Opera,Richard Strauss

まずは、叫び声。ギャー! 昨日は選挙報道に就寝しすぎて、クラシックロイヤルシート、録画し損ねました。ハイティンクのシューマンとブルックナーだったのに……。

さて、気を取り直して。

8月23日夜のクラシックロイヤルシートは、カラヤンの「ばらの騎士」でした。 第三幕のところだけですが、金曜日の夕食中に観終わりました。実に興味深いです。1960年のザルツブルク音楽祭の映像で、モノラル録音です。おそらくはアマゾンで販売されているこのバージョンに間違いないと思います。

まずはカラヤンの若さ。ウィーンフィルを統率するカラヤンは自身がみなぎっています。それから、オットー・エーデルマンのオックス男爵は表情豊かに歌っていて見本のようなイデアールなパフォーマンスです。クルト・モルのオックス男爵がすごく上品に思えてきます。それぐらいオックスのある種の「品位」を巧く出しておられました。すごいですね。

そして私は生まれて初めてシュバルツコップの歌う姿を見ましたですよ。こういう方だったのですね。これももう見本のようなマルシャリンです。衣装もかなりクラシカルでして、なるほど昔はこういう衣装だったのかあ、と。

オケの音量が思ったより押さえられているのでは、と妻が申しまして、そういやあそうだなあ、と。PA使っていないからか、録音の編集でそうした加工がされているのか、というところ。

クラシックロイヤルシート、侮れないですね。

来月は、スカラ座の「ドン・カルロ」、新国の「トゥーランドット」、チューリヒ歌劇場の「カルメン」と、オペラ目白押し。月末はNHK音楽祭2009から、バレンボイム指揮のヴェルディ「レクイエム」。

CDはこの数ヶ月買っていませんが、聴くものはあまたあります。財布が寂しい今日この頃、助かりますです。

Concerto,Ludwig van Beethoven

今日の関東地方は幾分と涼やかになりました。昼食は近所のレストランで食事。外食するのは結構久しぶりでした。昔は、あんなに外食していたのに。外で食事を取らないと行けないときは、店になんて入らずに、軽食で済ませてしまいますので。まあ、家庭を持つと、家の食事が一番になってきますね。ラーメン屋の行列をみても、あまり食指が伸びませぬ。

昨日、ハイティンクのことを書いて、15年ほど前、高校生の頃の記憶がよみがえりました。ふとつけたNHK-FMであまりに刺激的なベートーヴェンの交響曲第四番を聴いた記憶です。それは第三楽章でして、激しく熱い演奏に心が震えました。アナウンサーが告げた演奏家はハイティンクとブレンデルでした。

私はあまりピアノ曲は聴きませんが、そんな中にあってブレンデルの録音にはひとかたならぬ思い出があります。ブレンデルの演奏をたまたま録音したのですが、それはシューマンの「交響的練習曲」と、リストの「巡礼の年第二年イタリア」でした。「交響的練習曲」の疾走感、躍動感、そして「巡礼の年第二年」の瞑想的な静謐さに、年若いからこそかもしれませんが、ずいぶんとのめり込んだ記憶があります。

そのブレンデルの才気が迸り、ハイティンクの明晰で怜悧な指揮だからこそ、ここまでにも興奮を呼び覚ます刺激的な演奏となったのでしょう。初めて聴いたときは、8ビートロックを聴いているのか、と思ったほど。第三楽章を今日改めて聴いてみると、やっぱり凄いのです。緻密で乱れのないリズム、大きな振幅、絶妙なスピードコントロール。F1的とでもいいましょうか。録音は1976年ですので、いまから33年前。うーん、すごい。終幕にいたる高揚感は、最終コーナーを回ったサラブレットがゴールを駆け抜ける気分。

ちょっとこれは聞き込みたい気分です。元気のない時に身を奮い立たせるのにも良さそう。早速iPodに入れましょう。

Richard Strauss,Symphony

 今日の関東地方は、昨日の涼しさが一転し蒸し暑い一日。最近ジムに通い始めました。週末だけですが。90分ほど汗をかきました。心地よい疲労感。ですが、体重が0.5キロ増えてしまいショックです。

