1992年2月だったか。受験に上京し品川プリンスに泊まった。とにかく寒い頃だった。泊まったのは一番古い棟で、となりの部屋のビジネスマンが見るテレビの音が聞こえるような壁の薄い部屋だったが、ひとりで泊まるホテルに、なにか大人になったような気分を感じたものだ。
もちろん、当時はとにかく辻邦生を読んでいた。受験勉強そっちのけで。むさぶるように呼んだのは、古い新潮文庫『見知らぬ町にて』だったはずだ。『風越峠』や『空の王座』の哀しみに心を打たれていたはずで、『見知らぬ人にて』はまだよくわからなかった。
ホテルには小さな書店があった。新刊の文庫が何冊か書棚に並べられていた。ステンレス製の回転する本棚だったようなかすかな記憶もある。そこに、辻邦生の文庫が置いてあった。肌色の背表紙には『霧の聖マリ』と書かれていた。「聖マリ」という語感に身震いした。殺伐とした受験の中に、なにか、柔らかく、温かみのある、美しい存在が掌のなかに入っているような感覚だった。
辻邦生の書くあとがきには「一九九一年師走 高輪にて」と記されていた。ちょうど品川プリンスの裏手が高輪にあたっていたことを当時の私も知っていた。
なにか運命的な邂逅を果たしたような予感だった。
あれから28年。
バルセロナ、アトランタ、シドニー、アテネ、ロンドン、ペキン、リオ。7つのオリンピックを超えた。そして東京。
その文庫は私の書棚の一番上のよく見えるところに置いてある。
四半世紀を超えた文庫はさすがに変色している。『霧の生命マリ』にはじまる『ある生涯の七つの場所』に属する七冊の文庫のうち何冊かは、糊が剥がれ、ページが外れはじめた。本にも寿命はあるようだ。それでも記憶は残り続けていて、私のなかでは、四半世紀前の、新しいままの『霧の聖マリ』が今でも本棚にあることになっている。
もっとも、殺伐としているのは受験ではなく、この世界だった。この背理の世界で、僅かに在る真実にときおり触れるたびに、まるで薔薇の棘に手をかけたような甘い痛みを感じるのだ。イバラの冠をかぶるとはこういうことなのだろうか。
いつか、おそらくはいくつかの四半世紀を超えたさきの、永遠の眠りにつくときには、願わくばこの本とともに眠りたい。そういえば思うほど愛おしい本だ。それぐらいは許してくれよう。