本日は自宅にて仕事などを。午前中に片付けて、休息の後、午後は近所のカフェを家族と一緒に開拓に。その帰り道に出会った猫がこちら。
明らかに王者あるいは女王の風格で、人を恐れることがありません。写真を撮ろうとするとこちらに擦り寄ってきます。どうやらなでて欲しかったようですが、私にその気がないと知ると、ぷいっと何処かへ消えていってしまいました。
まあ、人間も猫も同じです。また会いに行こうと思います。今度はなでてあげることにします。
それではグーテナハトです。
風格のある猫
繚乱な八重桜
仕事場近くで見つけた八重桜。なんだかもう繚乱な感じ。
明日はなんとか《ヴォツェック》に行ける予定。
しかし、究極的には何も解決しておらず。
一体音楽を語るとはなんなのか。音楽を語ることをについて音楽家がどう思っているのか、ということ。
我々には聴くことしか許されていないのか。決定的な断絶を音楽との間に感じてしまう今日このごろです。晩年の辻邦生が音楽について語ることが少なくなったのもこういうことが理由なのかもしれない、などと思ったり。
まあ、迷う暇があれば音楽を聞いて本を読め、ということになるんですが。
取り急ぎグーテナハト。
花と、面白きと、珍しきと、これ三つは、同じ心なり。
土曜日の朝に、近所の桜並木に言ってみました。まだほとんど咲いていません。7時を回った頃なので人影もまばら。花の盛りの予感に満ちてはいますが、まだ静けさが漂っています。美しさの爆発的な力が薄黒い木々の中に破裂せんばかりにみなぎっているのを感じます。
風姿花伝を読んでいたんですが、「花と、面白きと、珍しきと、これ三つは、同じ心なり」という言葉に出会いました。
花というのは季節に置いて咲くものであって、そのときにだけ咲くという「珍しさ」があるがゆえに、翫ぶわけです。いつも桜が咲いていたらこんなにも桜を楽しみにしないでしょう。
申楽も同じである、と言っています。
ということは、まあ芸術もまさに同じなんでしょう。
その先にはさらに厳しいことがたくさん書いてあり、音曲、振る舞い、物真似、全てにおいて巧くなければならない。桜、梅、菊のように一年中の花の種を持つべし、などと書いてあります。
考える事しきり。ですが、どうにも考えることが多すぎて。
ではグーテナハト。
もう一枚払暁。
払暁シリーズ。いや、最近帰宅が遅くて。。
やはり、雲のある払暁は面白みがあります。毎日撮れるといいのですが。
さて、昨日以下のCDを入手しました。懐かしいやらカッコイイやら。
フォンテック (1996-01-25)
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ソニー・ミュージックレコーズ (1996-10-21)
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「夢のあとに」の《ボヘミアン・ダンス》は20年ぶりに聴きましたよ。それでも覚えてました。
詳しくは後日。ああ、後日が多い。
ではグーテナハト。
たまにはハイキーな払暁
今日も短信です。明日が山場です。さしあたり。しかし、その後も続々山が続く。まあ、登山も楽しいものです。
バルトーク《中国の不思議な役人》を何枚か聴き比べていますが、なかなか面白いですね。あれ、意外なあの方の演奏がどうも? みたいな驚きもあり。
でもやはり私はショルティが好きだということがわかりました。小学校の頃から聞いていますから。
くわしくは今後。
それではグーテナハト。
払暁の短信
今朝の夜明けの風景。雲の隙間から太陽の光が一瞬差し込みました。快晴よりも雲があったほうが写真としては面白いのは言うまでもありません。いまは夜明けが遅いの嬉しい限りです。
正月休みもあっという間に終わりました。またいつもの毎日。
いや、それが今年はいつもの毎日ではないのですよ。。1月は激しく忙しい予定です。2月も3月も。もっとドライブしていかないと。
というわけで、今日は短くグーテナハト。