Concert,Gustav Mahler,Symphony

はじめに

ご無沙汰しておりますが、ちゃんと生きております。
今年に入っていろいろありまして、わりと忙しい感じになってきましたし、会社のオフィスも関東西部から東京湾岸に移りました。前にも書きましたが。。
それにともない、転居してと、まあ、目の回るようなこの数ヶ月です。ですが、これからもっと目が回ると思われる。がんばろう。
で、忙しいとはいえ、仕事ばかりしているとあまりよろしくないと言うことなので、輪番休業日を利用してサントリーホールでマーラーを聴いてきました。こちらも、いつもお世話になっている先生とのご縁で行くことが出来た次第で、本当に感謝しております。

報告

先生に書いたメールをもとに、書いてみると……。
指揮は、フィンランドの俊英であるピエタリ・インキネン氏。聴くのは初めてでしたが、スタイリッシュで筋肉質、鋭敏で明快な指揮で、スポーツカーに乗っているかのような心地よさがありました。オケをしっかり統制している感じです。
一番驚いたのは、第一楽章最終部分で、あそこだけ、他の部分よりも遙かに早い超絶テンポで演奏したところです。日フィルメンバーもきちんと追随していたように思えました。前から二列目ということで、日フィルの方の気迫に恐れ入りました。
あとは、コンミスの江口さんのヴァイオリンソロが格別でした。音が引き締まりながらも柔らかみを帯びた演奏で、以前もいただいたチケット「ツァラトゥストラ」の時と同じく感動しました。
今回も、サントリーホールの前列方面で、大変な贅沢でした。いつも思うのですが、前列の席は、指揮者や弦楽器奏者の息づかいや表情がよく見えるので、感情移入してしまうことが多いです。
曲中、オケの方々は本当に真剣で、当然ですが笑うことすらしないんですが、曲が終わって得、音がサントリーホールの天井ではじけ飛んだ瞬間、オケのメンバーの顔が一転晴れやかになって、充実の笑顔を見せたのが印象的でした。
そこからは大盛り上がりで、オケのメンバーもお互いをほめ合っていた気がします。前の列ですので、木管や金管の方々が見えなかったんですが、そのなかでも木管の若い男の方が、指揮者に指名されて立ち上がって拍手を浴びたとき、感極まって泣いていたようにみえたのが印象的でした。
この曲、本当に大変な曲だなあ、と思います。

楽曲について思ったこと

この曲は、大自然を描写したもので、マーラーが、ブルノ・ワルターに、自然の風景を見る必要はない、なぜなら、すべて私が楽譜にしたのだから、等と言った、というのは有名な話のようです。
そういうこともあって、鳥のさえずりが聞こえたり、沸きたつ雲が見えたり、断崖絶壁が見えたりします。
で、それが徐々に変質していく。第三楽章で、舞台裏から聞こえるトランペットは、ララバイか、あるいは羊に帰営を促すメロディーなのか。で、最後には、もうこれは帰営ラッパとしか思えないようなトランペットの旋律が聞こえてきます。
第四楽章で、アルトが入ってくるあたりから、これはもう自然賛美を超越してしまう。おそらくは日が暮れて夜も更け、思索に耽り始めて登場する妄念や観念が飛び交う時間。
第五楽章になると、ほとんど夢幻の世界になってしまう。女声合唱および児童合唱と、アルト独唱は対立しっぱなしです。完全に精神が分裂していてほとんど二重人格状態。
ミクスチャ多様性は、色んな音楽に見られるものですが、その中でもマーラーの音楽においては、その断絶が激しい気がします。世の中は多様で相反する様々なものが蠢く複雑怪奇なものですが、それがそのまま反映している気がするのです。

おわりに

というわけで、私の今シーズンの幕開けは素晴らしいものでした。このシーズンも忙しいですが合間をぬって、いろいろ聞いていきたいと思います。

Concert

はじめに

暑い夏。昨日も今日も。でもこれからが本番です。頑張ろう。
昨日もまた横浜みなとみらいホールにて日本フィルハーモニー管弦楽団の横浜定期演奏会へ行ってきました。
曲目は以下の通りです。
* ドビュッシー(ビュセール編曲):「小組曲」
* カントルーブ「オーベルニュの歌」
* ホルスト「惑星」

オーベルニュの歌

私は、この曲を本当に楽しみにしていました。ケント・ナガノとドーン・アップショウのCDを聴いて、本当にいいなあ、と。
二曲目の「3つのブーレ」では、初っぱなから感激して独りで苦笑しました。大人が真面目に「遊んだり」、「演じたり」する姿に感動するといういつものパターン。
谷村さんの歌声は、少しメゾの入った深みのあるソプラノで、味わい深いもの。谷村さん、京都のご出身で、幕が引けた後のパーティーでは、関西のイントネーションで話しておられて、私は高校時代には北摂地方に住んでいましたから、本当に懐かしい気分でした。
“7月1日の記事にも書いています。":https://museum.projectmnh.com/2011/07/01220504.php

