先日書いた「アリスのままで」のエントリーのなかで、最終シーンで語られる挿話について書きました。その挿話の出所がわかり、うれしく思っています。
この挿話は、もともとは劇作家トニー・クシュナーの手によるものとのこと。
私の心を打った最後の部分の原文もありました。
Nothing’s lost forever. In this world, there’s a kind of painful progress. Longing for what we’ve left behind, and dreaming ahead. At least I think that’s so.
永遠に失われるものなどないのだ。たしかに、この世において歩みを進めるということはある意味苦しいもの。過去を恋しく思いながらも、将来に夢を見る。つまるところ、そういうものなのだ。
(私家訳)
永遠というのは、時間を超えて過去にも未来にもあるもの。時間と空間という形式において存在する世界において、その時間の中で歩みを進めると言うことは、戻らぬ過去を振り返りながらも、まだ来ぬ定められた将来を夢見て想像し、あるときは希望を抱きあるときは不安を抱く。瞬間瞬間の時間において生きる私たちにとっては、そうとしか生きられないと言うこと。
記憶を失うということは、過去も未来も失うのだが、つまるところ、今この瞬間を生きると言うこと。過去も未来も我々が創っているものである以上、存在しているのは「今ここ」だけなのではないか。
辻邦生の言う「今ここをに生きる」「今ここに打ち込む」ということが、最近さまざまなところで気づかされます。
10月に入り、いろいろなものが動き始めた気がします。年末に向けて頑張らないと。どんどん涼しくなる季節。どうかお気をつけてお過ごしください。
おやすみなさい。グーテナハトです。