Classical,Richard Strauss

 ラトルが振るばらの騎士を聴いてみたくなって、そういえば、ベルリンフィルのジルヴェスターコンサートでばらの騎士の最後の三重唱をやっていたなあ、と、昔録画したDVDを引っ張り出してきました。

  • 指揮==サイモン・ラトル
  • マルシャリン==カミラ・ニールント
  • オクタヴィアン==マグダレーナ・コジュナ
  • ゾフィー==ラウラ・アイキン
  • ファニナル=デール・デユジング
  • 管弦楽==ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
  • 記録==2006年12月31日・ベルリンフィルハーモニー大ホール

歳とったので、涙腺が緩んでいまして、また感動してしまいます。カミラ・ニールントさんは、2007年5月の新国「ばらの騎士」でもマルシャリンでして、そのときの思い出がよみがえりました。とにかく狂いのないピッチと高音域の美しさは筆舌に尽くしがたいものがあります。オクタヴィアンのマグダレーナ・コジュナさんのオクタヴィアンもすごくて、声質の張りが素晴らしい。サクソフォーンでフラジオ音域が決まった時の心地よさを思い出しました。

ラトルの指揮は、いつものようにダイナミクス・レンジの付け方がかっこうよいです。ああ、ここでここまで音量を落とすんだ、という驚き。クライバーのようなうねるようなダイナミズムではなく、音の強弱の振幅が織りなすダイナミズムと感じました。

それにしても、終幕部の三重唱のすばらしさと言ったら、もう何も言えないです。

American Literature

スタンリー・エリン「カードの館」読了。ヤバイ、面白すぎです。冒険活劇のプロットとしてはありがちなのですが、舞台がパリ、ヴェネツィア、ローマと来ますので、私のツボにぴったりはまりました。

アメリカ人の元ボクサーのレノは、ふとした出来事から、フランスの名門ド・ヴィルモン家に家庭教師として雇われることになった。未亡人アンヌ・ド・ヴィルモンの息子ポールは、わがままでヒステリックな子供だったが、レノの甲斐あって徐々に元気を取り戻すのだが、アンヌはアメリカ人で、アンリ・ド・ヴィルモン大佐の夫人となったが、大佐はアルジェリアでテロの犠牲となったのだ。アンヌは強烈な不安感に苛まれ精神を病んでいた。アンヌはレノに、自分とポールをアメリカに連れて行ってほしいとせがみ、愛情をもつそぶりさえ見せる。アンヌは何かを恐れていた。それは、アンヌの愛人と思しき謎の人物モリヨン博士によるものかと思われた。そしてレノの前任の家庭教師の不可解な死。徐々に紐解かれる謎はレノを窮地に追込み、あらぬ事件の加害者に仕立て上げられてしまう。警察に追われながらド・ヴィルモン家の秘密を暴き、身の潔白を証明するためにベニスへ、ローマへ。

いやあ、「鋼鉄都市」もかなり面白かったですが、この「カードの館」はさらに面白い。映画を見ている気分。実際映画化もされているようで、邦題「非情の切札」という映画なのだそうです。

パリ、ベニス、ローマは、ほんの数日でしたが旅行したことのある町でして、サン=ルイ島の高級住宅街とか、石の岸壁に固められたセーヌ川の様子なんかを思い出すと本当に懐かしいです。ベニスのサンタルチア駅正面から運河に降りるところとか、ローマ広場の立体駐車場の様子、ローマのトレヴィの泉とか、懐かしいです。次にいけるのはいつのことやら。

Tsuji Kunio

今日は辻邦生さんの命日です。没後10年ということになりましょうか。手帳には、10年前の訃報を伝える新聞の切抜きが入っております。あれから10年がたったのか、というほとんど信じられない思いが湧き上がりました。
10年で世の中はすっかり変わりました。ITバブルがあり、9.11があり、アフガニスタンがあり、イラクがあり、リーマンショックがあり……。景気の波も2サイクル回りましたし、私も変わったのだと思います。良い方向に変わっていれば良いのですが。
10年前の秋の「お別れの会」のことも懐かしいです。雨降る高輪プリンスホテルに駆け込んで、会に参列して、辻さんの執筆姿を捉えた白黒写真をいただきましたが、その写真も時間に抗えず変色しています。
歳をとればとるほど時間の流れは累乗的に速くなりますので、次の10年はもっと速そうです。

