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近所のトウモロコシ畑です。夏が迫りますね。

さて、先だってのイスラム国のドタバタのなかで、池内恵氏の著作を二冊ほど読みつつ、Facebookで池内氏をフォローしています。

イスラーム国の衝撃 (文春新書)
文藝春秋 (2015-01-28)
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現代アラブの社会思想 (講談社現代新書)

池内 恵
講談社
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本当に素晴らしい方なのですが、池内氏のブログで、本当に興味深く、かつ重大な問題を提起しておられたのでご紹介します。
イスラーム教をなぜ理解できないか(2)リベラル・バイアスが邪魔をする〜米国のガラパゴス

私の理解においてはこのようなものでした。

  • イスラムの理解において、我々は欧米のリベラルな色眼鏡を通してみていて、イスラム教の価値観は、同じ人間であるからこそ欧米の価値観と通底するものがあり、最後には分かり合えるもの。が故に、民主化をすることで、イスラムの旧弊から人々は解放され、人々は欧米と同じくリベラルな、自由な生活を享受することができるのだ。が故に、民主化を進めることが必要なのである、とする。
  • だが、実際にはイスラム教はイスラムの教義を「こころ」の問題などではなく、現実社会に適応させるべきものであるとしているのであり、がゆえに、ISISの進めるイスラム統一国家の建設とカリフ制の再興というものについて、反対する理由もなく、あるいは、イスラムからの改宗者は死刑であり、姦通罪は石打ち刑でよいのである。

最後の以下の部分が、本当に身にしみます。

ハミードのこういった議論は、「アラブの春」以後の民主化の試みによって、実際にアラブ諸国の多数派のムスリムの民意が選挙で表出されたことを踏まえている。そこからハーミドが出した結論は、「政治的な自由化が行われば、非リベラルな思想の持ち主が多数派を占めるアラブ世界では、非リベラルな民主主義が誕生しかねない」というものだ。

民主主義が、結局のところ、欧米の良識派が目指すリベラルな世俗主義には向かわないのではないか、という状況は、欧米の色眼鏡で真っ暗に見える部分があって、そこを理解することは絶対にできないというなにか悲痛なものに思えました。

以前にも以下のエントリで触れましたが、「真理」という欧州のロマン派的な言説が潰えているということになると、ますますなにか「通底するもの」というものがあることさえわからなくなると思います。

ベルリンの記憶、そして未来へ

そうした真理は、100年前からメルトダウンを始めているわけですが、ここまで来たか、という感慨のようなものもあります。

メルトダウンについてはこちら。

辻邦生「西欧の光の下で」から──自壊してなお成長する西欧?

人々の間において「通底するもの」というのが、この20年ほど持っている私の中の問題意識だったということに改めて気づいたりもしたりと、本当に刺激の多い今日このごろです。結局は、互いに理解できないという悲観的な状況にあっても、なお、理解を信じて対話をするという、よくあるベクトル至上主義というか主意主義というか、そういうところに着地するしかない、ということなのかあ、などと。

それでは少し早いですがおやすみなさい。グーテナハト。