はまだシュトラウスのオペラを分かったとは言えない状況ではありました。それから、東京フィルを振った《ばらの騎士》組曲の思い出も。新国立劇場で《ローエングリン》もみましたし、インターネットラジオで聞いたバイロイトの《トリスタンとイゾルデ》もやはりペーター・シュナイダー。

しかし、さすがの私もそろそろ記憶が変容してきたようです。今はなにか華々しい記憶ではなく、なにか落ち着いた熟成した記憶へと変化しているような気がします。以降、二回、合計で3回同じプロダクションを見ているということもあるでしょうし。
ただ、圧倒的な祝祭感は、2007年のプロダクションに勝るものは無いなあ、とおもいます。恐らくは、記録映像などを見ても同じ気分を持つのことはないでしょうし、あるいは、同じ気分を持てないという恐れがありますので、記録映像を見ることもないでしょう。こうして、あの記憶は、おそらくは少しずつ変質しながら、わたしのなかに留まり続けていることになりそうです。記憶が愛おしく思える今日このごろ。人生とは記憶ではないか、とも思います。

人生こそ記憶。あるいは記憶こそ人生。それはまるで、歴史こそ実在、と言い換えられるような状況でもあります。

では、おやすみなさい。グーテナハト。

Richard Wagner

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うーむ、なんだか色々ありすぎる毎日で、息をつく暇もありません。毎日書きたいこのブログも、なんだか1種間以上休んでしまいました。でも、今日はこちらを聴いて癒されました。

リオバ・ブラウンの歌うワーグナ。指揮はペーター・シュナイダー。この二人のワーグナーは本当に素晴らしいです。憂愁とタイトルに書きましたが、筆舌に尽くしがたいものがあります。何か、古くて品のある日本家屋が雨にうち濡れているような感じとでもいいましょうか。おそらくはそこには着物の女性がいて、外を見やっているような、そういう感じ。特に、《パルジファル》のクンドリが歌う例の歌は、パルジファルを誘惑する場面でありながらも、そこに品格があるような、そういう世界でした。本当のことがない世界において、ごまかしがきかないこういう世界ばかりだけが真実だなあ、と思いました。

12月に入って冬本番です。みなさまお身体にはお気をつけください。

それではおやすみなさい。