さて、昨日から、ハイティンクの「アルプス交響曲」を聴いています。

ハイティンクを初めて聴いたのは中学生の頃でしたでしょうか。ショスタコーヴィチの「バビ・ヤール」を買って、どエライ音楽があるんだなあ、とかなり驚いたのを覚えています。その後、10年ほど前にマーラーを聴いたのですが、当時は、どこか気に入らないところがあって、少々苦手意識を覚えていました。ところが、昨年、「指環」を聴いたところ、これが滅法素晴らしくて、ハイティンクを聴いてみよう、という気持ちが強くなりました。

と言うわけで、先日の小澤盤に続いて、ハイティンク盤を聴いている次第です。

ハイティンクの指揮は、実に鮮明で清々しさを感じます。きわめてクリアな印象。小澤盤のようなねっとりとしたものは感じません。実は結構テンポを動かしていて、疾走感とか、重厚感がきちんと伝わってきます。過剰に抑制した指揮だったような昔の記憶が残っているのですが、そんなことないです。歳とともに感じることが変わってきているのでしょうか。これは愛聴盤になりそうな予感。

アルプス交響曲、実はこの二三年で聴くようになった曲です。中学生の頃にプレヴィン指揮の音源をエアチェックしたのですが、音質が良くなくて印象が悪いままでした。シュトラウスのオペラをよく聴くようになってから、ウェブラジオで聴いて、開眼したような格好です。作曲されたのは1914年から1915年にかけて。「ばらの騎士」を終えて、「ナクソス島のアリアドネ」を作曲していたころと時間が重なるでしょうか。カラヤン盤、ケンペ盤、小澤盤、そして今回のハイティンク盤程度しか聴いていませんが、この数年で好きになった曲の一つです。

それにしても、シュトラスの描写力は凄いです。水の流れや、頂上から眺める景色や、風の音から、鳥の声、牧場の風景、稲妻、何でも聞こえてきますので。

私も、少々ハイキング程度の山登りはしますが、アルプスぐらい急峻な山に登るのは気分が違うでしょうね。私はせいぜい丹沢をかじったぐらいですので。まあ富士山は運が良ければ誰でも登ることができるでしょうけれど。

そう言えば、半年ほど前に、私の家内の友人で、クラシックが好きな方とお話をしたのですが、私が「昔はマーラーが好きでしたが、最近はシュトラウスですねえ」と言うと、「普通逆じゃないですか?」と笑われました。私にしてみると、まあ現実というものは、えてして不条理ですので、せめて音楽を聴くときぐらいは、酔わせて欲しいのだ、というところなのです。なんていいつつ、「ヴォツェック」とか「ルル」も好きですが。そういえば、この半年はマーラー聴いていないなあ……。

 

 

European Literature

 このスパイ小説は、ハードで文学的。内面描写は具象と抽象の間を行ったり来たりして、目がくらむ思いです。

イギリスの情報機関の諜報部員クィラーの活躍は、あまりに生々しく、冷たいリアリズムに背筋が冷たくなります。自動車事故に見せかけてロンドンで殺された同僚の事故現場を離れた直後に記憶を失い、次の瞬間自分も交通事故に見舞われる。要は命を狙われたと言うこと。キーは北京にあるとみて、中国首相の葬儀に参列するイギリス外相の随行員になるのだが、当の外相も爆弾テロで命を奪われる。手がかりを求めて韓国に潜入するが、情報を得る寸前で情報源は殺される。なんという救いのなさ。

著者のアダム・ホールは、ペンネームで、本名はエルンスト・トレヴァーとおっしゃるようで、えらくたくさんのペンネームをお持ちです。

ともかく、終盤は意外な展開で、驚きますし、途中に挟み込まれた悲壮なエピソードも衝撃でした。

とはいえ、キャセイパシフィック航空が金浦空港から平壌への定期便をDC-10で飛ばしている設定が出てくるのですが、そんなことってあったのでしょうか? キャセイはDC-10も保有していなかったようですし……。

American Literature

アシモフの「夜明けのロボット」を読終わりました。先週の木曜日から読み始めまして、最近にしては少し時間がかかりました。これまでのロボットシリーズよりも長くなっているようでして、文庫本だと上下二冊です。私は図書館から借りた単行本を読みました。

