平成の終わりに際して
最近のはやり言葉は「平成最後の」です。昨日も書いたように、今週で平成は終わります。そうした「平成最後」という枕詞も今週が最後で、来週になると、今度は「令和最初の」という言葉が枕詞になるのでしょう。
ところで、日曜日にラジオを聴いていたら、松尾貴史氏が「平成元年に今の事務所に入った。だから平成の年数がそのまま事務所に入った年数になる」という話をされていました。
そうすると、私にとっては、平成元年にあったことはなんだろう、ということを思い起こすと、やはり辻文学になってしまうわけです。
何度も書いているように、1989年の夏に、音楽芸術に連載中の「楽興の時」を読んだのが、辻文学に出会ったきっかけでした。そうすると、ちょうど31年弱になると言うことです。ずいぶん長い間読み続けていますが、どこまで理解出来ているのか、私にはよく分かりません。
すくなくとも、さまざまなレイヤーで、辻文学を捉えています。世界認識のレイヤー、人生のレイヤー。その多義性のようなものが辻文学を読み続ける理由、というのがまずはここで言えることです。
もっと攻めて辻文学を読みたい。今はそう思っています。のこり少ない平成を、そして次の令和を、もっともっと激しく生きなければ。そう強く感じます。
ディスカッション
今晩は。
上川様が初めて辻作品をお読みになったのは1989年
だったのですね。
私も89年です。
秋のことです。
進学校と言われる高校で全科目の成績は
下から数えた方がずっと速いけれど、
国語現代文だけは何故か良くできるヘンな子だった
私は国語と図書館司書教諭の先生方からだけは、
偏愛と言っていいほど可愛がられていました。
その先生方にすすめられて魂を震撼とさせられたのが、
何度も申し上げましたが、「雲の宴」でした。
上川さんが初めてお読みになった辻作品は
「楽興の時」だったのですね。
「もっと激しく生きたい」って私の記憶が正しければ、
「雲の宴」に出て来る言葉だったかと思います。
あれから三十余年、辻先生の作品の多くを読了し、
辻先生の原点が知りたくて、何故あんな素晴らしい
作品を書けるのか、その深奥を知りたくて
トーマス・マンやディケンズやリルケといった
辻先生が尊敬している文学者たちの作品を
読みくるっていたらもう三十年経ってしまっていた…
というのが正直な実感です。
本当に辻先生とともにあった三十余年でした。
越後のオックスさん、
貴重なお話、ありがとうございます。さすが、昔から国語が得意だったんですね。私も国語表現の授業で随分国語教師と仲良くなりました。課題で短編を書いたら校内放送で呼び出されたりしました(剽窃を疑われた模様)。
同じ1989年なんですね。平成を辻文学と過ごせて幸せでした。私とは違い、マンやディケンズまで渉猟されたことは本当に尊敬です。私はこの30年何をやっていたのか…。
「雲の宴」は1993年に読みました。二重生活の詩人のように激しく生きたいです。