惑星

次は惑星。実は実演に触れるのは初めて。まったくすごい曲です。
前半のカントルーブもそうでしたが、ホルストも拍節が難しい曲だなあ、と思います。
二つとも途中で拍子がめまぐるしく変わるように聞こえますし、二拍三連なんてざらです。《火星》は五拍子ですし。
最悪(?)なのは、《木星》の最初の弦楽器と木管のパターンは、3音の旋律が4拍子の中に入れ子になっていて、パートによって微妙にずれるという、私にとっては悪夢のような譜面です。
昔、頭の切れる理系の諸先輩とやっていたバンドで、このたぐいのことをさんざんやりましたが、どうやら私には才能がなかったらしく、巧くできなかった苦い記憶があります。もちろんプロの方にとっては、朝飯前なんでしょうけれど。
特筆すべきところですが、《火星》ではテンポは落とし気味ながらも、最高潮では、オケのフルパワーを最前席で感じることができて、大満足です。のけぞりました。《土星》の最高潮部分もすごかったなあ。個人的にはこれがみなとみらいサウンドだなあ、と思います。満喫しました。

みなとみらいの音

そうそう。昨日ははホールの中をじっくり眺めてみました。1階席の壁は木製ですが、2階席以上は硬質な材質のようでした。やっぱり響きは素晴らしい。特に前半「オーベルニュの歌」で、オーボエとクラリネットのソロがありました。もちろん演奏された方の力量あってのものですが、あそこの絶妙なリヴァーヴ感と倍音をたくさん含んだ豊かな音は素晴らしかったです。演奏とホールが一体となった素晴らしさでした。

パーティがありました

演奏会終了後、シーズンのファイナルパーティーということで、ロビーでビールやソフトドリンクが振る舞われました。私もビールを頂戴しました。ありがとうございます。
!https://lh5.googleusercontent.com/-R7JG4urAodg/ThBkDf8rRxI/AAAAAAAAFR8/_0s8MMAGdpU/s144/%2525E5%252586%252599%2525E7%25259C%25259F.JPG!
広上さんや谷村さんが登壇して、いろいろお話しされたり、室内楽が演奏されたり。
ビールは美味しいですが、少し酔っぱらいました。。
日本フィル、暖かみのあるアットホームな雰囲気でいい感じです。おかげで、また1週間がんばれそうです。
そうかあ、来週の週末は、日フィルはサントリーホールで定期演奏会。指揮は広上さんで、シュトラウスのばらの騎士組曲。シュトラウス聴いてみたいが、来週末は出勤ですorz。

Concert

始めに

いよいよ熱くなってきました。我が社も節電対策に力を入れており、昼間は、事務室の照明を全部落として、個人に配布されたLEDライトスタンドをつけて仕事をしています。今日は故あって早めに帰宅しています。正午頃はずいぶん熱かったのですが、今は少し風邪も出始めていて、暑さも和らいでいる感じ。山の方角には入道雲が屹立しています。夏本番です。

みなとみらいホールのこと

今週末、日フィル横浜定期で「惑星」を聴きます。これも、先日からお世話になっている方のご縁で行くことが出来るもので、本当に大きな感謝です。
先日その方とメールのやりとりをしましたが、みなとみらいホールの響きの美しさについては、その方も同じご意見を持っていらっしゃるとのことで、とてもうれしかったです。
みなとみらいホールで「惑星」を聴けるという僥倖には本当に感謝しています。きっと弦の細やかなボウイングのなせる音が一つの生物体を作り上げていくのも見られるでしょう。ほどよい残響時間とにび色に煌めく残響音が、たとえば「火星」における金管の炸裂を昇華するでしょう。

天使の昇天を見た気がする

6月11日にみなとみらいホールで聴いた「ツァラトゥストラはかく語りき」では、すごい瞬間を体験しました。途中で、ゲネラルパウゼ的に、オケ全員が休符に入る瞬間があります。あそこで音を止めた瞬間に、残響音がホールの中を舞い上がるように昇り消えいったのです。
もちろん、ヨーロッパの教会ほどの残響はありませんが、それでもあの瞬間は天使か何かが昇り行ったのではないか、と思えるぐらいでした。少し大げさですが。あれはまさに天使がいたにちがいない……。
後から振り返れば振り返るほど、経験は解釈され浄化され昇華され純化されます。

最後に

惑星についてはもうすこし。

Classical,Concert

!https://lh3.googleusercontent.com/-0lCSd9VMdxQ/Tf2mHReIkkI/AAAAAAAAFO0/48_SiAhFjmg/s400/image.jpg!