今回の事件はショッキングです。ダニールと同じヒューマンフォームロボットであるジャンダーが「殺されて」しまうというもの。ロボット殺しとは、ロボットの頭脳である陽電子コンピュータをフリーズさせる、あるいはデッドロック状態に陥れることです。ロボット三原則がありますよね。

  1. ロボットは人間を傷つけてはならない。
  2. 1.に抵触しない限りにおいてロボットは人間の命令に従わなければならない。
  3. ロボットは上記二項に抵触しない限りにおいて自分のみを守らなければならない。

ロボット殺しは、このロボット三原則といった根本的な命題、定理の三竦み状態のような状態に陥らせることで、ロボットはフリーズし再起不能となるわけです(本当はそんなに単純な話でもないのですが)。ですので、殺人とは少し様相が違います。

今回もファストルフ博士の要請によりイライジャ・ベイリが捜査にあたり、地球から惑星オーロラに向かいます。オーロラは、スペーサー達の中心惑星。オーロラは「夜明け」という意味がありますので、タイトルの「夜明けのロボット」には「オーロラのロボット」という意味を撮ることができます。

今回も、「鋼鉄都市」からおなじみの、ヒューマンフォームロボットのダニールが登場。そして「はだかの太陽」に登場したグラヴィアも。グレディアとイライジャ・ベイリの関係も面白いのですが、グレディアとジャンダーの関係も興味深いです。殺されたヒューマンフォームロボットのジャンダーとグレディアの隠されていた関係とは何か。

捜査に当たる中で、ベイリは宇宙人(スペーサー)達の派閥抗争にも巻き込まれます。銀河を地球人の手で開拓すべきだというファストルフ博士と、開拓はあくまでスペーサーが行うべきであり、人口の少ないスペーサー達自身ではなく、スペーサーと同じ能力を持つヒューマンフォームロボットを量産して開拓に当たらせようというアマディロ博士の対決です。議論の前提としてあるのは、スペーサーたちの人口は制限されており、ロボットを使用した安穏無事故の世界に留まっているがゆえに、開拓といった仕事は不可能である、と言うことがあります。

ベイリは、ファストルフ博士と「鋼鉄都市」の中でこういった問題を議論し、地球人が銀河系開拓に向かえるべく運動に従事するようになっているわけで、派閥抗争はベイリの捜査にも影響してきますし、ベイリの運動にも影響があるわけです。地球人独力では銀河の開拓は出来ないわけで、オーロラなどのスペーサー達の星間連合の協力なくして出来ないわけですから。

ここから先はこたえが書いてあるので、色を変えます。

それにしても、アシモフの本を三冊読みますが、緻密な構成には舌をまきます。犯人らしき人物が判明するのですが、実はそれが違う、とか。ベイリも真犯人であるロボットのジスカルドのことを気づいているのですが、人の心を読み、人の心の操作までも可能なジスカルドが、この物語の中でどのような役割を演じたのか、薄い層となって物語全体に敷衍されていますので、してやられた、という感じです。

というわけでロボットシリーズの三冊を楽しみました。引き続き「ロボットと帝国」を読む予定ですが、その前に読む本が3冊ほどあります。がんばりましょう。

Richard Wagner

2009年1月24日にベルワルトホールで録音された「トリスタンとイゾルデ」第二幕を聴いています。 ニーナ・シュテンメのイゾルデ、ペーター・ザイフェルトのトリスタンです。指揮はダニエル・ハーディングでスウェーデン放送交響楽団の演奏をスウェーデンのラジオから録音した音源を聴いています。

私は、ザイフェルトのトリスタンを始めて聴きましたが、これはすごいです。甘さを兼ね備えたつやのある凛々しい声です。良いですね。ジークムントもお似合いですが、トリスタンもいける。かなりナイーヴな感じのトリスタンです。私はすぐに気に入りました。シュテンメのイゾルデは少し柔らか味を帯びた母性的イゾルデでしょうか。ザイフェルトとシュテンメの声質が大分と違うのでコントラストが面白いですね。

