ラヴリーな新国立劇場の建築。全然飽きないです。色々写真を撮ってみました。
さて、今回の実演を聞いて、それ、言っちゃダメだから、という言葉がローエングリンの口から何度が出てきました。
そんな言葉を三つ選びました。
秘密の存在をばらしてしまった。
これは、演出のシュテークマンの前書きに触発されたのです。
曰く、ローエングリンは女心など知らぬうぶな若者で、やってはならないことをしているのである。
その最たるものが、自分には秘密があるんだよ、ということを女の子に言ってしまっていると言うこと。
本当に秘密ならば、秘密の存在すら秘密にしなければならないのに。
でも、ローエングリンはたかだかに名前は秘密だから教えられんのだよ、といってしまう。
本当にエルザを愛していて、一緒にいたいのならば、エルザに秘密を暴かせるようなことをしてはいけないのだ。
トリスタンが、タントリスと名前を変えてイゾルデの治療を受けたように、あるいは、ジークムントが、本名をかき回したように。
グリーンローエとか、リンローエングとか。
あるいは、ジョン・スミスとかでも良いわけだし。
臣民の前でエルザに最大限のプレッシャーを与えた
第二幕、テルラムントが、ローエングリンに名前をあかせ、と迫るシーンがあります。もちろんローエングリンは名前を言うことはありません。テルラムントのような反逆者に名乗る筋合いなどはないのだ、と一蹴します。
その次に、テルラムントは、じゃあ国王陛下に名乗るべきだ。国王陛下には言う義務があるのだから、と。
そこで、ローエングリンはこういう。いや、国王にさえ言う義務は負わないのだ、という。このときの国王の気分はいったいどうなんだろう、と心配になります。
で、次がひどい。
私に命じられるのは、エルザだけなのだ、というわけです。
政治や主従関係を愛情関係に転換してしまうというわけです。
エルザはここまで言われてしまうと、プレッシャーですよね。
ローエングリンは、事前エルザに名前を聞くな、といっておきながら、みんなの前では、エルザに聞かれたら答えるしかない、と言ってしまいます。
エルザはどうすりゃいいねん、という感じ。
秘密があれば、人間はそれを暴きたくなり、さらにそれを暴けるのが自分だけだ、と言われれば逡巡するに決まっているのです。
臣民の前でエルザに恥をかかせた。
あとは、最後のシーン。
エルザに名前を聞かれたので、私はローエングリンです、と言ってしまいます。
で、そのあたりでこういうのですよ。
「エルザが約束したことは、みんな知っているよね。名前は決して聞きませんって誓ったよね。でもね、聞かれちゃったんだよ。その硬い誓いを破って。だから僕はここから去るんだ。じゃあね。」
って書いてしまうと、かなりふざけた感じですが、現代に置き換えるとこうなってしまう。
本当に愛しているのならですよ、エルザをもっとかばわなきゃ、と思うのです。
もちろん神的意味があるんでしょうけれど、そうした神的なものをきちんと開示していないから、エルザも人間の一人として、問いを発したくなるわけです。
気の毒なエルザ。
まとめというか。。。
というわけで、現代の社会に当てはめてみると、ローエングリンは結構いまいちな男なんじゃないか、と思ってしまったりしますね。
ワーグナーはそうではないと思います。なぜなら、エルザを描写できているから、です。
たぶん。
本当に人間勉強になりますわ。だから面白いのですよね。
というわけで、本日はこの辺で。You have.