英語の勉強で、天才たちと趣味の関係について書いた記事を読んでいました。ノーベル賞受賞者のほとんどが、趣味を持っていて、絵を描いたり、楽器を弾いたりしていたらしい。
で、自分が楽器をやめたことと、頭の回り具合を比べてみると、なんだか、楽器をやめた途端に、呆けてきた気がしてならない。
やっぱり、やめちゃいけなかったんだなあ。。。
頭の回転と楽器演奏って、相関関係があるんじゃなかろうか。
昔読んだ本にもあったなあ。ピアノをやってた高校生が、学業に励もうとピアノをやめた途端に成績が落ちたっていう話。
再開したいのですが、アンブシェアを鍛え直さなければならないので、しばらくはEWIでアンブシェアを鍛えることにします。しばらくはスクウェアでも吹きまくろうかなあ。
あるいは、シュトラウスのオペラを吹いて自己満足に耽るとか。なにか新しい発見があるやもしれない。
気づいたこと──楽器やめちゃいけなかったんだ。。。
いまさらながら「陽炎ノ辻―居眠り磐音 江戸双紙」
今年の正月に、NHKで佐伯泰英さんのドキュメンタリーを見ました。佐伯さんは今をときめく時代小説作家でいらっしゃいますが、ストイックな執筆姿勢や、挫折を乗り越えた人生に感銘を覚えて、代表作の居眠り磐音シリーズを読まねば、と思ってはや8ヶ月。ようやく一冊読み終えました。
いやあ、面白かった!
佐伯さんは20日で一冊の文庫本を書くほどの職人的プロフェッショナルですが、一冊読み終えても、あまりにも疵がない完成度に驚きました。たまに読む邦人小説では、疵だらけ、ということもあるのですが、そうは思えませんでした。実に素晴らしい。
このシリーズ、ご存じのようにNHKでドラマ化されていましたので、私の中ではもう、磐音は山本耕史であり、おこんは中越典子なわけですが、それが実にしっくり来る。ああ、ドラマも良いできだったなあ、と思い出すことしきり。また再放送しないかな、などと。
そういえば、ドラマ版のキャスティングが妙にサラリーマンNEOとかぶっているのは気のせいでしょうか。。。
この本は、私の父親に借りました。父は、佐伯さんの本にはまっておりまして、実家の文庫本棚は佐伯作品であふれかえっております。また借りて参りたいと思います。
時代小説も良いものですね。そういえば、最近読んでいた辻邦生作品も時代物でした。「嵯峨野明月記」、「天草の雅歌」。あとは、永井路子作品にものめり込んだ時代もありましたし、澤田ふじ子作品の「はんなり菊太郎」も好きでしたねえ。意外と時代物も好きかも。良いものに限りますが。
ベルリンフィルのヴァルトビューネ、フレミングのカプリッチョがいい!
