辻邦生のご命日「園生忌」
今日、7月29日は、辻邦生のご命日。
「園生忌」という名前がついています。2016年に決定されたものです。
また、昨年の「辻邦生ー西行花伝」展会場にてみなさまにご応募いただいた当館における辻邦生の命日の呼称(文学忌)が決定しました。どの呼称も辻や辻文学への愛を感じる素晴らしいもので一つに絞るのに困難をきわめましたが、選考の結果、「園生忌」に決定いたしました。
— 辻邦生関係資料(学習院大学史料館) (@kunio_mini) April 18, 2016
私は、この時、西行との関連から、桜をモチーフにした名前が選ばれるのではないか、と思っていましたが、おそらくは「遠い園生」に基づく園生忌が選ばれたものだと推察しました。この「遠い園生」という作品は、辻邦生が旧制松本高校在学中に書いた小説とされていて、しかし、旧制高校の学生がここまでの作品を書くのか、と読んだ当時、なかばショックに近い感慨を得たのを思い出します。
こうした若いときの作品を、命日の呼び名にするというのは、少し思いを巡らさないと巧く咀嚼できないなあ、ということを当時から思っていましたが、人生が円環だとすれば、若い頃の作品が命日の呼び名に値したとしてもおかしくはないのでしょう。あるいは、私の記憶では(メモが出てこなく困っているのですが)園生という言葉は、ヘッセの日本語訳に由来する可能性もあって、そうしたことも考慮されているのかもしれないです。
ともかく、23年も前の出来事になってしまったわけで、そろそろ四半世紀という節目にもなります。この先も、しばらくは私の人生は続くわけですが、そうしたときに、辻邦生が70年前にパリで考え、その後の40年以上の文業のなかで書いていたことが、この先の世界でどのように位置づけていくのか、という感覚を覚えます。「思えば遠くに来たものだ」という中原中也の言葉を、幾度となく思い浮かべることがこの数年多いのですが、この、遠い世界においては、辻邦生はどうやって、文学を受肉させるだろう、ということを思わずにいられません。
今日はこちら。辻邦生の思索が講演形式で語られます。講演後、そのほとんどをご自身で手を入れられていたと聞いたことがあります。ともかく、なにか遠い世界ですが、一方で円環でもあります。これからは、読み手の真価が問われるのだと思います。
それでは。おやすみなさい。グーテナハトです。
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