2011/2012シーズン,Giuseppe Verdi,NNTT:新国立劇場,Opera

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行って参りました。新国立劇場「オテロ」。

すごい!

すごすぎでしたよ。。
思えば、新国に通い始めて10年ぐらいになりますが、私の記憶にある上演のなかでトップクラスだと思います。
こんなに濃密に凝縮されたパワーとダイナミズムを持ったパフォーマンスで「開いた口がふさがらない」状態でした。
「開いた口がふさがらない」という用法は、ネガティブな表現なんですが、そうではなく、**本当にすごかった** ということ。
特に第二幕の最後のところ、オテロとイアーゴが歌うところでは、感心しっぱなしで、文字通り開いた口がふさがらなかったのでした。
正直言ってですね、私はヴェルディがどうも苦手です。ですが、ヴェルディもやっと私のほうに振り向いてくれたようです。

キャストの方々

* 指揮:ジャン・レイサム=ケーニック
* 演出:マリオ・マルトーネ
* オテロ:ヴァルテル・フラッカーロ
* デズデーモナ:マリア・ルイジア・ボルシ
* イアーゴ:ミカエル・ババジャニアン
* ロドヴィーコ:松位浩
* カッシオ:小原啓楼
* エミーリア:清水華澄
* 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

オテロのフラッカーロ

新国でフラッカーロを聴くのは三度目です。「トゥーランドット」のカラフと、「トロヴァトーレ」のマンリーコです。
私の中では、フラッカーロの声のイメージは少し軽快な感じで、たぶんカラフとかロドルフォとか、ちょっと若い感じの男が似合うと思っていました。ドスの効いたオテロはどうだろう、と楽しみにしていたのですが、厚みのある声と素晴らしいオテロでした。
歌い方もすこし豪放な感じでした。あえて音程をずらしたりする巧さがあったと思います。そうすることで、荒々しいオテロの心情をうまく表現していたように思いました。

デズデーモナのマリア・ルイジア・ボルシ。

昨年5月に新国立劇場「コジ・ファン・トゥッテ」でフィオルディリージを歌っていた方です。キャスト変更で昨週末から練習に加わったそうで、先週から大変だったようなのですが。。
すごかった!
演技、抜群です。ボルシは、昨年の「コジ」の時は、女子学生的なノリの演出だったので、少し子供っぽさ、あどけなさが残る演技が光りましたが、今回は、大人の女性でした。
途中から練習に加わったというハンディを感じさせない堂堂たるデズデーモナでした。スタッフの方々のご苦労もあったのだと思いますが、十分すぎる素晴らしさ。
歌のほうも、豊かな声で、高音から中音にかけての滑らかさは素晴らしいかったです。
第三幕のオテロとの対決の場面、硬軟織り交ぜて、デズデーモナの芯の強さから、悲しみにうちひしがれる心を巧みに表現してました。オテロの指弾をはねのけるところのあの高音のすさまじさは、デズデーモナその人でした。
第四幕の柳の歌も泣けたなあ。凝縮された時間でした。
前半、若干のピッチの揺れが感じられたのですが、第四幕にもなると収束していて、余裕で歌っている感じ。
この方のミミとかトスカもすごいんだろうなあ、と思います。

イアーゴのババジャニアン。

ブラヴォーです。
性格俳優的演技で狡猾なイアーゴを見事に演じていました。もちろん歌も最高。豊かな声と強烈なパワーで、イアーゴのねじまがった執念を発露させていました。
第二幕最後のオテロとの二重唱は凄かったなあ。あのとき、ふいにオペラ全体を直観しているような感覚を持ちました。おそらくこれは至高体験の一つで、西田幾多郎の「純粋経験」のようなものだと思います。それほど、パフォーマンスに私が入り込むことが出来たと言うことだと思います。
それから、どうにもババジャニアンが途中から「トスカ」のスカルピアに見えてきて仕方がありませんでした。絶対スカルピアも巧いはず!
あとですね、イアーゴの企み通りに物事が進むと、頭を右側に傾けるんですね。意図してやっておられる演技なのか分かりませんが、この「傾き」の動作を何度かやっておられて、イアーゴの悪事を楽しんでいるかのような不気味な心持ちがよく洗われていたのです。
掛け値のない拍手を贈りたいです。

合唱のこと

今日もすごかった。先日の「さまよえるオランダ人」の時も、なんだかパワーが炸裂していましたが、今日も激しかった。第一幕の冒頭は、嵐の場面、オテロの帰還の場面、決闘の場面と合唱の見せ場が続きますが、パワーがすごい! 
オケと合唱が張り合ってグイグイ高みに登っていく感じです。なんでこうなっているんでしょうか。
私の感じ方がかわったからなのか。でも、合掌がすごいという意見は、他にもあるようですから多分そうなんだと思います。