はじめに

この4年間ほどは、オペラ中心に聴いてきました。たぶんこの流れは変わらないと思います。しかしながら、4月2日と6月11日に日フィル横浜定期で生オケのダイナミズムにえらく感動してしまいました。
みなとみらいホールの最前列で味わったオケ音の奔流はやみつきになります。

いまさらなぜ?

いや、確かにこれまでも最前列近くで音楽聴いたことはあるはず。東京文化会館で二回ほど。一度目はヴェルディのレクイエムだったし、二度目はパルジファルだったのですが、たしかにすごかったけれど、みなとみらいホールほどの驚きはなかったと思います。

おそるべし、みなとみらい

みなとみらいホール、ステージと客席の距離がすごく近いのですよ。しかも、ステージのへりが階段状になっていて、その気になれば簡単にステージに上がることができる身近さがあるのです。だからますます演奏家と一体感を味わうことが出来るのかもしれません。
先日も書きましたが、演奏家の息づかいとか、声を掛け合っている様子とか、アイコンタクトをしてコミュニケートしているのを見るのは本当に興味深いものがあります。音楽は聴くだけではなく見ないといけないんだなあ、と。

音響問題?

あとは音響の問題かな、と。
みなとみらいホール、そんなに小さいホールではないのですけれど、かなり音が凝縮して濃密に思えます。
以下のサイトに内外さまざまなホールの音響情報がまとまっていますが、みなとみらいホールが際だって違うというデータはないみたい。データでははかれないなにかがあるのかな? ホールの材質なのかしら。あとは、公演ごとに音響調整していると思うので、データだけですべてを判断できなさそうです。
“http://www.asahi-net.or.jp/~mw5t-mzgc/ken3201-2-2.html":http://www.asahi-net.or.jp/~mw5t-mzgc/ken3201-2-2.html
ちなみにこのサイト、えらく面白いです。オペラハウスの残響が押さえられているとか、オーチャードが微妙に残響短いとか、NHKホールってかなりデッドであるとか、感覚と合致する感じです。(やっぱりN響はハンデありなんだなあ。)

まとめ

いろいろホールに通い詰めてみないと、結論は出ないと思われますが、今後はそうしたチャンスが増えるかもしれないので(オフィス引っ越しによる)、今から楽しみです。
それから、7月上旬もみなとみらいで日フィルを聴ける予定で、そちらも楽しみです。
あとは不断の勉強が必要。がんばろう。

Concert,Philharmony,Richard Strauss

!https://lh3.googleusercontent.com/-NTrDvdxCUGY/TfQ4F-xnxLI/AAAAAAAAFNo/FQSfQjhyGoc/s800/IMG_6095.JPG!

はじめに

今日も、ご縁で日本フィルの横浜定期演奏会に行って参りました。ブラームスのヴァイオリン協奏曲と、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」という19世紀後半のドイツロマン派音楽をたっぷりと90分。濃密な時間で、まばたきに思えるほどあっという間でした。

堀米ゆず子氏のブラームスヴァイオリン協奏曲

前半はブラームスのヴァイオリン協奏曲でした。
ヴァイオリンソロの堀米ゆず子氏、マジですごかった。
私は一番前の席に座っていたので、彼女の細かい表情や息づかいまでよく分かったのです。眼光鋭く、苦悩とも恍惚ともつかない厳しい表情をみて、私は野武士のような気迫を感じました。そんな激しい気迫がほんの数メートルから発せられているのですから、もうなんだか気圧された感じ。音も分厚く激しい。北海の波浪。時折現れる流麗なフレーズさえもなんだか酔いしれるのに罪悪感を感じるほど。ブラームス的謹厳さでした。

ツァラトゥストラ!

後半は、ドイツロマン派最後期の巨匠、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」でした。
「ツァラトゥストラはかく語りき」は、リヒャルト・シュトラウスの音楽の中で最も知られた曲ではないでしょうか。もちろんあの「2001年宇宙の旅」の冒頭の音楽だからということもあるでしょう。

幼き日々の記憶なき思い出

この「ツァラトゥストラはかく語りき」は、私が生まれて初めて好きになった曲らしいのです。幼き日々の思い出は、両親の語り聴かせにより創り出されるものかもしれません。ゆえに、それは直接経験ではなく間接経験です。つなり記憶なき思い出。
ともかく、厚い図鑑を重ねて指揮台にして、その上で鉛筆を振り回していたらしい。まったく、今も昔もごっこ遊びが好きらしい……。