世の中とはままならぬもの。さりとて、打ち捨てるには惜しいほどの美しさに満ちている。だからこそ、世の背理に耐え、艱難を忍び、その向こう側にある彼岸へのまなざしを保持せねばならぬ。
昨夜、今年のベルリンフィルのヴァルトビューネの映像を見ました。フレミングが登場するということで、シュトラウスを歌ってないかなあ、と期待していたのですが、やっぱり歌っていました。それも私がもっとも愛する曲のひとつである「カプリッチョ」終幕の場面。フレミングの「カプリッチョ」はフレミング名義のオムニバス盤で、エッシェンバッハと組んで歌っているものでしたが、ベルリンフィルをバックにフレミングの、まるで伯爵夫人マドレーヌが乗り移ったかのような気迫にあふれた美しく力強く、それでいて正確無比な歌唱を聞いて、久々にゾクゾクしました。この曲、半年までに聴いていたら、涙があふれて大変なことになっていたはず。それが、失われたのが今年の三月以降だと思いますが、昨夜は調子が少し戻ってきた感触がありました。でもまだもう少し。しかし、ベルリンフィルは巧いですねえ。ホルンのドールもよかったですし。コンマス樫本さんが、コンマス席の左隣に座っていました。時代は変わっているんですね。
なんだか最近呆けているのか、絶望しているのか、よく分かりませんが、なんともいえぬ虚無感や無常感に苛まれている感じです。とはいえ、6月に「鹿鳴館」を聴いてから、オペラの実演はお預けですので、耳がなまってしまっているのかも知れません。私の2010年/2011年シーズンは、10月11日の「アラベラ」で幕を開けます。そうすると、また少し何かが変わってくるかもしれません。努力なしに果汁を飲むことは許されませんので。
ブラッド・メルツァー「偽りの書」
偽りの書、読了。
これも、やはり「ダヴィンチコード」や「天使と悪魔」、「ロストシンボル」などのダン・ブラウンものとよく似た構造です。
この本でテーマとなるのは、フリーメイソンの失われた秘密の言葉でもなく、シェイクスピアの未発見原稿でもなく、カインがアベルを殺した時に使った凶器を捜すというもの。
コミック版スーパーマンの原作者の父親が、ロシア兵だった頃に、スウェーデンで手に入れたカインから伝わる神から授けられた秘密の奥義を手に入れたという設定です。主人公のカルヴァンは、長い間生き別れていた父親と再会を果たすのですが、父親は秘宝を運ぶトレーラの運転手でした。その秘宝を手にいれんとする「預言者」や「判事」と、元警察官のエリス。巻き込まれてしまったカルヴァンは、否応なく秘宝の探求に巻き込まれてしまう……。
話はあれよと進んで行きますが、作者のペースが読者を置いて行くぐらいハイスピードなので、少し戸惑いもありますが、アイディアはなかなか面白いものでした。スーパーマンと、カインとアベルの話を結びつけるなんて、なかなか出来ることじゃありません。
それにしても、小説とは言え、学術的でないにしてもきちんとしたリサーチは必要ですね。この小説もやはりオカルト系ですが、日本人作家で言うと、高橋克彦さんなどを真っ先に思い出します。高校時代にはどっぷりと高橋克彦さんにつかっていた時期もありました。懐かしい。と言うわけで、現在、高橋克彦さんの本を取り寄せ中。楽しみ。
8月の本
暑いですねえ。私もようやく立ち直ってきました。
気を取り直して、少し遅れましたが、8月に読んだ本一覧です。ミステリーと辻邦生のサンドウィッチ。楽しかったです。
期間 : 2010年08月
読了数 : 6 冊 |
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本・雑誌 |
辻 邦生 / 新潮社 (1976-07)
読了日:2010年8月30日
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ジェニファー・リー・キャレル / 角川書店(角川グループパブリッシング) (2009-05-29)
読了日:2010年8月24日
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ジェニファー・リー・キャレル / 角川書店(角川グループパブリッシング) (2009-05-29)
読了日:2010年8月24日
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ダン・ブラウン / 角川書店 (2010-03-03)
★★★★☆ 読了日:2010年8月3日
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ダン・ブラウン / 角川書店 (2010-03-03)
