辻邦生生誕100年の日に

1925年9月24日が、私の敬愛し尊敬する辻邦生の誕生日で、今日がその100年という日に当たります。亡くなったのは、1999年ですので、四半世紀を超えてしまうのですが、なんとも言えない世界の断絶を感じます。

1925年から考えると、第二次世界大戦を超え、占領から冷戦へと進み、高度経済成長とバブル崩壊、ソ連東欧も崩壊し、ITバブル、リーマンショック、テロとの戦い、中国の勃興、中東危機を超えて、ウクライナやトランプと続く100年です。

私も、半世紀を生きていますが、目眩がするほど遠くへ来てしまったという感覚があります。時間はもはや距離へと転化してしまい、クロニクルという段組のなかに格納されているように思います。人生100年と言われ、無邪気に想像すると、この先も長いのかも、とまた新たな目眩を覚えます。

辻文学は、物語構造を総体で捉え、それを分解して記述するようは思います。全体が把捉された物語総体が、少しずつ顕になるというのは、物語総体から美的な迸りが徐々にその形を詳細化していくさまは、おそらくは天地創造のそれと類似するのでしょう。イザナギイザナミの矛の迸りが日本を産んだように、物語総体を原稿用紙に写しとる営為がおそらくは小説を書くということでしょうか。しかし、その物語総体自体、その自己実現のなかで、それ自体変異することもあり、それは、神意の歪みのようなものでもありましょうから、原稿用紙に書く作家とは、おそらくは、そうした変異を歓びとして、日々の創作に向かうのだと思います。

辻邦生もその歴史小説の創作の営為のなかに、歴史書を読み、いっとき忘れる、ということがあると書いていたと思います。忘れるということで、知識が潜在意識へと遷移し、なにか、間主観的な記憶や情報と交感することで、物語が湧き立つ、といった趣旨だったと思います。ミューズのような存在がいて、発想を与えるというエピソードは多く語られていますので、そうした、主観、あるいは顕在意識を超えた何かが創作に多く関わるのは疑いはないのですが、こうしたミューズには、捧げ物も必要で、それが、知識であったり、毎日書くと言った人間の関わりが、そうした捧げものに当たるのでしょう。

若いころは、結局は人が考えだすのが小説だと思いましたが、そうでもないのか、ということは、辻邦生の書く小説論で頭でわかりましたが、その後の人生の積み重ねのなかで、実際のものとして体感できたのは、この数年のことのように思います。私は小説を書くことはありませんが、高校時代に、国語表現の課題で書いた小説のようなものは、何か、無邪気に、何の執着もなく、数十分で書いたように思います。ビギナーズ・ラックのようなもので、まあ、ビギナーズ・ラック自体が、執着のないところに発生するのと同じく物語を紡ぐということは、やはり、執着をこえ、知識や努力といったミューズへの日々の捧げものにより、彼岸からもたらされる美的なな迸り、といったものなのでしょう。

最近は仕事ばかりで、辻邦生を読むことも能わず、あるいは、小説を手に取るのも難しい時期なのですが、この数ヶ月、なにか辻邦生に誘われるようなことが何度かあったように勝手に感じることが多いように思います。辻邦生の御命日に金魚が亡くなったのもその一つの表徴だったと思います。最近は、新たな短篇集も出版されました。一読者として喜ばしいと思います。

このAI時代に、ミューズへの捧げものとか、流行らないのかもしれませんが、結局、AIに取ってかわることのないものは、人間が、彼岸と交感し、創り出したものではないか、と思います。私も、仕事で、AIが進歩した世界を想定しないといけないのですが、そこがディストピア思えることもあります。そんな世界について、堀江貴文さんは以前聞いた講演で、芸能や娯楽が価値を持つ世界が来る、といっていました。小説や音楽などの芸術もやはり、これまで以上に価値を得るのか、次の100年ではないか、などと思います。

ともかく、こうして、本を読み、考え事ができるのも、1989年に辻邦生を、初めて手にとったからです。その時からも、36年が経ちました。干支としては、3周したということになります。やはり、これも一つの節目かもしれません。

久々に長々と書いてしまいました。今年が節目ということもあり、辻邦生さんの100年目という今日から、また新たな気持ちで生きていこうかな、と思いました。100年という、特別な日にこうして書くことができることに感謝して。

それではおやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

Posted by Shushi