再発見

実演に触れるのは生涯二回目で、初回は20年前なので(お恥ずかしい)、今回は新たな発見がたくさんありました。
この曲、室内楽的要素や協奏曲的要素を持っていることに改めて気づきました。前半では、まるでシュトラウス最後のオペラである「カプリッチョ」冒頭の弦楽六重奏かと思うような合奏があったり、後半のワルツのところは、ほとんどヴァイオリン協奏曲だなあ、と。
それも、前半でヴァイオリン協奏曲を聞いているものですから、なおさら、協奏曲的に聴いてしまいました。それにしても日フィルのコンミスの江口さんも素晴らしい。柔らかくたおやか。

サウンド

オケのサウンド、前回聴いた広上さん指揮のときより少しおとなしい印象がありましたが、ツァラトゥストラの音響は十分すぎるぐらいリッチです。最前席で聴いていそるということもあって、大音響のまっただ中に放り込まれているようで、あまりに幸福でした。
サウンド的にも最前列はすごく面白くて、弦のソロが合奏にすっと吸い込まれていく様子がすごく不思議。ただ、やはり最前列だと、当然ながら管については聞こえづらくなります。
あとは、みなとみらいホールのこと。このホールの響きは硬質で、残響も長すぎずまとまっていてとても好感を持ちました。青葉台のフィリアホールに似た響きです。空間系サウンド大好き。

指揮者の高関健さん

指揮は高関健さんでした。実直な指揮ぶりで、正確に刻まれた演奏でした。といいながらも、テンポも速すぎない程度に動かして、ダイナミズムがすごく伝わってきました。予習にとある有名指揮者B氏の演奏を聴いていたのですが、なんだかテンポが速過ぎて軽く感じていたのですが、そんなことを感じることもなく、最後まで充実した演奏でした。

おわりに

オケのコンサートはこの数ヶ月で三回ほど行きましたが、オペラとは違う楽しみがあり、こちらにも捨てがたい魅力を感じました。こういう機会を頂いたのも、チケットのご縁で、本当に感謝してもしきれません。ありがとうございます。
岡田暁生氏の書かれた「音楽の聴き方」という新書に、音楽は聴くだけではだめで、観ることも重要なのである、というくだりがあったと思います。それを強く実感しています。来シーズンは、オケの定期会員になってみようかな、などと画策中です。

Classical,Concert

 今日も東京地方は天気に恵まれました。典型的な冬型です。と言うわけで、まずは少々遅れましたが、初詣へ行って参りました。今年もいつものように湯島天神へ。それが例年よりもたくさんの人手でびっくりです。景気が悪く、商売や就職もままならないこの頃ですので、神様にお願いを、というところかな、と思いまして、カミさんに聴いてみると、確かに人は増えているらしいのですが、賽銭は減っているらしいとのこと。複雑。我々も今年は少々ダウンサイジングしました。

湯島天神の余りの込みように恐懼してしまい、間に合うかどうかドキドキしたのですが、15時からのN響定期にまに何とか間に合いました。小さい頃に昨年なくなられた音楽評論家の黒田恭一さんの「はじめてのクラシック」を読んだのですが、私の音楽生活の根本はこの本かも知れないですね。もう四半世紀も前の記憶です。確かこの本の中で、コンサートには余裕を持って出かけるべし、予習をして行くべし、ということが書いてあって、いまでもコンサートやオペラに行く場合には遅くても40分前には会場に着くようにしていますし、予習も出来るだけするようにしています。やはり余裕を持って会場に到着しないと、音楽を十全には味わえないでしょう。ギリギリに座席についてもすぐに音楽を楽しむのは難しいでしょうし。

そう言う意味で言うと、今日は少々失敗したかな、と思いましたが、結果的には30分前にはNHKホールに到着できましたので、なんとかセーフです。湯島から明治神宮前まで千代田線で一本ですしね。

曲目は以下の通りでした。 

  •  ヨハン・シュトラウスII世 / 喜歌劇「こうもり」序曲
  • ヨーゼフ・シュトラウス / ワルツ「天体の音楽」作品235
  • ヨハン・シュトラウスII世 / 常動曲 作品257
  • ヨハン・シュトラウスII世 / アンネン・ポルカ 作品117
  • ヨハン・シュトラウスII世 / ポルカ「観光列車」作品281
  • ヨハン・シュトラウスII世 / 皇帝円舞曲 作品437
  • (休憩)
  • R. シュトラウス / ブルレスケ*
  • R. シュトラウス / 歌劇「ばらの騎士」組曲

