Music

「アデライン、100年目の恋」と言う映画を観ました。Amazone Primeの特典映画でしたので通勤電車の中で2時間弱ほど。

アデライン、100年目の恋 [Blu-ray]
松竹 (2016-03-02)
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アデラインは1908年生まれですが、29歳で落雷に遭い、それ以降、老化しなくなってしまったと言う設定でした。美女が歳をとらないというのは、まあある種の夢なのでしょうけれど、それはそれで苦労があるのです。FBIに逮捕されそうになったり、自分の娘の方が歳をとったり。

もたろん、恋愛事件がさまざまおこるのですが、映画の趣旨はともかく、最も印象に残ったのが、恋人となるエリスの部屋を訪れたアデラインの台詞でした。最初は、ストレート・アヘッドなジャズが流れていたのですが、そこでは特にうるさいともうるさくないともアデラインはおもわず、むしろ好意的な表情だったように思うのです。そのあと、エイト・ビートのジャズが流れるのです。アデラインは「この曲はうるさいから止めて」という。エリスは「ジャズは嫌い?」と尋ねる。「いいえ、ジャズは好きよ。でもこれはジャズじゃない」。

以前から、人はおそらくは若い頃に接した音楽からのがれられないのではないか、と思うことがあります。NHK-FMの毎週日曜日に「洋楽グロリアスデイズ」という番組がありますが、70年代80年代の洋楽が取り上げられます。「あの頃のグロリアスな思い出を」という趣旨の番組だったりします。当時若い頃を過ごした世代に向けた番組。私ももちろん記憶に残る時代なので、懐かしさもありつつ、流れる曲を聴いていい音楽だなあ、と思うことがよくあります。

懐メロと言う言葉がありましたが、懐メロが指す音楽は、年を経るにつれて変容していくはずです。もちろん、それが「懐メロ」ではなく「グロリアスな音楽」と言われたりするように、その名称自体が変わるのでしょうけれど。

この文脈から、アデラインにとっては、おそらくは若い頃に触れたジャズはフォービートだけだったはずで、それを逸脱するジャズ、つまり、エイトビートはジャズではないと感じている、ということを表現したやりとりだった、と推測しています。

ただ、気になるのは、そこでかかっていたジャズはおそらくは60年代以降のものだったはず。当時、アデラインは容貌はともかく年齢としてはすでに50歳代だったはずで、そのころの音楽が若い頃の音楽、といえたかどうか?ベニー・グッドマンが青春時代の音楽ではなかったのか?と。ただ、108歳という長い人生において、若い年代という定義自体が変わっているのかも、とも。人生の前半が若いとなると、まあ、50歳代までの音楽は許容できるのだろうか、などと。そうすると、長生きすればするほど、音楽の許容度は拡大するのだろうか? もっとも、このアデラインの描写は、実際に108歳の方の意見を参考にしているのかどうか、とも思います。実際、歳を経るとどのように音楽の嗜好は変わっていくのだろうか。あるいはそもそも変わるものなのだろうか?

最近、なんだか音楽というものに関して、さまざま思うことがあり、いろいろと考えてしまいました。私たちは、新しい音楽に出会うことができるのか?という切実な課題に直面しているからこそ、こういうことを考えてしまいました。

ちなみに、この映画にハリソン・フォードが出ています。めちゃ上手い…。感動。

それではみなさま、おやすみなさい。Gute Nachtです。