昨日から、思うところがあって、鈴木三重吉の「古事記物語」を読んでいます。Kindleで無料で読めます。多分
30年ぶりぐらいです。
古事記物語は、小学生高学年向けの本を何度も何度も読んでいた記憶がありますが、今回の「古事記物語」は、おそらくは当時読んでいた本の元ネタなのではないかと思いました。がゆえに、大人なら分かる激しさのようなものもいくらかあって、なるほどね、という感じです。
いや、本当に神話の世界とはいえ、殺戮の物語に満ちているなあ、というのが印象です。今日読んでいたヤマトタケルノミコトの討伐は、ほとんどだまし討ちのような記述になっていて、したたかだなあ、という印象です。八百万の多様性なんてものはなく、従わないものは有無をいわさず殺戮する、というトーンです。
こういうしたたかさ、というものは、その後の日本では失われていったんでしょうか。おそらくは、江戸時代の鎖国が日本を変えたということになるのだと思いました。
それにしても、ギリシア神話にそっくりなエピソードが幾つかあるのには、あらためて驚きます。イザナミを黄泉の国に迎えに行くのは、オルフェウスの神話とそっくりです。それから、大物主命の正体を突き止めるところでは、糸巻きが登場します。まるでクノッソス宮殿の神話とそっくりです。
先日、去年の伊勢神宮と出雲大社の遷宮を特集したNHKスペシャルを、レコーダーのなかから引っ張りだしていまさら観たのですが、そのときにあった、大国主命の国譲り神話が、おそらくは国をめぐる激しい攻防を神話にデフォルメしているのだろうなあ、というところは強く思いました。あんなにたんたんと国譲りするわけがないのですから。
先日フーコー関連書を読んだ時に思ったのが、正式文書に真実はない、ということでした。ですが、最近は、そうではなく、正式文書は全てが真実ではないが、いくばくかの真実は含まれている、のだとおもいます。古事記の中にも、失われた歴史がいくばくかは織り込まれているのだろう、などと想像すると面白いです。
ではおやすみなさい。グーテナハトです。