ごらんの通りオール・シュトラウス・プログラム。とはいっても、リヒャルト、ヨハン、ヨーゼフですけれど。とはいえ、全編にわたってウィナーリズムに彩られたもの。「ブルレスケ」は別ですけれどね。

正直言って、尾高さんとN響のコンビでどういったウィーン音楽が表現されるのか、なかなか想像しがたかったのですが、いざ聴いてみるとこれがなかなか面白かったのです。

第一印象は、なんだか凄く雄々しい感じ。男らしいダイナミックな音作りだと思いました。ウィーンの洒脱な感じと言うより、なんだか取っ組み合っているような力強さでした。ですが、意外とそれがよくて、前半はワクワクしながら聴けました。

しかし、ヨハン・シュトラウス二世は良い曲書きますね。むかし、吉田秀和さんの本を読んでいて、「美しき青きドナウ」が和声的にはベートーヴェン等に比べると平易である、なんていうことが書かれているのを見つけた覚えがありますが(私の曲解、記憶違いかもしれません)、音楽を聴く楽しみを与えてくれるという点では、素晴らしい作曲家です。「こうもり」序曲なかですと、まあオペレッタの序曲なのでドラマの場面場面を描写するものなんですけれど、中間部でオーボエが吹くメランコリックなフレーズがたまらなく良いですね。あの旋律、やっぱり音楽を聴き始めた小学生の頃から好きでして、なんだか勝手に想像をふくらませて文章を書いた記憶がよみがえりました。

それから「観光列車」のこと。この曲、演出的にも面白くて、曲が始まる直前に舞台袖から鉄道員の制服を着た方が出ていらして笛を吹いて、出発進行、という感じ。その方はパーカッションの方なんですが、制服を着たまま舞台後方のパーカッションセクションに座ってシンバルを演奏するんですけれど、曲の途中で汽笛を鳴らす場面で、笛を吹いてくれてわかせてくれました。曲が終わったらまた笛を吹いて敬礼。そのあとがおかしくて、その場で制服から燕尾服に着替えたんですね。着替えるあいだ、尾高さんも指揮棒を休めて待っている感じ。見ている僕らにしてみればとてもユーモラスに思えて、みんな笑っていました。なんだか心休まるひととき。

あとこの「観光列車」、サビの途中で転調するところで、トロンボーンが9度の音をならすんですが、あのテンションが気持ちよすぎる。譜面見てませんが、たぶん9度です。

常動曲も面白くて、曲の真っ最中(におもえるようなところで)で尾高さんが指揮棒をおろして振り向いて「いつまでたっても終わらないのでこの辺で」みたいなことをおっしゃってまたまた大笑い。楽しいです。常動曲は演奏も素晴らしかったです。N響の方々はやっぱり巧くて、スリリングな快感を味わいました。

後半はリヒャルト・シュトラウス。ばらの騎士組曲もやっぱり雄々しいです。冒頭部も激しくて激して仕方がない感じ。管楽器の咆吼の連続。

そして、私はまたも陥落しました。最終部の三重唱の部分。あそこだけはもう涙が出てきてとまりません。気分はもうマルシャリン=元帥夫人と一体化している感じでして、この時間という最大の自然力の前に跪かなくてはならない人間の哀しき運命が切なくて仕方がありません。先日の二期会「カプリッチョ」の演出もそうした意図でしただったと考えているのですが、こういう境地は、この歳になったからこそ分かるものでしょう。20代前半の私は絶対理解できなかったはず。そうでなければ、いま私はここにはいません。

それにしても、音楽はある種「ムダ」で、反経済的なものですが、そうした「ムダ」に真剣勝負で取り組む方々がいらっしゃると言うことにある種の希望を持ったひとときでした。すべてを数値化したり時間化するのが美徳となってしまった今日ではありますが、そうでない価値もあるのだなあ、と。先日新聞で読んだことですが、どなたがおっしゃっていたのか失念しましたが、そうした「ムダ」を愛することこそ大事なこともあるはず。そうでなければ、全員ロボットにならなければなりませんので。

まあ、こういうきれい事では済まされない超絶した現実の厳しさがあることはよく分かっておりますし、まるで刃先のうえを歩くような不安感を感じずにはいられない世の中でもありますので、断言することは出来ませんけれど。衣食住があってはじめて、というところは不変でしょうから。

次の実演は少々間が開きますが、いよいよ「ジークフリート」です。

 

Concert

 