American Literature

 またまたこれも高校生の時分に読んでいなければならない本。まったくこの年になってお恥ずかしい限りですが、まあ、ブログは私の備忘録とか考えをまとめる場になってしまっているので、こちらにエントリーいたします。

アシモフは、高校時代には読んでおりましたね。ファウンデーション三部作でしたでしょうか。その後80年代に三部作以降のファウンデーションシリーズが書き始められましたが、そこまでは追いかけきれませんでした。アシモフには、長編シリーズとして、この「鋼鉄都市」で始まるロボットシリーズと、「ファウンデーション」で始まるファウンデーションシリーズがありますが、この二つは融合するんですね。ウィキペディアを読むと、ロボットシリーズもきわめて壮大な物語世界を構築しているようで、先を読むのが楽しみになります。

さてこの「鋼鉄都市」ですが、世界観としては、かつて地球から宇宙へ植民していった人々の子孫が宇宙人とし繁栄している一方、地球人達は外殻に囲まれた巨大都市のなかで高い人口密度に耐えながらも何とか生活しているという状況。地球人はロボットを嫌悪している。それはとりもなおさず、人間の就労機会を奪うものであるから。一方宇宙人は、圧倒的な軍事力と科学力で地球人を圧倒している。宇宙人達はロボットを多用している。宇宙人は地球人を啓蒙するために地球と接触しているのだが、地球人はそれを不当な介入と考えている。さて、そんな折に、地球で宇宙人のサートン博士が何者かに殺される。外交問題にも発展しかねない状況にあって、警視総監はロボット嫌いのイライジャ・ベイリに捜査を命じる。ただし、それは宇宙人から派遣されるヒューマノイドロボットのダニールとともに、という条件の下で。

 ロボット三原則をからめたミステリー仕立てで、あっという間に読み終わってしまいました。

美とはなにか、あるいは、美とは、芸術とは、愛とは、神とは? われわれは永遠に未知なるもののふちで足踏みしながら、理解できないものを理解しようとしているのだ。そこが、われわれの人間たる所以なのだ。

人間とロボットの差異を述べ立てるイライジャ・ベイリの言葉。ちと元気になる言葉です。ロボットのダニールの描写が素晴らしいです。ちゃんとロボットしてます。イライジャの葛藤も細かく描かれていますし、(予想しましたが)最後になって明かされる犯人が、どうして犯人たり得たかという理由も実にかっこうよく描かれていました。

ウィキペディアを読んで、続編を読みたい衝動。その前に「カードの館」という本を読んでいますが。

今日も一日シュナイダーさんの「トリスタンとイゾルデ」ばかり。これはもうやみつきです。

Opera,Richard Wagner

 本当なら英語を聞くべき朝の通勤時間ですが、7月25日バイロイトの「トリスタンとイゾルデ」を聴いてしまいました。ついでに昼休みと帰宅時も。第一幕から聴き始めて、第二幕の途中まで。

シュナイダーさんの指揮、素晴らしいです。とにかくテンポの動かし方が絶妙で、こうやったら聴衆が感動して涙を出す、というやり方を心得ていらっしゃる感じです。昨日のブログには「タメ」とか「疾走感」という言葉も使いました。どれも音価に対する並々ならぬ感覚を示していることの現れだと思います。隅々にまで神経を行き渡らせ、手を抜くことなく、演奏している。これは、今年の一月にシュナイダーさんの指揮を聴いたときにも感じたことでした。

 第一幕の最終部では、電車の中でしたが鳥肌の立つような感動を覚えました。シュナイダーさんの魅力にまたもや捕らわれてしまいました。

イゾルデのイレーネ・テオリンさんについては昨日も少し書きました。昨年の新国でトゥーランドットを歌われましたが、あの時の力強さのイメージのままイゾルデを演じられて、私の中のイゾルデ像が少し変わりました。昨日「ビブラートが強い気も」と書いたのですが、聴いていくうちに受容できるようになってきました。あの力強さを支えているものの一つがビブラートの振幅である、と、確信のようなものが生まれました。凄絶なイゾルデだと思います。イレーネ・テオリンさんは、来年の新国リングでブリュンヒルデを歌われます。少し予習している気分です。