さて、最近の読書状況ですが、アシモフの「夜明けのロボット」を読んでいます。先週の木曜日から読み始めまして、今日読み終わるかどうか、というところ。これまでのロボットシリーズよりも長くなっているようでして、文庫本だと上下二冊です。私は図書館から借りた単行本版を読んでいます。詳しくは明日書けるでしょうか。

仕事がやばい。綱渡り状態。明日が無事な一日でありますように。

Richard Strauss

 なんと、iPodがもう帰ってきました。先週の月曜日の夜に集荷があって、戻ってきたのが木曜日の夜。早い。さすがアップル。金曜日の夜に復旧して、週末からはフルフルに使用しました。うれしいです。

そして、もうひとつ。携帯も壊れちまいました。まだ電源は入るのですが、ヒンジがガタガタで、完全に壊れる前に交換したのですが……。ウチの家族はみんなソフトバンクでして、家族割引があると言うこともあって、やむなくソフトバンクにしているのですが、なんだかんだとあくどいです。料金プラン変更しないと機種変更させてくれないし、制度はわかりにくいし。他のキャリアも同じですかね。携帯はほとんどの人が持たざるを得ない状況にあるわけで、そうした弱みにつけ込まれてしまった感じです。

さて、今日はアルプス交響曲です。カラヤン盤、ケンペ盤をよく聴いていたのですが、小澤盤を先だって入手しましたので聴いております。小澤征爾さんらしいうねりと粘りが感じられます。「頂上」あたりに達したときにそれを強く感じました。おそらくはテンポを緩めるところや、ためるところからそう感じると思うのですが、テンポを落とすと言うところに落ち着くような単純な話しでもなさそうです。

先だってからよくこの場に書いているシュナイダーさんの指揮とは明らかな質の違いがあると感じます。小澤さんの指揮にはある種強い意志のようなものを感じます。なにかをねじ伏せようとするほどの強い力なのですが、シュナイダーさんの指揮はなにか自然に寄り添うようなわき上がる欲求的意志のようなものを感じます。

小澤征爾さんのウィーン国立歌劇場の人気は来年まで。8年つとめたのですが、あっという間でした。私は2003年にウィーンで小澤さんの指揮の「フィガロの結婚」を見ましたが、あの時もやっぱり、粘りようなものを感じました。それがすこし歌手との間に隔たりが生まれていたような気もしました。印象的だったのが、全曲演奏が終わると、指揮台の周りの演奏者達一人一人と握手をして回っていたこと。ものすごく気を遣っていらっしゃるのが分かりました。

ああ、それから、2004年だったと思うのですが、小澤さん指揮の「ボエーム」を浜松まで行って見てきたことがありました。あのときのムゼッタはネトレプコでした! ムゼッタは二幕だけなので、もっと聴きたいと思いましたが。

また是非実演に触れてみたいです。

Opera,Richard Wagner

 

バイロイト「トリスタンとイゾルデ」観ました。すごいですね。もう、キャスト全員がすごくてあっけにとられていました。イレーネ・テオリンの「愛の死」は壮絶で、しばらくは忘れられそうにないです。

そして、この場ではこれまであまり触れていなかったトリスタンを歌ったロベルト・ディーン・スミスもすばらしかったです。正確無比なピッチにヘルデンテノール的純粋無垢な力強さ。そしてブランゲーネのミシェル・ブリートもすばらしい。テオリンに負けない声量とぶれないピッチ、そしてなにより表情や挙措の一つ一つに込められたそこはかとない意味性の表現は映像で観て初めて感じた偉大さです。クルヴェナールのユッカ・ラジライネンもよかったですよ。新国ではヴォータンを歌っていた方ですが、クルヴェナールの苦悩に満ちた役柄をうまく歌っておられました。

演出はやはり60年代的なものでしたでしょうか。いずれの幕も、蛍光灯をうまく使った演出でした。第一幕では丸い蛍光灯が天井で揺れ動き、第二幕では天井の照明がすべて蛍光灯で、スイッチをいれると「M」の字を描いたりする。おそらくはマルケ王のMです。第三幕はトリスタンの病室ですが、古びた壁に蛍光灯が掛けられていて、ジリジリと時々点滅したりする。

