2012/2013シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera

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師走1日目、寒風吹きすさぶなか新国立劇場「セビリアの理髪師」でしばし気分を暖めてきました。

なんだか、純粋に楽しめたなあ、という感じです。こういう楽しみ方もありなんだ、とすこし驚きました。

ワーグナーやプッチーニ、シュトラウスは好きすぎるので、構えてしまうんですが、ロッシーニは結構苦手でして、かえってリラックスして聴けたのだと思います。

楽しい3時間でした。ありがとうございます。

主な出演者

指揮:カルロ・モンタナーロ

演出:ヨーゼフ・E.ケップリンガー

アルマヴィーヴァ伯爵:ルシアノ・ボテリョ

ロジーナ:ロクサーナ・コンスタンティネスク

バルトロ:ブルーノ・プラティコ

フィガロ:ダリボール・イェニス

フィガロ

フィガロのイェニス、声に張りがあって大迫力でした。軽妙な身振りも交えた演技はとても素晴らしいものでした。ああいう感じは欧米人ならではですね。

ロジーナ

ロジーナを歌ったコンスタンティネクスは、軽やかで澄み切ったソプラノです。モーツァルトやロッシーニによく合う声質です。ケルビーノ、ツェルリーナ、チェネレントラ、ドラベッラ、デスピーナなどがレパートリーのようです。実は、「ばらの騎士」のゾフィーなんかも合うのではないでしょうか。

アルマヴィーヴァ

アルマヴィーヴァ伯爵のルシアノ・ボテリョはイケメンテノールです。巧いのですが、早いパッセージがすこし苦手そうでした。気になったのはそれぐらいで、演技も歌も十分楽しめました。

バルトロ

バルトロを歌ったブルーノ・プラティですが、あのメタボっぷりは、さすがになにかおなかに入れてますよね。恰幅がよくて、日本語も交えたコミカルな演技が面白かったです。

指揮者モンタナーロ

カルロ・モンタナーロの指揮は、実にすっきりとした味わいでした。オケをきちんと統率している感じで、オケの鳴り方もいつもより細密でくっきりしているように聞こえました。

モンタナーロ、第二幕で劇に乱入しましたね。バルトロの歌詞を「違う違う!」と指揮台から叫んでました。もちろん仕込まれた仕掛けですので、みんな笑ってましたけれど。

次回は……

次回は演出面などを書きます。1960年代フランコ政権下のセヴィリアが舞台になっていると言うことで、仕掛けがたくさんありました。私は、どうもアルマヴィーヴァがフランコ政権体制側の人物として示唆されていたように思えてならないシーンがありましたので、調べています。が、どこまで追い込めるか。。

 

それではまた。

2012/2013シーズン,Giacomo Puccini,NNTT:新国立劇場,Opera

トスカ、まだまだ続きます。

そろそろ「理髪師」の予習もしないと行けないのですが。

今日はデイヴィス盤を紹介します。

デイヴィスの指揮はずいぶん好きなんです。「ピーター・グライムス」や「魔笛」に親しんでいました。

デイヴィスの指揮もきりっと引き締まっていて、緊張感が素晴らしいです。テンポコントロールがきまっています。

スカルピアのイングヴァール・ヴィクセルがエラクカッコイイですよ。スウェーデン生まれのバリトンで、昨年亡くなられたようです。鋭利で冷たい刃物のようなスカルピアです。

カレーラスも雄々しく雄叫びをあげます。第二幕でナポレオン軍の勝利に歓喜して絶叫するところは、さすがカレーラス!、と思います。

トスカを歌うモンセラート・カバリエがも豊潤でドラマティックです。

1976年にコヴェントガーデンで録音。

(もう36年も前ですか。。)

  • 指揮:コリン・ディヴィス
  • トスカ:モンセラート・カバリエ
  • カヴァラドッシ:ホセ・カレーラス
  • スカルピア:イングヴァール・ヴィクセル

最近夜更かし気味です。今日もそろそろ眠ります。

では。

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初台にてトスカを見てきました。

今回も前列方面でしたので、いつもになく十分に堪能しました。ありがたいことです。

3年前の「トスカ」をみた後には「このパフォーマンスが東京で、なんて恵まれている。」という記事や、「音楽か、言葉か、演出か?」なんていう記事を書いています。

今回も、このパフォーマンスを東京でみられる幸運に感謝です。

 

ノルマ・ファンティーニ!