さて、今晩のバイロイトは「ラインの黄金」です。ティーレマン登場。ティーレマンもまた玄人的な渋い演奏を聴かせてくれると思います。

Opera,Richard Wagner

 昨夜のバイロイトはシュナイダーさんの振るトリスタンとイゾルデでした。Bayern klassik 4で録音しましたが、ちと手違いはありましたがなんとかiPodに入れました。いまiTuneで聴いていますが、トリスタンとイゾルデがお互い媚薬を飲む瞬間のタメとか、その後の疾走感がたまりません。間違った道へ足を踏み入れてしまう二人が絡み合いながら歌うところ。すごいです。 イレーネ・テオリンさんは強力ですが、ちとビブラートが強い気も。昨年の新国ではトゥーランドットを歌いましたが、あの時の力強さは健在でした。クルヴェナールのユッカ・ラシライネンさんは今年の新国でヴォータンでした。

  • 指揮:ペーター・シュナイダー
  • トリスタン:ロバート・ディーン・スミス
  • イゾルデ:イレーネ・テオリン
  • マルケ王:ローベルト・ホル
  • クルヴェナール:ユッカ・ラシライネン

おそらく再放送があると思います。私も少し録音を失敗しましたので、再放送を狙っています。

今日は祖母の米寿祝で昼間からアルコールでした。おかげで体重がみるみる増えていて、かなりの危機感でして、早く痩せないと隊長に怒られ富士山に登れません。。

今夜のバイロイトは「マイスタージンガー」です。

Opera,Richard Wagner

 本日からバイロイトが開幕。こちらに放送予定がまとめられています。

今夜はペーター・シュナイダー指揮の「トリスタンとイゾルデ」です。ストリーム設定完了。楽しみです。日本時間では、およそ23時頃から放送開始となります。

  • 指揮:ペーター・シュナイダー
  • トリスタン:ロバート・ディーン・スミス
  • イゾルデ:イレーネ・テオリン
  • マルケ王:ローベルト・ホル
  • クルヴェナール:ユッカ・ラシライネン

8月9日にはウェブ中継もあるようです。こちら。14.90ユーロなり。日曜日の夜ですので仕事がある場合は徹夜というわけにも行きませんが、8月10日8月23日までオンデマンドでもみられるようです。

American Literature

 ハインライン「宇宙の戦士」読了。今更何で読んでいるの、みたいな感じ。これは高校生の時分に読むべき本でした。

未来の地球連邦軍の機動歩兵訓練基地に配属された主人公。鬼軍曹と過酷な訓練に耐えて成長していくというある種ビルデゥングスロマン的要素。訓練キャンプを卒業し実戦配属され、困難な任務をこなし、士官学校に入学し、戦い続ける成長の物語。

これって、「魔の山」的な世界観だし、一昨年に読んだ「ケイン号の叛乱」的な世界とも通じる感じ。あるいは、豊田穣氏の「江田島教育」的なものにも相通じる。なので、読んでいて懐かしさすら覚える感じ。

とはいえ、ここに美化されて描かれている 軍事教練がいいのか悪いのか良くわかりません(受けたことがないので)。まあ相当辛そうですが、耐えることに喜びを得るかも。ある種M的嗜好を持っている人は少なくないでしょうし、私にだってM的要素はあるかもしれない。 

 それで思ったのですが、「宇宙の戦士」を読むと、これは実践生活に役立つな、と。会社も軍隊も大して変わらないでしょう。生死をかけるという意味においても同じ。うちの会社、ホワイトカラーの会社なのですが、仕事で命を落とされた方だって何人かはおられるわけです。「ケイン号の叛乱」を読んだときにも同じような感想をこのブログに書いていて、苦笑です。