N響の定期、一月にばらの騎士組曲をやるので見に行くことにしたのですが、指揮者変更とのこと。

2010年1月定期公演(A・Cプログラム/NHKホール)に出演を予定しておりました指揮者ローレンス・フォスター氏は、本人の健康上の理由により来日不可能となりました。このため出演者を下記のとおり変更させていただきます。 Aプログラム[1月9日(土)、10日(日)]:尾高忠明氏 Cプログラム[1月15日(金)、16日(土)]:ジョン・アクセルロッド氏 なお、曲目の変更はございません。何とぞご了承くださいますようお願い申しあげます。

www.nhkso.or.jp/top.html

 奇しくも、新国次期音楽監督の尾高さんの指揮を聴けるなんて! 前半はヨハン・シュトラウスで、後半はリヒャルト・シュトラウスという冗談のようなプログラムなのですが、シュトラウスの「ブルレスケル」を聴けるチャンスですし、何より「ばらの騎士組曲」が本当に楽しみ。尾高さんの指揮だと、どんなばらの騎士になるんでしょうかね。

Concert,Richard Strauss

昨日は少々酔っ払いながら書いたので、なんだか変な文章になりました。どうも最近こっそり夜に飲む癖がついてしまいました。最後のほうの記憶はほとんどなく。私、最近飲むと記憶が飛ぶことが多いのですよ。。飲んじゃダメ、ということなんでしょう。この癖、直さないといけないのですが、まあ色々ありますので。

さて、昨日の続き。今日はプレヴィンの家庭交響曲についてです。テンポを過剰に動かすことなく、またひとつのテンポに安住することもなく。お年を召されると、テンポが緩くなったりするものだと思うのですが、そういう意味では実にアグレッシブな演奏といえると思いました。Twitterにも書きましたが、老成という言葉は当たらないと書きました。なんだか充実した壮年の覇気のようなものを感じました。

しかし、家庭交響曲は、聴くだけではなく、見ることによっても理解が深まりました。ヴァイオリンはおそらくはパウリーネで、チェロがおそらくはシュトラウス自身を示しているわけですが、そのあたりの掛け合いの様子を視覚的にみることが出来て、曲の理解が深まった気がします。この対応関係は「英雄の生涯」と同じでしょう。それから、息子フランツが登場してシッチャカメッチャカにするあたりの描写も実に楽しいです。

それから、第三部の夫婦愛的なところの高揚感はすばらしいです。これぞオーケストラ音楽の醍醐味というところ。迫力、重厚、壮大。夫婦愛の高尚さ、神秘性、神聖性。ここまで高らかに歌い上げられると、圧倒されるばかり。相当感動的な高揚感で、聴いているときは、これはあまりに幸福で贅沢な瞬間だ、と感謝の気持ちで一杯。幸せというのはこういうものを指すんだろうなあ。

終幕部、ティンパニが音階を駆け上がる例の場面近辺も凄い迫力で、私は舌を巻きました。wikiによると、あの音階はウィーンフィルのティンパニ奏者が提案して、シュトラウスの追認があったらしい。ひらめいたんでしょうねえ。ウィーンフィルの奏者ともなれば耳も良ければひらめきもずば抜けているんだなあ。あの場面は、聴いているほうもアドレナリン全開で興奮渦に巻き込まれてしまいます。

そうそう、そういえば、日曜日の演奏にサクソフォーン奏者がいましたでしょうか? どうにも見あたらなかったような。あとでスコア見て確認してみます。

曲が終わると圧倒的な拍手で、プレヴィン氏はやはり足が思うように動かないらしく、楽団員の助けをもらいながら、指揮台を降りて客席に顔を向けてくる。好々爺だなあ。背中もまがって小さくなってしまったイメージ。でもね、ミケランジェロが、大理石から彫刻を救い出したように、オケという無限の可能性の中からこの小柄なご老人が、あの圧倒的な演奏を引き出していると言う事実。

プレヴィン氏の録音盤を聴いていますが、感動はN響のほうが数段上。演奏的にも私は今回の演奏の方が重みがあって好きです。

ともかく、今回も本当に恵まれました。ありがとうございました。

次回は、11月1日に新国で魔笛を見る予定。っつか、11月はオペラ目白押しだなあ。魔笛@新国、ヴォツェック@新国、カプリッチョ@二期会。やばい、また予習しなくちゃ。ヴォツェックのオペラトークにも行きますよ。

 

 

Concert,Richard Strauss

昨日は満を持してNHKホールへ向かいました。N響定期公演、アンドレ・プレヴィン指揮で、ヴォルフガング・リームとリヒャルト・シュトラウスの作品を。すばらしいひとときで、私は我を忘れ続けました。