トスカを歌ったノルマ・ファンティーニ、今回も聞かせてくれました。

というか、迫真過ぎて、見ているのがつら過ぎするぐらい。

なんだか、もう、トスカの危機的状況が手に取るように分かって、あらすじは理解しているんですが、ハラハラしました。

表情も硬軟織り交ぜているのよく分かりました。巧いです。

第一幕、カヴァラドッシが浮気をしているのではないかと疑うシーン、笑ったり怒ったり織り交ぜてカヴァラドッシを責めるあたりは、本当に役者だなあ、と思います。

パワーもものすごいです。座席が前の方だったので直接声が響いてきました。いままで味わえなかった感動です。

舞台の歴史背景

ステージの豪華絢爛さは何度見ても素晴らしいです。座席的にも舞台がよく見える場所でしたので、聖アンドレア・デラ・ヴァッレ教会に本当に足を踏み入れた気がします。

ちょっとイタリアに来た気分で、幸福な気分です。

今回は、歴史的経緯もちゃんと確認していきましたので、その点でも楽しめました。

第一幕最後のテ・デウムのシーンに登場した若い王妃が、ナポリ王国女王のマリア、カロリーナですね。ずいぶん若いですけれど。

どうやら教皇も登場していたようです。きっとピウス七世です。

スイス人衛兵もカッコよかったです。

雑感

しかしなあ、これから死ぬ運命にある幸福な恋人達の会話を聞くと胸が痛みます。

カヴァラドッッシも、いつ逮捕されても分からない状況にあったのに、トスカと一緒に居たいが為にローマに滞在していたわけですから。

政治を甘く見てはいけないです。お節介ですけれど、

第三幕、トスカとカヴァラドッシが感極まって、歌と絵で芸術を極めよう!みたいなことを言うんですが、これって音楽と演出のことを言っているんだろうなあ、と思ってみたり。

トスカとカヴァラドッシが巧く逃げたら、きっとカヴァラドッシが演出家になって、トスカが出演のオペラプロダクションを作ったりして。。

結局、うまくいかなさそうな二人です。

スカルピアがもし生きていたら、ナポレオンが再びローマを攻略したときに失脚するんでしょうが、巧いことやって、フランスに取り入ったりするんでしょうね。

 

今回も本当に楽しめました。ありがとうございます。

それではまた。フォースとともにあらんことを。

 

※ヌーヴォー飲んで酔いながら書いてます。。

2012/2013シーズン,Giacomo Puccini,NNTT:新国立劇場,Opera,トスカを聴こう!

本日、トスカの初日ですね。

どんな感じでしたでしょうか。

私は情報シャットダウンしてこの一週間を乗り切る予定です。

新国立劇場の来シーズのラインナップも一部発表されましたね。

「リゴレット」と「死の都」です。楽しみであります。

 

さて、第13回はスカルピアの簡単な前歴。そうか、シチリア男だったんですね。

これで、だいたい「トスカ」の周辺知識を整理できました。

次回からはディスコグラフィーに行く予定です。

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スカルピアはシチリア出身で、名をヴィッテリオと言う。

スカルピアがローマへやってきたのは、「トスカ」が舞台とする1800年6月17日の一週間ほど前であった。革命思想に共鳴する政治犯を取り締まるために警視総監として着任したのだ。

これは、ローマを占領していたのがナポリ王国であったからだ。

ナポリとシチリアは同君連合だった。当時の国王のフェルディナントは、ナポリ王としてはフェルディナント四世であり、シチリア王としてはフェルディナント三世と呼ばれていた。

ちなみに、両王国はナポレオン戦争後、両シチリア王国として合併するに至る。

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シチリアはマフィアの勢力が強いことで有名であるが、当時も山賊の本場として有名だった。スカルピアのイメージ形成の一つの要因となるだろう。

「トスカ」の幕が開けた段階で、実はスカルピアは窮地に陥っているのだ。

これは、警視総監としてローマに赴任してすぐにアンジェロッティの脱獄を許してしまったからだ。

ナポリ王妃マリア・カルローネはスカルピアを強く叱責していたのだ。

アンジェロッティを捕まえることが出来なければ、お前の首が危ういぞ、と。

スカルピアは意地でもアンジェロッティを逮捕する必要があったというわけだ。

 

