Miscellaneous

最近、好きな音楽はなに? と聞かれたとして、リヒャルト・シュトラウス、とか、マイケル・ブレッカーなどと答えることになると思うのですが、実際のところどうだろう? という思いにとらわれます。

最近、どうも、新たな音楽に飢えている気がするのです。クラシックもジャズも好きです。が、驚きがないような気がします。最近は、AppleMusicを聞く毎日。以前のように、実演に触れる機会もなく。

あるいは、なにか心を喪っているということもあるのでしょう。今、辻邦生「背教者ユリアヌス」を読んでいますが、以下の言葉が胸に響いたのです。主人公ユリアヌスを陥れようとさまざま画策した宦官エウビウスが、ユリアヌスの皇帝即位後の自らの処刑判決に際して語ったこの言葉が。

「私に言わせればこの世は悪が支配するのであり、悪こそが最も現実的な生の形である。人々がそれに気づけば、すべてを悪の前提に立って処理することができ、なまじ見せかけの善を介入させるよりよほど始末がつけやすいものだ」

辻邦生「背教者ユリアヌス」第4巻 中公文庫 79ページ

この苛烈な現実認識がどうにも心を離れません。

音楽は、おそらくは19世紀以降において、そこに善意を含むものとなったはずで、そのイデオロギー性が苛烈な現実認識と乖離しているように思えるわけです。しかしこの乖離こそが正念場であることも間違いありません。

この乖離を超えるものは探さないと。あるいは、この乖離こそが居場所なのかも、とも思います。