最近のはやり言葉は「平成最後の」です。昨日も書いたように、今週で平成は終わります。そうした「平成最後」という枕詞も今週が最後で、来週になると、今度は「令和最初の」という言葉が枕詞になるのでしょう。
ところで、日曜日にラジオを聴いていたら、松尾貴史氏が「平成元年に今の事務所に入った。だから平成の年数がそのまま事務所に入った年数になる」という話をされていました。
そうすると、私にとっては、平成元年にあったことはなんだろう、ということを思い起こすと、やはり辻文学になってしまうわけです。
何度も書いているように、1989年の夏に、音楽芸術に連載中の「楽興の時」を読んだのが、辻文学に出会ったきっかけでした。そうすると、ちょうど31年弱になると言うことです。ずいぶん長い間読み続けていますが、どこまで理解出来ているのか、私にはよく分かりません。
すくなくとも、さまざまなレイヤーで、辻文学を捉えています。世界認識のレイヤー、人生のレイヤー。その多義性のようなものが辻文学を読み続ける理由、というのがまずはここで言えることです。
もっと攻めて辻文学を読みたい。今はそう思っています。のこり少ない平成を、そして次の令和を、もっともっと激しく生きなければ。そう強く感じます。