まずは、ヴォルフガング・リームの「厳粛な歌」。ベルクの「ヴォツェック」や「ルル」を思い出した私は単純でしょうか。ティンパニの打点がどうにも似ていまして。NHKホールの微妙なリヴァーヴ感とあいまってです。今から思えば、アバドの「ルル組曲」を感じていたみたい。ともあれ、奏者の配置も面白くて、弦楽器が右前方、木管楽器群が左前方に向かい合って並んでいました。意外と旋律的でしたが、プロの方はあのテンポ取りでどうやったらあんなにきちんと演奏できるのでしょうか。。私も昔似たようなことをやった記憶がありましたが、相当辛かったですので。 それにしても、イングリッシュホルンのあの方、本当にいい音だすなあ。

さて、二曲目はシュトラウスのオペラ「カプリッチョ」終幕の場面。私は、この曲の演奏をお目当てにチケットをとりました。しかも伯爵夫人マドレーヌは、フェリシティ・ロットとくればなおさら。

月光の音楽が始まりますと、とろけるような甘いホルンのソロから。多少瑕はあったかもしれないのですが、私はもうここでこみ上げてくるものを押さえられなかったです。涙が溢れ、嗚咽に似たものが上へ下へと行きかうのに必至にこらえる感じ。隣に座っていたカミさんに気づかれたのでしょうか? 

ロットの歌いだし、オケがずいぶんとなっていましたので、バランス的に少し声が小さく感じましたが、その後お互いに調整してかなりいいバランスになりました。そして、あのソネットの部分!

Kein andres, das mir so im herzen loht,
Nein schoene, nichs auf diser ganzen Erde,
Kein andres, das ich so wie dich begehrte,
Und Kaem’ von Venus mir ein Angebot.

わが心を 燃え立たせるものなど麗しき人よ
この世にまたとあろうかそなたほど 
恋い焦がれるものは他になしたとえ 
美の神ヴィーナスがきたるとも……

もう何百回(言いすぎですか? でも100回は聴いたと思います)と聴いたカプリッチョ終幕の部分。ヤノヴィッツ、フレミング、シュヴァルツコップ、キリ・テ・カナワ、シントウ……。今日もやっぱり完全に陥落してしまい、涙が頬を伝っていって止まらない。私はこの一瞬のためにも、日々仕事をしている、といっても過言ではありません。

フェリシティ・ロットの歌は、恋焦がれる伯爵夫人というより、慈愛を注ぐ母性的存在であるかのように感じました。これは、もちろん、私がクライバーの「ばらの騎士」でフェリシティ・ロットがマルシャリンを歌い、オクタヴィアンへとゾフィーに注ぐ慈しみの歌を知っているからでしょうか。あるいはロットの今の心情を反映しているのでしょうか。

実は、私はこの曲を2006年の秋にドレスデンのゼンパー・オーパーでペーター・シュナイダーの指揮で聴くという今から思えば信じられないような幸運に恵まれました。ですが、あの時、私はここまでカプリッチョを理解できていたのか? 答えはNeinです。 あの時はサヴァリッシュ盤で予習をするだけでして、しかもモノラル音源でした。そして、旅行の寸前にクラシックロイヤルシートで放送された「カプリッチョ」。ウルフ・シルマー指揮で、伯爵夫人はルネ・フレミングで、クレロンがアンネ・ゾフィー・フォン・オッターという大僥倖。日本語訳が手に入らなかったので、このオペラを観ながら字幕を全部テキストに起こしました。それを持ってドレスデンに乗り込んだのでした。

あの時、やはり月光の音楽で静謐な美しさに心を打たれましたが、ここまでではなかった。でも、シュナイダーの指揮のうねりとか、演出の美しさ、つまり、白を基調とした舞台の背景が群青色に染め上げられて月光が淡く照らし出す光のイメージが生み出すあまりにあまりに濃縮された美意識、そういったものが複雑に織り込まれていき、このオペラの最終部への理解が深まった気がしています。まあ、ここでいう理解とは何か、という問題はあるのですが。

昨日の演奏のプレヴィンの指揮もすばらしかったです。テンポは少し抑え目に感じましたが、徐々に迫る高揚感への円弧のラインがすばらしかったはずです。「はず」とは何事か、といいますと、正直申し上げて、私はある意味我を忘れておりましたので、反省的な聴き方をあまり出来なかったようだからです。 たしか、月光の音楽はプレヴィンも録音しているはず。いまその演奏を聴いているのですが、これもすばらしい。うねりと高揚感。 ちなみに、隣に座っておられた方は、眠っておられた様子。入り口に待機している係員の女性もやっぱり眠っておられたようです。ある種、それは宝の山を前にしてその価値をわからないという状態。でも、あの方々を責めることはできません。それは、ある種私のかつての姿と同じだからです。

徐々に終幕へと導かれていく音楽。答えのでない問題。それがあるから人生である。フラマンもオリヴィエもきっと伯爵夫人マドレーヌにふられる気がするのは私だけでしょうか。