この偉大なパフォーマンスを舞台下で支えた最大の立役者がペーター・シュナイダー。私は、もうこの方のワーグナーとシュトラウスにべた惚れ状態です。まだまだ聴いていない音源はたくさんあると思いますが、それでも私はこの方と巡りあったことに感謝します。

今年1月の東京フィルの定期演奏会では半径10メートル以内だったのですねえ、この方と。舞台下最前列でシュナイダーさんの指揮を仰ぎ見ながら涙したのが懐かしいです。

私は、つい1ヶ月前までは、クライバーが振る「トリスタンとイゾルデ」が決定版だ、と思っていたのですが、このシュナイダー版の「トリスタンとイゾルデ」は、クライバー盤に負けず劣らずのすばらしい演奏だと言うことがわかりました。こういう体験がPCとネットを通してできるなんて、本当にいい時代になりました。今後の日本や世界がどうなるかは皆目見当がつきませんが、こうした思い出をもてる時代に生きているのは少なくとも幸せなことだと思います。平和ボケも困りますが、こうして感動を原動力に生きることも大事です。

演奏の模様は、8月26日にNRKラジオで放送予定です。Operacastの特設ページにて詳細をごらんになれます。

Operacastの特設ページから、キャストを以下の通り引用します。 

TRISTAN UND ISOLDE:

  • Conductor Peter Schneider
  • Production Christoph Marthaler
  • Costumes and stage design Anna Viebrock
  • Chorus director Eberhard Friedrich
  • Tristan Robert Dean Smith
  • König Marke Robert Holl
  • Isolde Iréne Theorin
  • Kurwenal Jukka Rasilainen
  • Melot Ralf Lukas
  • Brangäne Michelle Breedt
  • Junger Seemann Clemens Bieber
  • Ein Hirt Arnold Bezuyen
  • Ein Steuermann Martin Snell

Richard Wagner

 

8月910日のバイロイト音楽祭「トリスタンとイゾルデ」のオンデマンド放送を見ています。やっと時間がとれましたので。まずは第一幕の模様を見たのですが、マジですか! これはすばらしい! いやあ、音源だけを聴くのとは本当に違いまして、私はPCの前で鳥肌が立つほど感動しました。

イレーネ・テオリンのイゾルデ、最高です。鬼気迫る演技と強力な歌唱の相乗効果にひれ伏すしかありません。私は新国の「トゥーランドット」でもトゥーランドット姫を歌うイレーネ・テオリンさんを聴きましたが、なにげにトゥーランドット姫の出番は少ないですよね。しかしながら、イゾルデですので、もう第一幕からフルパワー状態で、私は本当に驚きました。それから、かなり強気なイゾルデでして、最後の最後まで全くぶれないです。それが、最終幕でああいう変化をするとは想像できない感じでした。

演出は、おそらくは60年代から70年代的な衣装。品よくまとめられています。

音楽的には、もうこの3週間ほどさんざん聴いていたのですが、ここまで劇と密着しているのだ、ということは映像を見てやっとわかった次第。シュナイダーさんの演奏は、おそらくは劇を影でしっかりと支えるような動きでして、劇の感動が、実は音楽によるものなのだ、ということを後になって気づく、といったような演奏です。

さて、明日は第二幕以降を見る予定です。

Opera,Richard Wagner

今年のバイロイトの「トリスタンとイゾルデ」は最高です。また昨日から今日にかけて聴いてしまいました。イレーネ・テオリンさん、すげー。早く来年の東京リングでテオリンさんのブリュンヒルデを聞きたいです。

そして皆様、8月26日にNRKのウェブラジオで聞くことができますよ。ぜひぜひ聴いてみてください。私ももう一度録音を試みる予定です。くわしくはOperacastの特設ページにて。

それからもうひとつ。23日まで、バイロイトの公式ページで、8月9日のトリスタンとイゾルデの公演の模様を見ることができます。14.90ユーロかかりますけれど。私は昨週末は聞くことができなかったのですが、今週末チャレンジできれば、と思っています。予定的に五分五分かも知れませんけれど。