ルトスワフスキ、つまり現代音楽を聴いて思うこと。
ルトスワフスキを聴く
故あって、ルトスワフスキの交響曲第三番を聴くことにしました。
今聴いているのは、ベルリンフィルを作曲家自身が振っている音源です。
この曲はシカゴ交響楽団の委嘱で作曲され、初演は、ショルティがシカゴ交響楽団を振ったとのことです。何枚かCDも出ているようです。作曲家自身の演奏もいくつかあるようですし、サロネンなども録音しているようです。
何度か通して聴いていますが、かなり気に入ってきました。最初に聴いたときは、まずい、理解できるか?と不安に感じましたけれど。和声の感じが、ベルクの《ヴォツェック》を思わせる美しさで、かつてベルクばかり聴いていた頃のことを思い出しました。
管理された偶然性、と言うことで、指揮者が奏者のアドリブ演奏をコントロールする、ということのようです。まるでジャズのようなスタンスですね、と浅はかにも思ってしまいました。
楽譜の映像も見ましたが、なかなか手強い感じです。
現代音楽を聴くと言うこと
そういえば、現代音楽をアグレッシブに聴くのは何年ぶりだろう、と言う感じです。
20年ほど前、ずいぶん現代音楽に挑戦した頃がありました。コンロウ・ナンカロウとか、ヴォルフガング・リームなどを、アンサンブル・モデルンの演奏で聴いたのがとても懐かしいです。
また、ベルクも現代音楽だとすれば、前述のように、ベルクばかり聴いていた時期もありました。
現代音楽というくくり自体、難しい定義で、現代に作られているからといって現代音楽でもないわけで、そのあたりの勉強をしていたこともあったなあ、などと思い出したりしました。20年前はずいぶん音楽にアグレッシブで、そういえば、楽理科に入学できないか、などと思いついて調べたりした記憶もあったなあ、などと。
もっとも、音楽的な才能は、あるようなないような、と言う感じで、ということは、才能はあまりない、と言うことなので、それを理解してからは、あまり変なことを思うこともなくなったなあ、と思います。
ただ、そうはいっても、現代音楽、あるいはオペラでもよいのですが、音楽に対してアグレッシブに挑んでいた時期からみると、すこしその勢いもなくなってしまったように思え、これではいけない、とあらためて考えたのでした。
生活環境がかわり、なかなか時間がとれなくなったから、というのが一義的な理由なのですが、それはそれで、人間として寂しい限りだな、とも思います。
やはり芸術に触れることは、人間を人間たらしめること、と思います。緩んだ桶を箍で締め直すように、芸術は人間を締め直すのだと思います。
そういう意味では、今回ルトスワフスキを聞けたのは、よい機会でしたし、本当に嬉しい限りです。
おわりに
今日は西日本は台風とのこと。幸い関東には大きな影響はありませんが、それでも雨で電車が止まったりしているようです。どうか皆様、お気をつけください。
おやすみなさい。グーテナハトです。
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