★★★★★ 読了日:2010年8月4日
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辻 邦生 / 中央公論社 (1990-08)
読了日:2010年8月20日
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プレゼンが終わりました
昨日、やっとプレゼンが終わりました。70枚弱スライド作ってしまい、予定超過してしまいましたが、まあ大過なく終わり。デスクワークとは違った面白さでした。あえて、趣味の話を交えたり、いろいろ工夫しました。ただ、時間が足らない。喋りたいことはたくさんあったので、ついつい早口になってしまいました。まあ、これは仕方がない。
昨日からはマーラーを聞いていました。アバド@ルツェルンの交響曲第六番「悲劇的」を二回、同じくアバドによる交響曲第三番を。昔、うちの奥さんの友人でクラシックが好きな方に、「マーラーを昔聞いていたけれど、最近はリヒャルト・シュトラウスのほうが好きです」といったら「え、普通逆じゃないですか?」といわれたのを思い出しました。この背理に満ち溢れた現世を忘れてシュトラウスの典雅な世界に遊ぶのが大好きでしたので。
でも、いま、僕の中で何かが変わってきているというのも感じているところです。もちろんシュトラウスは大好きで、昨日も「英雄の生涯」を聞いたところですし。何が変わってきているのか、何が原因なのか、を探るのが目下最大のミッションです。
仕事中
来週、職場でプレゼンをすることになり、目下準備中。パワポで資料作るのが楽しくて仕方がない感じ。安全管理的な研修に行ってきたので、その報告会とやらで、30分ばかりの持ち時間を使えるらしい。せいぜい楽しんで来よう。
えーっと、写真のスティーブ・ジョブスはプレゼンの神様ですので、縁起担ぎに載せてみました。
BGMは、ジークフリート・イェルザレムとパトリシア・プティボンが歌う「カルミナ・ブラーナ」。むかし、こんな記事書いています。
“https://museum.projectmnh.com/2010/04/18035722.php":https://museum.projectmnh.com/2010/04/18035722.php
今日の通勤時間も「天草の雅歌」を。昔は複雑に思えた人間関係も、三度目ともなると、かなりわかりやすくて、プロットが自然に体の中に染みわたってくる。
なーんて、仕事していたら、いつもの就寝時間を1時間以上オーバーしています。明日も午前中から所用で都心に向かいますので、今日のところはこのあたりで。
辻邦生「天草の雅歌」
また、辻邦生を読んでいます。今度は「天草の雅歌」です。三回目です。
一回目はなんだか話しの面白さにぐいぐいと引っ張られて、最後まであっという間に読んだ記憶があります。15年ほど前でしょうか。その後もう一度読んでいるはず。10年以内だと思われます。少なくとも2006年以前だと思います。
この小説は、辻邦生初の三人称小説です。それまでは、すべて一人称小説だったわけですが、ここが一つの転機になったとのこと。私は辻邦生的な一人称小説が大好きですので、この「天草の雅歌」を読んでいて、パースペクティブが変わるようなところでドキドキしてしまいます。やはり少し勝手が違うところがあるかもしれません。
とはいえ、物語としても大変素晴らしい作品。江戸時代初期、まだ鎖国体制が確立していなかった頃の長崎を舞台にした、外国貿易を取り巻く血なまぐさい政争と、それに巻き込まれていく混血の美少女のコルネリアと長崎奉行所通辞の上田与志の物語。こう書いているだけで胸がときめきます。当時の政治経済の情勢が手に取るように分かる歴史小説でして、この物語がフィクションであることを知りながらも、それでもなお、物語世界が実在として迫ってくる力強さがあります。
当時の日本は、鎖国が成立していませんので、外国貿易を推し進めようとする勢力と、それに抗う勢力の争いは絶え間ないものでした。それにくわえて、キリシタンの問題がありましたので、ますます事態は複雑化しているわけです。そうした問題は、おそらくは天草島原の乱が最大の分水嶺となって、鎖国への道を駆け下りることになるわけですが、そこに至るまで、思いのほか饒舌な歴史が眠っているということがよく分かります。
もちろんこの物語はフィクションですし、歴史小説とは、史実と付かず離れずで成立しているものですので、そのまま史実とは言えますまい。ですが、辻邦生の他の作品と同じく、フィクションとはいえ、極めてリアルな真実在とも言えるような、なにか手を触れることの出来る実体のようなものを伴ったものですので、きっと長崎に行けば、上田与志やコルネリアの姿が見えることでしょう。
