桜の続き。うつろいゆく時の流れ。
先月から大変な状況で、プライベートな予定はほとんどキャンセルしました。ジェットコースターに乗っているような毎日でした。というか、今もそうなんですが。
おかげで、「ラインの黄金」もキャンセルしました。まったくついていません。週末の「ヴォツェック」は死守したいところです。
というわけで、心機一転さっぱりした今日この頃。
いまだに音楽との関わり方を見出せずにいる毎日です。まったく、どうすればいいのやら。
今日はプレヴィンのシュトラウスを2曲。《ツァラトゥストラ》と《家庭交響曲》。
この典雅と皮肉の織りなす壮麗壮大な伽藍は、西欧音楽の一つの終着点なんだろうなあ、と思います。その延長にコルンゴルトなんかもいるんだと思います。
そうそう。この前思いついたのが、西欧音楽はカトリシズムと同じく普遍性を希求している様式であるということ。がゆえに、我々も理解し得るということなのか?、のんてことを思いつきました。
ではグーテナハト。
つれづれ