SF

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)
クラーク
光文社
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アーサー・C・クラーク「幼年期の終わり」を読みました。光文社から出ている新訳をKindleで。これは、高校か大学の時に読みたかった本。当時はアシモフは読んでいましたが、クラークは今ひとつ読んでなかったかも。いまさら感ありますが、なにか読んだあとにじわりとくるものが。

ネタバレあるかもしれないですが、これは、喜劇なのか悲劇なのか、という問題。「砂の女」を読んだ時も、やはりそう思いました。オーバーマインドと合一した人類は、果たして滅亡したのか、進化したのか。その割り切れなさ。そして、子供が変やつし去って行くと言う設定。死別でもなく、離別でもなく、変容によると分かれ。この哀しみこそが文学なのだ、と強く思います。

そして、これは未来史小説。歴史と物語が同じものであるということを感じさせます。連綿とした未来史のなかで、運命あるいは必然に抗い決然と生きる人間たちの姿は、例えば、辻邦生「春の戴冠」のフィオレンツァの人々や、「天草の雅歌」の長崎の人々のように思いました。必然の歴史の中で、自我と自由を守ろうとし、あるいは取り戻そうとする人たちを書くこともまた文学だとも思います。

それにしても、この名状しがたい読後感。丁度、日経サイエンスで人類の未来についての記事を読んでいただけに、この先1000年、2000年後の人類を思うと、目がくらみます。こうしたことを考えるのも矢張り文学なんだろうなあと思いました。

一週間終わり。来春はまた別の種類の仕事を一週間。不安は多い。今、帰宅中ですが、家でとりあえずワインを飲みたい気分。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。