先日読んでいた「嵯峨野明月記」でもそうでしたが、細部に至る細かい描写が手に取るように感じられて、通勤電車の中にいながらも、気分はすでに当時の長崎に居るかのような思いを感じます。個々の描写は実にビジュアル的で、映画を見ているようにも思います。辻邦生師は、映画もお好きだったのですが、小説のシーンを、映画のワンシーンのように切り取ってビジュアル化するところは実に巧みだと思います。
今年の旅行はどこにしようかと思っていたのですが、長崎が候補に挙がっています。というのも、全集で「嵯峨野明月記」を読み終わって、解題を読んでいたときに、辻邦生が「天草の海の色は素晴らしい」と書いていることを知ったからです。残念ながら、長崎には行ったことがありませんので、本当に興味深いのです。また、長崎の教会に行けば、少しは西欧に近づけるかもしれない、という思いもあります。本当に行けるといいのですが。
ジェニファー・リー・キャレル「シェイクスピア・シークレット」
先日まで、辻邦生の高雅な世界に沈潜していたのですが、今週に入って、くだんの本を読み始めました。その名も「シェイクスピア・シークレット」。
シェイクスピアの正体への疑いが色々あるのは知っていましたが、実に興味深いのです。クリストファー・マーロウとか、フランシス・ベーコンがシェイクスピアの名を借りて戯曲を書いていたのではないか、という話しにとどまりません。舞台はイギリスからボストンに移り、それからユタ州、ニューメキシコ州、ワシントンDCへと飛び回ります。
主人公の女性とそれを助ける頼もしい従者という構造は、多分に逆ダン・ブラウン的ですが、それでもパターンは美しいのです。
まだ最後まで読み終わっていませんが、予想通りのどんでん返しに少しほくそ笑んでしまいました。それから、固有名詞が相当出てきますので、さらさらと上っ面で読んではいけません。研究書を読むぐらい注意深くないと。もっとも、とびっきり面白い研究書なのですけれど。
この本を読む前に、是非こちらのシェイクスピア別人説のウィキ記事をおすすめします。昨夜遅くまでこの記事を読んでいたのですが、これだけでも面白い。そして、なぜか恐怖を感じるのです。
“http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%94%E3%82%A2%E5%88%A5%E4%BA%BA%E8%AA%AC":http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%94%E3%82%A2%E5%88%A5%E4%BA%BA%E8%AA%AC
久々に。。
久々に、オペラ観て涙が出るくらいじーんと来ました。
2008年新国立劇場の「トゥーランドット」。
テオリン歌うトゥーランドット姫が、カラフの嫁になるのはイヤだイヤだ、と皇帝にすがりつくシーン。あそこのトゥーランドット姫の旋律は奥深くて、イヤだイヤだと駄々をこねるシーンにしては感動的なのですが、テオリンが歌っているのを観て、さらに感動してしまった。
なぜなのでしょう? テオリンの声って、ビブラートが強くて、昔はあまり好きではなかった、というのはいつしかもここに書いたかもしれませんが、2009年のバイロイトの「トリスタンとイゾルデ」を聴いて、一気に好きになり、今年の新国「リング」でさらに好きになったというところ。
やっぱり、常人には真似できないあの凄まじい音圧を持った声に痺れているのだと思う。ビブラートのことを、「ブースターである」と書いたこともありますが、あのビブラート、一度疑いが溶けると、一気に引き込まれてしまうのです。一言では書けません。ちょっと考えないと。何でだろう? おそらくは人間の極限を見ているように思えるからかもしれない。音楽という非実利的なものに超人的な力を発揮していることに感動しているからかもしれない。
人間なら、だれしもなにかに超人的な力を発揮できるよう努力しなければならないと言うことなのか。テオリンの歌を聴いて、身につまされるからなのか。
ただ、心配なことも。昨夜録音に成功したザルツブルク音楽祭の「エレクトラ」でテオリンがタイトルロールを歌っているのですが、ちょっと不安定に思えたのです。まださわりを聴いてiPodに入れただけなのですが、明日は移動時間が長いので、じっくり聞いてみます。指揮者はガッティ。
昨夜の「ワルキューレ」は、2幕の冒頭、藤村実穂子さんが出演したところでダウン。でも、第1幕観られて良かったです。