今日は辻邦生の誕生日で、98年目に当たります。生誕100年も間近に迫っています。今思うこととしては、辻邦生が1950年代にヨーロッパに出かけ、フランスだけではなく、ドイツ、イタリア、ギリシアを回ってから70年が経ち、当然時代が変わるということもあるのですが、辻邦生のヨーロッパと今のヨーロッパがパラレルなのではないか、と思うようになったと言うことです。
時間は、直列ではなく、並列なのではないか、という思いです。
5年ほど前に、辻邦生の文章にボーイング727を読んだときに、時代の断絶を感じましたが、それ以降、断絶ではなく並列化だったのかな、と思います。時間は自分を中心に球形を描いているのかも知れず、単に、遠い時間と近い時間があるだけではないか、と。
それは、時間の関連だけではなく、文学的記述も同じだと思います。イマージュという言葉を辻邦生は使いますが、イマージュにも近さと遠さがあって、それも、時間の近さと遠さと同じなのではないか、と思います。
書く者の責務は、世界の真善美に寄与することだとすれば、芸術の一端である文学が、美を語ることは、やはり球形の世界の中に、美を措定することになります。
その美は、必ずしも現実のように、認識主体の近傍にはなかったとしても、現実の美と、近さと遠さという量的差違があるだけであれば、文学の美も、球形の世界を高める力になり得る、と思います。
そのひとつひとつは、ちいさくても、それが集まれば、いつしか、それはパルテノン神殿のような力を持つのかも知れない、そんなことを思います。
世界は、複雑で多様で紆余曲折を辿りながらも、美へと向かっていると思いたいものです。
それでは。