ショスタコーヴィチ交響曲第10番を聴く

暗い一日。とにかく暗く寒い一日。

と言うのも、なにかどんよりと暗い空。やれやれ。夏の快晴が恋しくてたまりません。

こんな時に聞きたくなるのはやはりショスタコーヴィチ。暗い気分の時には、暗く寄り添ってくれる音楽がありがたいです。ロストロポーヴィチが振る交響曲第10番。Apple Musicで聴いています。

ショスタコーヴィチの交響曲のなかで一番親しんでいるのはこの10番だと思います。第一楽章の沈鬱さが、なにか人間の根源にある苦しみや悩みを代弁しているように思うのです。これも少し前に書いたと思いますが、タレントのマツコ・デラックスさんが、夜中にショスタコーヴィチを聴く、と言う話をされていたのをテレビで観たことがあります。その気持ち、本当によく分かるのです。なにか普遍的な人間というものを描いているなあ、といつもおもいます。

それは、政治犯がただひたすら運河を掘り続けるとか、そういうものだと思います。政治犯はもちろん逃げることは極めて難しいのですが、現代に生きるということも、程度の差はあれ、逃げ場のない苦しみのなかで、もがき苦しむと言うことにおいてはあまり違いはないのではないか、と思うこともあります。

本当はその場を離れるべきなのに、離れることが出来ない、という感覚。それは、目に見えない鎖で手足が縛られていて、ただただスコップで地面に穴を掘り続けている、と言うことのようでもあります。運河が開通するのが先か、あるいは力尽きるのが先か。どちらが先かは運命しか知らない、そういう感覚です。

そんなことをショスタコーヴィチを聴きながら思いました。

今日は、朝から面倒なことがありつつも、午後に少し出張。戻ってまた仕事。風邪をまだ引いていて、最近は微熱が続いているので、電車では座席に座り身体を癒やしていました。秋はつらい。早く夏が来ないかな、と思います。

明日から三連休。仕事のある方も、仕事のない方も、明日は勤労感謝の日です。感謝されたことはあまりありませんが、働くと言うことをかんがえてみても良いのかも。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。