新国立劇場「トスカ」は11月11日~23日です。

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しかしずいぶん寒くなりました。
明日は赤坂に出撃予定です。仕事が無事に終わればですが。
第12回はカヴァラドッシの前歴です。そうか、ダヴィッドに習ったのですね。さすが。
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マリオ・カヴァラドッシは、画家なのだが、単なる画家ではない。ローマ貴族の末裔で自由主義と革命思想に親しんだ画家だ。
父親はパリでディドロやはりダランベールの結社に出入りしており、ヴォルテールとも親交を結んでいた自由主義者であった。
カヴァラドッシは、革命時代のパリで育ち、絵はダヴィッドのもとで学んだという設定になっている。
ダヴィッドはフランス革命期の大画家である。革命期にはジャコバン党員として政治にも関わり、国民公会の議長を務めていたことがある人で、その後はナポレオンの御用画家として大活躍する。
以下はダヴィッドの手になる「アルプスを超えるナポレオン」。
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カヴァラドッシがダヴィッドの弟子であるのならば、自ずと自由主義者になるだろう。
だから聖アンドレア・デラ・ヴァッレ聖堂の壁画を書いて、信心深いところを見せているのだ。そうして当局の目を欺こうという魂胆なのである。
なぜそんな面倒なことをしているのか?
原因はトスカにある、
カヴァラドッシがトスカと知り合ったのはローマのアルジェンティーナ劇場でのトスカの歌を聴いたからだ。
それ以来ローマを離れることができないでいる。そうでなければ王党派の勢力下にあるローマに滞在する訳がない。
結局、恋に身を滅ぼす、という言葉を当てはめることができるだろう。

2012/2013シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera

今日は、一息入れます。

トスカの初日が迫っていますね。11日からです!

トスカのノルマ・ファンティーニ

ノルマ・ファンティーニのFacebookページには衣装合わせをしている写真がのっていました。楽しそうでいい雰囲気が伝わって来て嬉しくなります。

私にとっては「アンドレア・シェニエ」依頼のファンティーニです。一回「オテロ」ふられていますので、今回も心配していたのですが、嬉しい限りです。

ファンティーニがうたうトスカはこちらでご覧になれます。

カヴァラドッシのサイモン・オニール

カヴァラドッシをうたうサイモン・オニールのインタビューが新国立劇場のホームページに乗っていました。

ニュージーランド出身で、METでドミンゴのカバーをしていたそうで、ドミンゴレパートリーが自然にレパートリーになったそうです。

来年はジークムントをミュンヘン、スカラ座、ベルリン、ウィーンなどで歌うそうで、ひっぱりだこの状況のようです。

「世界の声」をすぐそばでリーズナブルに聞くことができる新国立劇場は本当にありがたいところだと思います。

今回はさすがに人気演目ということもあり、残席が少ないとのこと。これも嬉しい限りです。

 

新国立劇場「トスカ」は11月11日~23日にて。

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しかし急に寒くなりました。

普通は、冬に備えて体格が良くなり始める季節ですが、家飲みと間食を絶ってからは、少しずつスリム化している気がします。

嬉しい限り。

きっかけは、先日の試験受験票に貼った自分の顔写真見た時のショックが忘れられないからです。

さて、今日で11回目になりました。トスカの半生はこんな感じでした、の巻です。

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フローリア・トスカは、ヴェローナ近くの牧場で羊番をしていた無骨が少女であったが、ベネディクト会の修道女が修道院へ引き取り、修道院で育てられた。

修道院では天才的な音楽的才能を示し、16歳で歌手となったのだった。作曲家であるドメニコ・チマローザが感嘆し、オペラ歌手にしようとかんがえたのだが、修道女たちはこれを拒んだのだった。

ここには教皇の意向も働いていたというのだから驚く。image

それはそうだ。修道女が歌手になるなんて、今で言えば、品行方正なお嬢様学校の生徒が、卒業後パンクロッカー(古い?)になるのと同じぐらいだろう。

チマローザと修道女たちの争いは、教皇の調停にゆだねられることになったのだが、このときトスカの歌声を聞いた教皇が、芸術の道に進ませるべきであるとして、決着がつき、トスカはオペラ歌手としてデビューすることになったのだった。