指揮者のレイサム=ケーニックとオケのこと

指揮はレイサム=ケーニク。
今日はオケの仕上がりがいつもより良かったし、は気合いが入っていたと思います。音が違いました。
ビビッドでクリアでダイナミック。
いつもより「縦の線」がよく見えたと思います。金管群も調子よかったかなあ、と。指揮者によってずいぶん変わるのかなあ、などと。
これは、昨年の秋に「サロメ」を観たときにも思ったことです。
あとは、うねりがすごい。微妙な音量のコントロールが素晴らしかったのです。オケを派手に動かすような演奏ではなかったと思います。
ですが、私の考えでは、オペラにおけるオケは、その存在感を消すぐらいがいいのではないかなあ、と。
後から思うと、オケがきちんと土台を押さえているから、全体のパフォーマンスが素晴らしい、というぐらいがいいのではないかなあ、と。
そう言う意味でも、レイサム=ケーニクはすごかった。
妙にテンポを遅らせてタメを作るようなこともないし、テンポを速めるようなこともしない。ですが、絶妙なところを付いてくるんですね。
ただ、その棒はかなり激しいように思いました。阿修羅のような激しさが合った気がします。盛り上がると立ち上がってましたし。。
あとは、左手の指をクイクイっと動かして、もっとコントラバス頂戴、とか、フラッカーロにばっちり合図出したりとか、細かいところまで行き届いているように見えました。 

日本人キャストの方々

エミーリアを歌われた清水さんも凄かったなあ。最終場面のオテロとの緊迫したところ、十二分にフラッカーロと張り合ってました。カッシオの小原さんも丹念に歌っておられました。

最後に

今日のカーテンコールも凄かったです。合唱へむけられた拍手も先日の「さまよえるオランダ人」の時のようでしたし、ババジャニアン、ボルシ、フラッカーロへの拍手と怒号のようなブラヴォーが凄かったです。
ああいうとき、空間を共有できる劇場は素晴らしいなあ、と思います。
フラッカーロにはもしかしてブーイング出てましたかね? 気のせいだと思いますし、私は絶対にブラヴォーのほうに与します。
本当に日本のカンパニーがこうしたパフォーマンスをビルトアップできるというのは素晴らしいことだと思います。
今回もたくさんパワーを貰いました。ありがとうございます。
いろいろ逆風も吹いているなかですが、今後も新国に期待していきます。

2011/2012シーズン,Giuseppe Verdi,NNTT:新国立劇場,Opera

先ほど新国立劇場からメールが来ました。

デズデーモナ役で出演を予定していたマリーナ・ポプラフスカヤは、健康上の理由のため出演できなくなりました。
代わって、マリア・ルイジア・ボルシが 出演いたします

“http://www.nntt.jac.go.jp/release/updata/20001926.html":http://www.nntt.jac.go.jp/release/updata/20001926.html
ポプラフスカヤは、先日届いた「ジ・アトレ」にインタビユーが載っていたりと、楽しみにしていたのですが、残念ながらキャンセルです。
代わりにいらっしゃるのがマリア・ルイジア・ボルシ。あの楽しかった昨年の「コジ」でフィオルディリージを歌っていたのがマリア・ルイジア・ボルジ。安定した歌唱だったと思います。
これから、アンサンブルに合流されるマリア・ルイジア・ボルシさんや劇場スタッフの方々は、大変だと思います。どうかがんばってください。応援しています。
私も、最近オテロに目覚めてますので、今回のパフォーマンスに期待大です。今日もデル・モナコで予習中です。

Giuseppe Verdi,Opera

ヴェルディに開眼したかもしれない。

私にとって、苦手な分野だったヴェルディのオペラ。ですが、ようやく理解できるようになってきたのかもしれないです。
そう思えたのは、このCDを聴いたから。デル・モナコがオテロを歌った、カラヤン盤です。

4月に新国立劇場でオテロがあるので、予習しないとなあ、と、CD入れて、聴いたとたんに、たまげました。
こんなに格好良かったでしたっけ? みたいな。
私は、ヴェルディのあまりに素直なフレージングに戸惑うことが多かったのです。調性を外すことなく、なんだか純朴なフレーズに終始しているような。
ところが、今回は、それよりもサウンドのすばらしさに筆舌を尽くしがたい感動を覚えました。

理由は?