曲が終わると万雷の拍手で、何度も何度もロットとプレヴィンが舞台に呼び出される。さすがに80歳のプレヴィンは歩くのも少々つらそうですが、あそこまで大きな作品を形作ることができるなんて。

そして、休憩を挟んで次は家庭交響曲。こちらは明日書くことにいたします。

Concert,Ludwig van Beethoven,Opera,Richard Wagner,Symphony

今週はなかなか忙しい日々でしたが、ずっと「指環」を聴いていました。そのわけをカミングアウトすると、またシュナイダーさんのコンサートに行ってしまいました@サントリーホールというわけです。いや、あの日曜日(25日)の演奏を聴いたら、また行きたくなりますよ……。あれやられちゃあなあ。写真はアークヒルズのライトアップです。

いつも愛読しているyokochanさんの「さまよえる歌人日記」でもこの演奏会のことを取り上げられていらっしゃいます。素晴らしいレポです。

幸いというか何というか、家族の用事で午後に都内に出たのですが、その用事を済ませて慌てて溜池山王から地下トンネルを走ってサントリーホールへ。間に合いました。サントリーホールは、昨年、ティーレマン&ミュンヘンフィルでブルックナーを聴いて以来。ホールの中に入ると、あれ、こんなに小さかったっけ、みたいな。新国ばかり行っているからでしょうか……。

最初はベートーヴェンの交響曲第四番。これがまた良いのですよ。日曜日の「ジュピター」のような繊細で端正で良心ある演奏とでもいいましょうか。東フィルを室内楽的な繊細さで鳴らしています。これがまめやかな演奏というのですね。しかも、ベートーヴェンがこんなに面白くて、複雑怪奇で、緊張と弛緩の波を乗り越えていくとは思いませんでした。そうした構造をより際だたせる指揮だったのだと思います。

先だって、ラトルが振る二番を聴いたときもかなり眼から鱗が落ちましたが、シュナイダーさんの指揮でもまたベートーヴェンをよりいっそう理解できた気がします。

それにしても、四番の演奏は特に音が良いと感じました。四楽章で弦楽器がフレーズをバトンしていくところがあるのですが、あのあたりの音が移動していくニュアンスは安いオーディオセットではなかなか再現できないのではないでしょうか。サントリーホールの残響音も柔らかく少し長めのリヴァーヴで、心地よかったです。    

15分の休憩のあと、いよいよリングです。これはオランダの作曲家であるヘンク・デ・ヴリーガーが1991年に編曲したもので、主要部分をオケ版に編曲したもの。つなぎに多少違和感がありましたけれど、おいしいところは詰め込んだ大のごちそうです。

個人的には、「ジークフリート牧歌」のフレーズをブリュンヒルデが歌う部分が盛り込まれなかったので残念だったのですが、十二分に楽しめました。

ホルンがジークフリートの角笛を吹くところも良かったですし、神々の黄昏のブリュンヒルデの愛のテーマのあたり、ヴァイオリンの高揚感がすさまじくて、涙が出そうになりました。凄いなあ、本当に。シュナイダーさんの指揮は、決して熱血的ではないのですが、指環の構造を熟知した上で抑制した棒振りのなかで十二分にオケの音を引き出している感じでした。

でもやっぱり最終部分の悲しみと寂しさを併せ持ったところに到達すると本当に寂しくなってしまいます。60分で指環を駆け足で回ってきて、ああ、これで終わったのか、という安堵感とともに寂寥感。あの何とも言えない気分は、指環を回った最後だからこそなのだと思います。

演奏が終わるとブラボーの嵐。私も叫ぼうかと思いましたが、ちょっと気恥ずかしかった。でも叫べば良かったなあ。日頃練習しないと。シュナイダーさんは何度も何度も拍手に呼び戻されていました。楽団員もシュナイダーさんに賛辞を浴びせていました。楽団員も演奏後は充実した顔をしていたように思えました。

ちょっと、しばらくは指環を聴けそうにありません。シュナイダーさんの演奏を出来るだけ長く記憶にとどめておきたいので。それで、頭の中は神々の黄昏の最終部分がぐるぐる回っている感じです。

またまたで大変恐縮ですが、明日は新国で「こうもり」を鑑賞予定。なんだかこの一ヶ月はコンサートばかりだった気がするなあ。良い一ヶ月でした。

やっぱり生のコンサートは凄いです。CDを聴いているだけでは分からないことがたくさんあります。けれども、時間と経済の制約がなければ良いのですが、それを望むのは無理というもの。ともかく日頃はせっせとCDで音楽を聴いて、時にコンサートに行くという感じになりそうです。