(写真がドメニコ・チマローザ)

だが、トスカの信心深さはこの修道院育ちという出自に由来している。

つづく

 

次回はカヴァラドッシの前歴をさぐります。

新国立劇場「トスカ」は11月11日~23日です。

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「トスカ」の舞台となった1800年6月の時点で、ローマはナポリ王国の勢力下にあった。

当時のナポリ王国はフェルディナント四世の治世下にあった。が、フェルディナント四世は狩りやスポーツに明け暮れた男で国政には興味をしめさなかった。
代わりに国政を切り盛りしていたのは王妃であるマリア・カロリーナである。

マリア・カロリーナは、オーストリア女帝マリア・テレジアの娘であり、マリー・アントワネットの姉に当たる人物である。

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母親のマリア・テレジアがオーストリア帝国の政治を動かしたのと同じように、ナポリ王国を夫フェルディナントに代わって統治した。これは婚姻に際して「息子が生まれたら摂政になる」という特約がついていたからである。

さて、この王妃は「トスカ」のなかにも登場している。

第二幕に、スカルピアに追い詰められたトスカが、王妃に嘆願しようとするシーンがあるが、このときの王妃がマリア・カローリナである。

第二幕では、ファルネーゼ宮殿のスカルピアの執務室が舞台となるが、前半部分でトスカの歌声が響いてくるシーンがある。これは、マリア・カロリーナが出席している戦勝パーティーでトスカが歌を披露しているというシーンになっている。

その後、実はマレンゴの戦いで、ナポレオンが勝利し、オーストリア軍が敗れたという報がとどくと、マリア・カロリーナは卒倒してしまう、という設定になっている。

つづく

次回は「トスカの前歴はいかに?」です。
(追記:カヴァラドッシより先にトスカの前歴を紹介することにしました)

新国立劇場「トスカ」は11月11日~23日です。
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秋晴れの日曜日ですが、すっかり寒くなりましたが、近所のレストランでラズベリーアイスクリームを食べました。近所にもおいしい店があってうれしい限りです。

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歴史背景が長引いてしまいました。今日でローマ共和国の終焉の回。文献がドイツ語しかなく、難儀しました。決定稿は後日出そうと思います。

次は、トスカに出てくる「王妃」あるいは「女王」とは誰か、という話を書く予定です。その後、カヴァラドッシやトスカの来歴を書く予定。トスカは若い頃は修道院に入っていたそうですよ。

ではどうぞ。

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土台の緩い建物は少しの揺れで崩れ落ちる。

1799年6月17日から19日にかけてのトレビアの戦いで、ロシア軍のスヴォーロフ将軍がマクドナルド将軍[i]率いるフランス軍を撃破した。

これによりナポリを占領していたフランス軍はナポリからイタリア北部へと撤退する。ナポリ軍は1799年9月30日にそのままローマを占領し、ローマ共和国の旗を降ろすことになったのだ。(画像がローマ共和国の旗)

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これに伴い、ローマ共和国の指導層は反体制となり、収監されていくことになる。

では、「トスカ」の劇中で政治犯として登場するアンジェロッティはどのような身分だったのだろうか。

ローマ共和国は名目上5人の「コンスル」つまり執政官によって統治されていた。もちろん実際にはこのうちの一人がアンジェロッティだった、という設定である。

「コンスル」という言葉は、元々は古代ローマにおける官位の名称で、共和制の最高位に当たるもので、元首という意味合いを持つ。ナポレオンがブリューメル18日クーデターで第一統領となるが、この官位名も「コンスル」であった。

アンジェロッティは、フランスの傀儡政権とはいえ、ローマ共和国内で高い地位にあったのだ。アンジェロッティの略歴についてはまた触れることにしよう。

さて、ローマのその後である。1800年7月3日にローマ教皇ピウス七世がローマに戻る。それで歴史は終わらない。

マレンゴの戦いで勝利したナポレオンは、再びイタリアを席巻し、イタリアは再びナポレオンの勢力下に入る。ピウス七世はナポレオンと一時期和解するが、関係が悪化した1806年には再びナポレオンにその多くを占領されてしまう。教皇領が完全に復活するのは1814年のウィーン会議においてであった。