主人公に課せられる義務や求められる能力のほうが遙かに高くて、私なんて微塵にも及ばないのですが、それでも参考になります。新任士官は先任軍曹の助言を聞くべし、とか、士官がイライラするんじゃねえ!、みたいな。それで、ああ、自分は本当に指揮官むきじゃないなあ、と落ち込むことしばし、でありました。

後書きには、この作品のある種暴力肯定的な部分とか、ファシズム賛美的な部分がいろいろと論議されているというようなことが書かれておりました。wikiにもいろいろ書かれていて面白い。この本がガンダム誕生の遠因なんですねえ。書かれた時代はベトナム戦争に突入しようとする冷戦時代のアメリカですので、社会的意味も大きかったと思います。

ただ、いまこの本を読むと、私にはある種のパロディにも思えてしまうのですが。パロディに思えるのは、「宇宙の戦士」の影響下にあるガンダムなんかをすでに知っているからでしょうか。それから、アンチテーゼとして読めるんじゃないの、みたいな。私は、この本の最終章で、主人公が戦死するか、地球連邦軍が負けるかどちらかだと予想しながら読んだのです。もし、予想通りだったら、最後に0を掛けて、虚無とするという魂胆だろうなあ、と。wikiや後書きを読むとそうではないと言うことが分かるのですが。

 

Jazz

申し訳ありません。今週に入ってからほとんどシャカタクしか聴いておりませぬ。いまさらシャカタクだなんて。でも、この80年代サウンドがたまらないのであります。私も相当歳をとったたものです。

大分と聴いていてわかってきたのは、実はフロントよりもバッキングの安定度が音楽性を支えているということ。特にベースがいい。ジョージ・アンダーソンという方だと思うのですが、郷愁のチョッパーベースがたまらないです。

今年の正月にサークルの後輩に会ったのですが、彼曰く「いまやチョッパーベースなんてダサい」のだそうですが。したがって、もうほとんどナツメロ状態であります。

wikiには、「米国起源のジャズを源流としたアドリブ重視のフュージョンとは一線を画し、旋律や編曲を重視している」とありました。米国のフュージョンがすべてアドリブ重視とも思えませんが、まあ確かにアドリブで押す方は多いかも。ジョージ・ハワードとか、ナジー、カーク・ウェイラムなんかが思い出されます。一方で、リッピントンズとなんてはすばらしい楽曲作りをしています。どちらかというと、シャカタクはリッピントンズ的と思います。

とはいうものの、シャカタクにはリッピントンズにはない、ある種の疵のようなものがありまして、それが逆に開放的な気分にさせてくれます。養殖ものより天然物のブリがおいしいのと同じです。

European Literature

エリック・アンブラー「ディミトリオスの棺」読了。

戦間期(第一次大戦と第二次大戦の間です)のヨーロッパを舞台にした、スパイ小説的要素を持つミステリー。ディミトリオスという国際犯罪者の遺骸に対面した探偵小説作家ラティマーが、「好奇心」からディミトリオスの過去を探ろうとギリシア、ブルガリア、スイス、パリと旅をする。ディミトリオスの過去を知るもの、知らぬもの。思いがけない当事者と出会い、ディミトリオスの最大の謎に迫るラティマー。結末は如何や?

映画化もされているようですね。「仮面の男(1944)」がそれ。登場人物の名前は少し変わっているようです

。 第二次大戦前というまだ19世紀の芳香が漂っている時代の物語でしてモノクロ映画を見ている気分。プロット的には想像の範囲を超えなかったのですが、出版されたのが1939年ですので、当時は斬新だったと思います。ですので、作品の質が悪いということは全くなく、むしろその逆です。

それにしても、現代にプロットの面白さを追及するのは本当に骨の折れることですが、それを実現しておられる方もいらっしゃいますので、すごいことだと思います。

引き続きハインラインの「宇宙の戦士」を読んでいますが、これは若いうちに読んでおくべきでしたね。後悔。 最近「物語の面白さ」を追い求めている感じ。とある本に書いてある「読むべき本」というリストを元に渉猟していますが、手遅れ感もあるなあ。ネット・サーフィンやらなんやらの時間を減らして、あとどれだけストーリーの世界に浸れるか。これはある種生き方の選択の様相を帯びてきました。