デル・モナコの超人的なトランペットヴォイスも当然のごとくすばらしい。実演だと卒倒するぐらい何だろうなあ。
カラヤンの音作りもいいです。冒頭からみなぎる緊迫感です。カラヤンらしくテンポをあまり動かさずに、ダイナミクスを鋭く作っていくあたりはさすがです。
ですが、一番大きな理由は、私の音楽聴取環境が変わったからなのだろうなあ、と考えています。
私のオーディオ、ONKYOのコンポなんですが、これまで10年間は死蔵して全く使っていませんでした。聴くのはもっぱらiPodで通勤時間だけという感じ。
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ですが、今年の夏に引っ越したのを機にオークションでスピーカーを仕入れて、オーディオで聴くようになって、新たな発見が続いています。
冒頭の爆発的な音響などは、ヘッドフォンで聴くのと比べると、当然ですがオーディオで聴かないと本当の意味がわかりませんでした。金管の煌めきとか、バスドラムの地響きなどは格別です。歌手の声も、奥行きがあるように聞こえます。
もっとも、オーディオに対する評価は、きわめて主観的ですので、私の感想はあくまで、特殊なものだとは思いますけれど。

当たり前のことですが

オテロに開眼したのも、オーディオで聴くようになって、カラヤン盤オテロのポテンシャルを私がようやく認識できたからだとおもいます。
あとは、夏はどうするかなあ。私の部屋にはまだ冷房がないのですよ。。この音量で窓あけて聴けないなあ。
音楽は奥深い。どれ一つとして手を抜けないです。もちろん時間と経済問題の損益分岐点を探るわけで、絶対的な解はないのですが、ベストを尽くさなければならない、と思います。

Giuseppe Verdi,Opera

とうとう新国の2008/2009年シーズンも終わり、オペラ的にはシーズンオフ。「修善寺物語」にはいけなかったのが口惜しいところですが。

今回のシーズンで一番すごかったのは、やっぱり「ワルキューレ」でしょうか。意外だったのは、これまで苦手としていたロッシーニ作品を楽しめたことでしょうか。「チェネレントラ」はすさまじかったです。

2009/2010年シーズンは新国11年目のシーズンです。舞台裏では新国も色々あるみたいですが、より一層すさまじい舞台を見せてほしいです。

ということで、2009年シーズンの冒頭を飾る「オテロ」を予習中。「オテロ」はたしか2002/2003年シーズンで演奏されたかと思います。でも、あの頃の私は、まだ「アイーダ」も知らず、「カプリッチョ」にも出会っていなく、「指環」も知らない赤子でした。まあいまも青二才ですが。

デズデーーモナは、ノルマ・ファンティーニさん。この方、凄いと言う噂をよく聞きますし、新国にも何度もいらしているはずなのですが、実演は今回が初めてです。楽しみ。イアーゴは、ルチオ・ガッロさん。「西部の娘」、「ドン・ジョヴァンニ」でおなじみ。今回も渋い歌声を聞かせてくれそう。

とはいえ、数年前からiPodに入っている、カラヤン&デル・モナコの「オテロ」を予習に、と聴いてみると……、マジですか! これはすごい曲で、すごい演奏だ、ということに気づきました。お恥ずかしい限り。デル・モナコのトランペット・ボイスはiPod+Quiet Comfort2で聴いてもすばらしい。ヴェルディの分厚く圧倒的なオーケストレーションが激しい音圧となって迫ってくるのには、会社の昼休みであることを忘れてしまうぐらい。すごいなあ、カラヤン。

実演が楽しみです。

Giuseppe Verdi,Opera

 

新国立劇場2008/2009シーズン第二弾「リゴレット」にいって参りました。連休の最終日ということもあって、少々疲れ気味でしたが、何とかいくことができました。よかったですよ。

リゴレット役のバリトン、ラード・アタネッリさんと、ジルダ役のソプラノ、アニック・マッシスさんがすばらしかったです。アッタネッリさんの声は、艶のある光を帯びた豊かな声で、聴いたとたんに心を奪われました。マッシスさんも、安定したピッチコントロールを見せてくれた技巧的な声です。ハイトーンはかなりの迫力。このお二方の歌については終始安心して聴いていることができました。

マントヴァ侯爵はといえば、初っぱなでオケとピッチが全くあっていなくて、気持ちの悪い思いをしましたが、そのその後修正してきました。ただ、マントヴァ侯爵といえば、私が予習で聴いていたパヴァロッティの完成された歌の印象が強すぎて、少々物足りなさを感じてしまいます。