つづく

次回は「トスカはマリー・アントワネットの姉にすがろうとした」です。


[i] マクドナルド将軍とは、後の元帥ジャック=エティエンヌ=ジョゼフ=アレクサンドル・マクドナルドである。かれは、スコットランドからの亡命者の息子であるため、このような姓なのである。

新国立劇場「トスカ」は11月11日~23日です。

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故逢って、本日も休業日でした。我が家にiPad miniがやってきましたので、少し遊んでしまいましたが、本日もいそしんでおります。

歴史的背景は一回で終わるはずでしたがもう少し続きそうです。しかし歴史は面白いです。苦手な方、ごめんなさい。

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「トスカ」の舞台となるのは、19世紀初頭のローマである。当時の欧州史を簡単におさらいしてみよう。

フランス革命

1789年のフランス革命やその後のナポレオンの台頭からナポレオン戦争への至る激動の時代のローマが、このオペラの舞台である。

フランス革命が自国に波及することを恐れた欧州各国はフランスに干渉を仕掛けていた。フランスも対抗するためにオーストリアへの宣戦するに至った。また1793年にはルイ一六世の処刑やフランス軍によるベルギーの占領が諸国に衝撃をあたえ、イギリスを中心にした対仏大同盟が成立しフランスは欧州各国を敵に回したのである。

こうして、フランスは自国内の混乱に加えて、対外戦争にも乗り出さなければならなくなったのだった。

ナポレオンの台頭

そうした内乱と対外戦争の中にあって頭角を現した軍人がナポレオン・ボナパルトだった。ナポレオンはコルシカ島生まれのイタリア人で、イタリアトスカナ地方の貴族の末裔だったという。

ナポレオンは、1794年のトゥーロン包囲戦で手柄[i]を立て、旅団長に抜擢されるに至る。image

(写真はカンポ・フォルミオ条約以降のイタリアの状況)

1796年、フランス軍はオーストリアを攻略するために、ドイツ、イタリア方面への作戦が開始された。イタリア方面軍の司令官はナポレオンであった。

ナポレオンは勝利をおさめ、1797年10月にカンポ・フォルミオ条約が成立し、フランスはロンバルディア地方を勢力圏に加える。

フランスはここに数多のフランスの衛星国家群を樹立した。もちろん共和制フランスが樹立するのであるから、共和国である。

衛星国はフランス軍の兵站基地としての機能を求められて作られたわけであるから、その成立に高邁な目的があったとは思えない。

だが、フランス革命という旧来の価値の転倒をイタリアへと拡大させたという意図は大きい。これは後のイタリア統一運動へとつながる布石となる。

ローマの行方

では、「トスカ」の舞台、ローマはどうなったのか。

ローマはイタリア中部を貫く教皇領として教皇の勢力下にあった。当時の教皇はピウス六世であった。

当然カトリック教会はフランス革命政府と対立していた。1793年にはフランス革命政府の使節がローマで殺害され、教皇とフランス革命政府の対立は決定的となる。image

(写真はローマ教皇ピウス六世)

1797年にローマで暴動が勃発し、フランス軍司令官が殺害されると、フランス軍は教皇領に侵攻し、トレンティーノ条約を結ぶことになる。その後、1798年2月15日、ローマ市民により、ローマ共和国の成立が宣言されるに至ったのだった。教皇ピウス六世はフランス軍に捕縛され、1799年8月に世を去ることになる。

だが、ローマ市民すべてがこうしたローマ共和国を望んでいたわけではなかったし、ナポリ軍により、1798年が一時期ローマを占領し、再びフランス軍が進駐するなど、不安定な状態が続いたのだ。

つづく

次回も歴史的背景を振り返ります。

新国立劇場「トスカ」は11月11日~23日です。

チケットぴあ


[i] このトゥーロン包囲戦の手柄の取り方が面白い。Wikiによると、要塞都市への無謀な突撃を繰り返していたのをやめ、港を見下ろす二つの高地を奪取し、そこから的艦隊を大砲で狙い撃ちをしたという。まるで日露戦争における旅順攻略戦のエピソードと同じではないか。