オケの方はといえば、先月聴いた「トゥーランドット」の強烈な印象に比べて、少々おとなしい印象。指揮のダニエレ・カッレガーリさんは、部分的には若干粘っこい感じもだしていましたが、全体的には割と淡泊な感じにまとめていた印象です。

演出の方は台本に忠実なオーソドックスな演出で、奇を衒うようなことは全くなし。それはそれでいいのですが、すこし野心的な演出もみてみたかったなあ、と、少々身勝手な感想。思えばオペラ公演に出向いたのも今日で51回目となります。そろそろ演出的なおもしろさを理解できる準備ができてきたというところでしょうか。

しかし、この作品、救いがないですね。ジルダの脳天気ともいえる人の良さって、いったい何? などと考えてしまいます。マントヴァ侯爵に辱めを受け、裏切られたというのに、それでも愛情を持ち続け、身代わりになって自分の命までも差し出すだなんて、なかなかできることではありません。ジルダはほとんどキリスト的存在と言っても過言ではない。人間の猥雑な欲望や野心などとは全く無縁でただただキリストの教えのみに接していたから、キリスト教的自己犠牲を体現できたのでしょう。なにはともあれ、おそらくはリゴレットの命で教会に行く以外は家に引きこもっていたというのも原因の一つ。自業自得の感もあります。かわいい子には旅をさせよ、というところでしょうか。

ともかく、陰惨な救済のない人間劇で、ただただ絶望するのみ。この後もきっとリゴレットは復讐の鬼となってしまうのでしょう。ジルダがリゴレットを諫める場面がありましたが、あるべき姿は憎悪の連鎖を断ち切るということ。そうでないと復讐が復讐を呼ぶ無限地獄へと堕ちてしまいますから。

さて、新国立劇場も、初めて訪れた6年前とくらべていろいろと変化があります。「オペラパレス」という愛称を前面に押し出すようになったのはこの2,3年のことでしょう。 

 

 

 

次回は12月のドン・ジョヴァンニ。その前に11月23日にオペラトークを聞きに行きます。 また一ヶ月後が楽しみです。

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忙しくて疲れていると、ついつい音楽を流して聴いてしまう感じがします。それから、聴く音楽も少々ビートのきついジャズなどに傾き始める感じも。とはいえ、徐々に落ち着いてきましたので、今週に入ってから少しずつアクティブにクラシックを聴けるようになってきました。

11月3日は新国立劇場でヴェルディの「リゴレット」を聴きます。数ヶ月前にパヴァロッティがマントヴァ公爵を歌う盤を聞いていたく感動しまして、はじめてヴェルディに入っていけた! という感動を覚えました。その後カラヤン盤の「アイーダ」を聞き込んで、さらに「アイーダ」の世界にも入っていけまして、ヴェルディへの苦手意識が徐々に解けていったのがうれしかったのでした。 それで、いよいよリゴレットまで日が迫ってきたということで、(昨日まで聞いていた「神々の黄昏」を途中でやめて)リゴレットを再び聴いています。

キャストですが、リゴレットがシェリル・ミルンスさん、マントヴァ公爵がルチアーノ・パヴァロッティ氏、ジルダがジョーン・サザーランドさん。指揮はリチャード・ボニング氏。

やはりパヴァロッティはすごいです。張りがあって劇的な迫力に満ち溢れた声に心が動かされないわけはありません。会社の昼休みに聴いていたのですが、しばしわれを忘れて感動しておりました。

ミルンスさんのリゴレットの性格表現が激しく的確ですばらしいです。ボニングさんの指揮もいいですよ。劇的なヴェルディ世界をたっぷりと堪能させてくれます。

本当は、家にあるDVDを見ようと思っていたのですが、土曜日に見る時間をとることができるかどうか……。今週末は幸い連休なのですが、いろいろあって少々忙しいのです。なんとか見る時間を見つけることにいたしましょう。

Giuseppe Verdi,Opera

先日から隙間時間で少しずつ見ていた「アイーダ」のDVD。ようやく完了です。音楽を聴いてかなり覚え込むと、映像をみるととても愉しめます。

マゼールの指揮はキリッとしている。盛上げるところはテンポを上げてダイナミクスをつけています。まあ、オケや歌手が追随できていないところもありました。それから、第二幕の第一場で少々オケが乱れるところも。カラヤン盤でもやはり少々リズムが揺れるところなので難しいのだと思いますが。裏と表の拍節の取り方が難しいところなのです。ライヴですし仕方がないと思います。ですのでご愛敬です。全体的に割合に濃密な音作りだと思いました。

ラダメスのパヴァロッティは絶好調。張りがあって威力ある歌声はすさまじい。アイーダを歌うマリア・キアーラさんも健闘。アムネリスを歌うゲーナ・ディミトローヴァさんは、悪役なのか味方なのかよく分からないアムネリスの難しい役回りをうまくこなしていましたが、演出の都合もあるのでしょうけれど、もう少しナイーヴなアムネリスも見てみたいなあ、という感想も。

やはり第四幕の前半はアムネリスが悲劇のヒロイン的な状況で、アイーダの悲劇的状況も相俟って見ると、ラダメスよ、しっかりせよ、と言いたくなりました。二人の女性を死に追いやったり絶望の淵に立たせたり、とラダメスはなかなかに女泣かせな男なのです。自分への真偽を貫くのはいいのですが。

アイーダはプロットしてもとても面白いので、いろいろ翻案してみると面白そうです。

今回、アイーダをむさぼるように聞いたおかげで、ヴェルディのオペラが面白くなりました。やはり理解できない楽曲であっても、諦めずに聞き込むと面白くなってきます。この調子で、ヴェルディの他のオペラ群も楽しめるようになれるといいなあ、と思います。

 

  • 作曲==ジュゼッペ・ヴェルディ
  • 指揮者==ロリン・マゼール
  • 管弦楽==ミラノ・スカラ座管弦楽団
  • 合唱==ミラノ・スカラ座合唱団
  • アイーダ==ソプラノ==マリア・キアーラ
  • ラダメス==テノール==フェルナンド・パヴァロッティ
  • アムネリス==ソプラノ==ゲーナ・ディミトローヴァ
  • アモナスロ==バリトン==フアン・ポンス
  • ランフィス==バス==ニコライ・ギャウロフ

Giuseppe Verdi

痩せるために、昼休みに会社の敷地を2,30分ほど散歩しています。竹林を通ったり、広葉樹の林をぬけたり、となかなかバラエティに富んだコース。竹林では筍がどんどん大きくなっていてびっくりしますし、下草に混ざってタンポポが咲きほこっていたり。良い気分転換ですね。あと二日で何とか休日に到達。来週から徐々にGWですが、仕事も気合いを入れねば休むに休めません。頑張りましょう。

昨日はシュトラウスの「死と変容」を聴いたりしていましたが、頂いたコメントに触発されて、「オテロ」を聴いてみようと決心。オテロも数年前に新国立劇場で見ていたはずなのですが、なかなか理解できずにいましたが、先日来ヴェルディが身体にしみわたる経験をしているので、今度は楽しめそうな予感がしています。とりあえず第一幕から聴き始めました。カラヤン指揮、デル・モナコ、テバルディ、プロッティといった面々。カラヤンの指揮はテンポは中庸で余り動かさない感じ。デル・モナコの登場はあまりに格好が良すぎる。すごいなあ。しばらく「オテロ」を聞き込もうと思います。

Giuseppe Verdi,Opera

昨日は更新できず。無念です。ちょいと忙しいと思ったらこれですからいけません。気合いを入れていきましょう。

現実社会でも凄惨な事件もありますが、オペラの世界もそうした事件は盛りだくさんでして、先日もご紹介した、リゴレットもあらすじを読むだけで、腹立たしくなってしまいます。

一番腹立たしいのは、リゴレットがマントヴァ公爵の遺体が入っている袋を捨ててやろう、と思ったその時に、マントヴァ公爵が脳天気に『女心の歌』を歌いながら去っていくところ。虫の息の愛娘が袋に入っていることの気づくのです。ライナー読んでいなくても、イタリア語が分からなくても、リゴレットの無念さがよく分かります。あり得ないぐらい悲痛な話です。

しかし、リゴレットの娘のジルダもあまりに脳天気というか世間を知らないというか……。やはり箱入り娘はいかんですよ。ある程度は世間の毒に免疫をつけておかなければ、というところですね。

先日も書いたのですが、オペラをまじめに聴き始めてそんなに日は経っていないのですが、ようやくヴェルディの偉大さが分かってきた気がします。このCDのおかげ、あるいはパヴァロッティのおかげだと思います。パヴァロッティの素晴らしさを改めて思い知ったのも今年になってから。だから音楽を聴くのはやめられません。通勤時間に音楽聴いて本を読むのがしあわせだなあ、と思う今日この頃です。

まあ、音楽を聴けるのも、仕事があるおかげ。がんばりましょう。